63、論功行賞
天文二十三年(1554年)十月末
上田城
粗方戦の片付けが終わったので先に伊賀甲賀の忍達との約束を果たすことにした。
「まずは望月殿。約束通りここに来たい者達を召し抱えるが済まないが来年で待ってもらってよろしいか?まだ立て直ししなければならないので手が回せないのだが?」
甲賀との約定は召し抱えることだ。
俺は六角家に仕えているのではと思い聞いたら仕えているのは三雲等一部でほとんど雇われのようなものだそうだ。
ただ、三雲等の下で働いているのでそう言う意味では仕えているそうだ。
だが、六角と比べて圧倒的に俺のところが差別もなく、賃金もきちんと貰えるので暮らしやすいらしい。
望月は現状を知っているので承諾した。その代わり、数人をこの地に残して連絡役にしてくれと言われたので承諾した。
「次に伊賀百地殿、約束だが..」
「既にこの目で確かめさせていただきました。書状の通りでお願いします」
戦が終わった後、見に行った様なので約束通り椎茸の栽培方法を教える事にした。本当は秘匿したかったが援軍が欲しかったので仕方がない。高い代償だ。まぁ、教えるのは原木に傷を付けて運任せのやり方だけだ。
「それで、栽培方法だが、来ている者達に教えれば良いか?」
「先に来ている十名とは別に十名程追加で残しますのでその者達に教えて頂ければそれでいいです」
前にうちの農地管理を学びに来た者達とは別で残すようなので了承した。
望月は椎茸が栽培できることに驚いていた。恐らく今度の報酬の時に聞いてくるかもしれないな。
雪が降りだしたので、留まるか聞いたらどちらも戻るそうだ。特に伊賀忍軍はかなりの人数がやって来ているそうなのであまり空けておくことは出来ないと言っていた。
俺は礼をして見送り、後始末と軍の再編を続けるのだった。
その頃甲斐武田では...。
「兄上、申し訳ありません。最早、この方法しかありませんでした...」
「信繁、まさかそちが謀反を起こすとは夢にも思わなかったぞ・・・」
新府城で晴信達は信繁を中心に飯冨、諸角、小山田等と引き連れた兵達に囲まれていた。
「信繁様、何故に御座いますか! 今は団結して村上に備えなければならぬ時に」
「勘助!既にお主も分かっておろう!最早村上に対抗する術は無い!甲斐の状況を見て分からぬお主ではないはずだ!」
諸角は信繁に代わり怒鳴った。
村上の乱取りと虐殺により甲斐の民は村上に対して深く怨んだが、男達を兵として徴兵したのに護ってくれず、徴兵された者達も多くが戻らなかったので武田に対しての怨みの方が深く、一揆がいつ起きてもおかしくない状態になっていた。
また、嫌がらせの一環で納められていた兵糧や井戸に糞尿等がかけられ全く使い物にならなくなったこと、甲斐国内で盗賊や山賊等が多くなり取り締まりで兵を取られている状態だった。
「兄上には、今回の敗戦の責任を取ってもらい隠居して貰います。後は太郎が継ぎます。・・・全員を連れていけ...」
信繁は兵達に命じて晴信達を部屋に閉じ込めた。
そんな信繁の目からは涙が流れていた。
「信繁様...」
傅役の諸角はそんな信繁を不憫に思いながらも声をかけたが、信繁に手で止められた。
「諸角、分かっている。分かっている...」
信繁は涙を拭いて反乱に荷担した者達に命令した。
「飯冨、そちは兄上が決めた太郎の傅役だ。太郎、いや義信を御館様とする以上これから忙しくなるが頼む」
「畏まりました。我が命に変えても義信様をお守り致します」
「小山田、駿河に使者として向かってくれ。雪斎殿に村上との和睦の仲立ちをして貰えるよう頼んでくれ。成功した暁には甲斐武田家は今川家に従属するとな」
「・・・畏まりました」
それは信繁達の苦渋の決断だった。
最早武田に甲斐を治める力はなく、今回根こそぎ兵を徴兵した為、米を作る百姓も減り、最早滅びを待つだけとなっていた。
無理やり徴兵し殆どが帰らなかったおかげで百姓が一揆を起こす力を失ったのは不幸中の幸いと言える。
そして今回今川を頼ったのは、義信の妻は義元の実の娘で 夫婦仲も良く、国を失っても今川の元で武田家を残せると思った為だった。それに、今川は斎藤家と和睦しているので、僅かに交渉できる可能性が残っていると思ったのだった。
天文二十四年(1555年)一月
上田城で論功行賞を行った。
と言っても防衛戦だったためにほとんどが金子や刀や槍などだった。
一応武田が放棄した信濃の領地は俺が管理している。今、家臣達に渡したら間違いなく一揆が起きかねないくらいヤバい状況だった。なので、最低限の立て直しをした後渡すことでまとまっている。
と言うのも、武田は重税どころではなく超重税で、民百姓から根こそぎ税を集めていたようで、百姓から税を取るかとの問題ではなく、民百姓が生きていける状態ではなかったのだ。
(はぁ、金が無いのにどうしよう....)
