57、大戦の幕開け
天文二十三年(1554年)三月
藤吉郎は黙って帰って行った。
部屋には御礼と詫びの手紙が置いてあった。全く、俺は帰る前に働いた分の賃金を渡したのに、と思った。
そんなことを考えていたら、高政から書状が来た。家臣達と協力して道三を隠居させたそうだ。そして、これから道三を預かってくれないかと言う頼みが書いてあった。
ある意味物凄くタイミングが悪かった。
と言うのも、高政に頼まれた男がもうじきやってくるからだ。
高政に保護してくれと頼まれていた男とは土岐頼芸...前美濃守護だ。道三に追放されて近江にいたのだった。
俺は高政に来年にしてくれと、理由を含めて返書を送った。
天文二十三年(1554年)四月
土岐頼芸がやって来たがかなりやつれていた。
「此度は世話になり申す...」
かなり辛い目に遭ったのだろう。まぁ、仕方ない。
「話は高政から聞かれていると思いますが、どうぞこの屋敷でお過ごし下さい」
俺は頼芸を屋敷に案内した。小さな庭もあり隠居した人物にはいいだろう。
「忝ない...」
頼芸はそう言うと屋敷に入っていった。
中には世話人がおり、挨拶をしていた。
一応、書画が出来るようにしておいたが...当分無理そうだな。
城に戻ると孫六達が待っていた。
父から直ぐに葛尾城に集まるよう使いが来ていた。
恐らく武田が動いたのだろう。俺はすぐに葛尾城に向かい、全員が集まったので父が評定を始めた。
「武田は六月に木曾谷、荒砥城、内山城を同時に攻めるようにございます。また、今川、北条から援軍を得ております」
「敵の数は?予測で構わん」
「武田は二万、今川は一万五千、北条は二万と思われます」
「「何だと!!」」
俺も含めて全員が驚いた。武田は本気で村上を滅ぼしに来たからだ。ニ万とは武田の全軍である。ただし、領民を徴兵した上でのことだ。
父はすぐに同盟国に援軍を頼んだ。また、どういう配置にするか話し合った。
「木曾は手勢二千はおりますので五千ほど援軍を送ります。これは仁科殿や飛騨勢に任せます。次に...」
配置はすぐに決めていった。
村上家は全軍で三万八千人は集められる。ただし、戦える者を徴兵して掻き集めてでの数字だ。
配置はこうなった。
木曾谷
木曾勢 二千
仁科勢 五千
計七千
荒砥城
須田新左衛門 千
義清本隊 六千
計七千
塩田城
塩崎三郎 八百
内藤昌祐 四千 (うち常備兵二千)
計四千八百
上田城
義照本隊 四千(全員常備兵)
真田幸隆 二千(うち常備兵五百)
矢沢頼綱 八百
計六千八百
長窪城
馬場信春 二千(常備兵)(うち鉄砲隊八百)
保科正俊 千(常備兵)
東条信広 千
計四千
内山城
出浦清種 二千(うち常備兵五百)
小泉宗昌など 二千
計四千
総勢
三万三千六百名
村上家の全てを出している。残りは他の城を守るために残されている。内山城には長野業正から援軍が来る予定だ。
また、来れるか分からないが木曾へは斎藤家に援軍を頼んだ。
他には高梨から援軍が来る予定だ。ちなみに長尾景虎は上洛しているので援軍は望めなかった。一応要請はしている。
全く嫌な時期に攻めてくる。
それと俺は個人的な伝で、ある者達を雇うために使いを出すのだった。出来れば間に合って欲しい。
評定の後、俺は馬鹿兄に捕まり城の一室に連れていかれ二人だけで話をして城に戻った。
村上家で話し合われてた頃武田家でも軍略が話し合われていた。躑躅ヶ崎館は晴信の忍びによって固く守られていた。
前回、陽炎衆が紛れ込んでいたのが分かった為だ。と言うのも前回はわざと侵攻先を流したのだった。
「今川は二万、北条は二万五千の援軍を送ってくれます」
「我らはニ万五千、徴兵した者を含めて全軍を動かせます」
「兵糧も全軍が二年は戦える分を用意できております」
晴信はこの数年耐えに耐えて好機を待っていた。そして今回決戦を挑むことにしたのだった。
「木曾と佐久は陽動、本命は....」
晴信は信濃の地図を見ながら一ヵ所を指した。
「敵の要、上田城」
「上田城を落とせば他の城を落とすのは容易く、村上に従っている国衆を一気にこちらに引き込むことができます」
晴信が目的地を発表し、勘助が補足をして行った。
「しかし、御館様、上田城は信濃でも難攻不落の城に御座います。力攻めで落とすとしてもかなりの犠牲が出ます」
「しかし、兵糧攻めにしてはこちらの方が不利になります」
重臣達からは不安の声も上がったが兵については北条の援軍も参加するので問題無く、陽炎衆に対して風魔の協力もあると伝えた。
陣立てとしては
木曾へ今川軍二万(独自に動くことを条件に援軍として参加)
佐久に北条軍一万と武田に組した国衆
葛尾城(村上本拠地)に武田軍八千
そして、上田城に武田軍一万七千と北条軍一万五千、計三万二千
の大軍勢で攻めることにした。
「この戦、今後の信濃の支配者を決める戦いと心得よ!」
「「ははぁ!!」」
天文二十三年(1554年)五月末
信濃松本城に続々と兵が集まっていた。
武田の全戦力が集まったことになる。晴信は老人子供問わず戦える者を根こそぎ集めたのだ。
予定では北条軍が南佐久から侵攻し、今川軍が伊那郡から侵攻する手筈になっている。
「報告します!敵は各城に兵を送り守りを固めております!」
「申し上げます!間者より各城の兵力が分かりました!」
その知らせを聞いて晴信はすぐに地図を開き駒を置いていった。
間者とは原盛胤だ。盛胤は長窪城におり今回の戦のお陰で監視が緩くなった隙を付いて晴信に知らせたのだった。
「上田城に六千八百...もう少し減らしたいが難しいだろう」
「塩田城の兵がどちらに向かうかによりますな....。殿、わざと荒砥城を攻める兵を増やし、敵を荒砥城に誘き寄せませんか?荒砥城を包囲したのち合流させては?」
「では、長窪城は如何する?」
「北条勢五千を当ててもらい、動けぬ様に致しましょう。さすれば問題はないでしょう」
晴信は方針を変え、まず、二万で荒砥城に向かい残りは塩田城に向かわせ、逃げ出せば荒砥城の方に向かうように仕向け、塩田城を押さえた後に上田城を攻める方針にした。
その事はすぐに北条にも伝えられるのだった。
一方、北条軍二万五千でも評定をしていた。今回氏康自ら出陣していたのだ。
「清水、今回これ程の大軍を率いてやって来たが無駄に兵の命を捨てることはしたくない」
「しかし、武田は我らを当てにしております。前回の援軍の借りを返す程度には動きませぬと...」
「しかしな...。綱成、佐久攻めの別動隊はそちに任せる。長野業正の援軍が来ないとは思うが無理な戦はするな」
「ははぁ...。もしもの時は合流することも考えます」
氏康は指示をし軍を二つに分けて侵攻開始するのだった。
その途中武田から長窪城を押さえて欲しいと連絡が来て向かうのであった。
天文二十三年(1554年)六月
ついに信濃をめぐる大戦が始まるのだった。




