34、急報
天文十七年(1548年)六月末
上田城
「してやられたな...」
俺が呟くと周りも何も言えなくなった。
義利と武田晴信にしてやられたからだ。
「今回の件で義利と武田も我らに全力を傾けることができます」
何をやられたかと言うと、兄義利は高梨と和睦し、仁科とは不干渉とし、俺に全戦力を向かわせられるようになった。
そして武田は甲相駿三国同盟を結んだのだ。
(史実より早過ぎる...。俺がいることで変わったのか...)
史実では雪斎が発案、取りまとめたが今回は晴信と勘助が発案し、関東管領上杉家が史実より厄介になっていた為、北条がその案に乗り寿桂尼に働きかけたのだ。
ただ、雪斎は猛反対したらしい...。
(やはり、雪斎は欲しいな...。無理だけど...)
「殿、長窪城と内山城にはそれぞれ千人弱づつ兵が入っておりますが...」
「足らんだろうな...。西条義忠、森村清秀、二人は長窪城の援軍として千人連れていけ。信田隆生、高坂範重は内山城だ」
「「ははぁ!」」
「幸隆、昌祐、光氏、新左衛門は出陣の用意をいたせ。昌豊は上田城に留守居役として残り、場合によっては武田に当たれ」
「「はっ!」」
俺は次々指示を出していき、武田と兄義利への対策に追われた。
しばらくして関東管領上杉憲政から使者が来るのだった。
天文十七年(1548年)七月
「それで、同盟を...?」
「はい。関東管領様は村上義照殿との同盟を希望されております。話は届いていると思いますが、甲相駿の三国が盟を結びました。その為、我らは伊勢(北条)に対抗する為、村上殿に武田を抑えて頂きたいのです」
史実では落ちぶれていく関東管領からの同盟の提案に悩んだ。既に史実とは違い、関東の情勢は河越夜戦で大敗したが志賀城救出と佐久郡に領地を得たことで勢いを取り戻し、今のところ北条と互角だ。
しかし、一番の懸念は憲政の遊興癖だ。
河越夜戦で大敗した後一時は収まっていたようだが志賀城で大勝した後は再度出るようになったらしい。
ついでに言うなら、前回の志賀城の援軍は西上野衆が殆どだったらしく、上杉家直属はあまり居なかったそうだ。長野業正殿が大将と言うことで西上野衆がこぞって出陣していた。流石業正殿だ。
「申し訳ないが家臣達と話したいので暫く時を頂きたい。決めた際にはそちらに使者を送らせて頂く」
俺はそう言って使者を帰した。正直、上杉家と単独の同盟は余り受けたくない。
これが長野殿が言ってきたなら即答で受けていただろう。
(さて、どうするか....)
俺は皆に話した後数日考えるよう命を下し解散させた。
天文十七年(1548年)七月中旬
ついに小笠原が諏訪に攻め込んだ。
武田は知っていたようで直ぐに迎撃の為の軍を出したようだ。
俺達も一万の兵を率いて葛尾城に出陣した。
ほぼ全て常備兵だ。上田城の守りに、工藤昌豊と千五百名と鉄砲隊五百人の二千人を残しておいた。
出陣したのは
俺(村上義照)
工藤昌祐、真田幸隆、鵜飼孫六
保科正俊、出浦清種、馬場信春
楽岩寺光氏、須田新左衛門、
等だ。
他の者は各地の城に送ったり、桐原城、大家城への対応を任せている。
葛尾城
「義照が出陣したか!直ぐに兵を集めよ!籠城し時間を稼ぐ!」
「ははぁ!」
義利は義照がこの時期に来ることを予想しており籠城の準備を進めていた。
数日後には四千の兵を集め籠城した。
この数は桐原城と大家城を除いた全ての兵を集めている。
常備兵も二千と義照より少ないが集めていた。
ここまで兵が少ないのは、武田に付くと宣言してから多くの民百姓が義利の領地から逃げた為だ。
しかし、義利と晴信は今回の戦で信濃の大部分を制圧するつもりでいたのでその為の準備も怠ることはなかった。
天文十七年(1548年)八月
葛尾城周辺
義照本陣
殆ど抵抗なく葛尾城についた。あったのも数回の奇襲だったが陽炎衆によって始末されたり察知されていたりしたので被害は無かった。
「呆気なく囲んだけど、降伏してこないんだよな?」
「はい。少し話した後、追い出されました」
俺が聞くと光氏が答えた。今回光氏自身が使者として行ったのだが、兄は「降伏はしない。城が欲しくば奪ってみろ!」と言ったそうだ。
「殿、敵はおよそ四千、そのうち常備兵は二千にも上ります。数は少ないですが強攻すればそれなりに多くの被害が出ると思われます」
「信春、幸隆、城の水の手は切れそうか?」
「既に探させているので時間の問題と存じます」
「ただ、それを見越して水を運び込んでいる可能性はあります」
二人は既に多くの者を出して水の手を切ろうとしていた。水を切れば半月も持たないだろう。
「殿、武田晴信は諏訪と甲斐の国境から動きません。その為、小笠原は上原城を攻めております。上原城の城代は重臣板垣信方に御座います」
その報告を聞いて不思議に思った。傅役(板垣)の城を攻められているのに動かないからだ。
孫六が言うには上原城には三千の兵がおり、小笠原は一万の兵で攻めているそうだ。
(いやー叔父(小笠原長時)が一万もの兵を集めるなんて意外とやるんだな~)
俺は初めて叔父を尊敬したと思う。
武田本軍は五千程らしく勝てない戦力差ではない。
なので急ぎ武田軍の動きを徹底的に調べさせた。
出来れば何もなく勝って欲しいけど...無理だろうな...。
それから数日後。
葛尾城の水の手を切ったが、小笠原が敗北したと知らせがやって来た。
武田はそのまま小笠原の埴原城に向かったそうだ。
戦の内容を聞いたが完全に小笠原の自滅のようなものだった。
小笠原長時は上原城を囲んでいたが、本陣は隙だらけで、暑さのため鎧兜を着けていない者が多くいたそうだ。
長時もその一人だ。高遠が忠告したが聞く耳持たず、結局武田の奇襲で殆どの者が討ち取られ大敗だった。鎧兜を着けてないところに奇襲だからそんなものだろう。ちなみに高遠頼継は武田に捕らえられた。
(しかし、憲政にしろ長時にしろ油断し過ぎだろ...)
