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戦国生存記  作者: 現実逃避
76/180

76、家督相続の桶狭間

永禄三年(1560年)三月


俺達は帰国するために準備をしていた。

帰国を知ってから多くの人がやってきた。

まぁ、殆どが俺と関係を持ちたい公家だった。中には輝忠の側室にと娘を差し出す者もいた。そいつらには関白(前久)を使って痛い目を見て貰っている。輝忠だけではなく、次男の兼照の方にも来ていたので同じように対応した。


特に兼照の方はまだ未婚なので凄かったが、稙家、稙通の老人組が全て潰していた。流石に摂関家の二人を相手に立ち向かう公家はいなかった。

兼照の相手は二人が決めると言っていたので、俺にも先に知らせることを条件に好きなようにして貰うことにした。


屋敷を守っていた孫一達雑賀衆だが、五百名だが五年間雇い、近衛屋敷と九条屋敷を守って貰うことにした。


と言うのも、前久や稙通はこのまま京に残ると言うからだ。雑賀衆の指揮権は前久に託すことにした。孫一からも了承は得ているので大丈夫だろう。


ただ、五年としたが雑賀衆が領地に戻らないといけない場合等もあるので一年ごとに金を渡すことにした。


京、松永屋敷(茶室)


「それでは三好殿、我らは明日出立します」


「村上殿、短い間だったが倅(義興)が世話になった。礼を申す」

俺(義照)は長慶に頭を下げられて驚いた。下げられるようなことをした覚えが無いからだ。


何でも、義興は俺のやり方を見て学び、財政管理や物資の調達、流通など色々三好家で始めたそうだ。

また、俺が天王寺屋の津田と親交があると何処かで知ったのか、津田を御用商人にしたそうだ。元々は今井宗久が御用商人だったそうだ。

ホント、いつの間にと思った。


「若様は物覚えも良く、良いことは直ぐに行われますからな~」


茶を点てている久秀は何だか嬉しそうに話している。


聞いてみたら義興の傅役の一人でもあるらしい。まさか、久秀がそこまで長慶に信頼されていたとは思わなかった。


俺は驚きながら茶を飲んでいたが、長慶の使っている茶碗を見て目が飛び出るかと言うぐらい驚いた。


「な、長慶殿、それは天目茶碗では!しかも最上級品と言われる曜変天目茶碗では!?」


「ええ、かの将軍義政公が所有していた物です」


長慶が持っていたのは現代では本能寺の変で消失した幻の曜変天目茶碗だった。

長慶の話からすると三好家は複数の天目茶碗を所持しており、その内二つは曜変天目茶碗があると言っていた。


ちなみに久秀も持っていると教えてくれた。

平蜘蛛茶釜、九十九髪茄子、天目茶碗と名だたる名器を持っている数寄者の久秀は自慢げに話し始めた。

これには長慶も少し困った顔をした。


半刻後

やっと、久秀の茶器話が終わったので長慶と別れの挨拶をして屋敷に戻った。


翌日

京を出立した。京を出る時、民達が集まり残念がっていた。後は三好義興に任せているので大丈夫だと思う。

それに、義輝は長慶とは仲が悪いが、義興とは悪くはなかった。むしろ良い関係のように見えた。

何故なら義輝がたまに御忍びで俺達の所にやって来た際、気楽に会話をしていたのだ。


永禄三年(1560年)四月末

美濃


「義龍、本当に出陣するつもりか?まずは、その病を治してからの方が...」


「ゴッホゴッホ..。この好機を逃してどうする?それに俺が正しかったと言うことを皆に見せないと行けないんだ。でなければ、父を追放した意味がない」


俺は美濃を通る際義龍の見舞いの為、稲葉山城に寄った。義龍はやはり病を患っていたのだ。しかし、今川と呼応して自ら織田攻めに出陣すると言うのだ。


「分かった...。けど、無茶はするなよ。稲葉や長井、光秀もいるんだから頼れよ。なんなら援軍を送ろうか?今川からも話は来ているし」


「援軍はいい。こっちは俺達だけで問題無いしな。それに織田には俺が全く動けないと流しているし、お前(義照)が見舞いに来たことで信憑性が増しただろう。油断しているはずだ。今川とは清洲城で分けることにしてる。なに、心配するな。直ぐに終わるさ!」


「そうか...。なら次は尾張で酒を酌み交わすとするか。最高の酒を用意してやるよ」


「おぉ!それは楽しみだ!・・義照、俺は尾張を得て民達が豊かに暮らせる大きな国を作り上げるぞ!お前には負けぬからな!」


「あぁ、俺も負けないからな!!」

俺はもう少し話し義龍の見舞いを終えて国に帰るのだった。帰るさいに義龍から太刀を貰った。なので俺も自分の持っていた太刀を渡す。尾張会う時まで大事に預かろうとしたのだ。

