65、黒衣の宰相の最後
天文二十四年(1555年)八月
越後春日山城
景虎は頭を抱えていた。京から戻ってきてから越後では領主同士の土地争いが始まりそれが派閥争いにまでなっていたからだ。
派閥は直江、本庄等の栃尾城の頃から付き従った長尾家譜代重臣達と、越後上杉家の重臣だった大熊、宇佐美など上杉家重臣達の二つに分かれていた。どちらも景虎を支えてきた大事な家臣だった。
「大熊、此度はそちが折れよ」
「御館様は直江殿や本庄殿の味方で御座いますか!!」
大熊は怒りの余り怒鳴ったが景虎は気にしなかった。
「味方か...。では、お主がワシの敵になるというのか?」
「そうでは御座いません!しかし今回の沙汰は!!」
「ワシは天子様(帝)より国の内外で刃向かう者は皆成敗せよと仰せを賜った。そちはワシの敵と申すか?」
「大熊殿、此度は耐えよ。御館様、此度の沙汰は大熊殿からすれば亡き上杉様より頂いた大事な所領を手放せと言うことににございます。大熊殿の無念もお察しくだされ」
宇佐美は大熊に引き下がれと言いつつも景虎には、大熊の悔しさを分かってくれと言ったのだ。
「宇佐美、無念とはいかなることじゃ?大熊、左様に領地が欲しくばこの城を与えよう」
「御館様!」
「お戯れはおよしくだされ!」
直江や本庄は驚いた。この春日山城を、与えると言ったからだ。
「城が無くともワシには義が残る。其方等は何故そうまで僅かな土地で争うのか!」
景虎はそう言うと広間から出ていってしまった。
その夜、景虎は一人悩み出家することにしたのだった。
美濃稲葉山城
義龍が忠臣や重臣を集めて道三追放への話をしていた。
集まっていたのは、西美濃三人衆、長井道利、日根野弘就などだった。
「道三を信濃に追放する。義照には既に伝えており了承も得ている」
義龍は集まった者にこれからのことを指示した。
「孫四郎と喜平次はどうされますか?」
稲葉に聞かれると既に手はあるとして長井の口から説明させた。これには集まった者達は驚いたが仕方なしとした。
「もはや、父を生かして美濃に戻す訳にはいかん。もし戻ろうとすれば全力で阻止し、最悪討ち取る」
義龍が言うと集まった者達は頷いた。皆、道三のやり方についていけなかったのだ。
「決行は義照から使者として迎えと兵士達が来たらだ。皆、しくじるなよ...」
「ははぁ!」
全員が頭を下げ部屋を出ていった。
(これでいい。父を討ち取る以外の道はこれしかないんだ....)
義龍は一人思いを抱えるのだった。
そんな中、強制的に隠居させられた道三も隠居先の鷺山城で当主奪還の策を練っていた。
(やはり、どうやっても戦力に差が出る。ならば奇襲で一気に..いや、それは無理であろう)
「明智光安、明智光秀、お呼びと言うことで参りました」
道三が一人考えていると呼び出しておいた二人がやってきた。
「さて、呼んだのはほかでもない。義龍のことだ」
道三は義龍のことを聞き、どうやって当主を奪還するか話し合った。
「やはり、尾張の織田に援軍を頼んでは?」
「婿殿(信長)を巻き込んではならん。彼奴を巻き込んでは足を引っ張り尾張を奪われることになりかねん!」
光安の提案は一蹴された。道三としては信長を巻き込みたくなかったのだ。
「では、村上はどうでしょう?昨年大勝しており安定しているはずです。今なら援軍として呼べるでしょう」
「叔父上、それは....」
「無理じゃ。彼奴は義龍と仲がいい。それに美濃をみすみす奪われる」
光秀が言う前に道三の方が早かった。
光安は何故?となっているので道三が説明してやった。
「彼奴はワシと同じじゃ。隙を見せれば容赦なく喰らい尽くす。力が同等か向こうが下なら扱える奴じゃ!決して呼び込んではならん!!」
