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戦国生存記  作者: 現実逃避
43/180

43、婚姻と信濃大同盟

天文十八年(1549年)十二月末

上田城

(今日は殿に側室が入る日ですか...)

千姫は縁側で昨年産まれた千丸を抱えながら悩んでいた。


義照に嫁いでから不自由無く暮らしており、夫婦仲も凄く良かった。

子供が産まれるまでは共に城下を歩いたりもしていた。

嫡男が産まれてからは武田と手切れになったり、義照の兄義利と争ったりと争いが絶えなかった。


特に千丸を産んだ時は大変な時期だった。それでも殿は時間を作っては来てくれていたけど、側室が入ってしまっては今まで通りにはいかないと思っていた。


「仕方ない事とは言え、ここまで悲しく寂しくなるなんて....」

千姫の呟きは誰にも聞こえることはなかった。



その頃、義照は婚礼の儀を行っていた。

相手は木曾義康の長女で岩姫と言った。

・・・歳は十二歳だ....。

ちなみに、俺(義照)は二十二歳....。

決してロリ○ンではない(これ重要!!)

それと、史実で勝頼に殺された岩姫とは別人だ。

てか、記録に残っていなかったので義康に娘が居たなど知らなかった。


初めて向かい合ったが、俺は必ず謝られるようだった。


「この度は多くの食糧を送っていただきありがとうございました。私のような者が側室に入ること誠に申し訳ありません」


小さいながらも落ち着いて謝って来た。


「民の分も含めて送りましたが食糧は足りましたか?食べられる物なら何でもと頼んでおりましたが?」


俺が言うと頷いていた。やはりまだまだ幼いな。俺は岩姫に十六歳になるまでは抱かないことを伝えた。

やはり驚いた後、泣きながら謝り続けていた。

俺は落ち着かせて理由を説明した。


今のままだと体に負担が大きく、出産の際に死んでしまう可能性があることを伝えそれは防ぎたいからときちんと説明した。一応納得してくれたと思う。


宴は千の時とは違いそこまで賑やかではない。

参加しているのも、父と重臣、俺の家臣達だ。

木曾側は当主木曾義康と重臣数名だけだった。


義康からは食糧のことで頭を下げて御礼を言ってきた。

義康には岩姫に伝えたことを伝えた。激怒するかと思ったが、岩姫の命があっての事と言ったお陰かそういう事は無かった。ただ、臣従の件と十六歳になったら必ず抱くことを約束させられた。


翌日、千にも岩(岩姫)のことを伝えた。千は何故か納得していた。

それから数日が経ったが正室と側室で争ったりはしないかと思ったが、岩姫がまだ幼いせいかそんな事は無く、姉妹のように二人仲良くしていた。



天文十八年(1549年)十二月末

婚礼から五日後。

上田城は緊張が走っていた。

今日は父(義清)が俺(義照)には内緒で進めていた信濃大同盟の総仕上げが行われるからだ。

上田城に集まったのは以下の通りだ。


村上家

村上義清

村上義照


仁科家

仁科盛政

仁科義勝(馬鹿兄)


木曾家

木曾義康


高梨家

高梨政頼


関東管領上杉家

信濃担当

高田憲頼

笠原清繁


「・・・以上を今回の同盟内容と致します。異論が無ければ署名をお願いします」

同盟の内容を説明したが集まった者達からは異論は出ず、署名が始まった。


今回大まかな同盟内容としては


・仁科家、木曾家は村上家との婚儀を以って臣従する。


・高梨家は越後長尾家に臣従し村上家とは婚姻を以って盟を結ぶ。


・それぞれが今回の結んだ家への侵略は禁止し、信濃においてそれぞれの家が危機の時は支援する。


・武田がいずれかの土地へ侵攻して来た場合、盟約を結んだ全ての者が援軍を出すこととする。


って感じだ。

もう、対武田の同盟と言って間違いない。

ちなみに、高梨家との婚姻は弟の源吾(後の国清)に高梨の娘が入ることが決まっている。(叔父(守護)が纏めた)


