95、武田の受難と老鬼の暗躍
永禄七年(1564年)10月
甲斐 岩殿城
「はぁ、やはり民が逃げ出すのは止まらんか?」
「はっ。ご隠居様(信玄)の頃よりは税などは緩くなりましたが、その...」
「言わなくてもいい。村上の領地に逃げたのだろう..」
当主として政務を行っていた義信は近習達と主に二つの事に頭を抱えていた。
一つは祖父(信虎)、父(信玄)と裏切りを続けてきた為、同盟を結んでいるとは言え、北条、村上から信用を失っており、警戒されていること。
特に村上はいつ牙を向けてくるか分からず皆恐れている。
もう一つは、臣従以降、戦は無くなったが税が重いため、民百姓が土地を捨てて逃げてしまうことだった。
一つ目に対しては、同盟国の北条、臣従先の今川と頻繁にやり取りなどして信用回復に勤めていた。
今川から独立と東駿河を譲り受けた際に、三河奪還だけだった条件に織田への弔い戦をする時援軍を出すと入れたのは義信だ。
父信玄や一部家臣から反対されたが、信用を取り戻すためと強行した。
そのお蔭かは分からないが、一定の信頼回復にはなっていると思っている。
北条に対しても東駿河受け渡しについては了承を得ているからだ。小言は言われたが...。
しかし、義信の本音は無理やり駿河を得るより今の領地を捨て三河一国の方が良かったと思っていた。
最前線にはなるが織田と村上なら織田を相手にした方が気が楽だった。そして、義父(義元)の敵討ちもできるからである。
二つ目に関しては、義利が農業改革を行ったお陰で一定の効果はあったが焼け石に水のようなものだった。収量は増えたが、その分税も増えたためだ。
それに、甲斐村上領は無許可で川に入ることや一部の地域で米を作ることを禁止したりと厳しい規制があるが武田が治めていた頃に比べて圧倒的に豊かになっている。
そして、税に関しても、武田家は甲斐一郡と東駿河五万石なうえ七公三民や棟別役と多くの税があり重いが、北条は四公六民、村上は四公五民一備と武田に比べてかなりゆるいというのも理由だ。
「これ以上、税を下げれば軍備すら危ういか?」
「はい。これ以上下げては万が一、北条や村上と戦になった時対抗することが出来ません」
「金山があるとは言え、採掘量には限りがあり死者も多くなっております。これ以上死者が増えれば採掘に遅れが出てきます」
「金山に送る奴隷ですが、年々減ってきており、今川や北条の領地で購入した奴隷が増えております。その為支出も増えており・・・」
報告を聞いて義信達は頭を抱えていった。唯一の救いは、叔父(信繁)と穴山が管理をしている駿河での収益が多いことだった。
「現在大きな利益をもたらしているのは駿河の地です。御隠居様(信玄)が無理矢理にでも土地の整備を進めたお陰にございます」
東駿河を手に入れた直後から信玄が直接指揮を取り、街道整備と港の増設と拡張、塩の生産の増強を行った結果であった。
ちなみに、後見人となっていた信繁は信玄の後を受け継ぎ東駿河の取り纏めを任されている。
「はぁー...。他に手立てを考えないといけないが、頭打ちだな。誰か何か良い案は無いか?」
義信の質問に答えられる者は残念ながら居なかった。ただ一人を除いて。
「御館様、武田家は独立しましたので改めて村上と同盟を結ばれてはどうでしょうか?」
発言した者に全員の視線が集まった。側近として付いていた曽根昌世だった。
「村上か~。確かに結べたら楽だが・・・どう考えても無理だ...」
義信も村上とのこれまでのことは叔父(信繁)と傅役の爺(虎昌)から耳鳴りがするくらい説明された。
その為、祖父(信虎)と父(信玄)が村上にしてきたことは集まっている者達の中で一番分かっている。
