30、小田井原の戦い(前編)
天文十六年(1547年)九月
義照陣地
「その報告は間違いないのか...」
「はい。義利様の軍は初めは援軍として来たと言っておりましたが、頭領(孫六)が断った後、城攻めを開始しました。ただ、戦いは鉄砲隊の活躍により我が軍が問題なく勝利いたしました。犠牲者は一人もおりません」
陽炎衆からの報告で本陣は騒然となった。特に笠原清繁は顔が青くなっている。
それはそうだ。俺達が軍を引けば千人ばかりで一万五千を相手にしないといけないからだ。
到底太刀打ちできるものではない。
「やむを得ん。軍を小田井原まで下げる。情報次第では戻ることも覚悟しておけ」
「わ、我らを見捨てるつもりか!!」
俺が軍を引くと言うと笠原清繁は必死に残るよう言ってきた。
しかし、管領軍が来ない今、数も違いすぎるのでこのままではどうすることもできないため退くことにした。笠原は城に籠もると言うので先に陣を退いた。
その後俺達は小田井原まで陣を下げるのだった。
その頃武田、今川本陣では軍議が進められていた。
既に義利からの知らせは届いていたのだった。
「そろそろ村上は大騒動で軍を引くであろうな」
「義利殿からの知らせによれば小笠原の一部の家臣を味方につけることに成功したように御座います。これにより、小笠原も既に死に体かと存じます」
「フフフ..これで信濃は我らの物となろう。雪斎殿にはわざわざ来ていただいたが、もしかしたら、ただ戦を見るだけになるかもしれぬな」
晴信は、最早勝ったと思っていた。状況的に負ける要因が無いからだ。管領軍も北条と対峙しているので、援軍も五、六千とそこまで多くはないと思っていた。
「そうかもしれません。しかし、晴信様におかれましては、約定は果たしていただきますぞ」
今回、雪斎がわざわざ自ら軍を率いてきたのには訳があった。
「わかっておる。村上義照と配下の身柄は今川に預けよう。ただし、領地は我らが頂きますぞ」
今川が五千もの兵を出し、雪斎自ら率いてきたのは義照を確実に確保するためだった。
義照は、朝廷や帝からの信が厚く、関白近衛と九条の摂家との繋がりが深い。しかも、内政に関しては周辺国を見ても並ぶ者がいない程の実力を持っていた。その為、何としても手に入れたかったのだった。
しかし、それは武田も考えていると思っていたので死んだと言って偽物を渡されたり、殺される可能性があったので自らやって来て引き取るつもりだった。
「申し上げます!敵が陣を退いていきます!」
伝令の知らせにようやくかと思ったが一つ予定外があった。
「村上はやっと自領へ戻ったか...」
「いえ!志賀城を過ぎて小田井原方面に退いております!」
「なに!!」
その知らせに全員が驚いた。居城が危ないのに兵を退かないからだ。
「なるほど、あくまで援軍として来た以上退く訳には行かないのですか...。それに、小田井原となると管領軍と合流するのが目的でしょう」
雪斎は落ち着いて考えを述べた。信濃を武田から取り返すと言って兵を挙げているので何もせず退けば誰もついてこなくなるからだ。それに、管領軍が来ることは誰もが分かっていた。
「御館様、志賀城に降伏を勧めて下され。今なら降伏しましょう。さすれば無駄に犠牲を出さずに済みます」
「い~や、志賀城は、見せしめとする。板垣、甘利、原美濃(虎胤)、飯富、其方達は村上の動きを防げ。信繁、小山田、諸角は城攻めの準備に取りかかれ!」
晴信は勘助の提案を聞き入れず指示をしていく。
この時、雪斎は何処と無く北条に敗れた若き日の義元に似ていると思った。そして、この戦は下手をしたら負けるかもしれないと...。
「晴信様、私は再度義照に降伏を勧めに参ります。軍も引き連れて行きますのでご了承下さい」
雪斎は自ら降伏を勧めに行くことにした。もしもに際してのことも考えてだった。
天文十六年(1547年)九月末
志賀城は三千の武田軍に包囲され、俺達の目の前には一万二千の軍がいた。
軍議をしていると今川から使者が来たと聞いて追い返そうとしたが、雪斎自ら来たので会うことにした。
文句の一つも言いたいしな!
「雪斎様、御久しゅうございます。あの頃はまさか敵同士になるとは思ってもみませんでした※。それに総大将として援軍としてこられるとは...。せめて、雪斎様と義元殿以外の方が率いて下されば何とかなると言うのに...」
※ 大嘘である。幸隆達と話し合い、最悪今川が出てくると思っていた。正直来て欲しくなかった。
「義照殿は相変わらず私のことを様付けで呼ばれるのですね。此度は降伏を勧めに参りました」
「返答はお分かりのはず。御断り致します」
雪斎が言うと直ぐに断ると言ったが、雪斎は詳しく内容を話した。
降伏後は今川の預かりとするが、今川領地で自由にしてもらっても構わないと言ってきた。配下達も同じだ。
「そんなに私に内政に加わって欲しいのですか?」
「はい。ご自分では分かっておられないようですが、貴方の内政の手腕は周辺国を見ても飛び抜けております。どんな荒れ地も見事な田畑に変えてしまわれる。我が駿河も含めて飢饉に苦しんでいるのにです。それに貴方程朝廷や公家に近い者はおりませんので」
雪斎は隠す事無く認めた。
それと、俺自身考えてもなかったが、朝廷や帝から信頼され、更に摂家の近衛、九条との関係もあるので是が非でも味方にしたいそうだ。少し、話が盛られてないか?
