64、歴史は変わる
天文二十四年(1555年)三月
上田城
「代わりに武田一族の助命、今川家との和睦を望みます」
「・・・正気か?」
今、俺達の前で条件を言ったのは兵士達に槍を向けられた雪斎である。そして、父と重臣達は驚きで言葉を失っていた。その為、俺の呟いた言葉は静まり返った広間に響いた。
「はい。武田一族全員の助命、及び今川家との和睦を結んで頂けましたら、信濃諏訪郡及び甲斐の山梨郡、八代郡、巨摩郡の三郡を差し出します。都留郡は我等と北条との同盟がありますのでお渡しすることは出来ません。代わりと致しまして、義元様が次女福様を義照様の側室に差し上げます。勿論、人質と思って頂いて構いません」
雪斎は淡々と内容を告げる。俺も含めて誰もが言葉を失い再度沈黙が流れた。
だが、心情は皆違い、大きく三種類に別れた。
まず、戦わずして多くの領地が貰えることに大喜びしている脳筋馬鹿兄など。
余りにも、条件が良すぎて罠ではないかと警戒する父と重臣達。
そして、死の大地(甲府盆地)等死んでもいらないし、堂々と渡してくんな!と悲鳴を上げる、義照及び内情を知ってる義照重臣達。
そして、義照の場合、義元の次女を側室にと言ってきたので、「歳の差考えず何言ってるんだ?」と思っていた。
義元の次女福とは、史実なら既に死んでいる隆福院である。ちなみに歳は十三歳である。
義照は現在二十八歳、義照としてはおっさんに子供が嫁ぐようなことなのであり得ないと思っていたが、この時代ではまだ普通であることを失念しているのだった。
それと何故、死の大地なのかと言うと、甲府盆地には、今でこそ撲滅されたがあれがいる土地だった。
そう、泥かぶれだ。
泥かぶれ、正式名日本住血吸虫症は地方病と呼ばれ、平成八年の撲滅宣言まで猛威を奮い続けた寄生虫病だ。
「雪斎殿、こちらには好条件だが一体どういうつもりか?そちらの利点は一体何があると言うのか?」
義清は警戒して聞いた。条件が良すぎるし何より今川が同盟国武田の領地を渡すと言うからだ。
「まず、武田ですが我が今川家に臣従致しました。その条件と致しまして武田一族の助命を約束しました。我等としてもそちらの方(馬鹿兄)に木曽では随分お世話になりました。今川家としてはこれ以上、村上家と事を構えたくありませんのでこのような好条件にさせていただきました」
武田家の臣従は寝耳に水だった。武田に関しては、信繁が晴信に対して謀反を起こし隠居させ今は躑躅ヶ崎館に幽閉しており、義信が当主となったとしか知らなかった。
「雪斎殿、北条は如何する?我等は長野殿と同盟を結んでおる。北条と長野殿が戦になった時如何されるおつもりか?」
「我等は北条の援軍として参戦します。もしも、村上様も援軍として参加されるなら、一隊をこちらに差し向けて頂けたら睨み合いを演じます。後は自由に動いて貰って構いません」
その後も雪斎は父や重臣の質問に答えていった。
父達は初めとは違い納得していった。
「雪斎様、死の大地である甲斐は遠慮させて頂きたい。代わりに三河、もしくは遠江を頂きたいのですが、どうですか?」
「義照、それはどういうことか?」
今まで黙っていた俺は口を開いて尋ねた。すると父がどういう事かと言ってきたので全部答えてやった。
甲斐では米が殆どとれないこと、奇病の泥かぶれがあり、発症すれば死ぬしかないこと、しかも水に触れれば発症することを伝えた。
知らなかった父達は怒りのあまり怒鳴り声を上げたり罵ったりした。
そりゃそうだ。割に合わないからだ。
そんな、父達を前に雪斎は余裕を見せていた。
「流石義照様、良く調べておられます。でしたら、三年、いや五年程今川家が援助しましょう。さすれば義照様なら甲斐を何とかすることができましょう」
「無理難題を言わんで下さい。情報でしか知りませんがあの国を何とかするなんて泥かぶれを無くすことからしないといけないので数百年はないと無理です」
「でも、出来るのでしょう?そこまで考えておられるのですから、もしかすると泥かぶれを防ぐ方法を見つけられたのでは?」
「・・・・・・・・」
「沈黙は肯定ですぞ」
雪斎の言葉で全員の視線が俺に集まった。
確かに、考えはある。どうせ、父が甲斐を取るなんて言うに決まってると確信していたので、現状の泥かぶれの分布の地図を作らせたり、その対応方法を考えたりもした。それに、原因も分かっているしどうやって減らしたかも知っている。
けど、それだけする金も人も道具も生石灰もなかった。
「はぁ...構想はあります。原因を減らし無くす方法も考えてます。ですが、金も人も物もありません」
俺が不機嫌そうに言うと重臣達は驚きながらも何故か納得していた。
何故だ?
