31、小田井原の戦い(後編)
管領軍到着の少し前
村上軍
かなり無理をして敵中央を突破している。その為、後方の地侍や反武田勢の軍が遅れだし後ろから追ってくる武田勢に仕留められていた。
前の三人はどんどん進んでいくが徐々に進軍速度が落ちてきた。常備兵は負傷したら直ぐに入れ替わり攻め立てるので負傷者こそ多いが死者はまだ出ていない。
「まだ、上杉軍は来ないのか...」
俺が呟くと隣の幸隆から既に一刻は経っていることを知らされている。
それと、このままだと完全に囲まれるので脱出すべきと言われた。
俺は直ぐにその意見を聞き、前の三人に徐々に右に逸れ、敵本陣横を抜けるよう指示をした。最早撤退しかない。
少しずつだが右に逸れてきた。島津の退き口とはこれかと思った。
しかし、やはり進軍が止められてきているのが分かり焦っている。
「進め!進め!決して止まるな!」
先陣中央の馬場信春は叫びながら中央を突撃していた。既に何人もの武将を討ち取っていたが大将首を狙っていた。義照に、今回の戦の功績次第では人質は返すと言われたからだ。それに、最早武田に思い残す事は無く、逆に裏切られたことで怒りに燃え鬼神の如く暴れていた。
「馬場や保科殿に負けるな!進め!」
昌豊は隣の馬場や更に奥にいる保科に、遅れを取らぬよう必死に軍を進めた。武田軍と常備兵の力の差は歴然だったが武田、今川連合はその数を生かして攻めてくるのでこちらの方が疲労困憊だった。
しかし、訓練していた為まだ戦えた。昌豊は器用に兵を入れ替えながらも戦うことで少しでも休ませながら進んでいたのだった。
現代では影が薄い、信長記の太田牛一に忘れ去られる等されていたが、今はその卓越した腕と指揮能力を見せつけるのだった。
(二人とも中々だ。俺も負けてはおれん!)
保科正俊は自ら前線に立ち槍を振るっていた。自ら槍を振るうことで士気が上がりその勢いで敵を圧倒していた。
(高遠のところではこんな戦は出来なかった!やはり、義照に仕官したのは間違いではなかったわ!)
「死にたい者は来い!!槍弾正が相手だ!!」
正俊は最前線で槍を使い向かってくる者を一撃で屠っていた。それと同時に軍の指揮をしていたので一つの個体のように動いていたのだった。兵士との信頼関係と練度が無ければ出来るようなことではなかった。
暫くして法螺貝が鳴り響いた。
一瞬戦場が静寂に包まれたが直ぐにどちらに所属しているかで反応が別れた。
「み、味方が来たぞ~!!管領軍だ!!」
「て、敵だ!上杉軍が来た~!」
(やっと来たか!)
「幸隆!!」
「ははぁ!!!伝令を出せ!予定変更!このまま敵本陣に突撃する!!弓衆と後方の軍は反転!押し返せ!!」
「「おおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!!!」」
一気に流れが変わった瞬間だった。
「遅くなってしまったがまだ大丈夫そうだな..。全軍突撃!!村上軍と合流し、志賀城に向かう!管領軍の本当の強さ、武田に見せつけてやれ!!!」
「「うおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!!!」」
業正の激で関東管領軍は突撃を開始した。一番初めに被害を受けたのは原虎胤の軍だった。しかも、運悪く挟まれる形で逃げ道を失ったのだ。
「ええい!前の軍へ突撃し包囲を抜けるぞ!!」
原虎胤は直ぐに指示をして突撃し始めた。無数の矢に射抜かれながらもなんとか突破するのだった。
飯富の赤備えは直ぐに態勢を立て直して管領軍と対峙しなんとか一進一退を繰り広げた。しかしその数に押されるのだった。
「ワシが残る。皆撤退せよ!!」
武田、今川本陣では板垣が直ぐに撤退の指示を出し、自ら殿を務めようとした。しかし、それに甘利が激怒した。
「御館様(晴信)の傅役が死んでどうする!武田を見捨てるつもりか!!」
と叱責され、甘利が残ることで決まった。
雪斎はと言うと元々本陣前と本陣後方に軍を敷いていた為直ぐに撤退の指示を出し、駿河に引き返すことを決めた。それと今後について話し合わねばと考えていた。
それから一刻半は一方的な戦になった。
武田、今川連合は撤退し、甘利虎泰が殿として残り、包囲を抜けた原虎胤も、最早生きることはできないと判断し残りの兵と共に残った。
飯富は粘った後、殿の二人から退くよう命じられ撤退した。
管領、村上軍は追撃をしたが甘利虎泰、原虎胤の必死の抵抗に阻まれ僅かだが時間を稼がれ逃げられてしまった。しかし、殿部隊は一人も生きて帰れた者は居なかった。
馬場信春は原虎胤を、工藤昌豊は甘利泰虎を討ち取るのだった。
特に夜叉美濃と言われた原虎胤の最期は凄まじかった。信春に腕を切り落とされても動じず信春を蹴り飛ばして討ち取ろうとしたところを周りにいた兵士達に矢で身体中を射抜かれ立ったまま絶命したのだった。
その姿は丸で弁慶の立ち往生の如く、暫く信春も含めて誰も近付くことが出来なかったのである。
今回の小田井原の戦いの被害は
村上軍(地侍、反武田勢を含む)
七千五百名
重軽傷者
およそ千五百名
死者
およそ千数名(主に地侍、反武田勢)
討ち死に
望月昌頼、平賀政勝、平賀元徳、等
武田、今川連合
一万二千名
重軽傷者
不明(かなりの数と思われる)
死者
およそ三千名以上(殿勢全滅の為)
討ち死に
