46、楽しい~タノシイ~上洛(白目)
天文二十年(1551年)三月
眼前には三千の兵が集まっていた。今から京に向かう者達だ。
「それじゃぁ、昌祐任したぞ!」
「ははぁ!殿も道中お気を付けて...。幸隆殿、孫六殿、もしもの時はお頼み申す」
昌祐は俺の後ろの二人に頼んだ。今回の上洛は俺(義照)と、鵜飼孫六、真田幸隆の重臣二人と、保科正俊、栗田寛安、中沢清季、木辻別右衛門達家臣を連れていく。
木辻別右衛門は信濃の中でも鉄砲の名手と言われている。
栗田寛安と木辻別右衛門には鉄砲衆を預けている。
今回連れていく兵の内訳は
槍衆1000
騎馬衆 500
弓衆700
鉄砲衆800
計3000
全員常備兵で日々訓練してきたので、二倍の兵くらいなら勝てると思っている。
塩田城、長窪城、内山城には援軍を送り武田に備えている。特に長窪城には追加で鉄砲隊を送ってやった。父も飛騨攻めを終えているので多分大丈夫だろう。それに、武田への嫌がらせは続けている...。
そろそろ火が付くだろう..。フフフフ。
義父の九条稙通もいるのでのんびりとした予定になっている。
京に着くのは寄り道するので七月としている。まぁ、京では三好からの見張りが来る予定だ。
「それでは出発!」
俺の号令と共に上田城を出発した。
天文二十年(1551年)三月末
美濃に到着したが、高政が待っていた。
「ようこそ、お越しになられた。父に変わりお相手いたします。....まぁ、こんなもんでいいか!久しぶりだな義照!良く来た!」
高政は礼儀正しく挨拶してきたかと思えばいつもと変わらない態度に戻った。
「一瞬焦ったぞ!偽物か人格が変わったかと思ったぞ!」
俺が言うと高政は笑いながら否定した。
高政とは前回美濃に来た時からの付き合いだが、道三より付き合いやすく、気が付けば互いに呼び捨てにしあうくらい仲良くなっていた。
同盟の話の後、光秀に連れられ高政と互いに腹を割って語り合い酒を酌み交わしたのもある。・・・途中から父親(高政は道三、義照は義清)に対する愚痴の言い合いにはなったが....。酒を呑んでいたとは言え多分父に対する愚痴をここまでぶちまけたのは高政が初めてだろう。高政もそうだったみたいだ。
今考えれば、あの場に俺と高政だけで良かったと思う。
まぁ、同い年で同じような悩みを抱えているっていうのもあるだろう。
と言うか、高政ってスゲー人情の厚い奴だった。家臣に対してもそうだが、民に対しても人前では出さないが豊かにしようと凄く悩み考えていた。ただし、道三に対しては除く。
「高政様...。一応他の者もおりますので、呼び捨てになるのは...」
「十兵衛、気にするな!俺(高政)と義照の仲だ!問題無い!!なぁ!!」
高政は俺と肩を組んで来た。と言っても高政の方が身長が高いので組んでるというより置かれているような感じになった。
「だな!そう言うことだから、光秀、気にするな・・・。一応道三殿には内緒な!」
俺はそう言って高政の肩に手を掛けた。光秀は互いに肩を組み笑っている俺と高政に大丈夫と言われて頭を抱えていた。それは他の高政の家臣と俺の家臣も同じだった。
高政と光秀は同じ師に習ったらしく同門らしい。その為俺よりも付き合いは長いそうだ。
(まぁ、光秀は高政と道三の戦で道三について負けて浪人になるんだよな~)
俺は内心この風景が異様に思えたが、歴史は変わっていると思い気にしないことにした。
「さて、遅くなったが約束の鉄砲を持ってきた。遅れた分の追加も入れて五百五十丁だ!」
そう言って俺は高政達に鉄砲を見せた。
やはり、これだけの数には驚いたようだった。
「はぁー本当に持ってくるとは・・・なぁ、義照。一つ相談だが良いか?」
高政から相談と言われて聞いたら追加の五十丁を道三には黙っておいてくれと言われた。何でも手元に置きたいそうだ。一応理由を聞くと父道三とは別に自分の為の鉄砲隊を作りたいそうだ。
俺は別に美濃の問題だからどうぞって言ったが後は光秀や他の配下の方の口止めは知らないぞと言っておいた。
「問題ない!!光秀が何とかする!」と言ってたので俺は問われない限り知らない振りをすることにした。
まぁ、一番困ってたのは光秀だったのは間違いない。
それにしても高政の奴、鉄砲があっても火薬と弾が無いと使えないのを忘れてるのではないだろうか...。俺達でさえ火薬(特に硝石)が貴重なのに..。
美濃に2日程滞在し、次の目的地、伊勢に向かうことにした。