また、仁科と木曾は圧倒的に損をしているが、裏で仁科は飛騨を、木曾は半独立を結んだので了承したのだった。


この同盟のことは陽炎衆を使って直ぐに広められた。武田を牽制するためだ。


天文十九年(1550年)一月


甲斐

「面倒なことになった...」

晴信は物凄く機嫌が悪かった。それもそのはず。信濃大同盟の話が耳に入ったからだ。


「勘助...同盟を破る策は無いか?」

聞かれた勘助は案はあるが実際にやるのは無理難題だと思っていた。


「恐れながら、村上義照を始末するか、拠点となっている上田城を落とすしか御座いません。同盟を進めたのは義清のようですが、義照が居たからこそ成り立った様なものです。かなり厳しいかと...」


「逆に言えば、奴(義照)さえ居なければ信濃制圧は容易いと?」

晴信が聞くと勘助は頷くしかなかった。


「他に策がある者は居らぬか?」


「御館様、美濃斎藤家と同盟されては如何ですか?」


「小山田、それは無理であった。板垣に命じて斎藤家に使者を送ってみたが、のらりくらりとはぐらかされている」

晴信は既に美濃へは使者を出していたが斎藤道三は断ったのだった。


他にも調略をしているが禰津元直のこともあり悉く失敗している。曖昧な返事をしてくる者はいたが上杉家に従っている者だった。


「恐れながら申し上げます。完成した上田城を落とすには城内の兵数にもよりますが最低三万以上は必要に御座います」


そう言うのは村上義利だった。義清によって追放された義利は桐原城に送られた後、晴信によって甲斐に連れて来られ、村上家で行っていた内政をやらされていたのだった。

勿論、人質を取られてだ。その代わり親族衆として列している。

機嫌が悪い晴信は義利の言葉に苛立った。


「何~?何故じゃ?何故三万以上居らねば落とせぬのだ?」


「はっ、上田城は総構えでかなり広い城でありますが、重要なのは本丸、二ノ丸、三ノ丸です。この三つの門は鉄門で出来ていると義照は自慢していたのでそう簡単には破れません。それに総構えを破ったとしても、内に招き入れ待ち伏せや奇襲など出来るようになっております。籠城に関しても二ノ丸、本丸に兵糧庫を多く作らせておりますので三年は外からの補給無しに戦うことが出来ます」


「では、如何様にして落とせられるのか?我らは根刮ぎ掻き集めたとして三万から三万五千程度しかおらぬぞ」


「...内応者を出すか義照が多くの兵を率いて出ている間に落とすしか御座いません」

義利は気不味そうに言う。他に手が浮かばないからだ。


「それが出来ぬからこうして話しておるのではないか!!」


晴信は我慢の限界だった。小笠原の領地までは簡単に制圧出来たが村上が邪魔で仕方なく、敗戦続きでもあったからだ。

それに晴信の苛立ちの理由はそれだけではなかった。


実は何度も信濃制圧という悲願から村上に人質を差し出して和睦し、現状維持に切り替えようと板垣や信繁、勘助等と考えたが周りの現状がそれを許さなかった。


今川は松平広忠が亡くなったことで西三河を実質乗っ取り、三河制圧も見えてきており、北条は関東管領が息を吹き返したせいで思うように領地は増えていないがそれでも徐々に勢力を拡大していた。


そんな中、武田は信濃守護(小笠原)には勝ったことで領地は増えたが、村上に惨敗を続けている為、信濃の領地は不安定な上、今川、北条との勢力差が広がっていき、徐々に対等とは言えなくなっていた。


それに、村上家は武田が制圧した信濃の領地とは比べ物にならないくらい発展しており、石高や兵の数での優位性を失いつつあった。


他の土地(村上家以外)を攻めようとしたが、東は北条、南は今川と同盟を結んでおり、西は今年の刈り入れ時に木曽を攻めるつもりだったが村上の支配下に入った為、攻めてしまえば幕府のまとめた和議を破ることになり、村上が直ぐに攻めてくるのは明白だったので攻めるに攻められなくなってしまった。