それに、以前義元に連れていって貰って義照と面会した時に言われたことを一時も忘れたことはなかった。そして、独立を許された時恐怖のあまり震えが止まらなかった。直ぐに村上が攻めてくるのではないかと思ったからである。
「確かに、先代(信玄)、先先代様(信虎)とのことで関係が最悪なのは重々承知しております。ですが、御館様(義信)が家督を継がれてから信用回復に取り組まれてこられたことは、地獄耳の村上なら存じているはずに御座います。なれば、可能性はあると思います」
「そうだな...。次回の評定で皆に聞くとしよう」
義信は悩んだ末、一度重臣達にも聞いてみることにした。義信としても、村上の技術や統治方法、内政手腕を知りたいと思っていた。その為、村上義利を内政で重用している。
「はぁ~。父上(信玄)は気楽でいいな。今頃また温泉にでも浸かってるのだろうな」
義信は、今抱えている難問を作っておいて、政から手を引いた父信玄のことをぼやくのだった。
「はっくしょん!!!!!!」
「御隠居様、大丈夫ですか?」
義信の予想通り、信玄は温泉に入っていた。
他にも高坂昌信、飯富昌景も連れられて入っていた。
勿論連れ込んだのは信玄である。
「大事無い。大方誰か噂でもしておるのだろう...」
信玄はそう言うと温泉に浸かりゆったりとしていた。
そんな信玄の様子を見た二人も同じように温泉に浸かった。
「はぁ~。父上(信虎)を追放し家督を奪ってから休む暇すら無かったが...。隠居させられてこうして何もかも忘れ湯に浸かれるとはいいものよのぉ~」
「左様で...」
「御隠居様のおっしゃる通りですな~」
史実では甲斐の虎、耳長坊主と恐れられた武田信玄は、義照に完膚なきまで敗北し、他国を喰らおうとする獰猛な牙は完全に折れて・・・・・・・・・いなかった。
「...さて、忍(陽炎衆)はおらぬな。源五郎(昌信)、時間が無い。手短かに話せ」
「はぁ?はっ!も、申し訳ありません!今川ですが、此度の我等との約定で氏真に対する不満が高まっております。しかし寿桂尼殿が完全にまとめておられます。来年には村上との直接会談をするとのこと。氏真は反対しましたが、岡部、朝比奈等、重臣を中心に押さえ込まれたようにございます」
温泉の気持ち良さで本来の目的を忘れていた昌信は慌てて説明した。
「源四郎(昌景)、そちらはどうか?」
「はっ、実戦経験が少ない為、兄上(虎昌)の赤備えには劣りますが、義利の情報を元に村上の常備兵を模倣し、更に選りすぐって鍛えておりますので数は百人程と少ないですが赤備えに次ぐ精鋭が出来上がっております」
信玄は政からは退いたが、密かに今川を乗っ取る算段を考えていた。
しかし、村上の忍が何処に潜んでいるか分からないので思うように事を進められなかった。新しく作った信玄のお気に入りで良く籠もる甲州山も忍に侵入された形跡があった為、密談は不可能と分かり大いに悩む。
悩んだ末、忍に聞かれる心配をせず家臣を連れ込んでも怪しまれない場所を見つけたがそれが温泉だった。
と言うのも、信玄が隠居させられてからも奥近習等を連れてよく温泉に来ていた為、忍に疑われない唯一の抜け穴になっていたのだ。
ただし、多くの家臣を連れて来たり、普段より長く入り過ぎると警戒されると思い、連れて来ているのは現在の奥近習と、かつて近習であった飯富昌景(源四郎)と春日昌信(源五郎)だけである。
……たまに三条の方(正室)や側室達を連れて来ることもある。
「やはり、寿桂尼が邪魔じゃな……。それにまた村上か……。難儀じゃのぉ」
「村上のしつこさは尋常じゃありません。今川のお陰で戦が終わったのにも関わらず、かなりの忍を送り込んでおります」
