42、援助と北条の妖怪
天文十八年(1549年)十一月
木曾義康の元には多くの食糧が運ばれていた。
「何なのだ、これは?」
「義康、お主が家臣に指示したのでは無かったのか?」
現当主の木曾義康と、前当主で隠居していた木曾義在は困惑を隠せなかった。
武田によって根こそぎ奪われ、餓死する者が多く出ていた中、長蛇の列を作って粟や稗、蕎麦、一部には米等がどんどん運ばれて来たのだった。
城門の兵士は直ぐに門を開いて受け入れた。周りには生き残った民も城に集まって来ていたのだった。
義康は困惑しながら見ていたら家臣が慌ててやって来た。
「殿、これらを持ってきた寿老屋という者が殿に御目通りしたいと参っております」
「直ぐに会う。何処におるか!!」
義康は直ぐに会いに行った。自分は何も頼んでないし、これだけの物を支払う金も無く、頭が追い付いていなかった。
「ワシが当主の義康だ。其方が寿老屋か?我らは何も頼んでないがこれだけの食糧はどうしたのだ?我らでは払いきれぬぞ!」
「お初にお目にかかります。寿老屋伝兵衛と申します。此度は難儀な目に遭われたようでお悔やみ申し上げます。お代は既に頂いておりますので結構でございます」
伝兵衛の言葉に驚いた。これだけの量のお代は貰っていると言ったからだ。
「其方~!!貰っていると言ったが誰がこれだけの物を支払ったのだ!!」
伝兵衛は慌てて聞いてきた義康の慌てふためく姿を見てつい口元が緩んでしまったが、冷静に答えるのだった。
「信濃の村上義照様に御座います。信濃の大黒屋さんの方から連絡が来まして、村上義照様が四千貫(およそ六億円)分の食糧を届けて欲しいと言われましたので届けに参りました。後、これは預かりものです」
伝兵衛はそう言って懐から書状を取り出す。
勿論、義照からの書状だ。
義康は貰うと直ぐに書状を読んだ。
内容としては、援軍が出せなかったことのお詫びと結納金の代わりとして食糧を送ったことが書いてあった。
また、民にも分け与えて貰いたいことも書いてあった。
(失った物は大きいが、村上に臣従したこと、間違いではなかったかもしれぬ...)
義康は書状を読み、自分の判断が間違いではなかったと感じていた。
「寿老屋殿、忝ない。民にも分けたいので手伝っていただけないか?」
「分かりました。微力ながらお手伝いさせていただきます」
そう言って、民への配給を始めたのだった。
その頃義照は年末に行う婚姻の準備をしていたが、来訪の先触れが来て急遽予定を変えて面会することにした。
そして、面会場所の寺では厳戒体制に入っていた。
「殿、本当に会われるのですか?」
「殿、付いてきている者は忍です。危険ではないでしょうか?」
昌祐と孫六は反対したが、来た人物が人物だけに会うことにした。
「わざわざ死地に来たのだ。話くらいは聞いてやらねばな。しかし、武田や父に内緒で、というのが気になるな...」
暫くすると三人の男が寺の住職の案内でやって来た。
俺の護衛に孫六、昌祐、昌豊の三人と突入出来るよう、陽炎衆精鋭十名、兵士五十人を用意して部屋の周りを固めておいた。
相手が相手だけに皆気を引き締めていたが、特に孫六はかなり警戒していた。何しろ忍刀、鎖帷子、棒手裏剣、鳥の巣(煙り玉)等、忍の道具をフル装備だったので戦にでも行くのかと思うくらいだった。
「御初にお目にかかります、北条長綱と申します。此度は急な来訪にも関わらず御逢いいただき忝なくございます...」
目の前の男、北条長綱は後の北条の妖怪、北条幻庵だ。
九十七歳まで生き初代から五代まで支えた人物だ。
何故、妖怪と言うかと、転生前に読んだ小説に北条の妖怪と今川の妖怪として出ていた記憶が残っていたからだ。
ちなみ今川の妖怪とは寿桂尼のことだ。
「北条家を束ねているとも言える人物が人目を避けて来られるとはどう言ったご用件で?」
長綱は少し黙ったまま俺を見ていた。
長綱としてはどのような人物か知りたかったからだ。
「北条家を束ねておるのは甥(氏康)に御座います。此度は内密に盟約を交わしたく参りました」
