7、変わる歴史
天文九年(1540年)四月
武田が再度佐久郡に攻め込んだそうだ。今度は村上側ではなく大井や海野の方だった。
俺は相変わらず、近衛様の相手をしている。
あの宴以来、朝廷の改革をすることにしたらしく意見を求めに来たのだった。
そんな中、武田から使者として飯富虎昌がやって来たそうだ。
「御目通り叶い恐悦至極にございます。此度は我ら武田家と村上家の婚姻同盟をご提案しに参りました」
「ほぉ、ついこの前戦をしていた者の所に和議を飛ばして婚姻同盟とは如何なものか?」
義清は不満そうに言っている。それもそのはず、前回の戦は上手く行けば甲斐にまで攻め込めたものを武田重臣、板垣信方と目の前の飯富虎昌に防がれたからである。
「我らも村上様の御強さを強く痛感し同盟を結び、佐久郡と小県郡の海野や大井を攻め土地を分けたいと考えております。佐久郡は我ら武田と諏訪、小県郡全てを村上様にと言うのでいかがでしょう?北佐久の村上様の領地はそのままで良いと御館様も申しております」
「それで、誰に嫁がせるのだ?」
「御嫡男、義利様に御館様の次女、亀様をと考えております」
義清は聞いてから考え出したが結論が出なかったので、飯富虎昌を一旦下げらせて重臣達と話し合うことにした。
「皆の意見を聞かせてくれ」
義清が聞くと重臣達からは賛成の声が多かった。
「此度の縁談は良いと考えます。長年敵だった小県郡の海野を滅ぼせば後は北の高梨勢のみとなります」
「さよう、さすれば我らはこの信濃で守護小笠原様の次に力を持ちます。それに、義利様は信濃守を朝廷より頂いておりますので安雲郡の仁科を配下にすることも出来るかと存じます」
「しかし、武田は佐久郡だけで飽きることはないのではないか?伊那郡や木曾郡を落として小笠原に向かうこともあり得るのではないか?」
義利が口を開いたが皆その考えにまで至っていなかったようだ。
「殿、小笠原を攻めないことを条件に受け入れたら良いと存じます」
「この武田からの条件を逃すのは惜しいです」
「わかった。飯富殿を呼んでこい」
その後、父はこちらの条件を伝えて、ついでに三条公頼を連れて帰らせた。
三条公頼の顔を見た飯富の顔は面白いほど変わっていたそうだ。
三条は神水酒の酒樽を1つ持っていったので確実に武田に流れてしまったが、もう手を出すことは出来ないと思ってる。朝廷が味方についているからだ。
後は武田がどんな返答をするか楽しみだ。
天文九年(1540年)五月
近衛様もやっと京に帰られることになった。ついでなので五石分(900リットル)の神水酒を持って帰って貰うことになった。一応献上という形になるそうだ。
量が量な為ルートは村上、諏訪、武田から今川に向かい海を渡るそうだ。
これで、今川にも流れることになる。注文が来るか盗人が来るかどちらかだろう。
数日後、近衛様は随分嬉しそうに帰っていった。余程、金が無くて困っていたのだろう。色々相談された。それと、金の無心もされるとは...。
(今度は養女を連れて来るから待っておけとは行動力がある人だったな~。...子は親に似るっていうから前久の行動力の原点は父親だったんだろうな...)