これが今生の別れになるとは夢にも思わなかったのであった。


永禄三年(1560年)五月

帰国した俺達は父上(義清)に呼び出されて松代城(海津城)に来ている。

去年の末に完成して今年になって入ったそうだ。

・・・・予定より大きくなっていた。


父義清に、大きくなった分の金の出所を聞いてきたら俺の名義で商人から借り入れたと言われた。


何でも、父の名義だと貸して貰えず、俺の名義だとすんなり貸してくれたそうだ。そりゃ、商人との繋がりを強くしてるし、信用第一でやってきたから貸してくれたのだらう。


その額合計五千貫文・・・。それに、利息が付いてくるので頭が痛くなった...。


唯一の救いは返済を五年にしていたことだろう。今三年以内で返せと言われたら裏金と合わせれば返せないことはないが、二~三年は殆ど何も出来なくなってしまう。

全く、最悪以外のなんでもない。


それと、やっと、父が完全に隠居した。葛尾城は弟の国清に譲り、松代城に入ったのだ。

これで一切邪魔をされずに好きなように国を動かせるようになる。まずは仁科と木曽の扱いを変えねばならない。でなければいつか火種となって内乱が起こりかねないからだ。


特に木曽は俺の側室に岩がいるが前科持ち(史実で武田を裏切った)な為、油断は出来ない。


他にも、父の残した面倒事は多々ある。それに隠居したとは言え、いつまた勝手なことをするか分かったものではないので監視は24時間体制でする。今後は絶対に好き勝手させるか!


そうそう、知らない間に弟が出来た。

名前は国千代...六男だ。


俺は疲れ果て、城に戻り俺がいない間に岩が産んでいた三男、勝丸の元に行くのだった。

だが、義照は油断していた。この時既に義清は大問題を残していたことを…。


永禄三年(1560年)六月

上田城

「では、正俊、すまないが今川の援軍に向かってくれ」


「畏まりました」

俺は今川との約束の援軍三千を送り出した。大将は保科正俊だ。一応鉄砲五百人付きである。

歴史は変わっているので無事に戻ってきてもらいたい。


(・・・だけど、今川が上洛したら三好とぶつかるのかな?六角と今川は同盟する可能性があるのかな?馬鹿弟子(義輝)が荒れなきゃいいが....)



数十日後

「情報を直ぐに集めろ!!美濃に使者を送れ!今川の援軍に送った保科達の安否を確認しろ!!!」

俺は大声を上げて指示をした。

桶狭間の戦いの情報が入ってきたからだ。それと共に訃報もだ。


今川義元討死に、斎藤義龍病死。


これには驚きを隠せなかった。まず、義龍の方は病にはなっていたが、無理はしないと言っており準備も進めていた。

義元の方は、史実とはうって代わり、先鋒は大高城方面に井伊直盛、直親と松平元康、鳴海城方面に武田(義信)と朝比奈を送っていたからだ。


それに、保科正俊達援軍に三千、北条も二千程援軍を送っていたので絶対に勝てると信じていた。


数日後

保科達の無事と詳しい情報が入ってきた。

義元に関しては途中まではほぼ史実通りだった。沓掛城から大高城に向かいその間の桶狭間で休息を取っているところを奇襲された。


で、違うのはここからで、義元自身は迎撃せず松井宗信に全権を託し、僅かな護衛を率いて直ぐ沓掛城に撤退をした。馬鹿兄(義勝)との戦のお陰だろう。万が一同じ事があるかもしれないとも思ったのだ。

だが、この行動のお陰で一人の浪人に幸運が訪れた。


前田利家だ。利家はこの戦に勝手に参加し手柄を立てて信長に許して貰おうとした。そして度重なる織田の追撃を蹴散らし撤退する義元達と偶然鉢合わせたのだ。


数に勝る義元は部下に討ち取らせようとしたが利家は剛の者。逆に討ち取られて行った。義元も義勝の再来と思い必死に逃げたが、獲物(義元)を目で捕らえた犬(利家)に追い付かれ討ち取られてしまった。


利家は討ち取ったが、身体中傷だらけで、片目を失っていた。そして、戦場からかなり離れていた為、討ち取ったことを名乗り上げる為急ぎ戦場に戻った。


その頃史実には無かった斎藤軍の尾張侵攻だが義龍は巧妙に軍の動きを隠し密かにそして素早く織田信清の守る犬山城を落としたようだ。しかも、一万五千もの兵を連れて来ていた。