俺達はその事に驚いた。上杉家と同盟しているのに北条が同盟を求めて来たから。
「...ご存じでしょうが我らは管領上杉家と同盟をしております。また、北条は我らが宿敵である武田とも同盟をされている。故に同盟をすることは出来ませぬ。ですので...あなた方を管領上杉家に送ることにしましょうか...」
俺はそう言って手を上げた。
すると兵士達が一気に入ってきたのだった。
長綱は微動だにせず、こちらを見たままだ。一緒にいた二人は長綱を守ろうとしていた。
俺の方は、工藤兄弟は何時でも刀を抜ける構え、孫六は俺の前に出て長綱の側にいる忍を警戒していた。
そんな状態の中、長綱は...笑いだした。
「ハハハハご冗談を。そのつもりでしたら私の話を聞こうとはせず、もっと逃げにくい所に連れていったでしょう」
長綱は不気味に笑いながら言った。確かにその通りだ。今は関東管領に売るつもりなど毛頭無いからだ。
と言うか、今は武田以外の敵は増やしたくないというのが本音だ。
「...まぁ、確かにそうですね...。ただ、本当のことを言われなかったので、私としては長野殿に送ろうかと思ったのは事実ですがね」
そう言って囲んでいる兵達を下げた。しかし、陽炎衆は部屋の中に残った。孫六が目の前の忍は危険と判断したからだ。
「孫六、武器を納めろ...」
「殿、この忍は危険すぎます。刺し違えてでも始末すべきです....」
「小太郎、お主もその手に持つ物を仕舞え。殺し合いに来たのではない。話が出来ぬ」
(小太郎?...小太郎!風魔小太郎か!!)
まさか、風魔小太郎が来てるなんて思っても居らず、内心仰天していた。それと、孫六が危険と言ったのも納得した。
少し場が静かになったが、小太郎が武器を納めたのを確認して、孫六も武器を納め、陽炎衆を下がらせた。
「では、本当のご用件は何でしょうか??」
「なに、単純にお主(義照)と村上家を見極めるためじゃ。それに話をしてみたかったのでな。お主の政策はワシ等が代々目指しているものに近い。それゆえ直接争っていない今の内に見極めようと思った訳じゃ」
「北条家が代々目指している?...禄寿応穏...でしたかな?」
俺が聞くと長綱は頷いた。
禄寿応穏とは領民の禄(財産)と寿(生命)は応に穏やかなるべしと言う意味で北条家の家訓のようなものだ。
「確かに私は戦が無く誰もが笑って暮らせる土地にしたいと思い、色々やってます。勿論、敵には情け容赦はしませんがね。六公四民を四公五民一備蓄にしたのもその為です。民が居てこその領主ですからね」
長綱は義照の言葉を聞いて心底、後悔し残念がった。この者が北条家の家臣か隣国の当主なれば良かったのにと...。
「左様か...。其方が同盟相手か北条家に居れば民は安泰じゃったろうに...。どうりで武田の童(晴信)が惨敗し、あの雪斎が欲しがる訳じゃ。上杉と同盟を結んでおらねば同盟を結びたかったものじゃのぉ」
長綱は残念そうに言うがそれは俺も同じ事を思っていた。
氏康までは名君と言って良いと思っている。民から好かれ、民を思って動いていたからだ。氏政はただ、それに胡座をかいていただけだと個人的に思っていた。
まぁ、最後まで秀吉に逆らい、日ノ本全部を相手にした度胸は凄いと思うけど...。
「北条が河越の戦で管領の首を取り、武田と同盟しておらねばあり得た話でしょうな...。いや、今のままの管領様(憲政)なら可能性はあるか...」
長綱は驚いた。上杉家は同盟国なのに関東管領は別にいらないようなことを言うからだ。
「同盟しておきながら、用無しとは...」
「政を見ておればそう思います。同盟も長野様がおられねばしておりませんでしたし..。まぁやむ無く、武田に対しての同盟はしていたかもしれんがな」
俺がそう言うと昌祐達は頭を抱え、長綱は色々考えていた。
(成る程。箕輪城の長野を味方に出来れば村上と同盟も出来るかもしれぬ...。武田が苦情を言うてくるだろうがそれを無視するだけの値打ちがある...。それには上野まで制圧しなくてはならぬな...。全く、父(早雲)から聞いた、かの資長(太田道灌)のように厄介になりそうじゃの..)