「では、何故今まで義照に無理難題を押し付けたのですか?以前の織田との会見や同盟時の鉄砲にしてもです」
光安の質問に道三は溜め息を付いた。光秀もそれについては理由が分からなかったので黙っていた。
「光安、ワシが彼奴を高く評価しておるのは知っておろう?」
「はい。殿は四万石を与えてでも引き抜こうとされました」
「あれはワシの失敗だ。あの時、美濃半国渡してでも引き抜くべきだった...。今の奴を見ればワシの目に狂いは無かったのが証明されておるしの」
道三の言葉に二人は言葉を失った。国を半分渡すと言ったからだ。
「道三様、何故に御座いますか?何故そこまで高く買われておいでなのですか?」
光秀の質問に道三は自分の考えを話し出した。
「彼奴が本気になれば天下をも取れるであろう。だが、奴にはその気すら無い。それに、元々三男だった為か、上の者を立てようとする。自分が支えようと決めた者には文字通り尽くそうとしている。ただ、裏切りは絶対に許さないようだがな。ワシはあることを知りたかったから奴を信長との会見に呼んだのだ」
「それは一体..?」
「叔父上(光安)、恐らく殿は義照が斎藤家をどう見ているか知りたかったのだと思います」
「流石光秀、分かっておるな。同盟したとは言え鉄砲五百丁に数年で信濃を平定しろと無理難題を突き付けた。特に五百丁など吹っ掛けてやったんじゃが直ぐに新品で持ってきよった。ハハハ、流石にワシも頭を抱えたわ!!本当に持ってきよったからな!奴の事だから、数を減らす交渉をしてくると踏んでおったのにな!!」
道三が笑うと二人は苦笑いをした。この人は人を試そうとする癖があるのかと。特に光秀は昔から道三の無理難題や意地の悪い命令を聞いてきただけに内心酷く疲れていた。
「話はそれたが、奴にはそれ程知恵と力がある。そんな奴が愚か者の高政と仲良くしておる。しかもワシに内緒で高政に五十丁の鉄砲を渡した。ワシは奴が斎藤家を、美濃を乗っ取るために高政に近付いたのではないかと思ってな」
それを聞いて光安と光秀の心情は全く違っていた。光安は義照がかなり危険な人物であると思い、道三が先に手を打とうとしたのではないかと思った。
だが、光秀は全く違った。何故なら二人の関係を誰よりも知っているからだ。
(道三様に言える訳ないな~。二人(義龍と義照)が父親(道三と義清)に対してボロ糞に罵って愚痴をこぼし合い意気投合しているなんて..)
光秀から見ると、義龍と義照は結構似た者同士だと思っていた。
初めて二人が話をした時に案内をし一緒に参加しており、酒が入っていたとは言え義龍が父親(道三)に対する愚痴を溢してしまい、それを聞いた義照が自身の父親(義清)の愚痴を言い、それを切っ掛けに二人で父親に対する愚痴や不満等を競うが如く言い合い、溜まっていた物を全て吐き出したのか最後には互いに肩を組み合うぐらい意気投合し、時たま書状に愚痴を書いているのを知っていたからだ。
光秀は普通同盟しているとは言え、そこまで相手に内情を教えるか?と思うくらい互いに愚痴を溢していたので心配になっていたが、義龍は義照と愚痴を言い合ってから雰囲気も変わり、家臣領民からよく慕われるようになっていたので良かったのだろうと思っていた。
「それで、殿はどの様な判断をされたのですか? 」
光秀が悩んでいると光安が尋ねた。
「少なくとも、高政がいる間は良好な関係を築くだろう。何故か分からないが、気が合うようだしな。だが油断はしてはならぬ。義照は高政のことを蛟龍と言ったがワシからしたらあの二人は天と地以上、高政など虫けら以下であろう...。彼奴(義照)が美濃を落とそうと本気を出せば、高政では防げぬだろう。義照がワシの配下か後継者であればどれだけ楽であったことか...」
