83、義父と子
永禄五年(1562年)十二月
信長が上田城に百人足らずの兵士でやって来た。
「まさかたった百人足らずで来るなんてな...」
「こちらが許したとは言え正気だとは思えません。しかも、あの大雪を越えて来たのですから...。殿(義照)以外にここまで無茶苦茶なことするうつけがいるとは思いませんでした」
(...おい、今さらりと酷いこと言わなかったか)
「昌祐~、さらりと酷いこと言うな...。流石に俺もこんな無茶苦茶なことは絶対にせんぞ」
俺が昌祐と話をしていると清種がやって来た。
「殿、予定通り若様(輝忠)と奥方(桔梗)、それと甘粕と昌豊殿が織田信長とその奥方(帰蝶)を道三の屋敷へ案内しました」
「信長の兵士達はどうした?」
「栗田殿、中沢殿が相手をしております。数名ですが間者がおり、陽炎衆の多羅尾殿と杉谷殿達が始末または確保しております」
(やはり、間者を送り込んでいたか)
俺はそのまま警戒させるのだった。
その頃道三のいる屋敷周辺は厳戒体制だった。間者と美濃の者に信長夫婦が来ていることを知られないためだ。
「お初に御目にかかります。村上義照が嫡男村上輝忠にございます」
「村上家重臣、工藤昌豊にございます」
「村上家家臣、甘粕景持にございます」
「織田家当主織田信長だ。隣は妻の帰蝶だ。それで蝮殿はどこにおる?」
「この屋敷の奥に居られます。どうぞこちらへ」
(この者が殿(義照)や道三に麒麟と呼ばれた織田信長か...)
昌豊と景持は警戒しながら案内した。
一応武器になるものは全て預かっている。恐らく素手なら輝忠の方が上手だと考えた為だ。
「輝忠と申したか。お主の父に会うことは可能か?」
移動中、信長が聞いてきた。輝忠は義照からは後で会う用意をしているとだけ聞いていた。
「父上は後で会うと言っておりました」
「そうか...」
それだけ言うと信長は黙り込んだ。
広間に着くと扉が開けられ道三が待っていた。
病ではないように平気な顔をして待っていたのだった。
「よく来たな。何も無いがまぁ座れ」
「父上...」
「帰蝶、お主は死んだ母親そっくりになってきたのう...」
広間には道三、織田信長、帰蝶、村上輝忠、桔梗と監視兼護衛の工藤昌豊、甘粕景持の七人だけだった。勿論部屋の外には忍が護衛として付いている。
初めは他愛もない世間話から始まった。
道三が追放されここに来てからのことなどだ。
帰蝶と桔梗の二人の娘は面白いからか笑顔だったが、信長はそうではなかった。
「親父殿(道三)...本当は後どれくらい生きられるのだ?」
信長の問いに全員が静まりかえった。一応医師の見立ては全員知っていたが信長はそれを信じてはいなかった。
「・・・来月の今頃には居ないだろうな...」
道三の返答に信長は息を飲んだ。そこまで短いとは思っていなかったようだ。
「帰蝶、済まぬが席を外してくれ」
信長はそう言うと帰蝶は桔梗を伴い部屋の外へ出ようとした。
「申し訳ありませんが我らは監視を仰せつかっておりますので...」
昌豊は信長と道三に言うと「構わん」とだけ言った。
昌豊と景持、それに輝忠も残った。
部屋を出た二人には女中として入っていた陽炎衆の者に任せた。
「親父殿(道三)、ワシは親父殿が生きている間に美濃を取り、親父殿を呼び戻したかった..」
信長は目に涙を浮かべて言った。
信長は父信秀が死んでから道三のことを実の父のように親父殿と呼び慕っていた。それも信長を、理解している数少ない人物だからでもあるからだ。
「義龍が上手くまとめたからのう。あやつ(義照)の言うとおりお主が麒麟なら義龍は龍じゃった。ワシも耄碌したものじゃ」
道三は追放された時、家臣達をまとめあげた義龍が龍であったと思った。義龍がいる限り美濃は大丈夫だと、心の底で自らの目が曇っていたことに後悔した。それと同時に安堵もしていた。義龍なれば美濃を守れると。
「某も侮っておりました。病では動けぬと知らせを受けていましたがまさか、今川と合わせて攻めてくるとは...。撃退出来たが多くの被害を受けました」
