59、信濃に今張遼あり
天文二十三年(1554年)8月
両連合軍を驚かすことが起こった。
木曽へ進行した今川軍が、仁科義勝により一時撤退と言うことが起こったのだ。
葛尾城
武田軍本隊
「それはまことか!!」
「はっ!今川勢、木曽仁科勢に破れ、国境まで一旦兵を下げられました。また、今川軍が退いた後、美濃斎藤軍が村上の援軍として入りました!!」
「なんだと!」
「今川軍がか!」「二万の軍勢が負けた?」
「静まれ!!!援軍の数はどれくらいか!」
武田本陣は今川の敗退と斎藤家の援軍に驚愕し慌てていたが板垣が一喝し、静かにさせ、伝令の報告を続けさせた。
「はっ、正確な数は分かりませんが、少なくとも一万以上に御座います!」
この報告に武田本陣にいる者は言葉を失った。
数日前
木曽谷 今川軍
「ほぉ、敵は城に籠もらずに出てきたか?」
「はっ!この先の道に柵を作り待ち構えております!」
義元と雪斎の元に物見からの報告がきた。雪斎が大将でなく、義元本人が来ていた。実は出陣直前に、義元自ら出ることにしたからである。
木曽仁科軍が城に籠もらず待ち構えているというものだった。
「雪斎、珍しく予想が外れたな」
「えぇ、まさか出てくるとは思いませんでした。それで敵の数は如何程か?」
「数はおよそ三千!旗印からして木曽義康と思われます」
雪斎は、物見からの説明を聞いて考えていた。まず、正面の木曽義康は囮で、伏兵が潜んでいるのは間違いないと判断した。
「恐らく以前武田に乱取りで根刮ぎ奪われたのでそうはさせないとしたのでしょう。敵は正面を囮とし左右から挟撃するつもりでしょう」
「全く、武田の為の戦などする気はなかったが出てきたならば仕方ない。奇襲もろとも潰してやろう。井伊と庵原を呼べ!」
義元は井伊直盛と庵原忠胤を呼び出し先陣を切らせ、出てくるであろう奇襲部隊に対しては瀬名と由比にあたらせるのだった。
数刻後
「何としても防げー!木曽の兵達よ戦え~!!」
「「うぉぉぉぉぉ~!!!」」
木曽義康は自ら槍を振るい味方を鼓舞し続けていた。
義康は予定通り、囮として三千を率いて対峙した。それに対して義元は井伊と庵原を先頭に六千の兵で攻めかかった。
義康は奮戦し、持ち堪えていた。
「まだ、耐えるか。雪斎、奇襲には備えておるな?」
「はい。岡部殿、松井殿、朝比奈殿が居りますので、後ニ千程でしたら前線に送れます」
義元は直ぐに追加の兵を送り出した。
なんとか耐えていた義康は追加の兵が来たことで押され出した。
そんな中に、隠れていた奇襲部隊三千が左右から今川軍に突撃を始める。
(よし!これで!)
義康は今川軍を追い返せると思った。何故なら、突撃した奇襲部隊は今川軍を破っていたからだ。
しかし、直ぐに絶望することになった。
「雪斎様の読み通りか。全軍突撃!奴らを一人残さず殺せ~!!」
「「「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ~!!」」」
今川軍に奇襲した部隊の後ろを瀬名と由比の軍勢が襲った。その数合わせて六千。奇襲部隊は挟撃され、瞬く間にその数を減らしていく。
(何て事だ...。このままでは、時間を稼げない!)
「敵陣に突撃する!皆、ワシに続け!!」
義康は叫ぶと周りの味方を引き連れて突撃した。当主の義康が突撃したことで、一時的に押し返したが、数の暴力には敵わなかった。
「勝負あったな」
「はい。これで..」
「急報!!後方から敵の奇襲にございます!」
義元と雪斎が勝ちを確信した所に奇襲の知らせが飛び込んだ。
「ほぉ、我等の後ろにもか。数は如何程か?」
「はっ!およそ千人程度かと!朝比奈様が迎撃されております!」
「ならば問題ないな。泰能なれば直ぐに」
「申し上げます!!朝比奈泰能様、討ち死に!!!」
「なん、じゃと...」
義元は持っていた扇子を落とし、側にいた雪斎は言葉を失った。
その頃、今川軍本陣後方の朝比奈軍は悲鳴を上げ逃げる者が後を絶たなかった。
「雑魚の首はいらん!!いるのは大将首だけだ!殺せ~!!!」
「「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」」
朝比奈軍に突撃した千人を率いていたのは、馬鹿兄と呼ばれていた仁科義勝だ。
義勝は先頭を切って進み道を塞ぐ者は、一人残らず首が飛んで行った。
「殿に続け~!!!殺せ~!!」
「殺せ!殺せ!!」
義勝の率いている千人のうち五百人は馬廻りだが、この者達、義勝が自ら鍛え上げた者達だった。
大半は元がならず者で、その見た目から仁科領では異様な目で見られもしたがその武勇は本物だった。
そして、馬鹿兄、脳筋等と言われた義勝は戦においてはある意味天才であった。
「おのれ!何をしている早く討ちと」
ぼとっ...
「ひぇぇぇぇぇ!!!」
「く、首が...ぎゃぁぁぁぁ!」
武将の一人が兵に指示しようとしたが義勝によって一瞬で首を落とされた。
義勝は強い奴と殺りたいと日々過ごしていたせいか、強いか弱いか見ただけで簡単に見極めていた。
そして、義勝は知らず知らずそこに辿り着くまでの最短ルートを直感で導き出せるようになっていたのだった。
その為義元のいる本陣に辿り着くのは容易だった。
「居たぞ!」「きっとあいつだ!殺せ!!」
義勝の兵士達が義元を見つけ槍を突こうとしたが..
