90、いざ美濃へ
永禄七年(1564年)7月
俺は総勢二万の軍勢を引き連れて美濃にやって来た。
三河と上野には最低限の守りは置いてある。
三河を南条と大熊、上野を長野と矢沢、甲斐を須田に任せ守りを固めている。
大熊とは大熊朝秀、元長尾家重臣だ。直江や本庄に派閥争いで負けて、謀反を起こそうと、俺に寄ってきたが俺がバラして追放という形で貰い受けたのだ。
意外にも大熊は武勇だけではなく、財政管理も得意だった。なので、扱うのが難しいと思った三河の城を任せたのだ。
まずは、民が生活できるようにしろと命じているので反乱は少ないはずだ。
ちなみに武勇に関しては信春と互角に渡り合っていた。今度、秀綱が戻ってきたら試合をさせてみよう...。確か、引き分けたような記録があったはずだし...。
まず、美濃に入るために織田に付いた岩村城の遠山景任を忍び込んでいた陽炎衆に始末させ乗っ取った。
その際、妻のおつやの方は丁重に尾張に送っておいた。後はどうなっても知らん。
次に苗木城の遠山友勝が予定通り軍門に降った。その代わり所領安堵にはしている。
そのまま明智城を攻めようとしたが既に焼け落ちもぬけの殻だった。恐らく、光秀が何処かに逃がしたのだろう。だが、誰かが攻めこんだ形跡も残っていた。火を付けたのは別の人間かも知れない。
俺は飛騨衆を美濃北部に向かわせた。郡上八幡城を手に入れるためだ。馬鹿兄も行かせようとしたが拒否された。織田と戦わせろの一点張りだ。兄じゃなければ今頃追放していただろう...。
本当に戦闘狂で今張飛だ。
だが、馬鹿兄の武勇だけは認めざるを得なかった。それに、何だかんだ戦以外は言うことを聞いてくれ・・・る?。
俺たちはそのまま進み、猿啄城に入った。
そこで調略していた加治田衆など東美濃勢が続々合流し軍議を開き情報を聞く。
そして、俺達は心底呆れた。
猿啄城、義照本陣
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
集まっていた者達は誰一人口を開けなかった。
今の美濃の状態を報告していたが聞いていた義照の顔がどんどん険しくなっていった為だ。
義照と付き合いの長い工藤兄弟、真田幸隆など一部を除き、他の者からしたら激怒していると思った為だ。
「・・・・はぁ~~~~~....」
俺は思いっきり溜め息が出た。
美濃の状態だが、まず東美濃勢はほぼ、俺の元にやって来た。
まぁ、調略していたし、道三の遺言もあったのでここは予定通り。
龍興に従っていたのもほとんどが東美濃勢で、龍興の側に残っているのは、長井や日根野等一部らしい。兵も二千もいればいい方だ。
それと、織田が稲葉山城に入ったようだ。どういう内容かは分からないが、西美濃三人衆と半兵衛、光秀達は織田の配下になったらしい。
まぁ、そうなることは軍監衆と予想はしていたのでまだいい。
溜め息を付きたくなるのはここからだ。
六角と浅井が西美濃に侵攻して争っているのだ。
まず、六角だが去年史実通り観音寺崩れが起きた。その後についてもほぼ史実通りなのだが、将軍義輝が仲裁に入ったのだ。
内容としては六角義治は隠居し、新たに弟の六角義定を当主とし、六角家六宿老(後藤高治、進藤賢盛、平井定武、目賀田忠朝、三雲賢持、蒲生賢秀)との合議制にしろと命じたのだ。
義輝としては今の内に六角を掌握したいのかもしれない。
と言うのも、三好長慶が病に伏せっているそうだ。なので、今の内に戦力を整えたいのだろう。
で、新当主となった義定だが、当主として結果を出したかったのだろう。斎藤家の同盟国として、表向きは裏切り者の西美濃三人衆の討伐とし西美濃に侵攻した。本音は西美濃を六角の領地にするためだろう。
六宿老も半数が賛成し出陣したようだ。その数八千だ。残りは浅井の為に残している。
浅井はその隙を付いて六角領に攻め込むかと思えば、織田からの要請で西美濃に援軍として長政自身が出陣したそうだ。そのまま、六角領を攻めれば良いのに・・・。
代わりに浅井家の援軍として六角領を攻めている大名がいる。
朝倉だ。
なぜ朝倉が援軍に出てくるか分からなかったが説明を聞いて理解した。