信長としてもあの一件は忘れることはできず、教訓としていた。
今は小牧山城を作り本拠地を移動させようとしていた。
「龍興は愚か者だ。遠からず美濃を取るであろう...。ワシの最高傑作を攻略出来ればな...」
道三の言う最高傑作、それは稲葉山城だ。最後に道三が作り上げた城は道三、光秀、義照の三人で相談した日ノ本に数少ない難攻不落の城と言えた。
造りは史実の岐阜城に近いがそれよりも一回り大きくなっている。
「稲葉山城...。力攻めでは落とせないと噂されておる城ですね。まさか、父上(義照)も関係していたとは..」
輝忠はまさか、父が関係していたとは思わなかった。それと同時にどんな城か見てみたくなった。
「またしても義照か...。親父殿、村上義照とはどのような人物ですか?」
信長はまだ見たことのない義照がどんな人物か気になった。道三は少し考えた後答える。
「そうじゃのぉ・・・。腹黒でワシが引き抜きたくなった渾名通りの人物じゃな」
渾名とは仏の義照、信州の閻魔だ。
道三はニヤリと微笑みながら、義照と初めて会った時のことを話し出した。
輝忠は興味深そうに聞いた。昌豊もあの時一緒にいたので思い出していた。
話し終わると信長も輝忠も驚いていた。
「そんな幼い頃から今の才覚があったのですか...」
「父上が四万石よりこの地を選ぶなんて..。私なら悩んでいます」
信長と輝忠の二人が感想を言うと道三は昌豊に話を振った。あの場に居たのを思い出したからだ。
「考えてみれば御主とも長い付き合いだったな。あの時、必死に彼奴(義照)を守ろうとしておったあの小僧がこうも名を上げるとはのう...」
「その節は私も若輩者ゆえ無礼なことをしてしまいました」
昌豊はそう言うと道三に頭を下げていた。
道三はニヤリと笑った後、信長の方を見た。
「信長、村上と同盟したいのであろう?」
「ええ、村上と同盟すれば美濃を挟撃出来ますので。既に浅井と同盟を結びましたが中々攻めきれませんので」
信長は輝忠と昌豊達がいるのに堂々と言いきった。
「美濃を手に入れるまで同盟はせぬだろう。あやつは義龍と仲が良かった。龍興との同盟は決裂したが義理立てして攻めようとはせん。しかも村上家は一度義龍に救われたことがある。一度は援軍として助けると明言しておる。なんとも律儀と言うか愚かというか...。ワシならそのまま美濃を乗っ取るんじゃがのぉ~」
信長はそれを聞いて難しい顔をした。村上との国力差は大きい。今美濃に対して唯一優れているのは港があるので金回りが良いことだ。と言っても武田のせいで従来の1/3程度の収益しか得ていなかった。
その為村上が手を出せば現状勝てる見込みがない。
「故に、彼奴に美濃半分をくれてやると伝えた。その代わり、御主には稲葉山城を含めて西側をやってくれとな」
「親父殿...」
「東側を調略していることは聞いた。そのままでは尾張は村上に飲み込まれるぞ」
利治を通じて道三に信長の動きは伝えられていた。その為どんな状況かある程度は知っていた。
「義照を一度戦場に引きずり出し和議を結べ。美濃半分を渡せばその後は一切手を出しては来ぬはずじゃ。既に話はついておる。ゴホッゴホッ!」
道三は血が混じった咳をしながら伝えた。
輝忠は知らなかった為驚いたが昌豊達は知らされていた。しかし、美濃勢に漏れる訳にはいかなかったので輝忠には伝えていなかったのだ。
「親父殿...。忝ない...」
信長はそう言って伏して頭を下げた。
「輝忠、信長をこの後義照の元へ連れていくのであろう?」
「はい。父上から連れて来いと。逃げるなら始末しても構わないと...。何か、企んでいるみたいです」
道三が聞いてきたので、輝忠は答えた。
輝忠から聞いた道三はつい笑ってしまったが、頼みは聞いてくれるなと思った。
そして輝忠に義照と信長の繋ぎになってくれと言うのだった。信長は道三と少し話をして面会は終わるのだった。




