52、北条征伐
天文二十一年(1552年)六月
父義清は八千の兵を率いて出陣した。
田植えは残った者達で協力しながらやっている。
「勝てば良いけど、勝てるかね~」
「勝って貰わなければ困ります。武田が盛り返すきっかけになるかもしれませぬ」
俺は田植えをしながら昌祐と話す。初めは領主様(俺)が田植えなんてと百姓達に止められたが、今やってる移植栽培を教えたのが誰か思い出させ、気にするなと言ったら流石に黙った。
これでも一応転生前には経験していたが現役(百姓)とは天と地の差があった。流石だと頭が下がる。
「まぁ、後は報告を待つしかないな。それに、武田の動きも注視しなければ...」
俺は父の護衛をしている陽炎衆からの戦況報告を待つことにするのだった。
各地から関東管領上杉憲政の元に続々と兵が集まり始めた頃、小田原城でも緊急の評定が行われ対応が話し合われていた。
「管領はおよそ七万~八万まで集まるようにございます」
「その中には管領の同盟国、長尾家、村上家も確認されています」
「援軍の大将はだれか?」
「村上家は当主村上義清、長尾家も当主長尾景虎に御座います!」
「直ぐに、武田、今川に援軍を要請せよ!!」
「ははぁ!」
氏康は直ぐに指示をしていき戦に備えるのだった。と言うのも武蔵をほぼ押さえたばかりだったので裏切り者が出ることも考えていたのだった。
「ここで勝たねば、北条は終わるかもしれぬ。何としても勝つのだ!」
「熱くなるな。周りが見えなくなるぞ」
幻庵の言葉で氏康は落ち着きを取り戻し指示を続けるのだった。
天文二十一年(1552年)七月
上野平井城
関東管領の元に関東の大名が集まっていた。
上杉連合軍
総大将
上杉憲政(関東管領)
越後
長尾景虎 直江景綱 北条高広 柿崎景家など
信濃
村上義清 井上政満 綿内満行 竹鼻虎正など
上野
由良成繁など(西上野衆を除く)
下野
宇都宮広綱 佐野昌綱 小山秀綱 那須資胤
常陸
小田氏治、佐竹義昭
武蔵
太田資正、上田朝直、成田長泰、三田綱秀など
と言った感じだ。
その数総勢八万の大軍勢だ。
「これで伊勢(北条)を討ち滅ぼせるわ!」
「流石は関東管領様!これ程の軍勢を集められるとは御見事!」
「管領様、先陣は我ら長尾家にお任せを...」
三家の当主が集まって話をしていた。先陣は景虎が名乗りを上げたので景虎になった。
数日して憲政は集まった全軍で出陣し、武蔵の北条方の城を落としていった。
特に長尾軍の攻勢は凄まじく、八月には松山城を落とし河越城を包囲した。
河越城は北条氏尭が籠もっていた。
「先の敗北と同じ真似はせぬ!一気に河越城を押し潰すのだ!」
憲政は河越夜戦での屈辱の為か包囲するのではなく、力攻めを行った。
今回は関東勢のみで行ったが、河越城の守兵達は粘り、結局5日近く掛かってしまった。しかし河越城に居た者は氏尭を含めことごとく討ち取るのだった。
一方、氏康は小田原城に籠城することに決め、他の味方にも城に籠もり籠城するように指示をしたのだった。
「報告します...。河越城落城...。北条氏尭様以下二千五百名、全員討ち死にされました」
「あい分かった。引き続き連合軍の動きを知らせよ」
氏尭討ち死にの報を聞いた氏康は落ち込むが直ぐに指示を出していき上杉家の来襲に備えるのだった。
天文二十一年(1552年)九月
「この戦は北条から関東を取り返す戦。氏康の首を取れば勝ちに御座います」
「いや、ここは、武蔵の北条側の城を落としていき補給路を確保するまでにすべきでは?」
「然様。兵糧も後半年分も無い。なれば武蔵を押さえ、また次の機会に北条を討ち滅ぼすべきかと」
「いや、ここまで来たのなら一気に小田原城を落とし、北条を伊豆に追い出せば良いのではないでしょうか!」
「そうだ!居城が落とされたとなれば北条に味方している者達も管領様に跪くだろう!」
一気に小田原城を落とすか、武蔵を押さえるかで連合軍の意見は割れていた。
