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戦国生存記  作者: 現実逃避
82/180

82、道三の願い

永禄五年(1562年)六月

箕輪城


俺は久しぶりに箕輪城に来た。

最後に来たのは上杉家との同盟の調印の時だ。

城門に着くと長野家家臣が集まっていた。


「まさか、義照様自らいらっしゃるとは。某、長野業盛と申します。どうぞよろしくお願い申し上げます」


若い男が出てきたと思ったが業正の息子だった。


「お主が業盛か...。我が娘を頼んだぞ..」

俺はついつい威嚇してしまった。やはり、娘には幸せになってもらいたいしな。

業盛は見えない何かに怯えたが、箕輪城の主として、また、業正の子としての意地で顔には出さないようにした。


その後、輝夜を送った後、今後について話をした。

業盛は約束通り重臣として入ることになる。しかし、しばらくは上野は幸隆と共に管理させることにした。まだ、俺達に臣従してから日が浅いからだ。何も問題無ければ、その後は業盛に任せることになった。


それと業盛に陽炎衆の一部を預けることにした。理由は風魔に対抗するためだ。やはり、風魔の間者はかなり侵入しているそうで、対策は急務だった。

その為業盛の直属として新しく忍衆を作らせることにし、頭に関しては長年長野業正に仕えていた忍びがなることになった。


名を加藤段蔵と言う。そう、鳶加藤だ。

初めて会ったが業正に救われた恩を帰すが為に仕えて来たと言っていた。今後は業盛に仕えると言うので多分大丈夫だろう。

・・・・正直、一度手合わせしてみたいと思った。


三日間滞在して俺達は城に戻った。北条へは俺達が本気だと言うことを知らしめられただろう。気になるのは長尾家に逃げた上杉憲政の子、上杉龍政がどうなっているかだった。何かいちゃもん付けてこないか心配だったがそれは杞憂となるのだった。



越後 春日山城


景虎は越中を平定し今は内政に取り組んでいた。


「景虎様、上野の件お聞きになられましたか?村上義照が箕輪衆をまとめて配下にし西上野を押さえたとのことにございます」


「このまま拡大すればいずれこの越後に災いをもたらすやもしれませぬ」


「それに、今川との同盟、最近では北条とまで交渉をしております。このまま放置するにはあまりにも危険にございます」


景虎の家臣達は急速に力を付けている村上が恐ろしく見えた。


長尾家の石高は、越後三十九万石、越中三十八万石、計七十七万石だ。


それに対して村上家の石高では信濃三十七万石、飛騨四万石、上野二十五万石、甲斐十八万石、計八十四万石になるからだ。

しかしこのまま上野を完全に抑えれば長尾家と差が更に広がってしまう。


「・・・ワシ自ら会って見定めよう...」

景虎はそう言うと、村上家と会見出来るよう使者を送れと命じて毘沙門堂に籠もるのだった。



永禄五年(1562年)九月

上田城


千が三女の夕を、福が初めての子となる四女の奈美を産んだ。お陰で城下はお祭り騒ぎだ。ホント、何かあるたんびにお祭り騒ぎとなる。まぁ、それだけ平和と言うことだろう。


「しかし、景虎が直接会いたいと言ってくるとは...」


「兄上、どうされますか?」

弟の国清は心配そうに聞いてきた。多分、舅の高梨政頼がこの話を持ってきたから断った場合どうしようとでも悩んでるのだろう。


「そうだな~...。国清、来年の六月に高梨政頼の領地にある善光寺でどうかと答えておいてくれ」


「分かりました。義父(政頼)に伝えておきます。後兄上、たまには父上と母上の所に行ってあげて下さい」


家督を継ぐ前から母上の元にはほとんど行かなかった。最後に会ったのはここ(上田城)に三男勝丸を見に来た時だろう。あまり話はしなかったけど。


「分かった。時間が出来たら行く」


俺がそう言うと国清は部屋を出ていった。時間が出来たら行こうと改めて思いながら目の前の報告書を読んだ。

(・・・義元の時ほど今川に力は無いか..。しかし、多くの家臣を失ったとは言え元武田家臣をかなり抱え込むとは...。乗っ取られても知らぬぞ...)