・・・根本は俺(義照)のせいだった。
朝倉が動けた理由、それは加賀の一向一揆衆が最早絶滅寸前だからだ。
軍神(景虎)が兵を率いて出稼..一向衆征伐に向かったのだ。
越後、越中、佐渡を抑えた長尾景虎は能登の畠山とは不戦を結び、越前朝倉と対一向衆で一時的に同盟を結んでいたのだ。
史実で北条、武田とほぼ互角にやりあっていたあの軍神がほぼ全戦力を持って加賀に向かったのだから、後は言わずとも分かるだろう。誰からも邪魔が入らないため圧倒的だったそうだ。
一向衆にとっては不幸だっただろう。
その為、朝倉は一向衆に当てていた軍に余裕が出来たので、一部を浅井に援軍で送ったと言うことだ。
数はおよそ五千。大将は朝倉景紀。あの名将宗滴の後継者だ。
一向衆征伐の方の大将はあの朝倉景鏡らしい。
「さて、この泥沼な状態だが皆の考えを聞こう...。はぁ~」
俺が溜め息を付きながら尋ねると色んな意見が出た。
「最早美濃半国に拘らず、殿が美濃全てを治められては如何ですか?」
「いや、六角は建前上斎藤家の援軍と謳っている。攻め掛かれば我らが卑怯者の謗りを受けましょう。ここは六角と一時的に手を結び共同で織田と浅井を追い出すべきかと」
「左様、六角家は上様(将軍)に、従われております。六角と手を結ぶべきです」
重臣以下の家臣達は好きなことを言い出した。中にはつい先日配下になった東美濃勢もいた。
「遠山、龍興は長井殿の居城関城に居るんだったな?」
「はっ!付いてくる者がほとんど居りませんので籠もられております」
「...幸隆、信春、亡くなった道三は信長が稲葉山城を落としたら同盟と言う口約束をしたな。今回の件、信長が落としたと考えるべきか否か?」
俺が聞くと二人は揃って「否」と答えた。
「犬山城、黒田城の城主は誰だ?」
「犬山城は池田恒興、黒田城は和田新助と言う者にございます。池田恒興は信長と乳兄弟とのこと..」
孫六が答えてくれたが、まさか池田恒興が城主とは思わなかった。
「よし、織田には美濃から退場して貰おう。信春、五千を率いて犬山城を攻めろ。制圧後は跡形もなく焼き捨てろ」
「御意!」「待て!!」
俺が指示すると馬鹿兄(義勝)が待ったをかけて来た。全員の視線が馬鹿兄に向けられる。
「義照!ここにいる織田と戦する気が無いだろ!俺はあの今川を破ったっていう織田軍と戦いたくて来たんだ!俺にやらせろ!」
(あーもう!!ホント、兄じゃなければ追放したい!!!!)
俺は幸隆に目で合図したが首を振った。
どうしようも出来んと言うことだ 。
なので、国清の方を見たが一心不乱に全力で首を横に振って拒否していた。
また国清に馬鹿兄の面倒を見させようと思ったのが分かったのだろう。
そんな国清は周りから「何してるの?」って感じの目で見られている。
「はぁ、兄上、犬山城より先には絶対に攻めないで下さいよ。孫六、配下に飛騨衆を呼び戻させろ」
「おう!任せろ!その代わり、暴れさせて貰うぞ!」
「どうぞご自由に...。信春、すまんが...」
「畏まりました。副将と監視として付きます」
「頼む..」
俺はもう疲れた。槍を持った馬鹿兄を物理的に止めれるのは信春や秀綱等くらいだろう。託すしかない。
「さて、残りは稲葉山城を包囲する。まぁ、織田軍が撤退したら籠城しか無いだろうしな。だが、万が一野戦を仕掛けてくるかもしれん。先陣を勤めたいと言う者がいれば名乗りをあげろ」
俺が言うと意外にも東美濃勢がこぞって名乗りを上げた。ここで忠誠心と功績を上げたいのだろう。
合流した者達を含めておよそ二万七千。対して稲葉山城に籠もる西美濃、織田勢合わせて一万五千程度だ。馬鹿兄に五千を預けても二万二千はいるから勝ち戦とたかを括っているのかもしれない。
だが、忘れてはいけない。あの城(稲葉山城)には道三が認め、今川の大軍を破った織田信長。
美濃にあるほぼ全ての鉄砲を与えられ、幾度も美濃を守り続けた美濃鉄砲衆を指揮する明智光秀。
そして、今回の稲葉山城乗っ取りを主導し、昔楠木、今竹中、今孔明と呼ばれる天才軍師竹中半兵衛が居ることを....。