呆れながらも、塩田城の塩崎八郎と長窪城には武田に警戒し、籠城の構えをさせる伝令を送ることにした。
しかし数日後に思いもよらない知らせが入ってくるのだった。
葛尾城
「水の手が切られたか....どれくらい持つか?」
「ご指示通り貯めておりますが持って半月かと...」
義利の質問に申し訳なさそうに答えた。
「武田との連絡は..無理であろうな。義照が逃す訳がないな」
義利は何度か使いを出したが誰も戻ることはなかった。
実際、陽炎衆によって全員始末されていた。
「このまま、籠城を続ける。そうすれば武田が動くだろう。それまで義照を、引き付けておくぞ」
「...畏まりました..」
(武田が上手くやればきっと...)
義利は策がなれば全てを打開できると一人思っていた。
天文十七年(1548年)八月中旬
事態は大きく変わった。
義照達には予想外の知らせが来たのだった。
「禰津元直謀反!!武田軍によって長窪城が落とされました!」
「・・・は?」
俺はまさかの急報に開いた口が塞がらなかった。
静かになった本陣で直ぐに反応したのは幸隆だった。
「禰津殿が!間違いないのか!!」
「間違い御座いません!禰津元直は禰津城が武田に付いた者たちに落とされたと、長窪城に逃げてきたので、城主の須田満国様が門を開けたのですが禰津元直が先頭になって城兵に襲いかかり武田を招き入れ落城、満国様御討死!息子の満親様と援軍に来られた西条様、森村様は逃げ延び丸子城へ落ちられました!」
幸隆はその報告を聞いて崩れ落ちた。禰津一族は真田と深い関係があるからだろう。
「敵の数は....大将は誰だ?」
俺は手で顔を抑えながら聞いた。満国を殺されて、禰津に対し怒りが収まらなかったからだ。
「た、武田軍は三千ですが、禰津のように武田に鞍替えした地侍達が少なくとも千人以上が合流しております。敵大将は武田信繁!他にも小山田信有、諸角虎貞も確認されました!」
かなり前から仕組まれていたのだろう。それと、俺の甘さが原因だった。俺は人質を取らなかったのだ。互いの信用がこの信濃を守ることになるだろうと、甘く考えていた。
自主的に上田城に住まわせている者もいるが僅かだった。人のこと(上杉、小笠原)は言えなかった...。
「殿、このままでは丸子城を素通りし、上田城まで攻められる可能性があります!」
「他にも寝返る者が出るかもしれません!」
集まっている者達は直ぐに引き返すことを勧めめた。このままでは本拠地まで取られかねないからだ。
「・・・・信春、水の手を切ってから何日たった?」
「と、十日程になります...」
信春は驚きながらも答えた。
その後誰も何も言えなかった。義照の雰囲気が変わっており、いつも怒ることが殆どなく誰にでも優しく接していた時とは違い怒りに満ちていたからだ。
「包囲戦は止めだ。三日で葛尾城を落とす..。光氏、昌祐..」
「は、はっ!」
「軍を二つに分け、昼夜問わず攻めかかれ。ただし、無駄に犠牲を出すな。最悪凡戦で構わん。ただし敵に休む時間を与えるな」
「「ははぁ!!」」
「孫六、昌豊に伝令。上田城の民兵を徴兵し集めて武田に当たれ。ただし、勝ち目が無いならそのまま籠城せよと伝えろ。それと、西条義忠、森村清秀には丸子城を死守、どうしても無理なら上田城へ退けと伝令を出せ。満親は手勢を率いて昌豊に合流し指示に従えと伝えろ」
「畏まりました」
「はぁ~...幸隆....」
「ははぁ...」
俺は怒りを抑えながら指示を出していき、最後に幸隆を呼んだ。
「禰津はなぜ裏切ったか分かるか?」
「...恐らくですが、我らに付く前に武田に側室を出していたと聞いております。その為、裏切ったかと...」
(あー禰津御寮人...存在薄くて完全に忘れていたな...)
晴信の側室と言えば諏訪御料人(武田勝頼の母)と油川夫人(仁科信盛、松姫等の母)が有名だが、一応禰津御料人がいる。
「そうか...。幸隆、確か禰津は滋野一族だったな?」
「....はい」
「禰津一族は一人残らず滅ぼす。これは絶対だ...」
義照が言うと幸隆は何も言えなかった。本当は何とか助命を言いたかったが、今の義照にそんなこと言えば真田家が危うくなると思ったのだった。
その後本陣は解散となり、義照は一人となったが怒りを抑えきれず、目の前の机を殴り割るのだった。
(満国...すまん...すまん...)
自分の甘さで重臣を失ったことを一人深く後悔するのだった。