「・・・雪斎、条件を二つ加えることで認めよう」
「殿!」「ちょっ、父上、何言って!」
「武田にいる諏訪家最後の血筋の子供と武田から一族の人質を差し出せ。それと、和議ではなく同盟だ」
「畏まりました。全て受け入れましょう」
雪斎はそう言うとさっさと帰ってしまった。
残された俺達は直ぐに父に詰め寄った。
「父上!私の話を聞いていましたか!!甲斐など足枷以外のなんでもないのですよ!何で受け入れたんですか!!」
「殿、今川と同盟をしては長野殿を裏切ることになりかねませんぞ!それに今は信濃を立て直すのに莫大な銭が掛かっているのですぞ!甲斐に回す金などありません!」
「確かに甲斐には金山はありますが、掘るのにだってかなり人手がかかります。今の我らにそれだけの技術も人もいないのですよ!!」
俺や重臣達(義清の)が猛反発したが意外な二人が今回の件を前向きにとらえていた。
「...成る程。斎藤家と今川が手を結んだ時点で我等も受け入れるしかないでしょう。それに、長野殿への援軍は今川も認めていますしな」
「しかし、諏訪の血筋と武田一族の人質...謀を嫌う村上様としては珍しい事をされますな。それに援助の件、かなりぼったくるおつもりですな?」
木曾義康と真田幸隆だった。
「ふん!今も謀は好かん!だが、そうも言えんだろう?それに、今川からぼったくるのに頭が切れて口が上手い奴がワシの目の前におるしな。なぁ真田?」
父はそう言うと幸隆を見ていた。幸隆も左右を見て「ワシの事か!」と驚いた顔をした。
(いや幸隆、この場に真田はお前しかいないだろ・・)
諏訪の血族こと、諏訪四郎を取ったのは武田から、諏訪を完全に放棄させ、武田を乗っ取る大義名分にも出来る為、武田の人質はもしもの時の見せしめにするためだった。
ちなみに、史実では生きていた諏訪満隣は既にこの世の人ではない。守護の叔父(長時)が諏訪に攻めた時寝返った為、板垣に一族もろとも撫で斬りにされている。
生きていれば勝頼なんていらないのに....。
結局、受け入れるしかなく、援助及び同盟の日取りなどは、幸隆に一任されることになった。
決めたのは父である。
天文二十四年(1555年)6月
俺は重臣を集めて話をしていた。
集まったのは
工藤昌祐、鵜飼孫六の二人と今回重臣にした出浦清種、馬場信春の二人を含めた四人だ。
本当は昌豊も重臣にしようとしたが、昌祐がいるからと断られてしまった。
もう一人の重臣、幸隆は現在駿河に行って雪斎の相手をしている。
「さて、義龍からの頼みだな...」
俺が言うと昌祐と孫六は難しい顔をした。この事は重臣にしか知らせていなかったから信春と清種は知らなかった。
「道三殿を追放するから預かって貰いたいと言ってきたのだ」
昌祐が説明すると二人は驚いていた。
事の経緯を説明すると、今回の援軍の御礼に行った際に義龍から直接手紙を渡された。
それにはこれ以上道三を美濃に置いておくことは出来ないので預かってくれと、書かれていたのだった。
まぁ、俺が以前預かると言っちゃったのが原因だろう。
「今回の借りもある。引き取るしかあるまい。屋敷は土岐殿とは反対側にしよう。後は義龍が上手くやるだろう....」
俺がそう言うと皆仕方ないと思っていた。しかし、道三を預かると言うことは人質としてと言うこともあるので扱いが難しかった。
「信春、精鋭を率いて引き取りに向かってくれ。それと義龍には書状を書いておく。直接渡してくれ」
「畏まりました」
俺はそれぞれに指示をして評定を終えるのだった。
その後、何度か義龍と書状を交わして詳しい方針を決めた。馬場信春は精鋭を率いて美濃に向かうのであった。