長綱は色々策を考えつつも、戻ったら氏康と相談することにしたのだった。
「成る程の...。此度は良き時間であった。御礼を申し上げます」
「そうですか...。次は氏康殿とも話してみたいものですな。それではまたいずれお会いしましょう」
そうして今回の密談は終わった。孫六に国境まで影から見守る(監視)よう指示をしておいた。まぁ、風魔小太郎と言う凄腕の忍が護衛に付いていたから問題は無いだろうけどな。・・しかし孫六がかなり警戒し刺し違えてでもと言ったのは驚いた。それだけ脅威に感じたのだろう。...孫六がいてくれて良かった。
後日、国境まで見送った孫六から長綱達が佐久郡の関東管領の土地を通って帰っていったことに驚きを隠すことが出来なかった。
どんだけ、ザルな警備をしているのかと思うのだった。
天文十八年(1549年)十一月末
俺は元武田家臣達と面会していた。
徹底的に調べたのでここまで遅くなってしまったが、まず間違いなく追放され、武田との繋がりが完全に切れていることを確認できた。
やって来たのは十人、そのうち俺が名前を知っているのは一人だ。
しかし、面会早々二人程首が飛びかけた。
「信春殿!殿の御前ぞ!落ち着かれよ」
「離せ!!!昌祐殿、昌豊殿!離してくれ!ワシはこの二人を斬らねばならん!!」
工藤兄弟は必死に信春を捕まえていた。
斬られそうになっているのは青木信立と小沢善太夫と言う者だ。・・・信立は信春の後の武川衆の頭領だ。
ちなみ、なぜここまで信春が斬り殺そうとしているのかと言うと・・・。
「成る程。この二人がか...。」
なんでも俺の元から帰された信春を裏切り者と呼び、あることないことを噂にして流した張本人らしい。
目的は武川衆の頭領になるためだったと隣にいる幸隆が説明してくれた。
「はぁ...。信春、まず刀を納めろ」
「殿!しかしながら!」
「納めろと言ってるのが分からんのか...?」
俺が再度言うと信春は震えながら刀を納めた。
殺されそうになっていた二人は助かったと思ったのかへたり込んでいた。
「さて、静かになったところで話をしようか。まず全員追放されたことは良く分かった。その理由もな。流石に全員を一ヶ所に集めておく訳には行かんからバラけて貰う。別に武田に内通しても良いが、その時は覚悟はしておけ」
「「ははぁ.....」」
元武田家臣達は伏して頭を下げた。
俺は名前が書かれた書状を見てどこに配属するか伝えた。
「まず、原昌胤。そちは暫く俺の元で働いて貰う。直属だ」
「え!あ、ははぁ!!」
呼ばれた原昌胤は物凄く驚いた後、伏して頭を下げた。
原昌胤は武田二十四将の一人だ。
父親が亡くなり、家督を継いで直ぐに今回の刀傷沙汰に荷担していたので追放されたらしい。
他の者も誰の下に付くか発表していた。
で、二人程、名前を呼ばれずに残っていた。
さっきの二人(青木、小沢)だ。
「さて、青木と小沢の二人だが..信春に預けようと思っていたのだが...幸隆、どうする?」
俺が言うと二人は顔面蒼白で震えていた。
「確かに家臣を過去の怒りで手打ちにされては殿の面目は丸潰れですなー」
「殿!二人が殿を裏切らない限り、決して殺しはしないと祈証文に誓いますのでどうか!そのまま二人を私に下さい!」
信春の言った言葉を少し考えて見た後、幸隆が頷いていたので認めることにした。
これで二人は殺されることは無くなったがまぁー地獄を見ることになるだろう。
殺しはしないと言ったが、傷つけないとは一言も言っていなかったからな。
幸隆も信春の気持ちを汲んでやったのだろう。
(しかしこれで晴信はまた一人名将を失ったが、何人くらい残ってるかなぁ~)
恐らく、昌胤は家督を継いで間もないため、その才能を晴信に知られていないのだろう。でなければ、手放すことはしないと思う。ある意味運が味方したと思う。
俺は後どれくらい引き抜けるか、ちょっと楽しみが出来たのだった。




