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戦国生存記  作者: 現実逃避
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89、稲葉山城乗っ取り

永禄七年(1564年)三月


昨年は三河一向一揆と一部の今川軍が攻めてきて最悪な年となったが今年は新年から良いことが続いたのだった。


昨年末に上野の岩櫃城、沼田城が落城(乗っ取り)し、西上野を完全に治めることに成功した。岩櫃城はそのまま幸隆に与え、沼田城には長年砥石城を守っていた矢沢頼綱を城主として領地を与えた。


沼田城は長尾と領地が重なっている為重要な城だ。頼綱にその事を伝えたら泣いて喜んでいた。


長年砥石城を守りきっていたから軍神が相手になっても大丈夫だろう。それに一応、岩櫃城が真田の領地なので協力しやすいだろう。

今は東側の切り崩しを行っている。陽炎衆だけではなく、業盛の元にいる鳶加藤率いる忍集団と共に暗殺、調略、謀略を行い始めさせた。



次に数人新しい家臣を得た。

一人は何度も書状を送って引き抜きをした島清興、そう、島左近だ。

鬼左近、三成に過ぎたる者と言われた猛将であり、三成の軍師だった。まだ若いが今後軍師として活躍して貰うために新しく組織した軍監衆に入れた。

将来的には輝忠を補佐して貰おう。



軍監衆とは村上家の戦略、調略等を一手に預かる軍師の集まりだ。

トップは勿論幸隆だ。

他には原昌胤、島左近、真田昌幸、そして新しく家臣になった本多正信等だ。


正信は他の一向一揆に付いた家康家臣と共にやって来たのだった。

やって来たのは本多正信、本多正重、渡辺守綱、蜂屋貞次、夏目吉信の五人だ。


初め来た時は警戒したが、全員が松平家を滅ぼしたかったのではなく、主君への忠誠心と信仰心の板挟みで苦しんだ結果一向宗を理解して貰う為に一揆に参加したと言っていた。


しかし、結果として松平家は一揆衆には勝ったが武田家に追い出されてしまった。

正信達はその事を悔いているようだった。

俺が尾張の家康の元へ行かないか聞いたら全員が会わせる顔が無いと言い、三河に近い俺に仕官してきたのだった。


結局、本多正信は俺に仕え、本多正重、渡辺守綱は弟の国清に仕え、蜂屋貞次と夏目吉信は馬鹿兄こと仁科義勝に仕えることになった。


蜂屋と夏目に関しては義勝兄が引き抜いた(拐っていった)。

宗教に関しては自由としているので五人はそのまま一向宗だ。


最後に、岩の出産と桔梗の妊娠発覚だ。

岩は娘を産み、名を桜とした。

既に三男五女と子沢山だ。

それに輝忠に子供が出来たことが一番嬉しいことだ。


(孫か~。どっちが生まれても可愛いだろうな~)

俺は評定中に考えてしまっていた。今回、重臣全員が集まっていた。


「殿、殿、...はぁ...呆けないでしっかりして下さい」


「え?あ、あぁすまん。えーと、寿桂尼のことだったな」


「はぁ、殿が呆ける等、何時以来か...。何をお考えになられてたのですか?」


昌豊は周りを気にしながら聞いた。昌祐と昌豊は昔から義照に付いていたから今回のようなことはあったが、他の者からしたら何をしているのかと思っていた。


「何でもない。気にするな!ささ、話の続きをしよう」

そう言って誤魔化そうとしたが、全員からの不服と言いたげな視線が痛かった。


「えぇ、では、今川家との和睦に関してですが~」


進行役の本多正信が進めてくれたのでその場では一応収まった。


今川家に関しては寿桂尼と直接会談することにした。と言うのも、例の書状の件があるからだ。それを確かめるためにも上田城で会談することとしその場で同盟か和睦かを決めることにした。



・・・ってのは建前で会談に来た寿桂尼を確保(保護?)して三河、遠江に電撃侵攻することに決めた。

寿桂尼が命がけの交渉をしたところで氏真は俺達に敵対することはまず間違いないからだ。


寿桂尼と氏真との考えは違い過ぎている。寿桂尼は現実を分かっており、何とかして今川を守ろうとしている。氏真は過去の栄華(義元時代)が続いていると思っているのか軍事に関してあまりにもボロボロなのを理解していない。


