85、武田進軍
永禄六年(1563年)二月末
上田城
道三の葬儀も終わり俺達は一時の平和を楽しんでいる。
道三の墓は義龍の墓がある美濃の常在寺に置くことにした。というか隣に造った。龍興が文句を言ってきたが「攻め落としてから作ろうか!」と脅したら認めた。
まぁ、長井や日根野のお陰でもある。
念のため、「もし、道三と義龍の墓に何かあれば攻め込むからな」と告げておいた。
そんなことに軍なんて出したくないから冗談だけどな。
「しかし、三河はどうなるかね~」
「今川が出るかと思えば一向一揆に武田ですからね。荒れるでしょうね」
「しかし、松平には少し同情します。三河を取り返したと思えば一向一揆に武田ですから...」
昨年信長には今川が軍を動かしていることを伝えたが、三河へ行くのではなく、駿河に向かった。
何故かと不思議だったが直ぐに分かった。
今川は臣従している武田家を中心に八千もの軍勢を出陣させ三河に向かわせたのだった。武田は全戦力を出したようだ。まぁ、武田家単体で三千も掻き集めたのは流石に驚いた。
てっきり初めは今川を裏切って攻めるかと思えば今川の代わりに三河を攻めるそうだ。詳しいことはまだ分かっていないが、武田と今川との間で何かしらの約定が出来ているようだ。
武田が今川を攻めたら俺も便乗して武田を滅ぼそうと思ってたのに..残念。
分かっているのは総大将は義信だが信玄と隠居して一線を退いた山本勘助も共に出陣していることだ。絶対何かある..。
「一向一揆と同時に侵攻か。松平は滅ぶかもな。三河統一から地獄とは家康も難儀だね~」
「殿、松平が恥を忍んで救援を頼んで来た場合は如何しますか?」
昌祐は松平が助けを求めに来ると考えているようだ。
「放っておけ。今川との約定で三河には関与せん。織田を頼れとでも言えばよかろう。それにわざわざ無駄に味方に死人を出す必要もない」
俺はそう言っておいた。正俊にも伝えているから問題ないだろう。
その頃駿河の今川家では寿桂尼が当主で孫の氏真を叱責していた。
「このたわけ!!何故武田に駿河を明け渡すのじゃ!」
「痛い!御婆様、駿河ではなく、東駿河の一部です。それで三河を取り返し、尾張に攻め込み父上(義元)の仇を討てるのですから問題無いではないですか?」
氏真は武田家との間に三河の松平を滅ぼし(もしくは三河から追い払い)、父の仇討ち(織田攻め)に協力することを条件に東駿河五万石を譲り独立を許す約束をしたのだ。
これ等の約定を全て起請文にまで記す徹底ぶりだった。
寿桂尼は孫の氏真がここまで阿呆とは思っていなかった。いや、思いたくなかった。
「武田がそれだけで済む訳無かろう。それに北条との繋がりを断つつもりか?東駿河の家臣達は如何するつもりじゃ!」
「それは大丈夫です。早に言って義父(氏康)には書状を送って貰いました。東駿河の家臣達には武田に付くか我らに従うかは自由にしました。我らに従ってくれる場合は代地として三河の土地を与えます」
早とは早川殿のことで氏康の娘で氏真の正室だ。
寿桂尼はふらつきつつ頭に手を当てた。正直倒れそうにまでなった。しかし、ここで倒れては今川家は滅ぶと思いこれからのことを考え始めるのだった。
「なんと、愚かな...。蒲原と岡部を呼ぶか...。妾自ら交渉するしかあるまい...」
寿桂尼は重臣の岡部と蒲原を呼ぶのであった。
氏真は政務が終わっているため蹴鞠に興じ始めるのだった。氏真は剣術は塚原卜伝の学び、政も義元には劣るが、当主としてはやっていける程の実力はあった。
ただ、和歌や蹴鞠に傾倒し過ぎることが欠点であった。
寿桂尼が頭を悩ませている頃、三河の岡崎城では伝令の出入りが激しかった。
「報告します!東三河の長篠城、宇利城が落城しました!」
「報告します!三河に攻め込んだ武田軍は既に野田城を攻めております!また、野田城から救援要請が来ております!」
武田の進軍凄まじく瞬く間に城が落とされていた。
家康は次々来る報告に苛立つと共にどうすべきか焦っていた。
「一向一揆に対抗するために援軍は出せぬ。籠城し耐えるよう伝えよ!!」
