72、海道一の弓取り
永禄元年(1558年)十月
この雪の中、今川家から使者が訪れた。
用件は今後の協力についてと義元が俺と面会したいと言ってきたのだ。
断ろうとしたら信濃に行っても構わないと言ってきたのだった。
そこまで言われては断りきれず、信濃まで来てもらうことにした。
永禄二年(1559年)四月
信濃、長谷寺
俺は長谷寺と言う寺にいる。
この寺は幸隆が世話になった、伝為晃運と言う禅坊が開山だ。
「晃運殿、今回は幸隆を通じて無理を言って申し訳ない」
「いえいえ、毎度幸隆殿に無理難題を言われておりますのでこれくらいなんでも御座いません!それよりも仏様と言われる村上様に御会いできたこと光栄に御座います」
そう言うと晃運は伏して頭を下げた。しかし、初対面でここまで畏まらずに話してくるなんて死にたがりか、それとも肝っ玉がデカイのか....。
(だけど、嫌いではないな。どっちかと言えば好きだな、こういう奴)
「幸隆、何とも面白い坊主を連れてきたもんだ!晃運殿、礼は後で送る故」
「いえ、村上様から頂くなど大変恐縮にございます。幸隆殿から今までのツケも加えてむしり取るお許しさえ頂けたら結構に御座います!」
「晃運...。殿、申し訳御座いません」
「ぷっふはははははははは!!」
幸隆は謝ってきたが、俺はそんなことよりも笑いが我慢できず笑ってしまった。
「ハハハ!あー笑った笑った!分かった。その議許そう。ただし、むしり取るならケツの毛だろうと一つ残さずむしり取れ!ハハハハハハ!」
「ありがとうございます。いやー話が分かるお方で助かりました!でなければ、私は直ぐに六銅銭がいるようになるところでした」
俺と晃運が笑っていると景持がやってきて今川の到着が伝えられた。
「ようこそお越しになられました。案内を任された出浦清種と申します。どうぞこちらへ」
義元は清種と言う男に付いていった。
今回は五千の兵を連れて来ているが兵士達は緊張していた。
何故なら、村上の本拠地上田城は目と鼻の先で、寺の周りには鎧兜が統一された兵士達が待ち構えていたからだ。
「これより中には、今川様と護衛三人までとさせて頂きます」
「何だと!貴様ふざけておるのか!!」
清種の言葉に側にいた岡部元信が大声で吼えた。
「いえ、これより先は殿(義照)と護衛三人、この寺の住職と小坊主二人しかおりません」
「分かった。では、岡部と松井、もう一人は....」
清種は呼ばれた者の名を聞いて目を見開いて驚いた。
俺達が待っていると、清種が四人の男を連れて来た。
義元は一瞬で分かった。顔が白く塗られていて、眉毛も書いてあった。
(仁○で出てきたのとあまり変わんね~!)
雰囲気はそのまんまって感じだった。
義元は俺の正面に座り、俺は義元を見ていた。
正直、初めは笑いそうになったが存在感と言うか威圧感は半端無かったので笑うに笑えなかった。
「余が今川治部大輔じゃ」
「村上左近衛少将に御座います。お初にお目にかかります。今回は舅殿と呼んだ方がよろしいですか?」
「うーん...。いや、今回は当主同士の会見じゃ。そのような気遣いはよい」
義元はそう返答した後互いに何も言わず相手を観察し続けた。そしてこの静寂を破ったのは義元だった。
「雪斎が申していた。お主に決して油断するなと...」
「雪斎様がですか...。余程私は警戒されておられたのですね。それに、武田の一件、私に側室として福を差し出したのも雪斎様のお考えですか?」
「そうじゃ。全く病気がちな娘を側室としてやるつもりなどなかったが雪斎に押しきられた。それで、娘はどうしておる?」
「正室の千と側室の岩に可愛がられておりますよ。特に千は公家出身。福とはかなり気が合うみたいです。後で御会いされますか?」
「さようか・・・。では後で会おう。そう言えば何故お主が雪斎に様を付ける?」
義元は不思議に思ったので聞いてみた。雪斎も呟いていたのを思い出したのだった。
「憧れであり、尊敬していたからです。正直、軍師として来ていただきたかった...。幸隆とあの方(雪斎)がいれば今頃信濃だけではなく、甲斐、駿河、相模等周辺国を治めていたと思います」
俺は本当にそう思っていた。幸隆と雪斎と言う軍師がいれば鬼に金棒であり、一大勢力を作れたと思っていた。
