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戦国生存記  作者: 現実逃避
70/180

70、将軍の悩み

弘治二年(1556年)八月


信濃御所

義輝は信濃に来てからのことを考えていた。

義照の元に来て新しいことばかりだった。見たことない料理、領地の管理、城、民との関係...


それに体術の鍛練に関して将軍とか身分関係なく容赦なく投げたりしてくる。最近では牽制で使う当身を習ってるが容赦なく殴ってくるので、かなり痛い。


しかし、厳しい分頭で覚えると言うか体が反応してくれるようになった。義照が言っておったことはこの事だろう。


彼奴の息子武丸とも立ち会った。

油断していたとは言え、まさか負けるとは思わんかった。


まだ十二歳と言っておった。末恐ろしい子だ。いや、義照の才を受け継いでいるのだろう。来年には元服らしいから偏諱を与えてやろう。二人共きっと泣いて喜ぶだろう。


しかし義照が居ない所で武丸と話すことがあったが驚いたな。

私が習っている体術が二つあり、武丸が言うには攻めと守りがあり、今習っているのは守りだと言っていた。それと、絶対に攻めの体術を習わないでくれと懇願された。


理由を聞けば義照が容赦なく殴ってくると言っていた。

そんなの今でもそうではないかと言うと、鎧を着けた上から殴られ、鎧があまり意味をなさないと言われた。


冗談だろと言うと武丸とその傅役の昌豊にある部屋に案内された。

そこには血の跡があり凹んだり亀裂が入った鎧がいくつもあった。


「全て、殿が鍛練時に使われた鎧です」


昌豊の言ったことに義輝は言葉を失くした。中には古く一部砕けた鎧等もあったからだ。


そこから昌豊が義照に仕えた頃からのことを教えて貰った。


今でこそ武勇も秀でているが当時、剣術も槍も弓も駄目だった義照がただ一つ得意だったのが組手で素手で敵を葬れるようになれば大殿(義清)に認めて貰えると思い、拳が血まみれになりながら鎧を殴り続けていたこと。


今では雑兵程度の鎧なら砕くことが出来るかもしれないと言うことだった。

義照の体術は血と汗と涙で出来た武術だと昌豊は涙ぐみながら義輝に伝えた。


義輝は義照についてこれまでのことを昌豊に聞いたのだった。


「極めるならそれに全てを注ぎ込むべきか....」


昌豊が義輝に語る中で言った言葉が頭の中に残っていた。

何故なら師匠(卜伝)にも同じ事を言われたからだ。修行を続け、色んな流派の者と立ち会えれば必ず剣で名を残せると...。


(...私はどうしたいのか?)


義輝は心の中で悩んでいた。一つは将軍として幕府を建て直し、日ノ本を一つにすること。もう一つは剣豪として生き、自らの武を極め、師(卜伝)のように剣で名を残すことの二つで揺らいでいた。正直全てを投げ出して旅に出たいとも思った。


