33、一時の静寂
天文十六年(1547年)十一月
葛尾城
「それで、義照の動きはどうか?」
「今の所、保護した民や兵達の管理の為、動く気配は無いようです。それに、もう雪が積もってます。流石の義照でも雪解け後までは出陣は無いでしょう。ただ...」
「ただ、こちらに味方した地侍達が義照の手の者によって暗殺されているようにございます。その為に地侍達が何とかしてくれと騒いでおります。それと...百姓達が土地を捨てて逃げ出しております。一応、関所等で封じ込めはしておりますが....」
義利は義照の動きを警戒した。雪とは言え、常備兵を持つ義照は、いつでも動ける軍を持っているので気を緩めることが出来なかった。
義照から常備兵のメリットデメリットを聞いており、義照に次いで常備兵には詳しい。
そして、自分達は厳重に警戒しているが、陽炎衆(忍)の暗躍はかなり厄介になり、地侍達から何とかしてくれと懇願されていた。
「分かっているが何も出来ん。皆に油断はするなと伝えろ。武田からの連絡はあったか?」
「それが...義照とは管領の仲裁で二年の不干渉を結んだので表立っては動けないと言うことです...。ただ、裏では支援すると...」
(やはり、武田は志賀城での敗北が大きいのか...)
義利は正直、武田の勝利を疑わなかった。武田は一万五千で攻めているし、自身が謀反を起こせば引き返してくると思っていたからだ。
しかし、実際は戻ってくる事は無く、管領軍と連合で戦い勝利した。しかも、武田からの佐久郡をほぼ取り返してだ。
一番の予想外は関東管領が一万五千と言う大軍を送り込んできたことだった。
「桐原城、大家城の守りを固めろ。あの二つの城を落とされれば我らは孤立してしまう。それと、義照に付いた者達の調略をしろ。一人でも減らせればいい。無理なら噂を流して時間を稼げ」
「殿...ご存知の通り義照には陽炎衆がいるので調略は難しい..。いや不可能かと...」
(そんな事は分かっている!けど、あいつ(義照)に勝つにはそれくらいしなければならんのだ!)
義利は心の中で叫んでいた。弟達(義勝、義照)に劣っていると影で言われていたことを知っている。
だからこそ、今回周りの家臣達を見返すつもりでもいた。武は義勝に劣り、政は義照に劣る。だからこそ、知略で勝とうと思っていた。
しかし、義照が孫六達忍や、真田幸隆を召し抱えると、義照は謀略にも長けていった。それが義利にとってどれだけ悔しくて苦しかったかは誰にも分からないだろう。
「それでも進めてくれ...」
義利はそれだけ言うと、高梨との停戦の交渉や武田とのやり取りを続けるのだった。
天文十七年(1548年)一月
俺と千の子が無事に生まれた。男の子で名を千丸とした。
佐久郡での勝利と共に良い事尽くしだが、やはり、兄の謀反の影響は大きかった。
俺達はほぼ囲まれた状態になっていた。北は本拠地葛尾城、西は桐原城と大家城、南は諏訪となっている。
雪解け後、桐原城と大家城を落としに向かいたいがそう簡単にはいかなかった。
俺の本拠地上田城を空けると、北から兄が攻めてくるのは分かっているからだ。その為に周りを固めるべく、小笠原、仁科に、使者を送っている。小笠原からはすんなり了承を得られたが仁科は難しかった。馬鹿兄がいるので味方にしたかったが不介入と言ってきたのだった。
その為、今も交渉を続けている。
それと、武田の存在が不気味なものとなってきた。こちらに対して何もしてこないのだ。
陽炎衆からの報告でも、立て直しと内政を行っているだけで兵糧を集めたり等、戦の準備は全く行っていないようだ。
ただ、北条と今川との往来が多くなっている。
その為、北条や今川にも間者の手を伸ばしたが北条に手を出したのは失敗だった。
北条の忍、風魔によって多くの犠牲と負傷者が出たのだった。敵に地の利があるだけにこれ以上は手を出さないことにした。やはり風魔は恐ろしい...。
そうそう、上泉秀綱だが見つかった。業正が戻った後調べてくれて知らせてくれた。そしたら上杉家の家臣の家臣(陪臣)?だったらしい。しかも大胡城の支城の上泉城の城主らしい。
北条め!さっさと城を落としてくれないから引き抜けないじゃないか!!
