56、猿が居た
天文二十二年(1553年)五月
俺は上田城に戻った。
やはり、武田は動くことはなかったらしい。ただ、関東は決着がついていた。
上杉龍政は関東を捨てて越後に落ち延びたそうだ。その為、武蔵は北条に寝返る家、独立する家で分かれたようだ。
一応、景虎は沼田城までは兵を出したようだ。
西上野の長野殿は独立し周りの国衆を束ね、俺達に同盟を求めて来たとのことだった。
俺はすぐに返事を送り手を結ぶことにした。父には、後で言っても問題無いだろう。
長野殿には東の盾になってもらう。
それと、幕府について面白い話を聞いた。
細川晴元が朝敵に指定されたらしい。と言うのも、俺を襲撃したことが帝の耳に入ったのだ。
初め、帝は幕府に対して朝敵としようとしたが、稙家が幕府に説明を求めるべきと言ったので、幕府に勅使を派遣した。
そして、義輝と言うか幕臣達がその勅使に対して全ては幕府の名を借り晴元が独断で行ったと伝えたのだ。
その為、晴元は朝敵に指定され、各地を逃げ回っているのだ。まぁ、簡単に言えば蜥蜴の尻尾にされたのだ。
義輝も反発しなかったと言うので、多分稙家が裏で義輝を諭したのかもしれない。
天文二十二年(1553年)十二月
信州大黒屋
今年も無事に米等の収穫も終わり一年が終わろうとしている。
結局武田は攻めてこなかった。しかし、陽炎衆から大量の兵糧を集めていると知らせがあったので油断はしていない。
それに、こちらも来年武田を攻める為に準備を進めている。次の戦は武田との決戦になるだろう。
俺(義照)は今商人の格好をして大黒屋にいる。着替え終わった俺を見た千と岩には大笑いされた。
と言うのも、大黒屋勘兵衛を調べている人間がいるからだ。
六月頃に「働かせてくれ」とやって来た男が色々嗅ぎ回っているそうだ。
なので、勘兵衛は基本、村上義照に呼ばれて城に勤めており、店にはほとんど居ないと言うことにしている。
しかし、重要な案件の時には必ず戻ってくるとした。
「吉兵衛、あれからどうなった?」
店を任せている吉兵衛から聞いた。勿論陽炎衆の一人だ。
男は物覚えも良く、真面目に働いており、間者じゃなければ店を任せられるくらいだと言った。しかし、相変わらず俺のことを調べているそうだ。
今は帳簿の管理を任せていると言っていた。
俺は吉兵衛と一緒にその男を見に行った。
その頃、件の男は真面目に帳簿とにらめっこしながら計算していた。
(今日は大黒屋勘兵衛は戻ってきている。やはり月二~三回しか帰ってこぬ。何としても顔を見てみたい)
男はこれまで集めた情報をまとめていた。しかし、本人を見たことが無かったのだ。毎回入れ違いで見られなかったのだ。なので何としても今回は見たいと思った。
しかし、大黒屋に来てからは驚きばかりだった。
見たことの無い帳簿に在庫管理がされていたからだ。
しかし、これなら確実に財産管理や在庫管理が出来る上に不正もしづらい。
男は戻ってから殿に進言してみたいと思っていた。
それもそのはず。義照の関係している店では全て複式簿記で管理しているからだ。
それと、数字はアラビア数字で書いているので、やったことがない者からしたら暗号のようにしかならなかった。
男が集めた情報は今やっている複式簿記を作った人物で、店を一代でここまで大きくし、村上義照からは武士でもないのに奉行衆として財政管理を任せられる程の人物であること。
美濃や越後にも店があり、斎藤道三や高政からは信用されていることが分かった。
他には二十六歳と若いと言うことしか分からなかった。
俺(義照)は影から必死に計算している男を見て驚いた。指が六本あったからだ。
「吉兵衛、あの者の名前は何と言う?」
すっかり名前を聞くのを忘れていたので聞いた。
「日吉です。調べで分かったのは遠江から尾張を通って来たと言うことだけです。他はさっぱりで...申し訳ありません」