甘利虎泰、原虎胤、才間信綱
大島、片桐、飯島、赤井、等多数
関東管領軍
一万五千
軽傷者
百数名
死者
無し
「長野様、待ち侘びましたぞ!それに、これ程の数はどうされたのですか!?」
俺が驚いて業正に聞くと謝ってきた。
「遅れて済まない。何分兵の数が増えたので準備に手間取った。管領様が是が非でも勝利せよとの御命令でここまでの大軍となったのだ」
業正の話を聞いて、関東管領の力は健在なのかと少し驚いた。
何故なら、北条に対する備えもきちんと残していると言うのだ。
「我らはこれより志賀城の救援に向かうが如何するか?」
「我らも向かいますが、負傷者も多いので恐らく半分程度の軍しか行けません」
業正の質問に返した。本当は無理をしたくないがこの後の領地分けで少しでも土地を獲りたかったのでついていくことにした。
「満国、満親は負傷者の護衛につけ。手当てが終われば志賀城へ向かい合流しろ」
「ははぁ」
俺達は長野業正率いる関東管領軍と共に志賀城に向かうのだった。
その頃、武田晴信本陣は騒然としていた。
「甘利に原美濃が討ち死にだと....」
「その他多くの御味方が討ち取られております!板垣様、飯富様はこちらに向かっております」
「報告します!敵が進軍を開始しました。その数およそ一万八千!!」
板垣達が敗北し、甘利や原等重臣を含む多くの者を失ったこと、そして管領軍はあの長野業正が大将で一万五千もの軍でやって来た知らせが飛び込んできたからだ。
「御館様!一刻も早く退却の御指示を!このままここに居ては諏訪や甲斐が危なくなりかねません!撤退後は関東管領と直ぐに和議を結ぶべきに御座います!」
勘助は直ぐに撤退を進言し、晴信も了承した。
晴信は近くの内山城ではなく、諏訪郡と佐久郡の境にある城まで撤退するのだった。また板垣など撤退している者は南佐久郡に、退くよう命を出した。雪斎率いる今川軍は既に南佐久郡へ兵を退いていた。
志賀城
「長野様、村上殿お待ちしておりました!」
笠原清繁は俺達を案内した。主な家臣でこの後のことを話した。やはり、管領軍は兵糧も少なくそんなに長くは兵を出せないようだ。まぁ、これだけの大軍で来ているしな。俺も兄のことがあったのであまり領地を空けることはできなかった。
その為、小県郡の長窪城と南佐久郡の海ノ口城まで攻め落として撤退することになった。
小県郡は俺と関東管領軍の一部が行き、南佐久郡は長野業正が向かうことになった。
領地分けは佐久郡を縦に割り、西側(小諸、佐久半分、立科、ついでに御代田の一部)を俺が貰い、残りを管領上杉家とした。代わりに小県郡は全て俺の物になった。
笠原清繁は管領上杉家に従うそうなので、多少東に領地移動してもらった。一悶着あったが業正のお陰で平和的に終わった。
激戦から数日経ったが長窪城までこれといった抵抗も無く、禰津元直等、調略していた者達も集まりだした。武田敗北を聞いたからだろう。小県郡の長窪城は既にもぬけの殻だった。俺は実質小県郡を手中に納めたのだった。
急ぎ、長野業正へ連絡を取ったら武田から和睦の使者が来ており、佐久郡佐久から北を上杉家にと言っているそうだ。協議の為、停戦していると返事がやって来た。
数日後、長窪城に兵を置いて俺と幸隆が平賀城に向かうと、業正の元に武田から使者がやって来ていた。
業正が同席を認めてくれたので参加したが酷い内容だった。
佐久郡佐久から北を上杉家に渡すのでこれ以上信濃には関わるなと言って来たのだ。要するに俺達を孤立させる為だ。
長野業正は断り、俺達で決めた領地配分にし、まだ制圧していない南(小海、南相木、南牧、川上)のみ武田とし、村上との和睦を入れようとしたがのらりくらりと、はぐらかすだけだった。
なので、業正がこのまま甲斐へ攻め込むので今後交渉はしないと言い指示を出そうとすると渋々領地については認めた。
ただし、村上家(義利)は既に武田の配下なので俺にも従えと言ってきた。
勿論、断固拒否し本家から独立することを伝えた。
なので、長野業正は村上家同士の戦に関わらないことを条件に追加してはと言ったが、やはり武田は難色を示していた。
結局、村上家同士の争いに二年は関わらないという事で決着するのだった。
業正が強気に出てくれたお陰だ。もし憲政だったならいいぞいいぞと絶対言うに決まっている。
業正が一万五千を引き連れて来てくれたお陰で交渉を有利に決めることが出来たのだった。
ホント、神様、仏様、長野様だ。
それと、雪斎も既に駿河に撤退しているらしい。
業正にどうしてここまで強気に出て味方してくれたか聞いたら、佐久の一部を俺達に与えることで武田の抑えにして北条攻めに専念するためらしい。
それに管領上杉家としても、北条に着せられた汚名を返上し、他国の仲裁を行い、領地まで手に入れたので周辺国にその権威が残っていることを知らしめる為とも言っていた。
だが、武田は守らないと俺は思っている。
それと、ついでに上泉秀綱を紹介して欲しいと言ったらそんな家臣は居ないと言われた。
嘘だろと思ったが、業正の様子からして本当に居ないようだ。何故なら凄く悩み、一緒にいた家臣に聞いていたからだ。
しかも見つけたら紹介してやるとも言われた。こっちとしては嬉しくて叫びそうになった。
しかし、業正の家臣に居ないなら何処かにいるはずなので孫六に調べて貰うことに決めるのだった。




