5、真田
天文八年(1539年)六月
義利兄上が京へ向かった。今年は佐久郡で武田と一戦交えたが見事撃退した。父は小県郡を完全に抑えれば甲斐に攻めこむことも考えているようだ。
俺はというと、清酒を増産するために施設の増設と相変わらず田畑の整備をしていた。兵士五十人は昌祐に任せている。昌豊は俺に付いて護衛となっている。本当は昌豊に任せようとしたが昌豊から兄にやらせてくれと頼まれたからだ。正直、昌祐は内政向きだ。軍事は昌豊に、劣っているがやはり兄として負けられないのだろう。一生懸命やっている。
「なぁ、昌豊、やっぱり弟って兄を支えるものなのか?」
「人それぞれだと思います。私は支えたいと思ってますよ。たった一人の兄上ですし。若も義勝様はともかく、義利様を支えようとされてるではないですか?」
(確かにあの馬鹿兄(義勝)は利用したけど....一応兄なんだけどな.....)
「そりゃ、義利兄上を支えたいから今回の朝廷の話をしたよ。それにこの国を強国にしたいしね。後、武田信虎が狙ってるみたいだから何とかしたいしね...」
俺が信虎の名前を出すと昌豊は顔を歪めた。そりゃそうだ。昌豊達の父親を殺した奴だしな。良い感情なんて一つもないだろう。
俺達はそのまま視察をしたり、百姓達と共に汗を流したりして過ごすのであった。
小県郡松尾城
城主真田幸隆は村上領地がどんどん発展していると聞き危機感を強め忍を送り込んでいた。
「佐助、村上の様子はどうだった?」
「はっ、ここ数年で数多くの道具が作られ田畑も整備され大きく発展しておりました。また、一部の土地では商人が集まりかなりの税がとれているであろう所もありました」
「それはどこだ?」
「葛尾城の南にございます。領主は村上義清の三男、義照でございます。まだ十二歳です」
幸隆は歳を聞いて驚いた。まだ十二歳の子供が領地を貰い、村上の領地の中で一番発展させているからだ。
「その者に余程優秀な家臣が付いておるのだな。なんとか引き抜くことは出来ないか...」
「恐れながら、考えているのは義照だと言うことにございます。また、義照は村上領地の民百姓には仏の生まれ変わりだとか家臣からは密かに神童と呼ばれおります」
幸隆は落ち着いて考え、裏で動いている家臣がいるのだと考えたが、佐助によって否定された。
「そのようなことが出来る子供がいるとは全く難儀な相手じゃのう...。その者が作ったと言う道具はあるか?」
幸隆は義照が作らせた道具を持ってこさせた。円匙に鶴嘴、備中鍬どころか手押しポンプまで手に入れていた。
「義清はかなりの額で売り捌いておりますが、義照本人の所で少数ですが安く手に入れることが出来ました」
佐助は商人の振りをして直接義照の元に買いに行き安く買ったのだった。義照は脅しや口で言いくるめようとした者には罰を与えるが、きちんと商売する者にはきちんとした値で販売していた。佐助もその中に含まれていたのだった。
その後、実際に使ってみて道具の良さを知った。特に手押しポンプには驚かされていた。簡単に水を出すことが出来るからだ。
幸隆は佐助に再度購入し、もう二つ手に入れるように指示をした。何故かと言うと分解して自分達でも作ろうと思ったからだ。
佐助は直ぐに手下二人を連れて向かうのであった。
天文八年(1539年)八月
以前、手押しポンプを買いに来た若い商人にあっている。今回は二人を連れてきての商談らしい。
「それで、もう二つ売ってほしいと?前にも言いましたが私が出せれるのはせいぜい1つか2つだと伝えたはずですが?今手元に余りはありませんので申し訳ありません」
「そこをなんとかお願いしたくお願いに上がりました」
「それで、お主達はどこでそれを売ろうとしているのか?」
「ははぁ、小笠原様の領地で売ろうと.._」
「嘘だな」
昌祐の問いに若い商人が言い切る前に口を挟んだ。既にこの者達が小笠原や諏訪の土地の者でないことは知っていた。百姓達と共に汗を流していると各地の流民達もいるので情報は入ってくる。この者達が小県の方から来ていることは聞いていたのだった。
それに、小笠原から来る商人には父が割符を与えぼったくり価格よりは幾分か安く販売しており名前なども記入していたので直ぐに調べることが出来た。
まぁ、母上が小笠原から嫁いで来ていたから少し安く売っていたのだがこれが功を奏した。
俺が右手を上げると兵士達が一斉に部屋に入り三人を囲んだ。俺の護衛には昌祐と昌豊がいる。
「では、改めて聞こう。何処の間者か?海野か、それとも武田か?」
俺は座ったまま聞いた。
三人のうち後ろの二人は慌てているが一番前の男は落ち着いていた。
「恐れながら、間者とは何のことか分かりません。確かに謀ったことは伏してお詫び申し上げます」
男はそう言うと伏して頭を下げた。
「あ、そうか...。忍びと言えば真田もか...。方向も合っているしな」
俺が言うと後ろの二人が動揺したのが分かった。昌祐や昌豊も気付いたようだ。しかし、目の前の男は微動だにしなかった。
「お主も大変だな。未熟な者を連れてきたせいで何処の手の者か知られるなんてな。お主だけなら分からんかった。しばし、そのまま待ってくれ」
俺はそう言うと、一通の書状を書いた。真田幸隆に向けてだ。
「さて、真田殿への書状だ。そなたらを無傷で解放する代わりに持っていけ。間者でないと申しても商人なれば真田幸隆殿には会えるであろう」
「...分かりました。お会いできるか分かりませんが持って行きましょう..」
俺は書状を渡し、三人を解放させた。
「若、よろしいので?殿に知られたら...」
「問題ない。それに、来年には攻めるだろうし。調略出来たら儲けもんだ」
昌祐は心配そうに言ったが問題は無かった。正直、引き抜けるなら引き抜きたかった。武田に渡せば必ず調略を行い村上家の内部から破られると思ったからだ。
天文八年(1539年)九月
「申し訳ございません!」
松尾城の一室で佐助は頭を下げていた。義照に見破られ、追い返されたからだ。
「よい。そなたらが無事に戻って何よりだ。しかし、なぜそなたらを無傷で帰したのか?」
幸隆が聞くと佐助は黙って義照からの書状を出した。
「これを殿に渡せと。その代わり今回は見逃すと...」
「...ハハハハハハ!!」
佐助が渡した書状を幸隆は読んで笑ってしまった。
「殿?」
「いや、すまん。まさか、ワシを引き抜きに来るとは思わなかったからな」
そう言うと書状を佐助に見せた。
書状にはそんなに欲しかったら村上に寝返ればいくらでもやる。真田の話は流民から聞くが海野にいるのが惜しい人物だ。来年もしくは再来年には伺うと思うので考えられよ等と書いてあった。
「佐助!葉月にも直ぐ、村上義清の動きを探れと伝えろ!敵は来年には攻めてくるかもしれん!」
「ははぁ!」
佐助は直ぐに部屋を出ていった。残された幸隆は一人書状を見ていた。幸隆はこの書状を書いた義照に興味を持ったのだった。
「しかし、民のことを考えろか...。いつか実際に会ってみたいな。一体どのような人物か...」
幸隆の独り言は誰にも聞かれることはなかった。