吉兵衛は、謝ってきたがそれどころではなかった。俺は内心、誰か分かって驚いていたからだ。
俺は吉兵衛に日吉を俺の部屋(店の一番奥)に呼ぶよう指示をした。
日吉は吉兵衛に連れられてやって来た。
俺の机には帳簿の山が置かれ確認していた。全て日吉がやったものだ。
日吉は内心やったと思った。向こうから呼び出してくれたので顔が見れると思ったからだ。
「さて、お前さんが日吉か?」
「は、はい!」
「私がこの店の店主の勘兵衛や。もしかしたら吉兵衛のことを店主と思っていたなら済まんことをした」
「滅相も御座いません!雇っていただき感謝しか御座いません!」
日吉は大袈裟に頭を下げた。勘兵衛の顔を確認できたからだ。後はどんな人物か知るだけだった。
「さて、この帳簿を確認させて貰ったんだが...いや~半年でここまでやれるなんて凄いじゃないか!」
「あ、ありがとうございます!」
俺が一拍おいて言ったせいか怒られるのかと思ったのだろう、少し慌てていた。
「それで、今回呼んだのは二つ用件があるからや」
「用件とは何で御座いましょうか?」
日吉は何か指示されるのではと身構えた。
「お前さん、店構えてみるつもりはあるか?」
「...え?」
日吉からは気が抜けた返事をした。いきなり店を持ってみるかと聞かれたからだ。
「そ、それはどう言うことでしょうか?」
日吉が聞いてきたので相模に店を構えようか悩んでおり立ち上げるならその店を管理してみないかと伝えたら驚いていた。
理由としてはこれだけ完璧に帳簿がやれており真面目に仕事をしていたからだ。
「あ、あのう、もう一つは何で御座いましょうか?」
日吉はもう一つの用が何か聞いたので、武士になる気はないか聞いた。
日吉はまた呆けていたので、吉兵衛に叱られていた。
俺が今やっている仕事(大嘘)を任せられそうだから義照に推挙すると伝えた。
「も、申し訳ありません。それはどうか、お断りいたしたく..」
吉兵衛がこんな条件滅多に無いのに何故か聞いたらここで学んだ後、故郷で店を持ちたいと言ってきたのだった。
「そうか...。尾張で店をのう...。しかし中村ではそう儲けられんじゃろ?まだ熱田の方が良かろうに...」
俺が言うと日吉は驚いてこっちを見てきた。自分が尾張のしかも中村の出身のことを知っていたからだ。
「ど、どうしてそれを...」
流石の日吉も後ろに倒れた。ここに来て一度も尾張から来たことを言っていないからだ。
「実は、お前さんを推挙しようと思うて孫六様に調べて貰ったんよ。そしたら尾張出身で遠江でしばらく過ごした後、うちに来たそうじゃないか。なぁ、藤吉郎...」
日吉は素性を探られていることに驚いたのと村上の陽炎衆の情報収集力の高さに恐怖した。
遠江のことを知っていると言うことは、仕えていたことを知られていると思った。
「も、申し訳ありません!!!」
日吉こと藤吉郎は必死に畳に頭を擦り付けていた。
「しかも私なんて調べてどうするんかい?まだ、義照様のことを調べた方が良かろうに?所で誰に頼まれたんかい?孫六様からそこまでは分からんかったから尋問すると言われたんでな。私の所にいるから一旦預けて頂いたんだけど、答えてくれなければ引き渡さないとならん。答えてくれぬか?」
藤吉郎は最後まで答えなかった。しかし、大黒屋勘兵衛を知っている人物と考えて信長と言う結論を出した。
と言うか、俺が大黒屋勘兵衛を名乗ったのは美濃でしかないからだ。一応、大黒屋勘兵衛は実在していることにはしているが吉兵衛が演じているだけだ。
答えなかった藤吉郎をこの冬に追い出すのもあれだったので、雪解けの三月くらいまでは居ていいことにした。孫六様には調べているのは織田信長だったとだけ伝えておくと藤吉郎に言った。
勿論、出ていくまでは働いて貰うことにした。
結局藤吉郎はそのまま大黒屋の借家で冬を過ごすのだった。