まぁこの2日間、高政と酒を酌み交わし色々語り合った。道三と違い、腹の探り合いをしないで済むので楽しめた。
伊勢で二ヶ月程滞在予定だ。理由は剣術を学ぶためだ。通過の許可を貰う際に兄弟子(具教)から師匠(卜伝)が六月末までいるからしばらく滞在してはと言われたので言葉に甘えることにした。
天文二十年(1551年)四月
「ようやく来たな!待ち侘びたぞ!!」
そう言って待っていたのは兄弟子の具教だ。まぁ、歳は俺の方が一つ上なんだけどな....。
「お久しぶりです兄弟子(具教)。風の噂に聞きましたが遂に一之太刀を許されたとか」
俺は歳は上だが兄弟子なので、剣術に関係のある話をするときだけは兄弟子と言い持ち上げていた。普段は具教殿と呼んでいる。
「やっと師匠から一の太刀を伝授された!これで、剣術で勝てる奴は殆どいないだろ!!」
凄い上機嫌だった。まぁ、秘伝を伝授されたらそうなるだろう。
「さて、具教殿、晴具様にご挨拶に行きたいので案内をお願いできますでしょうか?」
「分かりました。義照様と重臣の方はこちらへどうぞ」
具教も即座に呼び方を変えて応対した。
その後晴具に挨拶と御礼をして・・・即道場に向かった。
晴具様にも「早く道場の方に行きたくて仕方ないだろう」と言われてしまったので行くことにしたのだ。
滞在の間、義父の九条稙通は晴具様と和歌や茶道を楽しむそうだ。
知らなかったが、晴具様はかなりの腕前で公家の間でも名が通ってるらしい。
俺は道場に行くと既に兄弟子(具教)が稽古をしていた。
どっちかと言うと指導しているようだった。
俺は道場に入ると師匠(卜伝)が出てきたので、基礎の基礎だった素振りを続けていたことを報告して、二ヶ月の間一対一で剣術を習うことになった。
正直これ程嬉しいことはなかった。剣聖と言われる卜伝直々に習えるからだ。
まずは素振りから始まり、型を習い始めた。これが出来てから実戦的な訓練に入るそうだ。逆に出来なければ一生先には進めないので必死に学んだ。
一緒に来ていた孫六は伊賀に向かい、先の確認と安全を確保しに行った。
幸隆、栗田、木辻の三人は兵士の管理や北畠家臣と交流を行い、中沢や保科は義父の護衛をしていた。と言っても交代でしていたので保科は師匠の弟子と交流(試合や鍛練)し中沢は晴具や義父と共に和歌や茶道を嗜んでいた。
意外にも中沢は和歌の才能があるらしい。・・・今後、公家の相手を任せるのも一つだろう。
天文二十年(1551年)六月
師匠との訓練の日々は早く感じた。もう、約束の二ヶ月になるのだった。
この二ヶ月必死に学び剣術を体に覚え込ませた。師匠にも具教と同じくらい覚えるのが早かったと言われた。流石に一の太刀は教えて貰えなかった。その後、師匠相手に立ち会いを続けた。
勿論、コテンパンにやられた。この人に勝てる気が全くしなかった。
ついでに、師匠が木刀で自分が体術で相手をしたけど、何度もなんどもナ!ン!ド!モ!ぶっ叩かれた。
ようは一度も勝てなかった。
しかも容赦なく叩いてくるので死ぬかと思った。
師匠が武器を持たず体術でなら勝てるかも知れないが木刀を持った時点で死を感じさせられるので二度と相手をしたくはなかった。
ただ、久しぶりに木刀を持った相手、五十人と組手をして余裕を持って勝てたので師匠に「剣聖ならぬ拳聖になれるのでは?」と駄洒落を言われてしまった。
兄弟子(具教)と剣術で相手をしたらボロ負けだが、体術だと赤子を捻る位楽に倒せた。流石に具教が木刀、俺が素手(籠手付き)で相手をしたら最初は五分と五分だった。しかし、何回も続けているとどんどんこちらが負ける回数が増えた。
なので、これからも精進していくつもりだ。
最後に地稽古を全員として二ヶ月の剣術修行は終わるのだった。
結果として、負けたのは八十人中二十人で、完全にぼこぼこにされたのが師匠(卜伝)と具教の二人で、後は僅差で負けた。
師匠に「鍛練を続ければ具教に追い付ける...かもしれない」と言われた。
かもってなんだよ!って思ったが口には出さなかった。
多分、期待だけさせてくれたのかもしれない。
この後師匠は近江の将軍の所に行くそうだ。呼び出したのはあの剣豪将軍だ。
俺には関係ないので師匠と別れて伊賀に向かった。
それに、糞将軍と幕府に関わりたくなかった。
しかしこの後に、将軍の所に行かざるを得ないことになるとは思っても見なかった。




