3、物作りと知恵
天文七年(1538年)四月
「ゆっくり、慌てるな!確実に組み立てろ!」
俺達は川から水を引くために足踏み水車を設置している。
本当なら年内に終わらせたかったが、思うようにいかず今になってしまった。
「若様!繋がりました!いつでも出来ます!」
組み立てていた男が準備が出来たと言ったので、試運転をさせた。
水は足踏み水車によってどんどん田んぼに水を入れだした。
「すげー!水が入るぞ!」
「これで、この田も米が作れるだ!」
百姓達は大喜びした。これで米が作れるからだ。
「成功だな。皆良くやってくれた!!このままもう、二つ取り付けるぞ!」
「「おおおぉぉぉ!!」」
俺達は1日かけて、三台の足踏み水車を設置した。
その後、田んぼの区画整備を行い、出来るだけ四角形にして、正条植えが出来るようにした。初め、奇異な目で見られたが、出来るだけ分かりやすく噛み砕いて説明したら一応納得された。
整備は大量生産させた鶴嘴や円匙などのお陰で思ったよりも早く出来た。
天文七年(1538年)五月
父からの呼び出しで葛尾城に来ている。
「なぁ、今までは放置されてたのに一体なんだろうな~」
「分かりませんが、もしかしたら義照様が作られた道具のことについてではないでしょうか?」
俺が考えていると一緒にいる昌豊が思い当たることを言い、確かに父には伝えてなかったなと思った。
しばらくすると、父の家臣が呼びに来た。
「殿と皆様がお待ちです....。若様、殿はお怒りのようなのでお気をつけて...」
案内されて付いて行きよると父が怒ってると言ってきたので物凄く不安になった。
「義照!来たか!お主には色々説明してもらわんとならん!」
・・・確かに怒っていたがそこまでではなかった。激怒したときは殆んど話を聞いてはくれず、言いたいことだって先に言ってくるからだ。
「父上、説明とは何のことですか?」
俺がそう言うと、父の家臣が鶴嘴に円匙、あと備中鍬を持ってきた。
「これらの道具と川に設置している水車についてだ。何故、報告しなかった!」
昌豊の予想は大当たりだった。
「別に報告しなくても問題無いと思ったので...。それに、ここにいる皆様にも良く買って貰ってますので問題無いと思ってました。水車についてはまだ、試験段階ですので無事に米が取れたら報告しようと思ってました」
俺が説明すると、周りに集まっていた重臣達が不味そうな顔をした。
父には知らせず、黙って大量に買っている者ばかりだからだ。
「だとしても、開発したなら報告するのが大事であろう!!これらが市に出回ってることは知っていたが販売元がお主とは義利に言われて初めて知ったわ!」
(兄上が報告したのか...。めんどいけどした方がいいのか...。他にもあるからめんどいな~)
俺は内心凄く面倒臭くなった。他にも黙って商売している物があるからだ。
「分かりました。次からは報告します。それじゃぁ、他にも蝋燭や塗り鉢等を販売し始めました。後、上手くいけばですが新しい酒も出来る予定です」
「・・・・は?」
広間は静かになり、全員の口が開いていた。
昌豊は頭を抱えた。何故、この主はたまに抜けているのかと...。
(俺はそんなにおかしいこと言ったかいな? )
俺は周りを見て何かおかしいこと言ったかと不思議に思った。
「義照...お主は...」
父義清が震えていた。俺は何か地雷を踏んでしまったと直感した。
(あーやば..)
「義照!お前はまだ他にもやっていたのか!今からすぐにやっていることを全て報告書を作って持ってこい!後、売上の五割は税として納めろ!!!」
父の怒号が広間を越えて城中に聞こえるのだった。
俺はそのまま、逃げ去るように広間を出て、報告書を書きに行くのだった。
昌豊は一礼した後、主の義照を追いかけていった。
「はぁはぁ...。蝋燭だと?そんな高価なもの作れるのなら何故、ワシに言わん!領地全体で作ればかなりの額が手に入るというのに!それに新しい酒じゃと?そう簡単に出来てたまるか!全く...」
義清は言いたいことが言い終わったのかやっと落ち着いた。
「殿、義照様にもう少し領地を与えてみるのは如何でしょうか?」
「さよう、義照様は色々思い付き、開発もしております。義照様が色々作れる環境を与え、出来たものを報告させ、殿が主体となり行われたら如何でしょうか?」
重臣の須田新左衛門と小島五郎左衛門の二人から提案された。
「義照にいくら与えよと申すのか?あやつはまだ十一歳だぞ。それに義利には千石、義勝には五百石与えているのだ?そう簡単にはやれぬぞ」
「五百石でよろしいかと思います。それなら、今のまま家臣は二人でも十分かと...」
義清は悩んだが、重臣二人の言うことも尤もなので五百石与えることにした。
翌日
父に、報告書を書いて渡したが、いきなり五百石も貰うことになった。代わりに、やることは逐一報告しろと言われた。ついでに兵役も課せられた。まぁ、二十人だからまだなんとかなると思う。
天文七年(1538年)六月
今度は手押しポンプを作り、常備兵を集めることにした。常備兵は五十人集めることにした。
銭に余裕があり、警備などをさせるためでもある。
手押しポンプは鍛治師達が頑張ってくれた。簡単に説明し絵を見せただけで作ってしまうのだから本当に頭が上がらない。仕組みは実家で現役だったので覚えていた。
実際井戸に取り付けて試してみると物凄く楽に水を汲み上げられると大喜びされた。
これはすぐに父に伝え、領内の鍛治師を集めて作らせて販売させた。初めは売れなかったが、村上領内での話を聞いた者や商人から周りの国にも広がり、小笠原、諏訪、仁科等の国人衆からも注文が入り、父義清はぼったくり価格で売り付けていた。
流石に高いからか製造元を俺と知り、直接に買いに来る者もいた。
中には俺がまだ十一歳と知ったからか脅迫等の脅しや、口で誤魔化そうとした者もいたので脅迫してきた者達はそれ相応の痛みを受けてもらい、口で誤魔化そうとしてきた者には、逆に言いくるめて父より高値で売り捌いたりした。
特に力で脅してきた奴らは馬鹿兄(義勝)の餌食になった。
俺は何もしていない。ただ、馬鹿兄に少し盛って話をしただけだ。
真面目に取引を持ちかけてくる者にはきちんとした価格で販売した。勿論、父には内緒にしてだ。
まさか、真面目に取引している中に敵対している海野家の関係者がいるとはこの時思いもしなかった。
天文七年(1538年)九月
収穫の時期になったが、百姓達は驚きの声をあげていた。何故なら、今までとは比べ物にならないくらいの豊作だからだ。
特に田の形を整えた所はいつもの倍以上の収穫だった。正条植えに、肥料も糞尿を直接やるのではなく発酵させた肥料を入れたお陰である。
実家で畑を作っていた爺ちゃん婆ちゃんの知恵はここでは役に立った。俺はしなかったけど・・・。
この結果に父や兄を始め皆驚いていたのですぐに田畑の整備を始めさせた。流石に全ての土地では出来ないので、出来が悪かった所から始めさせるのであった。
この頃、百姓からは仏の生まれ変わりだとか、父の家臣達から神童ではないかと言われるようになっていくのであった。