96、惨劇
永禄八年(1565年)3月
上田城
今、重臣、一族を含む主な家臣達を集めていた。...約一名違うのがいるが。
予定なら、寿桂尼が来て輝忠が二万の軍を連れて今川征伐に行くはずだったがそれどころではなくなったのだ。
「・・・以上が山本勘助を監視していた忍達からの報告です」
代表して孫六が説明をしてくれた。
しかし、それを聞いて誰も口を開こうとはしなかった。
(史実より生き延びたのにまさか、こんな最期を迎えるとはな....)
俺は目を瞑ったまま、勘助との今までのことを思い出していた。
何があったかと言うと、寺に籠もっていた山本勘助が惨殺されたのだった。
勘助の息子、兵蔵を昌信の小姓見習として出した後も変わらず勘助は寺で過ごしていたようで事件が起きたのは、2月末。
夕暮れに勘助の元に今川から使者が数名訪れ中に入れたそうだ。
もう暗かったのだったが勘助が許して中に入れさせた。
少しして、寺に残っていた下男達を呼び、信廉のいる城に新たな城の模型と縄張り図を持っていくよう命じその中に陽炎衆が紛れ込んでいた。
下男達は勘助の命令なので仕方無く暗い道の中を持って行ったが事件はその後起きた。
使者と名乗った者達が勘助を含む、寺にいた者達を殺し始めたのだ。
寺には勘助と和尚を含めて数名いたが、小僧二人を残して皆殺しだ。
小僧の一人は隠れていたので助かり、もう一人は慌てて寺を逃げ出して近くの信廉のいる城に駆け込んだ。
信廉は、小僧の話を聞いて一目散に寺に向かったが時既に遅しだった。
勘助は、見るも無惨に殺されており襲った者達はいなくなっていた。
信廉は急ぎ兄信玄と当主義信に使いを出し街道全てを封鎖させ、逃げて来た小僧から今川の使者がやったと聞いた為、今川との国境を中心に追跡の兵を送った。
ホント、報告を受けてから追跡まで手際の良さは流石と言える。
しかし、逃げた今川の使者と言う者達は捕まえることは出来なかった。
事件を遠くから監視していた陽炎衆の話では悲鳴が響いた寺から出た今川の使者を名乗った者達の後を追い掛けたが、駿河に入ったところで敵の忍に阻まれ逃げられた。こちらも多くの者が手傷を負ったのでそれなりに実力者の集団らしい。
勘助惨殺の知らせを聞いた信玄は慌ててやって来て勘助の亡骸を見て崩れ落ち、今川の使者がやったと聞いて激昂し今川を討つと言い出した。
しかし、当主の義信が反対、本当に今川の手の者か分からないと説得するも信玄は止まらず、親子関係が最悪になっている。
そして信繁が責任を持って調べるからと一旦預かり信玄も義信も表向きは大人しくなっている。
で、周辺国にも勘助惨殺と今川の手の者がやったと広がって、武田と今川だけではなく、北条や俺達など周辺国にも影響を及ぼしたのだった。
「てっきり、武田の自作自演かと思ったが信玄があそこまでになるなら違うよな?」
「恐らくそれはないでしょう。信玄と義信のせいで武田家は本当に上から下まで大混乱を起こしました。今も混乱は続いております。ただ、そうなると誰がこの件を企てたかが問題です。本当に今川家なら、あまりにも浅はか過ぎます」
「いや、あの寿桂尼が殿との会談を控えているのにそのようなことはしないだろう。それともあの件(今川征伐)が漏れたか?」
「それはないだろう。うつけと言えば氏真はどうか?あれはかなりうつけと聞くが?」
「氏真でもこのようなことはせんだろう。ましてや、三河の徳川に負け続けで危ういと言うのに」
「では、やはり武田の自作自演か?」
俺(義照)が言うと皆、意見を言い出した。
本当に今回は謎が多過ぎるのだ。
暗殺者が今川の使者と名乗ったこと。勘助がそれを迎え入れたこと。わざわざ夜に城の模型を送ったこと。暗殺者が駿河に逃げこみ、忍が邪魔をしてきたことだ。
少なくとも、模型を持っていかせたのは監視している陽炎衆を寺から離すためだろう。
「今回は分からないことが多すぎる。引き続き、情報を集めよう。特に武田と今川に領地が接している者は巡回を増やし警戒を強めよ。出浦、今川に使いを出し会談は延期と伝えさせろ」
「ははぁ...」
俺が指示すると一人を除いて頭を下げた。
「しかし、今回の件、誰が一番得をする?」
「それは村上様でしょう」
家臣から出た言葉にある男が返した。全員がその男に視線を集めた。
男の名前は、竹中半兵衛...今孔明と言われた男だ。
先に言っておくが俺の家臣ではない。国清の客将だ。
今回初めて連れて来たので後で国清に問い質すつもりだ。
(てか、まさか信濃にいるなんてな~。灯台もと暗しとはこういうことか...)
