75、面倒
永禄二年(1559年)七月末
戻ってきた近衛屋敷では、一触即発の状態だった。
二組の来客があったのだがその二組が問題だった。
一組目は三好長慶と松永久秀、二組目は足利義輝と細川藤孝だ。
「幸隆、何故こうなった?」
俺が幸隆に聞くと幸隆が三好家に使者として向かったら長慶自身が来ると言ったので近衛屋敷に招いたそうだ。
しかし、幸隆が戻る前に義輝と藤孝が急にやって来て鉢合わせしてしまったそうだ。
ホント、不幸としか言いようがなかった。
仕方ないので長慶殿達には事情を話して待って貰うことにした。
「それで、急にお越しとは一体どのような御用件でしょうか?いつもは呼び出されるのに...」
俺は、不満そうに言ってやった。言われた義輝も三好長慶が来ていたことに不満を持っていた。
「たまには師を立てようとしたのだがな...。何故長慶がいる?」
義輝が聞いてきたので相談したいことがあるから来られたとだけ伝えた。やはり内容は気になるようだが知らないと、しらを切った。
「それで、来たのは何のためでしょうか?わざわざ愚痴を言いに来た訳じゃないでしょ? 」
「義照、このまま京に残れ」
「嫌です。国が遠過ぎます」
俺は即答した。誰が好き好んで魔都(京)に残るか!
「お主なら何とかなるであろう?」
無茶振りにも程がある...。
「なりません。越前や近江が拠点なら残れるでしょうが、信濃では遠過ぎます」
俺は全力で拒否し続けた。何で残れと言ったか説明は一応してくれた。藤孝が...。
京に戻った後、三好に対して怒りや憎しみがあったが一旦は飲みこんで協力しようとしたらしい。
その為に長慶やその息子を相伴衆に取り立てたりもした。そのお陰もあってか幕府の権威は徐々に回復し、京の民衆からも支持を得るようになった。しかし、今回の連合軍に敗れ京を失い、義輝達も避難したそうだ。
しかし、俺が上洛すると流れると六角は撤退し畠山と細川残党は三好に敗北し京を取り戻した。なので、俺がいる間は京が安定し立て直せると思ったらしい。
何と見事な勘違いだ。
まず、六角が撤退したのは多分俺のせいだろうが、畠山や細川に勝ったのは三好の実力だ。初めの敗戦は予想以上に多く隙を突かれたからだろう。その後には倍以上の兵で攻めかかっているからだ。
三好の本拠地が阿波だから仕方ないのかもしれない。
「まず、六角と三好家の和議を進めて下さい。今回は幕府がきちんとまとめて下さい。畠山に関しては和泉にいると言うことらしいので滅ぼしに行きますから放置でいいです。次に京の立て直しはどれくらい掛かる見込みですか?」
俺が義輝に聞くと義輝は藤孝の方を見た。
「短くて五年と見ております」
「そんなに長く居られるか!!はぁ~。...何とかして今年中は滞在できるようにしますのでそれまでに立て直しの基礎だけに、集中して下さい...。他には何も無いですよね?」
俺が聞くと今度は幕府の力を高める方法を聞いてきた。民衆からの支持は集めたが、軍事的な面は三好に依存している部分が大きいらしい。勿論、独自の軍は居るが三好に比べると余りにも劣る。
(もう、疲れた....)