また、今川や北条を敵に回して戦をするくらいなら三国同盟を利用して村上家に攻め込んだ方が良いと考えたからだった。


「決して間者であることを村上に悟られず、武田家を裏切らない者ですか....」


「教来石(馬場)のようにならず、工藤のように重臣まで取立てられそうな者か...」


「義照ではなく、義清の方に潜ませるのはどうであろう?」


「いや、それでも義照の忍が見張るであろう」


どうすれば間者を送り込み村上を落とせるかで意見を出し合ったがこれと言った方法は出てこなかった。


ちなみに、一度、馬場信春に寝返りの使者を送ったが、帰ってきたのは上から下まで真っ二つに斬られた使者だった。



「いっそのこと、武田家からわざと追放して村上家に仕官させてはどうか?工藤も追放されて村上家に仕官し教来石も一族引き連れて村上に仕官したようであるしな。それに、以前追放された者達は皆信濃に居るようじゃしな」


「諸角殿、何を言われるか!追放などすれば、それこそ武田を裏切るに決まっておろう!」


諸角はとんでもないことを言い出し非難されたが、勘助と晴信は一つの方法を考えた。


「いや、諸角殿がおっしゃられたことは利用出来るかもしれませぬ....」


「勘助、どう言うことか?」

板垣を始め他の者達が勘助の方を見た。何故、利用出来るか分からなかったからだ。


「はっ、表向きは追放とし、村上家の方に出します。数年はかかるかもしれませんが村上義照から信用を勝ち取った後、連絡を取ります。それまでは決して密通等は致しません。そうすれば、義照も信用するのではないでしょうか?」


「しかし、その間に心変わりでもしたら如何する?人質を取っていたら間者だと知られてしまうではないか?」


「左様に御座います。なので、決して裏切ることが無い者を送り込まなければなりません...」


「勘助。そのような者がどこに居る?生きては帰れぬ可能性が高いのだぞ?逆に我らの情報を流すのではないか?」

勘助の意見を小山田は反論したが皆考え始めた。


「...誰か推挙する者はおるか?」


晴信の質問にやはり皆黙っていた。教来石のこともあり失敗すれば全てを失うだけに自ら名乗り出る者もおらず、推挙してもし失敗すれば周りからの非難を買うだけだったからだ。


「..御館様、某が言い出したこと故某が...」


「馬鹿もん!勘助、お主が行くなど殺してくれと言っているようなものだ。認める訳がない!」


「御館様の仰る通りだ。勘助、其方真田とは知った仲であろう。村上の軍師となっている真田と義照がお主を警戒し信用しないのは分かりきっていることではないか!」


静かな中で名乗りを上げたのは勘助だった。しかしそれは晴信と板垣によって即却下された。軍師を失うという代償が大きいのと、まず間違いなく義照と真田に即始末されるからだ。


「恐れながら、原殿や甘利殿は如何でしょうか?どちらも、小田井原の戦で父を失くしております。なので村上への怨みを持っておると思いますのでそう易々と武田家を裏切ることはないと思います。それに度々乱闘を起こされた原殿なら追放の理由を作るのが容易いかと...」


義利は周りから冷ややかな目で見られながらも提案した。

一部批判する者もいたが晴信に代わりに誰か指名せよと言われ黙ってしまった。


その後、甘利信忠と原盛胤が呼ばれ、今回のことが話された。


原盛胤はもし失敗した場合、横田高松の婿養子となった兄、横田康景の子を原家に戻すことを条件に了承した。


甘利は物凄く悩んだ。弟がいるが、失敗する可能性が高く、教来石のようなことになる(切り捨てられる)のではないかと思ったからだ。その為、生涯を賭けたこの命令は受けたくなかった。

結局甘利は断り、叱責されるかと思ったが板垣が庇ったのであった。


晴信は今すぐ盛胤を追放することはせず入念に準備をした後にすることにした。それと同時にこの件は集まっている者達のみ知ることとし、今後詳しいことは晴信、勘助、板垣の三人のみとすることになるのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] あの事件の犯人は原でそれを手土産に村上に来たから重用されてるとか武田陣営に流すだけでもう帰れないと思うわ 武田嫌いの村上に受け入れられる時点で糞怪しいしな
[一言] 前の戦いで最後まで晴信逃がすために戦って死んだ鬼美濃原虎胤の次男だよね? でもそんな奴では怪しすぎじゃないかなあ 家族を連れてこないと信用されないから連れてくるんだろうけど長男の兄とか一族が…
[一言] ああ、主人公が知らない子の原昌胤も来るの? 譜代家老の原昌胤と違って、盛胤はどうでもいいっていうか…義照も正直困るよね!
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