俺が言うと義元は驚いていた。そこまで雪斎のことを慕っておきながら、誘いを断っているからだ。
「それならば我らの誘いに乗れば良かったではないか?」
「確かに私は三男でしたので長兄が裏切ることがなく、私に付いてきてくれる家臣が居なければ参っていたかもしれません。しかし、義利は国を、民を裏切り武田に付きました。当時の武田の蛮行はご存知でしょう?義元殿は国を、民や家臣を捨てれるのですか?私に付いて来てくれる家臣達、そして守るべき民がありましたのでお断りさせていただきました」
俺が言うと義元は納得していた。自分も同じ状況なら断ったと思ったのだ。
「成る程。縁が無かったと言うことか...」
義元はそう言うと溜め息を着いた。
「まぁ、今だから言えますが、当時我等が武田に敗北しており、今川家が私達の領地を安堵し武田から守って頂けたなら喜んで臣下の礼を取っていたでしょう。なんせ、小田井原での戦は博打でした。もしも長野殿が来られなければ敗北は間違い無しでしたので」
俺が笑って言うと、義元も何故かニヤケていた。
義元は雪斎が是が非でも欲しいと願い、甲相駿三国同盟を猛反対し続けていた訳が分かった気がしたからだ。そして、強行したことを後悔した。
「左様か....。さて、そこにいる真田は知っておるが他は知らん。名は何と申す?」
義元が俺の後ろにいる三人が誰か尋ねた。幸隆は雪斎との交渉で駿河に行っているので知っていた。
「そうですね。私もそちら(義元側)の三人は存じませんね。では、私から紹介しましょう。右から、甘粕景持、真田幸隆、上泉秀綱です」
俺が紹介すると三人は名前を名乗り挨拶をした。
「うむ。上泉の名は知っておる。我が倅(氏真)の師でもある塚原卜伝と互角に渡り合った剣豪であるな。あの卜伝と互角に渡り合えるとは見事じゃ」
「お誉め頂き光栄の至り。ですが互角と言われておりますが、私は敗北しております。まだ精進しておる身で御座います」
秀綱がそう言うと、義元は少し驚いて頷いていた。
「では、こちらも紹介しよう。右からお主の兄、今張遼と戦った岡部元信、松井宗信・・・そして、一番若いのが、武田義信じゃ」
俺達は驚きで目を見開き、気付けば景持と秀綱の二人が前に出て刀をいつでも抜けるよう構えていた。
それは今川側の岡部と松井も同様だった。
「・・今川殿、何故我らが宿敵武田を連れてこられた?」
「なに。其方と同じ娘婿であり、今の武田家当主じゃ。其方と顔合わせもと思ってな」
怒りに震える俺の前で義元は、言いきった。少し沈黙が流れた後口を開いたのは義信だった。
「村上様、祖父と父上がしたこと、武田家当主として伏してお詫び申し上げます」
義信が頭を下げてきた。景持達はどうすべきか俺の方を見たが、俺は怒りを抑えるのに必死だった。
「...今この場にいることは見逃す。義信、我らが武田に抱く怒りや憎しみは天よりも高く海よりも深い。武田一族を根絶やしにせねば気が済まぬくらいな。貴様が頭を下げたくらいでどうにかなるなど甘ったれたことを申すでない!!今、貴様いや武田家の命が繋がってるのは今川家と雪斎様のお陰だと言うこと努々忘れるな...」
俺が殺意も込めて言い放つと、義信の顔は青ざめていき、黙ってしまった。
「まぁまぁ、此度は余が連れて来たのじゃ。そこまで言ってくれるな。今回は余の顔を立ててくれ。さて、そちは尾張の織田信長と会っておるな。奴をどう思う?」
「...噂通りのうつけかと...」
俺が言うと何故か義元は溜め息を付いた。こっちの方が付きたいわ。
「冗談はやめい。本当にそう思っているならお主の目が節穴じゃ」
「はぁ...、あれ(信長)は敵に回すと厄介でしょう。潰すなら尾張を取っていない内が良かったでしょう」
俺が言うと今度は頷いていた。義元は意外にも信長を物凄く警戒していた。
「我らは小競り合いとはいえ、初陣の奴に負けた。まだ14の若造にぞ。それがうつけなどと言われておる。我らを欺く為の浅知恵じゃ」
「・・それで我らにどうしろと? 恐らく義龍とは話が付いておるのではないのですか?」
俺が言うとまた頷いた。
「来年、我らと斎藤家が同時に尾張に侵攻する。そこでお主には援軍を出してもらいたい。お主の兄(義勝)のお陰で随分と減らされたからのう...」
(それは、あんたが攻めて来たからだろ!!)