俺は長い目で見て、大名を味方に取り込み自身の直轄地を増やすことを考えて下さいとだけ伝えた。もう、考えるのが嫌になったからだ。
その後は義輝が俺を相伴衆にすると言って帰っていった。
なので信濃、甲斐守護と兼任になる。
義輝の相手をするのに疲れたが今度は長慶達が待っているのでそっちの相手をした。
俺は疲れていたので、長慶殿には悪いが茶室で相手をすることにした。勿論茶を立てるのは久秀だ。
「大分時間が掛かりお疲れのようですが上様(義輝)は何と?」
長慶が聞いてきたので、簡単には説明してあげた。ついでに六角と和睦をして貰うよう頼んだ。長慶としてもこれ以上争う気は無いので助かると言っていた。
次に畠山に関しては認めてくれたが、強行したが被害が大きかったので今は包囲しているらしい。攻めるなら自分達だけでやって欲しいと言われた。ちなみに数は一万近くはいるそうだ。
その後、長慶の相談を聞いた。
まぁ、内容は予想通り、義輝のこと、そして幕府のことだった。なので、助言できることはするのだった。
翌日
京では争いが絶えなかった。と言うのも、本格的に野盗狩りをし始め、流民や浮浪者、民の保護等も合わせて始めたからだ。
野盗狩りは帝からの勅もあったので僅かだが三好家からも手伝いが来てくれた。
その為、野盗狩りは数日で終わり、捕まえた野盗は京の立て直しの為の強制労働か打ち首にし三条河原に晒した。
強制労働後は三好家に管理されることになる。
ちなみに、細川の残党は全員磔となるのだった。一応、晴元が朝敵となっているからだ。
次に保護した者達だが、木地師や鍛冶師など技術を持つ者達はそのまま職人として復帰して貰い作業場と道具を提供した。一部の者はうちに来て貰うつもりだ。
残りの者は焼け落ちた建物を解体して更地にした後、長屋を建てていき民の住処を確保していった。
下京を優先したので一部の公家達から我ら(公家達)の屋敷を先に造れと文句を言ってきたので摂関家二人の力(権力)で黙らせた。
後日、前久が教えてくれたが話を耳にした帝がその公家達に激怒したらしい。
永禄二年(1559年)十月
河内の高屋城が落城した。しかし、畠山高政は取り逃がしたそうだ。
俺は滞在を決めた後、連れて来ていた六千の兵を先に戻した。京に残しておくだけで無駄に銭がかかるからだ。
「結局、参戦出来なかったがまぁ、こっちが優先だな」
「いや~村上様のお陰で幕臣からの邪魔が無くて作業が捗ります!」
そう言うのは一緒に書類仕事をしている三好義興だった。
長慶の子で次期三好家当主だ。
俺達は復興に必要な物の調達の指示や現状報告、資金確保等事務仕事がメインだ。
特に資金に関しては三好家、幕府(俺の銭!)が中心となって出しているので義興が一緒に作業をしている。
摂津等幕臣が三好が参加することに不満を漏らしぐだぐだ文句を言っていたが脅迫(拒否するなら銭は鐚一文出さんと)して黙らせた。
一応、最終確認は義輝がきちんとしている。
「しかし、村上様はどこから資材を掻き集めて来られるのですか?これ程沢山の量を短期間で集められるなんて...」
「商人達に少し色をつけて頼んだからだ。各地に繋がりがある商人がいるので色をつけて頼むことで優先してこちらに回して貰ってる。ただし、短期間でかなりまとまった量を出して貰うことが条件だ」
「成る程。短期間で材料を確保する為にあえて多く与えるのですか。確かに銭はかかりますが時間が無い時には良いですね!」
俺は説明し義興は理解していたがそれだけでない。実は陽炎衆が経営する店に任せたのだ。
特に越前の達磨屋、美濃の寿郎屋、堺の恵比寿屋等から仕入れている。
なので、実は俺の元に金がどんどん入って(戻って)くることになるのだ 。
ちなみ、天王寺屋の津田宗及も一枚絡んでいる。今回の件で一番喜んでいるのは宗及かもしれない。
「さて、計画はほぼ出来上がっているが……やはり、数年は掛かるな……。はぁ~ 」
計画は大きく分けて三段階で、第一に住居の確保。第二に民が金を稼ぐ為の仕事の斡旋。第三に補助を止めて京単体で金が回るようにする事だった。
「さて、義興殿。我等がやれるのは第一段階のみ。後は任せるぞ」
俺はそう言うと「お任せを!」と言っていた。
永禄三年(1560年)一月
俺と輝忠は帝に新年の挨拶に向かった。
輝忠は俺の持っていた正五位下左近衞少将を貰ったので殿上人として御所に入れるようになったのだった。
俺達は帝に忠誠を尽くす事、三月に帰国する事を言い、帝自らお言葉を頂いて御所を後にした。
その後、将軍御所に向かい、同じように挨拶をした。ただ、嫌な予感通り挨拶だけでは終わらず、庭で軽めの運動をした。
輝忠は義輝相手に律儀に相手をしていた。組手はやはり輝忠の方が圧倒的に上だが、剣術はレベルが違った。義輝の圧勝だ。流石は剣豪将軍だ。
俺は一切容赦しなかった。だってこっちは素手なのに木刀持って襲い掛かって来たからだ。なので新年早々タコな...痛い目を見て貰った。
ちなみに、純粋な剣術に関して俺は義輝に一度も勝つことは出来ない。
後日、久秀に聞いた話だが、俺達の面会の次が三好親子と久秀だったらしく密かに様子を見ていたそうだ。
そこで、義輝が俺にボコボコにされているのを見てスカッとした気分になったと嬉しそうに話していた。
おいおいそれでいいのかよ……。