しかし、人がかなり減った気がした。上田原と木曾で戦い多くの者が討ち死にした為だ。生きていた楽岩寺等古参の家臣も負傷して隠居を願い出たそうだ。
その後俺は家臣達の論功行賞を行った。
首を取った者達もだが、城を守りきった者達への褒美もある。
ほとんどの者が金子や太刀だが、真田幸隆、馬場信春、保科正俊の三人は僅かに領地を加増した。
また、初陣で首を討ち取った真田幸綱と馬場昌房の二人には大業物の太刀と美濃から引き抜いて来た鍛冶師兼定に頼んで作らせた武器を与えた。
兼定とは濃州関兼定のことで鍛冶師の中で有名だ。
「まず、真田幸綱」
「はっ!」
「此度の初陣で見事に敵将の首を討ち取った。聞いたところによれば槍が得意と聞いた。其方にはこの槍を与える」
俺がそう言って渡したのは十文字槍だ。この十文字槍を持っているのは槍弾正の保科正俊だけだ。と言うのも、試験的に作った際に正俊に試して貰ったらかなり気に入り「恩賞として欲しい」と言ったので与えたのだ。
「ありがたき幸せにございます!!」
幸綱はそう言って槍を受け取り下がった。
「次に馬場昌房」
「は、はっ!」
昌房はかなり緊張してぎこちない動きで前に出て来た。
その光景を見て父親の信春は顔をしかめていた。
昌房は信春よりはるかに背が高い。恐らく馬鹿兄より背が高く六尺(180cm)位は越えているだろう。
来た時はそれ程ではなかったのに、ここにいる内にみるみる伸びたらしい。
「昌房、そんなに緊張しなくてもよい。信春を見ろ。堂々としておるではないか」
「は、はぁ...」
まだ緊張しているが最初よりはマシになった。
「さて、昌房。其方敵を討ち取った時に力が強く刀が折れたそうだな?」
「は、はい!申し訳ありません!」
(何で謝ってきてんだよ...)
「いやいや何で俺に謝る?まぁいい。其方の力ならこれが扱えるだろ。あれを持って参れ」
俺が言うと、甘粕景持と上泉秀胤が二人がかりで持ってきた。ちなみに景持だけでも持てたが安全のためだ。それに二人とも負傷しているしな。
持ってきたのは方天画戟だ。三國志の呂布が持ってた武器で、兼定に無理を言って作って貰った。
「とりあえず持ってみろ。刃の部分の方が重いからな」
俺がそう言うと昌房は両手で受け取ろうとし、二人が手を離すと重さで少しふらついたが一人で持ったのだった。
「おおおぉぉぉ!」
「そんなに重いのか?」
「いや、実は軽いのではないか?」
色んな声が聞こえて昌房が困惑していた。景持と秀胤も小言を言われて不満げになっていた。
「先に言っておくが、俺は使えなかったぞ。嘘だと思う者、試しに持ってみたいと思う者は持ってみろ!」
何人か試してみたが、そのうち一人が気を抜いて見事に落として板の間に刺さるのだった。後で修理代を貰おう。
ちなみに重さは八貫(約30㎏)近くはある。
折れず欠けず曲がらない物をと言った結果である。
力の強い信春も試したが、余裕で持つことが出来ていた。多分思い通りに振り回すことはできないだろう。
「ちとぐだぐだになったが昌房、信春と共に今後も活躍に期待しておるぞ」
「ははぁ!!」
やはり緊張していた為か声が高くなっていた。
「さて、次は...」
俺はその後も論功行賞を行うのであった。
論功行賞が終わるとこれからのことについて話した。
予定だが、7月に武田領諏訪郡を攻めることを発表した。本当なら5月から6月に攻めたかったが、上田原で常備兵をかなりやられた為、農兵が主体になってしまう為だ。
全員に用意をするように命じて解散させるのだった。
論功行賞が終わると初陣組は集まって話をしていた。
今回初陣したのは真田幸綱と馬場昌房の他に、工藤祐久、江馬輝盛の二人だ。
工藤祐久は昌祐の嫡男で武芸の方はあまりだが内政の方は得意で四人の中では一番領地管理に詳しかった。江馬輝盛は飛騨の江馬時盛の嫡男で人質として預かっている。
落ち着いていたら四人の中では一番頭が切れるが、少し短気な所があるので少し残念な子供である。