光秀はこれまでのことを振り返り確かに道三が言う通りだなと思った。道三のせいで自分がどれだけ苦労しているか分かって欲しかったし、義照がいれば自分に来ていた無理難題や意地の悪い命令が来なくなっていただろうと思ったからだ。
その後も話したが三人は当主奪還の良い策は出なかったのだった。
駿河長慶寺
「雪斎、体の具合は如何?」
「今日は具合が良いので起き上がれそうです」
義元は今川館で倒れた雪斎を見舞いに来ていた。
雪斎はこれまでの無理がたたった為か幸隆との交渉の席で倒れてしまい、療養していた。
「あれから村上との交渉と三河は如何ですか?」
「問題ない。村上との交渉は庵原に任しておるし三河ももうすぐ終わる。其方は早く病を治せ。其方にワシの天下を見せつけねばならんからな!」
義元は心からそう思った。家督争いより前からの師であり父のように思い慕っていたからだ。
「坊、村上義照を敵に回してはならん。村上と北条、どちらかに付かねばならぬ時は村上に付くべきだ。あの者は味方には慈悲深く、敵には容赦せぬ。戦をするならまだ北条を相手にした方が楽だ。それに、村上は朝廷、しかも摂関家と関わりが深い。・・・娘(福)を側室に出させたことを恨んでおるかもしれぬがな」
義元は雪斎が自分の事を坊と呼んだことに驚いていた。
その呼び方は、義元が花倉の乱の後当主となるまで雪斎が呼んでいた呼び方だったからだ。それ以降、その呼び方をされることは一度もなかった。
「・・・御師匠(雪斎)、村上をどう扱うつもりか?」
「義照は敵には容赦せず味方には慈悲深い。しかし、敵でも認めた者には手を差し伸べておる。あやつの家臣の馬場信春や真田幸隆は元は敵だったが今では重臣とまでなっておる。だが身内に甘い。兄である義利の謀反や父親の義清の傲慢な振舞いを分かっておきながら許しておる。彼奴が手段を選ばず始末し、当主になっておれば武田など疾うの昔に滅んでいたであろう。だが彼奴はそれが出来なかった。ある意味それが義照の一番の弱味だ。なればこそ、そこを突き関係を深めて彼奴の知識や力を使う」
「関係を深めるのは分かったが、奴の正室は近衛の養女で九条の娘ぞ?それに福は側室じゃ。乗っ取ることは出来ぬぞ?」
「乗っ取ることは義照が生きておる間は出来ぬ。だが、利用することは出来る。朝廷において摂関家の力が絶大なのは知っておろう。今川家が上洛し幕府を立て直す際、朝廷への交渉を義照に行わせ、朝廷の権威を取りつける。彼奴を上手く使えば、天下を取るのも早く容易くなろう。それに義照の子、孫の代に嫁取り婿取りを重ねれば自ずと関係は深くなる」
その後も義元は雪斎から今後の村上の扱い方等を聞いた。義元はそこまで考えているのかと驚きながらも、分からないところは尋ね最後まで聞いた。
「村上は甲斐と言う足枷を付けたから恩を売るのは容易いだろう。まぁ、金山の大部分を譲ったのは痛いが、我らも金山を手に入れておるから何とかなるだろう。それに彼奴(義照)の動きを抑制出来る。村上が天下を取ることはない。後は坊の手腕次第だ。一度義照に会ってみるといい。武田や北条なんぞより面白いぞ」
「分かった。御師匠がそこまで言うなら会ってみよう。さて、戻るとするか...。御師匠、また来る」
義元はそう言うと、雪斎のいる部屋から出ようとした。
「坊、天下を、夢を叶えよ」
「勿論だ」
義元はそう言うと館へ戻っていった。
雪斎はこの二ヶ月後、村上との同盟の話がまとまったことを聞いた後、静かに息を引き取るのだった。