「報告します。一向一揆勢がこちらに向かってきます!その数八千に上るとのこと!」
「全軍出陣し、まずは一向衆を叩く!元家臣が居ようが遠慮するな!全員討ち取れ!」
「「ははぁ!!」」
広間にいた家康の家臣達は皆出ていった。それを確認した家康は立ち上がった。
「くそったれが!!」
一人残った家康は側にあった床几を蹴り上げるのだった。
家康は我慢の限界だった。
昨年は一向衆の支援もあり思い通り以上に三河統一が進み、年末に三河統一を果たした。正月に家臣を集めて祝ったが、その二日後に三河一向一揆が勃発。一月末には遠江から武田軍(今川軍)が攻めてきて味方の城をどんどん落としている。中には直ぐに降伏した城もあった。
一番の問題は家康の家臣の多くが一向一揆に荷担していることだった。
「あの者達は決して許さんぞ!!」
家康は怒鳴った後広間を出ていくのであった。
永禄六年(1563年)三月
武田軍三千は破竹の勢いで吉田城に攻めかかっていた。今川軍五千は他の城を攻めている。
「進め進め!一人も生かすな!」
「おおおおおぉぉぉぉぉ!!!!」
武田赤備えを率いる飯富虎昌は先陣を切って吉田城を攻めていた。
「門が開いたぞ!雪崩れ込め~!!!」
門を打ち破ると同時に赤備えが雪崩れ込んだ。
「ぎぁぁぁぁぁ!!」
「に、逃げるな!」
「進め~!!討ち取れ~!!」
瞬く間に城は血で染められていった。
「飯富殿は瞬く間に敵を屠りますな」
「御館様(義信)、此度の戦は負ける訳にはいきません。今後の武田家の命運がかかっております」
「そうだな。じぃ(飯富虎昌)は私の為にだけではなく武田家の為に動いてくれているのだ」
武田本陣では虎昌の話で持ちきりだった。義信としても連戦連勝しているため興奮していた。
「義信に虎昌を傅役としたことは間違いではなかったな。皆の者!飯富一人に任せるでないぞ!若い者が後に続かねばならぬぞ!」
「「ははぁ!!」」
信玄は本陣にいる家臣達に告げた。
本陣は信玄の頃とは違い若武者が多くなっていた。
最高齢は隠居していた山本勘助だが、現役では飯富虎昌が最高齢だ。逆に若い者だと小山田信茂や穴山信君等だ。
「報告します!吉田城攻略致しました!」
伝令がやって来て吉田城を奪ったと報告した。その後、吉田城に入ったが辺りは血で真っ赤に染まっていた。
「御館様(義信)、御隠居様(信玄)、吉田城無事に攻略致しました」
虎昌と率いる赤備えが並んで待っていた。全員血まみれで鎧が異様に見えた。
「血染めの赤備えか...。武田最強は流石じゃの」
信玄は自分がいない間に再編され武田家一の精鋭部隊となった赤備えを見て内心複雑だった。
村上と野戦の時に作れておればと思うと同時にどうしようもなかった諦めもあった。
義信は首実検をした後軍義を開いた。
「勘助、今のところ予定通りか?」
総大将の義信は今回軍師として戻ってきた勘助に尋ねた。
「はっ、予定より早く進んでございます。この後のことは軍師の昌信が説明します」
勘助はそう言うと武田家二代目軍師となっている高坂昌信に説明させた。
「では、説明させていただきます」
昌信はこの後の予定を説明した。
予定では吉田城攻略は三月いっぱいはかかると考えていた。しかし、長篠城での戦いで降伏した者以外は血祭りに上げたので長篠城での惨劇が東三河に広がり戦う前から降伏してくる者が多かったのだ。他にも一向一揆の為、家康が援軍を送れる状態ではないと言うのも理由の一つだった。
なので、今川家からの補給物資がまだ到着していなかったのだ。
「一旦、吉田城で今川から送られてくる兵糧を待ち、軍備を整えます。その後は松平家の居城岡崎城に一気に攻めかかる予定でございます」
「では、その間に周辺や岡崎城に降伏勧告を出しておけ。皆の者、この戦、決して負けられぬと心せよ!」
「「おおおぉ!!」」
義信の下知で皆油断しないよう改める。
(もう少しだ...。もう少しで欲しかった物が手に入る。次は失敗せぬ。決して失うものか...)
信玄は空を見上げ心に誓った。