なので、今は...今は!!引き抜きは断念せざるを得なかった....チクショウ!!!!!!
天文十七年(1548年)三月
上田城
「ここはやはり、桐原城、大家城に向かうべきです。武田との連携をされては厄介です」
「いえ、武田と停戦をしている今の内に葛尾城に向かうべきです。義照様が出陣すれば、百姓達が味方に付くので敵の兵の数は減る筈です!」
「いや、しかし、武田が約定を守ると思えません!我らが葛尾城を攻めている間に佐久の内山城や小県の長窪城を攻めてくるかもしれません」
評定を開いているが、やはり、武田の動きが分からず、意見が割れている。
俺としては葛尾城を落として北を固め、南だけを気にしたいところだ。
「幸隆、孫六、葛尾城に間者はどれくらい入っているか?」
「はっ、追加で紛れ込ませましたので二十名程入っております。陽動は出来ますが門を開けるには数が少なく無理にございます。葛尾城の門は随時五十人近い兵で見張られ出入りでも確認がされます」
「義清様やその奥方の居場所も突き止めております」
俺が聞くと二人は報告してくれた。
「小笠原の動きはどうか?諏訪を攻めようとしていたが?」
「そちらは七月に出陣するようにございます。既に兵糧等を運び入れています」
(七月か...。同時に攻めるか?そうすれば武田は動けないはず)
「どちらを攻めるかは後で決めるとして、戦は七月に行おう。小笠原が武田の相手をするならその間に落とそう」
その後、話し合ったが父(義清)と母を助けることも考えて葛尾城を攻めることにした。
それに合わせて、長窪城と内山城に援軍を送り守りを固めることにした。
その頃武田家は水面下で動いていた。
「やっと、今川が了承したか...」
「はい。雪斎殿が反対されておりましたが寿桂尼殿の取り成しもありましたので何とか...」
晴信は小山田からの報告に安堵した。前回の敗北から村上と関東管領上杉を甘く見ていたと考えを改め、北条と同盟を結ぶことを考えた。村上義照については義利が武田に付いたので足止めやこちらの立て直す時間を稼げると考えていた。
そして今回、今川義元に認めさせることが出来たのでやっと表立っては動くことができるようになると考えた。
「御館様、小笠原が七月に諏訪を攻めるとのことですが如何なさいますか?」
「板垣、そちは諏訪衆をまとめ小笠原に備えよ。飯富、そなたも板垣に合力せよ」
「「ははぁ!」」
「勘助、小山田、今川と北条との同盟、その仕上げに取りかかれ」
「ははぁ」
「御館様、既に場所は義元殿が指定されました」
小山田の報告に 顔を歪めた。前もって報告して欲しかったからだ。それに、主導権を今川に取られることになるからだ。
「義元殿は何処を指定した?」
「駿河の善徳寺に御座います」
その事に、晴信は承諾し北条にもその事を伝えに行かせた。
義照の知らないところで歴史は早く進められようとしていた。
駿河臨済寺
今回、武田からの提案に猛反対していた雪斎は一人寺に籠っていた。
(寿桂尼様や御館様(義元)のおっしゃることは分かる。確かに今回の件で我ら(今川)は西側に専念できる。しかしそれは武田が耐えればの話だ...)
雪斎は武田のみで村上と戦をして勝てるとは思っていなかった。むしろ、負ける可能性の方が高いのではと前回の戦を見て思っていた。
しかし、村上(義照)が石高六万程度に対して武田は多くて四十万石、それだけ見れば誰もが武田が勝つと思うだろう。
だが、武田の信濃の領地は反乱の火種が多く、土地を捨てて逃げる者が後をたたないと聞いている。
それは、武田に寝返った村上(義利)も同じ状態だった。
それを考えれば、今以上に武田は今川に援軍要請をしてくるだろう。それではこの件は意味がない。
「やはり、義照は引き抜きたいのぉ...。あの者が居れば今川に敵は居ないだろう...」
雪斎は一人呟きながらも、義元が決めたことなので従うことにするのだった。