しかし今回、この地(信濃)まで来て東には幕府の権威は残っていると知った為、義輝の心は揺れに揺れるのだった。



弘治二年(1556年)十月


上田城

「やはり、牛痘にかかった者は疱瘡にかかっておらんか?」


「はい。命じられたように配下に牛痘を摂取させ疱瘡が蔓延している地域に送り込みましたが誰一人疱瘡になった者はおりません」


俺が命じたこととは医療や薬学に詳しい者に疱瘡(天然痘)のワクチンを作らせることだった。


牛痘がワクチンの元になるのは知っていたが詳しくは分からなかった。なので研究者チームを作り牛痘を接種させて細かいことは丸投げしたのだった。


ちなみに疱瘡が蔓延していたのは甲斐と武蔵の国境の辺だ。運良く牛痘になっていた牛を調達出来たので実験することが出来た。


「良く見つけてくれた!!これで、疱瘡で死ぬ者がいなくなる!」


俺は直ぐに量産させるよう指示をしたが、中々難しいらしい。


なので、開発した忍達、その一族、被験体となった一族から打ち始めるよう指示をした。


開発した者達を優先したのだ。

それから暫くして俺達にも接種が始まった。


勿論、将軍家や幕臣達にも行った。ただし拒否する者には行わなかった。この時代完全に安全とは言いきれないから自己判断としたのだ。


まぁ、俺(義照)自身やったら重臣家臣達はやるようになった。


まだ、領民までは行き届かないが出来るだけ早く出来るように研究者達にも命じたのだった。




弘治三年(1557年)二月末


信濃で疱瘡を防ぐ薬が見つかったと広まり各地から医師やそれに準ずる者が集まってきた。


「全くどこで噂が広がったんか...」

俺は集まって来た人だかりに対応するために奔走することになった。


まず、今回は疱瘡のワクチンを作り上げた甲賀の忍達に危害が加えられないようにすること、間者の流入の対策、そして一番厄介なのが疱瘡になっている者達がやってくることだった。


まだ、民にワクチンの摂取が進んでいないので仮に疱瘡が広がったらとんでもないことになるからだ。なので国境の関所では監視を強化し疱瘡になっている者は通さないようにした。特に甲斐から流れてくる者が多かった。



「これはあっちに。それは向こうに持っていけ!」


「殿、集まった者達は如何しますか?」


俺が書類を見て指示をしていると満親がやって来た。


「かなり居るなら、長屋に集めておけ!疱瘡については来月発表させると伝えておけ!!芥川、美濃部!」


俺は二人の忍を呼んだ。すると二人は静かに現れた。


「これに...」

「殿、御呼びでしょうか?」


「来月、疱瘡のワクチンについて集まった医師達に説明しろ。それと、朝廷に此度の研究の成果をお前達の連名で提出するからまとめておけ!」


「「えっ!!」」

二人は驚いていた。説明しろまでは分かるがまさか朝廷にまで報告なんて考えもしなかったからだ。


「疱瘡と言う病を封じる方法を見つけたのだ。こんな大業を報告して認めて貰わなくてどうする?やっておけよ。来月には持って行かせるからな!行け!」


俺は忙しいのでさっさと命じて行動させた。


美濃部と芥川は医学、薬学に通じていた甲賀の忍だ。今回はこの二人と配下達がワクチンを完成させたのだ。


ちなみにワクチンが通じているのは完成した際俺がついこぼしてしまった言葉をそのまま薬の名前にしてしまったのだ。ちなみに漢字で表すと和苦鎮と当て字である。


弘治三年(1557年)三月

美濃部、芥川の疱瘡のワクチンについての発表が始まっている。

聞いた話だと、武田の専属医師だった永田徳本や医聖曲直瀬道三が居たそうだ。


俺は直ぐに永田徳本と曲直瀬道三に面会し、甲斐で医療術の研究と後進の育成を頼んだ。

徳本は泥かぶれの研究もさせてもらうことを条件に受け入れた。流石に道三は無理だと言われた。朝廷にも出入りしているから仕方はなかった。


その代わり、時々やって来て情報の交換や弟子の派遣をしてくれることになった。


徳本には芥川、美濃部率いる薬学部隊を中心に金瘡医の育成をしてもらうことにした。

実際生きた人間を解剖することもあるので医術の発展には大いに役立つだろう。

徳本がそれを聞いた時は激怒していたが、なんとか説得して理解して貰った。


解剖されるのも重罪人だけで、ただ打ち首にするよりは解体されて後の医療に役だってもらうべきと行い始めた。

ただし、そう何度も解剖出来るものではないので、記録はこと細かく記している。


だが、変な噂が広がり、村上の領地で罪を犯せば生きたまま解体されると言われたり、俺(義照)には嘘が通じず直に裁きを下している等言われた。


原因は俺が閻魔と言われたことだろう。悪いことでは俺の悪評?悪名?が流れていることだが、おかしな噂のせいで犯罪が減ったことは良いことなんだが・・・ちょっと辛い..。

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― 新着の感想 ―
種痘に牛痘ウイルスは関係していないことが分かっているので、修正した方が良いですね
[一言]  義利の身柄は要求しなかったんですな。正直、村上を割って、領地を武田に売った挙げ句腹心の死に関係している上、領民に仇為したから…頸を刎ねてるなり、八つ裂きにするなりしそうだと思いましたが。
[気になる点] 69話のサブタイトルがないこと。 [一言] 面白い作品ですね。 楽しく拝見しています。
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