関東の諸将は武蔵を押さえ、北条からの侵攻の盾にしたい考えがあり、憲政や景虎は氏康を討ち取りたい思いがあった。
ちなみに義清はどちらでも良かった。
今回反対を押しきってまで援軍として来たのは、北条の援軍としてくるであろう武田を打ち破り、甲斐まで攻め込むことが目的だった。
甲斐へ攻め込めば、敗戦続きの武田に従っている者達が離反し、自身を餌に武田へ陽動をかけた隙に義照が信濃を制圧すると考えていたのだ。
そして過去の屈辱を晴らすため武田をこの手で討ち滅ぼすと誓っていたのだ。
結局決めるまでに時間がかかり、八万のうち二万を武蔵の城を攻める別動隊とすることに決まり、残りは小田原城に向かうことになった。
別動隊は佐竹や宇都宮等が率いることになった。
義清の思いとは裏腹に、義照の元に武田から使者が来ていた。
内容は単純に武田は同盟国である北条に援軍を送るが、和議を結んだ村上と事を構えるつもりはないと言ってきたのだ。
留守を狙って攻めようとしていたのに何を言ってるんだと思ったが、どっかの誰かさんが軍勢を率いて行ってしまった為、手を出さなければと言う条件で承諾するしかなかった。
ただし、国境に兵を進め監視は強化した。
(全く、早く全軍を指揮できるようになりたい...)
天文二十一年(1552年)十月
連合軍六万は小田原城に到着し包囲を始めた。
しかし...。
「申し上げます!武田軍と今川軍の援軍が足柄城に集結しております。その数およそ二万!」
ついに今川、武田の援軍が来たのだった。
「援軍の大将は誰だ!晴信か!」
義清は直ぐに聞いた。晴信が居ればこの手で討ち取りたかったからである。
「はっ、武田軍は武田晴信、今川軍は太原雪斎に御座います!」
この報告を聞いて義清は直ぐに二万を引き連れて討ち取りに行くと言ったのだった。
「管領様、どうか、お手前の兵を御貸しください。武田は我らが宿敵!武田の首を取って参ります」
憲政は悩んだ。仮に二万が離れれば、自軍は四万となり小田原城の北条との兵力差が無くなってしまい、こちらの方が不利になるからだ。
偵察の報告ではおよそ四万五千と言われていたのだった。
しかし、その報告をした者は実は風魔の忍びとは誰も気が付いては居なかった。
本陣が静かになっていると景虎が沈黙を破った。
「管領様、敵が城から出てこちらに向かって来てから迎撃しても遅くはないのではないでしょうか?それまで我らはこの城を攻め落とせばよろしいのでは?」
「長尾殿の言う通りだ。村上殿もそれで良いな?」
憲政が聞いてきたので渋々了承した。
その後、包囲が終わり次第攻めかかることが伝えられたのだった。
一方足柄城に集まっていた武田今川連合はこれからのことを話し合っていた。
「さて、我らは合わせて二万ですが武田家としてはどうお考えですかな?」
雪斎は晴信に聞いた。一応当主自ら来ているので顔を立てたのだった。
この時兵は今川一万二千、武田が八千だった。
今川がこれだけ動かせたのには訳があった。
前年に将軍家から織田と和睦せよと命があり織田側の刈屋城を引き渡すことを条件に飲んだのだった。
その為今川家は三河の統治に専念しており、軍を動かすことが無かったのだ。
「雪斎殿も我らと同じ考えで御座ろう...」
晴信がそう言うと何のことやらと、雪斎も頷き返した。
口には出さないが二人とも同じ考えがあった。
少しでも兵を失わない
ことだ。
援軍に来たとは言え、戦に参加する気は無かったのだ。
しかし、同盟している為出陣せざるを得なかった。なので二人は足柄城を出た後は対陣のみのつもりだった。
そして晴信としては今川と北条を使ってあわよくば村上義清を討ち取る、もしくは軍を壊滅させたいと思っていた。
「では、足柄城を出陣し、敵が攻めてくれば引き、敵が引けば攻めると言うのは如何かな?」
雪斎と晴信の考えは直ぐに一致し、敵の一部を引き付けることにしたのだった。
それで、北条への援軍とした。