それと、既に義利によって大部分は制圧されていると言ってきた。どうやら、上田城で負けたことを知らないようだった。
「雪斎様。私が独り身でしたらすぐにでもその話を受けておりました。(本音)もしくは私と付いてきてくれる配下達の領地を今川家が認め安堵した上、武田から守ってくれるなら喜んで受けたでしょう。(本音)しかし、今は出来ないでしょう。私にも守るべき領地や民がおります。申し訳ありませんが此度は..お受けできません」
「此度は..ですか。分かりました。此度は..諦めましょう。次に会う時は良き話が出来ることを望みましょう」
俺は丁重に断り、雪斎はすんなり諦めた。俺は手土産に持ってきていた神水酒を渡しておいた。もちろん毒は入ってないと目の前で飲んで見せてだ。
雪斎が、帰った後陽炎衆から知らせがあり、遅くとも一刻後には管領軍が到着すると言ってきた。しかも予定より多いそうだ。
これで五分と五分になり、勝てると思った。が、どうやら敵にも知らせが入ったらしく、攻めてくるのだった。
村上本陣
「時間を稼ぐ!しかし守るのではなく車懸かりの陣形で突撃する。守っては囲まれて潰される!動き続けるから覚悟しろ!!弓衆構え~放て!!!」
俺の号令で清種率いる弓衆が一斉に放つ。全員が合成弓なので、短い間隔でどんどん放っていく。
改良に改良を行ったので、普通の弓よりは耐久性は劣るがトルコ弓並みに飛距離が出るようになった。ただし、使いこなすにはかなりの鍛練をしないといけないと清種が愚痴っていた。
初め敵はどんどん殺られていたが、徐々に陣形を鶴翼に変えていった。こちらを囲む様だ。
「昌祐!騎馬全軍を率いて突撃し包囲の外から敵を撹乱しろ!昌豊、正俊、信春!先陣を切って敵を殲滅しろ!我らの強さを見せつけろ!狙うは敵本陣のみぞ!!」
俺は直ぐに指示を出していった。幸隆は地侍達と反武田勢に指示をして俺達の後詰めにつけた。追い付いてこれなければ最悪、蜥蜴の尻尾切りにするかもしれない。
敵との距離が近くなったので弓衆を下がらせ三人の軍を前に出した。
「目指すは敵本陣のみ!!全軍、突撃!!決して歩みを止めるな!!進め~!!」
「「おおおおおぉぉぉぉ!!!」」
全軍が一斉に中央に向かって突撃した。
武田、今川本陣
「敵は中央に突撃を仕掛けてきました!」
「伝令!右翼の原様、もう少しで包囲が完成するとのことです!」
「伝令!敵の騎馬隊が包囲の外から仕掛けてきますが、左翼の飯富様の兵が対応しております!」
本陣の板垣、甘利、雪斎は報告を聞いて、義照に軍略の才は無いと思った。
「まさか、真っ直ぐ本陣に向かってくるとはな...」
「本陣が手薄と思ったのかのう?後方に今川軍も居ると言うのに...」
「しかし、本当に無策で突撃してきておるのか...」
雪斎の呟きに皆考え出した。
そうこうしている内に本陣最前列の兵にぶつかりだし、慌ただしくなった。
暫くして伝令が転げながらも本陣に駆け込んできた。
「も、申し上げます!前線の軍が敵と交戦を始めましたが一方的にやられており、既に一列目が突破され二列目でぶつかりました!!」
「何だと!!」
本陣までは五列あり、既に半分が突破されそうなことに驚いた。
「申し上げます!信濃衆、大島様、片桐様、飯島様、赤井様、討ち死に!!」
二列目を守っていた者達の討死の知らせが入り驚いた。既に二列を食い破ろうとしているからだ。
それから少しして傷だらけの伝令がやって来た。
「申し上げます!敵は三列目に突撃しました!」
「もう、三列目に突撃したのか!!」
「申し上げます!三列目を守っていた今井様、市川様、負傷!重症の為退かれました!」
本陣にどんどん知らされる報告に戦々恐々としていた。
「包囲はまだ出来んのか!」
甘利は怒鳴りつけて聞いた。伝令は怯えながら状況を報告した。
「既に包囲は出来ており、敵の背後を原様が追われてますが、敵先陣の方が早く進む為、遅れて取り残された者を始末しているだけに御座います!」
「飯富様は敵の騎馬隊と交戦しております!」
「敵の先陣は誰ですか?」
雪斎は落ち着いた声で聞いてきた。内心、物凄く焦っているがそれを見せるほど愚かではなかった。それに、もしもの場合は本陣の後ろに陣を敷いている今川軍を使うことをも考えていた。
「はっ!工藤昌豊、保科正俊、教来石景政(馬場信春)に御座います!特に中央の教来石の軍は手に負えません!!」
それを聞いて信方は自身が兵を率いるしかないと思い、席を立った。甘利も同じ考えのようだった。
「ワシの精鋭で相手をしよう。貝を鳴らせ!」
そう信方が指示をしたところに、恐れていた伝令が飛び込んできた。
「急報!!も、申し上げます!!上杉軍が到着!その数一万を越えております!!!大将は長野業正です!!」
戦が始まってから時間は既に一刻をとうに過ぎており、恐れていた管領軍が到着したのだった。