「殿に俺達の武勇を認めて貰えたぞ!」
「しかも、新しい武器まで貰えたしな!これならどんな敵でもぶった切れる!」
昌房と幸綱は嬉しそうに貰った武器を見ていた。
「昌房や幸綱はいいよな。父親や殿に武勇が認められて...」
祐久は二人が羨ましかった。自分は父昌祐に武の才能は無いと言われていたからだ。
「いや、祐久は領地管理なんかの内政は一番じゃないか。俺なんてどっちも平凡だし...」
輝盛は祐久をなだめた。
「でも、輝盛は頭が切れるじゃないか? 短気だけどな!」
「なんだと!!」
「ほーらなった。ハハハハ」
輝盛の様子をみて三人とも笑ってしまった。
四人は歳は違うが一緒に学び鍛練をし同じ釜の飯を食ってきた仲なので呼び捨てで呼び合い、冗談なども言い合えた。
「しかし、殿(義照)は良くわからんお人だよな?敵や裏切り者には容赦ないが、敵だった者や間者として来た者達に情けを懸けて逃がしたり召し抱えたりされるしな」
幸綱が言うと昌房は不味そうな顔をした。父信春は元は武田の間者として村上家に来て失敗して甲斐に戻ってきた後、出奔して村上家に仕えるようになったからだ。ちなみに当時縄に繋がれていたのは彼である。
「誰なら殿のお考えが分かるかね?」
「真田様 (幸隆)とか?」
「多分父上(幸隆)もきちんとは分かってないのではないかな?殿の軍師にはなってるけど...」
幸綱が言うとまた考え出した。
「後、他に誰がいる?」
昌房が聞くと祐久が思い出した。
「父上(昌祐)や叔父上(昌豊)かな?殿が元服される前から仕えてたって聞いたし」
「祐久、今度聞いてみてよ。殿はどんなお考えがあるのか」
幸綱に言われて「えー」っと祐久は思ったが自分も気になるので聞いてみることにしたのだった。
その頃話題になっていた義照は信春と共にある男にあっていた。
「そうか...。やはり間者だったか...」
俺が聞くと信春の横にいる男が恐怖で震えていた。俺は刀を抜いて男の首筋に当てていたからだ。
「殿、一度は裏切りましたが、この盛胤のお陰で敵を引きずりこみ大勝することが出来ました。どうか、間者として潜り込んだことをお許し下さい!」
信春は頭を下げて頼んできた。
長窪城での出来事を詳しく聞くと、敵に包囲され防衛戦をしていたが盛胤が裏切り門を開け北条軍を招き入れられて三の丸が落ちたそうだ。
盛胤はそのまま北条軍に合流せず、何食わぬ顔で信春に合流したそうだが裏切ったことは見張らせておいた陽炎衆から報告があり捕縛した。
盛胤は死を覚悟したが信春は裏切った理由を聞いた。盛胤は鬼美濃と呼ばれた父原虎胤の敵討ちがしたかったそうだ。
それを聞いた信春は元々甲斐にいる頃虎胤に憧れていたらしく、盛胤に話をし説得したそうだ。
盛胤は北条を二の丸に招き入れるので一気に殲滅してくれと言ったそうだ。やはり罠だと批判する者が多かったが信春は認めて、見事に二の丸に引き込んで北条軍を殲滅したのだ。
長くなったがこの功績で裏切ったことを不問にして許しが欲しいと信春が言ってきたのだ。
ちなみに裏切った者の中に元武田家臣の青木と小沢が居たので、二人は仲良く信春に真っ二つにされたらしい。
「...盛胤」
「は、ははぁ...」
「佐久の小田井原の戦いがあった近くの寺にお主の父は眠っておる。信春が知っておるから共に行けばいい」
「は、ははぁ!」
盛胤は伏して頭を下げ続けた。俺は刀を納め、今回の件は不問とし許すことにした。
「信春....」
「はっ...」
「盛胤は其方の家臣とせよ。盛胤の一族は其方の元に預ける。人質にするなり解放するなり好きにしろ。ただし、最後まで責任を取れ」
「ははぁ!!ご恩情、ありがたく御座います!」
信春は伏して御礼を言った。
俺としては信春がそこまでするとは思ってなかったが、これで武田はまた一人譜代家臣が減ったなと思った。
後有名な家臣は武田に何人残ってるか少し考えるのだった。
信春は盛胤とその家族と共に長窪城に戻っていくのだった。