それに、先の独断で攻めて来た者達に続こうとしていた。福の兄とは言え最早許す理由にはならないので滅ぼすことにした。


「さて、他には何か無いか?」

俺は集まった重臣達に連絡事項が無いか確認した。

すると孫六が手を上げた。


「殿、配下の陽炎衆が参りました」

孫六がそう言うと一人の男がやって来た。しかも見覚えのある者だ。


「伝兵衛ではないか?美濃で何かあったか?」

やって来たのは美濃で寿老屋を任せていた伝兵衛だった。


「はっ、美濃、稲葉山城が乗っ取られました!!」


「なんだと!! 」


「なんと!」


「稲葉山城が!」

俺は黙っていたが正信や重臣等部屋に居る者達は全員驚いていた。


正直、俺も驚いていた。何故なら、稲葉山城は、史実よりも堅固で道三が全てを費やして造った城だったからだ。


「おい!織田が乗っ取ったのか?」

信春は怒鳴りながら、聞いた。全員誰が奪ったか気になるようだ。


「いえ、城を奪ったのは竹中半兵衛、明智光秀、西美濃三人衆に御座います!」

伝兵衛の報告で皆いろんなことを言い出した。


「竹中半兵衛...。殿が伏竜と言っていた者か...」


「それに明智光秀だと?美濃鉄砲隊を任され斎藤家に忠実だと聞いていたが...」


「西美濃三人衆と言えば、安藤や稲葉か?」


「一体どれくらいの者が加担しているのだ?」


「報告を続けろ」

俺がそう言うと皆静かになり詳しい事の顛末を聞くのだった。


簡単にまとめると、史実の稲葉山城の乗っ取りと余り大差無いが大きく違うことがあった。

稲葉山城を乗っ取ったのは竹中半兵衛と明智光秀の二人が主でおよそ百数人で城を乗っ取ったそうだ。稲葉達西美濃三人衆はその後城に入り守りを固めていると言う。ちなみに侫臣の鑑は容赦なく殺されたそうだ。


「現在、稲葉山城には西美濃三人衆を含む西美濃の国衆およそ六千名が籠もっております」

俺はそれを聞いて悪寒がした。


「龍興や長井殿達はどうした?」


「揖斐城に逃れたとのこと。現在反乱軍を討つために兵を集めている模様にございます」


俺はそれを聞いて頭を抱えた。恐らく使者がやって来るだろうからだ。


「・・幸隆~、斎藤家から来るよな...」


「間違いなく使者が来るでしょう。稲葉山城を落とせと言うかと..」


俺たちはそれを聞いて溜め息をついた。

今の稲葉山城は史実の岐阜城を元にしているが、長良川を利用して総構えまで作っていたのだ。正直、攻めるのが面倒な城だった。


「光秀や竹中半兵衛が居るとなると..忍を使って内側から開けるのは無理だろうな....」


半兵衛は会ったことが無いので分からないが、光秀は俺の忍をかなり警戒しているのは間違いなかった。


「殿、陣だての用意を致しますか?」


「するしかあるまい...。幸隆、昌祐、任せる。ただ、発表はまだせん。使者が来てからだ。はぁー予定が全部パーだ」



俺は指示をして解散させた。今川侵攻の為の計画が一瞬で崩れるのだった。



永禄七年(1564年)6月


上田城

「反乱した者達を討ち取るため、直ぐに援軍をお願い致します!!」


俺たちの前に使者として来た日根野弘就が頭を下げていた。


「分かった。では亡き道三殿との約束通り美濃は半分貰う。幸隆、直ぐに出陣の触を出せ」


「畏まりました!」


俺は直ぐに出陣する準備に取り掛かった。

今川家については中沢と出浦に任せ、三河に関しては南条と元長尾家重臣の大熊に任せているので多分大丈夫だろう。


景虎は領地に戻った後、追放と言う形で追い出したのだった。元々、直江や本庄との対立が酷かったので収める為だったかもしれない。


俺は溜め息をつきながら準備を始めるのだった。



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