「北条と敵対しておりますが...仕方ない。三千までなら出しましょう..」
「ふむ。まぁ、それ程なら穴は埋められるな。欲を言えば一万程出して欲しいものじゃがな。あぁー、我らを苦しめたあの者(義勝)でも良いぞ」
義元は不満そうにしていたが、不満なのは俺の方だった。援軍を出したところで見返りが無いからだ。
(馬鹿兄を援軍として送ってみろ、両軍に血の雨が降るぞ※)
※暴走して敵味方問わず強い奴と殺りそうな為。
その後、互いに統治に付いて話をした。
義元は法を、俺は流通に付いてだ。
「成る程。関所を廃止し街道を整備して旅籠屋とな。だが、それでは税があまり取れぬのではないか?」
義元が不服だったので、旅籠屋や護衛の付いた倉庫を街道に作れば儲けられると教えた。関所を廃止と言うが国境の関所はきちんとあり、通行税を取っている。ただ、領国内の関所を廃止にしているだけだ。
実際俺はそれでいくらか儲けているからだ。特に護衛付き倉庫は需要が大きかった。
商人が安心して積み荷を預けることが出来るので盗賊に奪われる心配がないからだ。しかも、もし何かあったら保証までしているしな。
最後には義元もそれを理解しやってみると言っていた。
話は終わり義元が帰ろうとしたので一つ面白いものを見せることにした。
「義元殿、一つ面白いものをお見せします。今川家の兵士達に何があっても決して騒ぐなとお命じ下さい」
俺が言うと義元は岡部に指示をしていた。
暫くすると伝達し終えたと岡部が戻ってきたので、寺の縁側に義元と一緒に出た。
「景持、扇子を振って合図してやれ」
俺は持っていた扇子を渡し、景持は扇子を開いて振った後上に放り投げた。
「ドン!」
大きな音が響いた。義元の後ろにいた二人は即座に義元を庇おうと前に出ていた。
景持は落ちた扇子を取って持ってきた。
俺はそれを受け取ると義元に見せた。
その扇子には見事に穴が空いており流石の義元も三人も驚きを隠せないようだ。
「我らが改良した試作品の鉄砲によるものです。一般の鉄砲の数倍の飛距離を持ちます。ただし、非常に重く、一発撃つのに普段の倍以上はかかりますけどね」
俺はそう説明し扇子を義元に渡した。
俺が射たせたのは長距離狙撃用の鉄砲だ。銃身が長く、試験的にライフルリングが彫ってある。ただ、とても重く、装填までに時間がかかるなど問題点が多い。
試作品であるが勿体ないので使っている。
ちなみに狙撃したのは杉谷善住坊だ。正直、真っ赤で派手な扇子とはいえ当てるとは思っても見なかった。
スコープなんて無いので善住坊の実力が凄いことを表している。
正直、史実で信長を狙撃して外したのがわざとのように思える。
ちなみに、扇子を振って投げたら扇子を撃て、手を上げ、そのまま後ろを向いたら義元を撃てと命じていた。
「成る程の...。仮にここで同盟が無くなっていたら余は骸になったということか...」
その後、少し談話をした後別れるのだった。ついでなので、今川家の法度である今川仮名目録の写しを貰えることになった。これを元に法を作っていきたいと相談したら義元が譲ってくれると言ってくれたのだ。
来年6月に会おうと言って義元は帰っていった。
要は、来年の織田攻めに来いと言うことだ。誰が行くか。
俺は戻った後善住坊を呼び褒めた後、鷹の目を名乗るように命じた。
全てを見通すと言う意味でだ。
善住坊は喜び、更に精進すると言っていた。
後に鷹の目善住坊と言われ狙撃の名手として名を残すのだった。