俺はそんなことを思いながら、訓練や田畑の整備を行った。結局、酒の席の冗談だったはずの養女との縁組みが冗談ではなくなってしまっていた。
お陰で、父を含めて大騒動になったのは言うまでもない。
天文九年(1540年)六月
武田が南佐久郡の一部を制圧して甲斐へ戻ったと知らせが入った。それと同じ頃再度飯富虎昌がやって来て伊那郡と木曾郡に関与しなければ条件を飲むと言ってきたそうなので父は認めていた。
それと、同盟とは話は変わるが神水酒(清酒)の作り方を教えてくれと言われたそうだ。原因は三条公頼だ。
公頼が持ってきた酒を信虎を含め重臣に振る舞ったそうだが大層気に入って自ら作ろうと考えたらしい。同盟なら教えてくれるだろうと思ったのか信虎に命じられて渋々お願いしに来たそうだ。
父は勿論拒否した。朝廷にも秘匿している作り方を教えることはないと言い切り、これ以上言うなら同盟は無しとしたそうだ。
虎昌も分かっていたらしく、代わりに販売はしてくれと頼んできたので販売はすることにした。
まぁ、作り方を知っているのは俺と酒蔵の各工程の頭領たちだけた。わざわざ、工程をブロック分けをしてその仕事だけをやらせているので全体の作り方を知りたければ俺か各工程の頭領を集めるしかない。
絶対に裏切らない人選をしているから何とかなるだろう。酒蔵も決められた者しか入れないから忍び込むのも無理だろう。実際既に忍び込もうとした三人を捕らえたしな。
天文九年(1540年)九月
実りの秋だが、今はそれ以上に大騒動なことがある。
「時間は無いぞ!安全に気を付けながら急げ!!」
俺は建築現場で大声を出して指示をしている。
何故こうなっているかと言うと義利兄上への嫁入りと村上、諏訪、武田の当主が集まり三国同盟を行うためだ。
まず、兄への嫁入りは今月だが本拠地、葛尾城でやるので問題はない。
問題なのは三国同盟の方だ。
三国同盟を提案したのは勿論俺だ。将来起こるであろう武田の諏訪進攻に便乗するためだ。
ただ、予想外だったのが、あの武田信虎が村上の領地で集まることを希望したのだった。正直、武田が奪った佐久郡で集まるだろうと考えていた。
細かい決め事は既にそれぞれの重臣達が集まり決めている。後は署名だけだが、各地へのパフォーマンス的な意味でやるのだった。
で、場所だが父が村上の力を見せ付けるために、今、一番発展している俺の領地でやることに決めやがったのだった。しかも十一月には来ると言う。
貰った領地は五百石だが、今は開墾等もしたお陰で千石近くある。勿論父には許しを得ている。それだけでは少ないと更に五百石を貸し与えられ合計千五百石の領地を管理しないといけなくなった。
で、問題なのが宿泊する屋敷や警備体制だ。
俺の兵は五十人しかいない。父が貸すとは言ったが余りにも少なすぎる。なので、急遽常備兵を募った。数は二百五十人だ。合計三百人だが、維持費を考えたらしい。これ以上は、絶対に無理だ。
集まるのは直ぐに集まったので直ぐに昌祐と昌豊に訓練を始めさせた。最低、一糸乱れぬ全体行動を見せつけられるようにしたかった。
俺の領地でやると決まったのが七月初旬。常備兵を集めたのが七月中旬。まさに時間との勝負だった。
そして、屋敷の方は突貫工事で作らせている。各当主や重臣が泊まる屋敷とその配下が泊まる屋敷だ。
こればかりは職人がいないと無理なことが多いので父や兄、家臣達に頼んで村上領内の大工を掻き集めた。
集めた大工を組分けして、昼夜問わず建築して貰った。領民、流民、河原者問わず飯付き、報酬付きの日雇いで雇ったので滅茶苦茶早く整地し建物が建っていく。お陰で金が底を尽きそうだ...。
二ヶ月の間で小さい町が1つ出来たくらいだからどれくらい早いか分かるだろう。
商人も建築現場に集まって商売しているのでかなりの金が動いているだろう。勿論後で一部は税として貰うけど...。
そんなこんなで九月末になり、現在に至っている。
兄の婚儀は無事に終わり宴が催されたが兄上には悪いが直ぐに領地に戻り、三国同盟の準備を続けた。
現場は既に1つの町が出来ている。
各当主は屋敷を一つづつ、重臣達には1つの屋敷に複数入って貰うことにした。
お供の兵士達も長屋の感じだがきちんと宿を用意している。
後は道の整備と、追加の兵士達の宿を作るだけだ。
この二ヶ月、皆、本当に頑張ってると思っている。
数年でやるようなことを二ヶ月でやっているからだ。人海戦術とはこう言うものだと思う。
全く、中国のやり方をするなんて思わなかった。女子供老人問わず参加しているので参加人数は数万人にも及ぶかもしれない。
(後一ヶ月、父や兄のためにも何としても成功させてやる!それから金は絶対回収してやる!!)
俺はそう心で叫びながら準備を続けるのだった。