「ゴフッ!」
「ガハッ!」
急に現れた二人の武将に殺される。
「御館様、雪斎殿、ご無事ですか!」
「貴様ら何を手こずっておる!それでも本陣の護衛を任された精鋭か!!」
「「岡部様!松井様!」」
やって来たのは岡部元信と松井宗信だった。
「蒲原!!御館様と雪斎様を連れて本陣を離れろ!!」
「承知!!御館様!雪斎様!早くこちらに!!」
松井は遅れてやってきた蒲原に義元達を連れていかせた。
「逃がすな!殺せ!!」
「誰一人生かして帰すな!」
奇襲した義勝の兵達は義元に向かって突撃したが、松井と岡部の兵、それに立て直した本陣の護衛達に阻まれ乱戦が始まった。
「おっ!おめぇ、結構強そうだな!」
「なんだ貴様!名を名乗れ!」
「俺は仁科義勝!御託はいいからさっさと殺ろうや!!」
義勝はそう叫ぶと宗信に槍を突き出し宗信はなんとかかわした。
「殿!そいつは村上の次男!敵の大将です!!」
宗信の近くにいた兵士が叫び、周りにいた岡部を含む皆は驚愕した。
大将自ら奇襲してきたからだ。
「大将首だ!討ち取れ!!」
「あぁ?邪魔するな~!!」
兵士数人が義勝に襲いかかったが一瞬で始末された。
その様子に宗信は強敵と確信し絶対に逃がしてはならないと悟った。それは同じように見ていた元信もだった。
「宗信!分かっておろうな!!」
「分かっている!こいつだけは何としても討ち取るぞ!」
「ふん!二人まとめてかかってこい!!」
義勝はそのまま宗信と元信と打ち合いを始めたのだった。両軍の兵達もしばらく三人の打ち合いに見とれていたが、義元を追いかけようとする兵とそれを守ろうとする兵達の乱戦が再開された。
それからしばらくして、本陣を急襲された今川軍は本陣の異変に気付き、士気が落ちていた。しかし、それ以上に酷いのは木曽義康達だった。
「もはやこれまで!!鏑矢を放て!!撤退だ~!」
傷付き片腕が垂れ下がった状態の義康は直ぐに命じ、撤退の合図である鏑矢を上げた。
木曽本隊、奇襲した部隊、合わせて六千の兵は既に半数を下回っていた。
それでも、兵士達は諦めず戦い続けていたのだ。だが、何事にも限界はあり、ついに達してしまった。
「殿!撤退の合図です!!」
「はぁ!?なんだよ!今いいところなんだよ!チクショウが!!」
元信と宗信を相手に戦っていた義勝は互角に渡り合っていた。しかも、時々、周りの今川兵が襲いかかってくるのにだ。
「はぁ、はぁ...。糞!化け物め!!」
宗信は肩で息をし吐き捨てた。
「しゃーない!お前ら撤退するぞ!!」
「ここまでのことをしでかして逃げられると思うておるのか~!!」
義勝の発言に元信は激怒した。それは今川兵達も同じで義勝達生き残りを囲んだ。
生き残っていた兵は義勝の馬廻り達数百人のみだ。
「はぁん!止めれるものなら止めてみろ!!お前ら俺に続け~!」
「「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」」
「一人も逃すな~!討ち取れ!!」
義勝と岡部は互いに叫び激突した。
しかし、三人の打ち合いを見ていた今川兵は義勝に恐怖し二の足を踏んでいた。
そして、生き残った馬廻り達だが、例え槍で突かれようが腕を斬り落とされようが死ぬその時まで今川兵を殺していった。正に死兵となっていた。
義勝達は犠牲を払いながら、敵陣を中央突破して行った。岡部や松井も追いかけようとしたが味方が邪魔となり逃してしまうのだった。
ただ、今川軍を驚かしたのはそれだけではない。義勝は孤立していた味方を回収して撤退したのだ。
「なんと、滅茶苦茶な!!」
「えぇーい!敵は手負いだ!追撃するぞ!!」
「申し上げます!御館様より撤退のご命令に御座います!」
岡部や松井は追撃を始めようとしたが、義元から撤退の伝令が飛び込んだ。
岡部達はその指示に驚いたが理由を知って納得した。
美濃斎藤軍が村上の援軍として到着し、このまま追撃しては斎藤軍と激突しかなりの犠牲が出ると義元と雪斎は判断したのだった。
その為追撃を断念し武田と木曽の国境まで撤退を始めたのだった。
今回の戦で仁科義勝はその圧倒的な武勇から鬼将と言われ、撤退時に敵陣を中央突破し、孤立していた味方を回収して撤退したことから三國志における合肥の張遼に例えられ今張遼と呼ばれるようになるのだった。
今回、仁科木曽連合は二万におよぶ今川軍を激戦の末撃退させたがその代償は大きかった。
七千のうち三千は討ち死に、重軽傷者多数と最早全滅と変わりなかった。
もしも、斎藤家から援軍が来なかったら本当に全滅していただろう。
そして、義勝は孤立した多くの兵達を助け出したが今川本陣に強襲した千人のうち生き残りは僅か百人足らずしか残らなかった。
死んだ者達の中には幼い頃から義勝に付いてきた十人の兵のうち四人が含まれており、それを聞いた義勝は一人静かに涙を溢すのだった。