「全くです。兄上(虎昌)の所にも村上に通じた者が居たと申しておりました。その者は元々兄の元で働いていたそうです。恐らく、重臣家臣達の至るところに忍ばせていると思われます」
二人共、いつも気を張っているので疲れ果てたとぼやく。
「和議を結んでいるとて、村上はワシ等を一切信用しては居らぬ。何度も裏切り攻めたからのぉ...。義信には苦労させる...」
信玄は勝てていればこのような惨めなことにはならなかったといつも思っていた。
村上家を割った時点で信濃の大部分を占めていたのでその時に手打ちとしておけばと深く後悔していたのだ。
「源四郎、お主はそのまま兵を鍛え上げ赤備えに並ぶ軍を作り上げよ。それと、名を山県と改めよ。飯富家は虎昌の倅が継ぐようにせよ」
「畏まりました。兄上と御館様(義信)にもお伝えします」
「源五郎、駿河調略の件だがお主に全て任せる。寺に籠もっておる勘助も動いておるかもしれぬな。様子を見て来てくれ。ワシが直に勘助と会えば奴(義照)が動きかなり警戒されるからのぉ」
「畏まりました。義父(勘助)に会いに向かい様子を見てきます」
昌信は信玄の言おうとしていることを察して動くことにした。
信玄達は少し温泉を楽しんでから上がりいつも通り過ごしたのだった。
数日後。
勘助はある寺に籠もって念仏を唱えている。
表向きは出家して道鬼斎と名乗り、亡くなった勝頼の生母である諏訪御料人を日々弔っていた。
同時に勝頼からは祖父のように慕われていた為、勝頼を村上に奪われた時は一人悔しさと自らの情けなさで自分自身を恨み続けた。
「父上....」
念仏を唱えている勘助の元に一人の子供がやって来る。
「兵蔵か?如何した?」
「昌兄様(昌信)が来て会いたいって」
兵蔵は勘助の実の子で、後の二代目勘助である。普段は寺の者達と一緒に過ごしておるが坊主になった訳ではなく、武術や軍学もきちんと習っている。母親は既に鬼籍に入っていた。
昌信のことを昌兄様と呼ぶのは、昌信が養女とはいえ勘助の娘を妻にしているからである。
「分かった。直ぐに参ろう...」
勘助はそう言うと御堂を出て昌信の元に向かう。
「待たせたな。昌信が来るとは何事か?」
「師匠(勘助)、御隠居様(信玄)から無事かどうか様子を見に来てくれと頼まれましたのでやって来ました。駿河を得て以降、随分長く顔を見せてくれないからだと」
勘助はそれを聞いて察した。
信玄が何か相談したいことがあるのだと。だが、忍に聞かれているかもしれないと考え直接聞くことはしなかった。
「・・・昌信、来年の春頃には伺うと伝えてくれ」
「分かりました。念のため護衛を...」
「必要ない。村上も手を出してくることは無いだろう。監視は厳しいじゃろうがの...」
勘助はそう言うと庭の方を見ていた。
庭には多くの坊主や小僧が掃除をしたりしていた。
「それでは頼むぞ。御隠居様によろしく伝えてくれ」
勘助はそう言うと昌信を見送った。
(御館様(信玄)...恐らくもう、二度と会うこと叶わぬでしょう...。後のことはよろしくお願い致します)
勘助は二人には黙っていたが、病のため、もうそんなに長くは生きられなかった。
若い頃の無理もたたり、医者からも匙を投げられていたのだった。
その為、残りの命を武田家(信玄)のために使おうとしていた。
「板垣様、甘利様、原殿(虎胤)、某ももうじきそちらに向かいます...。姫様、四郎様を守れず申し訳ありません...」
勘助はこれまでのことを思い出し涙を流した。
勘助の呟きは誰にも聞こえず空風の音に消されるのだった。
そして翌年、日ノ本を大きく揺るがす事件の影で関東甲信と東海地方を大きく揺るがす事件が起ころうとしていた。