松平にまさかの敗北をした今川は失った家臣の埋め合わせを元武田家臣で埋めたのだ。勿論反対はあったが、「武田は臣従しているので今川の家臣でもある」と、氏真が宣言し、元武田家臣で有能だった者や今川家臣から評価が高い者を起用するといった人事を行った。


普通なら評価すべきことだが、格下の松平に敗北し今川家の信用と信頼が揺らいでいる今やるのはあまりにもリスクが高すぎる。


(だが、もしも上手く立て直せれば今川は義元の時より強く結束も固くなるだろうな...。今の内に手回しをしておくべきか...)

今の内に今川に対して調略を考えたが今後北条と激突するので、今は下手に手を出さないでおくことにした。ただ、間者の数は増やしておくことにしたのだった。



永禄五年(1562年)十一月

道三が屋敷で倒れたと知らせが入り急いで向かった。

既に六十九歳だ。この時代なら何時死んでもおかしくない歳だろう。


屋敷に着くと道三は眠っていた。医師の見立てだと年を越せるかは五分五分で長く生きたとしても春を迎えられないという判断だった。


しばらくすると、輝忠が嫁の桔梗と共にやって来た。


「父上、舅殿(道三)の容態はどうなのですか?」

輝忠が聞いてきたので俺は包み隠さず話した。もう、道三がそんなに長く生きられないことを知った桔梗は涙をこぼしていた。


「ふん。意地でも春を迎えてやるわ」


「目が覚めましたか?」

俺が聞くと桔梗と輝忠が道三に近付いた。


「父上!」


「舅殿!」


「五月蝿い。そう騒ぐな。義照と話がある。二人は出ていけ」


道三に言われて二人は渋々出ていった。

(心配して来たのにそれはないだろう....)


「それで、お話とは?」

俺は内心二人が可哀想に思いながら聞くと道三は体を起こした。


「二人にはああ言うたが自分の身体のことは自分がよく分かっておる。もって年を越せるくらいだろう」

道三はそう言うと咳をしていたが多少の血が出ていた。

俺は医者を呼ぼうとしたが道三に止められた。


「義照。一つ頼みがある」


「美濃四万石の分くらいなら聞きましょう」

俺は昔道三が俺を引き抜こうとした時の条件を出すと覚えていたのかニヤリと笑っていた。


「ふん。四万ではのうて四十万の間違いではないか?まぁいい。信長と帰蝶を呼んで貰いたい」


「今川家を裏切ることになりますぞ?まぁ~今川はどうでもいいが死んだ義龍に義理立てしておるつもりですが?」


「ふん。どうせワシが死ねば動くであろう...。いやワシが半国やると言った後、すぐに動いておるのだろう。そうだな。恐らく・・岩村城の遠山や加治田衆辺りに調略を仕掛けておるのだろ?」


流石道三。分かってるな。けど、残念ながら岩村城は織田の手の方が早かった。おつやの方が既に嫁いでいた。なので、忍を仕込んだ。


「それで、信長を呼んで今度は義照として会えと?それと、同盟しろと言われるのですか?」

俺が聞くと頷いた。


「同盟は稲葉山城が落ちたらで構わん。約束通り美濃半国、稲葉山城より東、郡上八幡城、鳥峰城(後の金山城)、長山城辺りはくれてやる。その代わり、稲葉山城を含む西側を信長にやってくれ」


「光秀はどうするのですか?あいつは多分信長に付きますよ。しかし領地の明智の庄は東側にある」


「それを決めるのは光秀と隠居した光安じゃ。気にせんでええ」


道三には何か見えているのか言いきった。

・・・光秀が可哀想だが仕方ないだろう。


「分かりました。では、すぐに織田に書状を送りましょう。まぁ来るか来ないかはあの信長次第ですがね」


俺が言うと道三はそれで良いと言いまた眠るのだった。


それからすぐに織田に使いを出した。面会の条件は信長と帰蝶の二人が来ることとした。それと面会時に二人以外の同伴は認めないと言う条件だった。


そんなふざけた条件を信長はすぐに承諾した。しかし、織田家臣からは批判が相次ぐ。当たり前である。今まで頑なに交渉を拒否していた村上家が道三が望んだとしても急に面会を認めたので罠ではないかと言うものだった。

しかし信長はそれらを全て退けたのだった。


そして信長は使者に対して今から向かうと言うのだった。お陰で使者は慌てて戻ることになるのだった。




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