犬山城から敗残兵と共に岩倉城に逃げ込んだ信清は清洲城の信長に急報を伝える伝令を出した。しかし、信長は義元を討つために清洲城を出陣して留守だったそうだ。


岩倉城の城代だった村井貞勝は直ぐに籠城の準備をさせたそうだ。しかし、残された兵は犬山城の敗残兵を含めて五百人にも満たなかった。

斎藤軍は軍を三つに分け、五千を勝幡城へ。三千を岩倉城へ。本隊七千を清洲城に向かわせた。


織田軍は桶狭間で必死に戦っていたがその数はどんどん減っていった。

信長達は奇襲したことで今川本陣まで辿り着いたが、義元は既におらず、周囲から今川軍が包囲しようと迫っていた。

それから一刻は今川軍による一方的な殲滅戦となった。

史実では義元を討ち取った毛利や槍を付けた服部等は名を挙げる事無く討ち取られその生涯を終えた。信長も幾度も討ち取られそうになるも何とか耐えて抜けだそうとした。


そんな中、義元を討ち取った利家が大喜びで戦場に戻り名乗りを上げた。


「前田又左衛門利家!今川義元討ち取ったり~!!」

それを聞いた今川軍は苦し紛れの嘘だと思ったが、利家は朱色の槍に義元の首をくくりつけて見せつけるが如く掲げていた。それにより本当に義元が討ち取られたことが知れ渡り、今川軍は崩壊した。

一部を除いて。


「御館様(義元)の首を取り返せ!」


「あいつ(利家)を殺せー!!」

松井宗信や大高城から救援に駆けつけた、井伊直盛等一部の武将が利家を襲った。利家は為す術無く、せっかく取った首を捨て逃走した。


首は井伊直盛に確保され、直盛は直親と共に撤退し、松井宗信は残った僅かな手勢を率いて信長を強襲。後一歩のところで佐久間信盛に邪魔をされ討ち取れなかった。ただし、道連れとして信盛と刺し違えた。


信長軍が今川軍を破り追撃しようとした所で斎藤軍来襲の知らせを受け、直ぐに全軍撤退をした。


その頃斎藤軍本隊は燃える清洲城を見ながら周囲の探索をしていた。清洲城は城代林秀貞とおよそ五百人の兵しか残っていなかったのだが一応、追放した妹の帰蝶がいるので降伏勧告をしたが拒否された。


義龍は全軍に総攻めを指示し、清洲城に襲いかかったのだった。

清洲城の兵は必死に守って時間を稼ぎ、帰蝶達を逃がした。

一度裏切っている林が降伏しなかったのはちょっと意外だった。

林は城に踏み込んだ斎藤軍もろとも火を放ち死亡した。


数刻後

織田信長は今川を討った満身創痍の軍二千程度を引き連れて戻ってきたが、清洲城は燃え、城の周りには斎藤軍が布陣していた。


義龍も信長が戻ってきたことで信長軍を討ち取ろうと指示をしたそうだ。

しかし、義龍は指示をした後血を吐いて倒れたらしい。

義龍の指示で前戦部隊の日根野や国衆は織田勢に襲いかかり満身創痍の兵士をどんどん討ち取っていったそうだ。


しかし、義龍が倒れたことが広まると動揺が広がり情勢は変わった。信長が先陣を切って斎藤軍に突撃し前線は崩壊。本丸にいた側近の長井や光秀等は撤退を決め光秀率いる美濃鉄砲隊が殿しんがりとなって撤退したそうだ。


信長に追撃する余力など無かったので戦はそこで終息した。


斎藤軍は義龍を岩倉城に入れ医者を呼んだ。意識を失っていた義龍は一時的に戻ったが、戦況を聞いた後死んだようだ。

その後、斎藤軍は稲葉率いる別動隊が勝幡城を落とし焼いてから合流したので、岩倉城に織田信安、犬山城に日比野清実が入り撤退したそうだ。


織田信安は信長に敗走して斎藤家の家臣となっていたようだ。知らなかった・・・。


脱出した帰蝶達はなんとか信長と合流でき、林秀貞の最後を伝えた。今回の戦で、林秀貞、村井貞勝、佐久間信盛等を含む多くの家臣や犬山城、岩倉城、清洲城、勝幡城といった多くを失ったが、信長の不幸はこれでは終わらなかった。


鳴海城の岡部、朝比奈、武田による熱田への焼き討ち&武田十八番、乱取り!で熱田は文字通り壊滅したのだった。

武田の乱取りは文字通り根こそぎ行われたようだ。

流石は親子、やることは同じか。


その為信長は2つある財政の生命線を一つ失い、長年積み上げてきた熱田からの信頼も地に落ちたのだった。



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― 新着の感想 ―
「何でも、父の名義だと貸して貰えず、俺の名義だとすんなり貸してくれたそうだ。」 親子とはいえ、他人名義が明らかなのにすんなり貸す方が悪いと思うが、その点どうなってるのかと思う。
[一言] 普通に信長摘んだよね、常滑があっても熱田が壊滅なら生かせないし、林と村井と政の柱が居なくなれば自滅でしょうね、いくら秀吉が秀でるとしても国人の決まり事や繋りと身分がなければしょうがないですか…
[一言] 誰も得しないっていうか、強いて言えば武田かな? 今川は当主と重臣がまるっと死んでるし、ここから駿府乗っ取り?恩を仇で返してこそ畜生武田 そして、肝心な局面で親の借金で2~3年行動キャンセル喰…
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