「まず、村上様は下野に出陣すると触を出されており、今二万の軍勢を集められております。今回の件で武田、今川の関係にヒビが入り両国で緊張状態に入っております。そこへ下野へ向かうと言って集めた軍が武田領国に向かうのではと他国の者は思うでしょう。武田家と村上家は長年対立し争ってきた間柄ですのでこの機に武田を滅ぼすと思われるでしょう」
(重臣達の様子からしてどうも、下野攻めは嘘。しかし、二万もの兵は集めている。武田を滅ぼす為に?・・・いや、今川を滅ぼすつもりか....)
半兵衛は説明しながらも周りの様子を観察する。他家臣達は半兵衛の説明に納得した。確かに他国から見ればそう思われるのは間違いないだろう。
だが、俺は何も指示しておらず、今は武田と争うつもりはない。甲斐の改革で馬鹿みたいに金もかかるし、何より今川を攻める為準備していたのがまたパーにされることに苛立っている。
「確かに武田とは因縁深いが今はそんなつもりはない。甲斐を統一したところで御荷物にしかならん」
「・・はい。村上様では無いとするなら次に得をする者でしょう..」
「あっ!」
半兵衛の意見を聞いて、大熊が大きく反応した。
「竹中殿、徳川のことか!!」
「はい。武田と今川の関係が崩れた今、武田が軍を送ることは決してないでしょう。それは北条も同じ事。村上様でないならば一番得を得るのは徳川でしょう」
それを聞いて俺は徳川について考えていた。正直、史実の家康は言い伝えなどで知っているが、実物は知らないのでこのような策をするか分からなかった。
「正信、家康はどんな人物か?」
「・・・私が知る家康様はこのようなことをされるような御方では御座いませんでした....」
正信を見ていたが、小さく震えていた。
たぶん、直ぐにでも三河に行きたいと思っているかもしれない。
「まだ徳川が黒幕と決まった訳では無いが、大熊。南条と共に三河の情報を逐一報告しろ。それと、国境を固めておけ」
「承知!!」
「満親、信春。武田、今川の領地と繋がる街道に至急関所を造れ。ただし、通行税は国境の関所以外では取るな。あくまで不審者の捕縛の為だ」
「畏まりました」
「殿、関所と共に軍の駐屯地を併設してもよろしいでしょうか?それなれば直ぐに軍を動かせます」
「分かった。信春の案を使おう。規模と造りは二人に任せる」
「「ははぁ!!」」」
俺は次々指示を出していった。それと集めた軍に関しては解散させた。このままいても無駄に兵糧を消費させるだけだからだ。
正直、攻めたいが今攻めては勘助の件も俺達がやったと思われ、信用を失うかもしれない。北条、今川、武田からの信用が無くなるのは別にいいが北にいる男が一番の脅威だ。
越後、越中、佐渡を抑え、加賀制圧が時間の問題の毘沙門天を敵には回したくない。
絶対にだ。
「父上、仮に今川と武田に戦をさせるのが目的としたら次に狙われるとしたら誰でしょう?」
輝忠の質問だが、考えている者もいれば何人かは思い当たる人物がいるのか頷いていた。
俺も一人心当たりがいる。
「まず、間違いなくあの人は狙われるだろうな...。なぁ、幸隆」
「はい。成功すれば確実に武田と今川で戦が起きます」
俺が幸隆に振ると納得していた。
「次に狙われるとしたら間違いなく寿桂尼だ」
今の今川に無くてはならない柱であり、亡くなれば戦は避けることはできず、確実に今川は滅ぶだろう。
(仮に寿桂尼が殺されたら北条はどうするだろうか...)
俺は今後周辺国が荒れるのは分かっているが出来れば巻き込まれたくなかった。
しかし、予想はおまけが付いて当たり、嫌でも巻き込まれることになるとはこの時考えてもいなかったのだった。