27、手切れ
天文十五年(1546年)十月中旬
俺は父に呼ばれ葛尾城に来ている。
どうやら小笠原と武田が小競り合いだが直接戦闘をしたためだそうだ。
その小競り合いについての報告は陽炎衆から聞いた。
先に仕掛けたのは小笠原の方で、諏訪にちょっかいをかけたそうだ。
今回集められたのは武田との関係を手切れにするかどうかについてだった。
話を聞いていたが、やはり父は今回の件で手切れにするようだ。多分、前に俺が予想して話していたことが実際に起きているのも理由の一つだろう。武田と同盟を切った後は村上、小笠原と馬鹿兄に嫁いだ仁科と三家をまとめて武田に対抗するようだ。
義利兄上はやはり反対している。今回仕掛けたのは小笠原なので、武田は破ってはいないと言うのだ。家臣達も割れていた。面子を見たが親武田か反武田の割れ方だった。まぁ、一部は武田から調略を受けた者がいるだろう。
議論は紛糾しどうにもならなくなっていった。
「はぁ...昌祐、呆れるな」
「殿、そのようなこと仰らずに止めませんと...」
俺は呆れながら昌祐と話した。
昌祐にも言われたが流石に止めないとやばそうなので手を叩いて止めることにした。
パン!!パン!!
「これではまとまるものもまとまりませんね。一旦休憩しませんか?皆さん頭を冷やして落ち着いてから話し合いませんか?どうですか父上、兄上?」
俺は立ち上がって言うと二人も落ち着いたのか少し休憩して話し合うことにした。
皆広間から出ていき、父上、兄上と傅役、清野信秀、俺(義照)と昌祐だけになった。
「さて、静かになりましたが兄上、武田からなんの使者も来てないのですか?武田が同盟を意識しているなら説明に来ると思ったのですが?」
俺が聞くと兄は首を振るだけだった。
「やはり、武田は諏訪を滅ぼした時点で同盟など破ったのだ!もはや遠慮は要らないだろ!」
父は本当に手切れにしたいようだ。兄上が必死に説得するが聞かなかった。まぁ、俺も手切れにして欲しい。
「父上、後で言おうと思ってたのですが、今月中までに説明の使者が来なければ手切れでいいのではないですか?武田は村上を下に見て、義姉上(亀)を見捨てたと考えてはどうでしょう? 兄上はどう思いますか?」
俺が義利兄上に聞くと顔を歪めていた。兄上が通じていることは知っているがそこまで考えていなかったのかもしれない。
「こちらからも使者を出してみます。そうすれば確実に分かるかと。父上よろしいですか?」
兄上が確認すると、父も認めた。
休憩が終わり皆集まった所で今の話をした。
武田に使者を送り、確認し返答次第では手切れとすることになり、使者は兄上の家臣が行くことになった。武田と通じている者だ 。
その後解散され、俺は一人父に呼ばれたので残っておいた。
対武田の防衛について聞かれたのだった。抜かりは無く問題無いので、いつでも良いことを伝えた。父は何かを決めたようだったが俺には何か分からなかった。
天文十五年(1546年)十月末
武田に送った使者が戻って来た。
結論から言うと武田の返答は、既に村上と同盟など無いと言ってきたのだった。
理由は長窪城を落ち延びた残党(武田の敵)を保護しているからだと言ってきたのだ。
また、同盟を結び直すなら豊作続きの小県郡を寄越せと言ってきたので、父よりも俺の方がキレるのだった。
「ふざけるな!!!武田に目にもの見せてやる!!」
集まっていた者達も俺が怒鳴るのを見て驚いて呆けていた。普段は穏和で、皆を諌めて纏める方である俺が怒鳴ったからだ。
流石の兄も反論出来なかった。
父上は義姉(亀御料人)の首を送りつけろといったが、義利兄上が猛反発し二人の仲は最悪になった。
これに関しては親武田の家臣の誰もが口を噤んだ。
ここで、反対してしまえば裏切り者として殺されると思った為だ。
逆に、反武田派家臣の猛攻は凄まじく、中には兄を罵ったりする者も出ていた。
俺は落ち着こうとして深呼吸した後、父上に今は殺さずに生かして人質とし、攻めてくれば見せしめとして磔がいいことを告げ、怒りのまま広間を出て上田城に戻ることにした。
そして、葛尾城から上田城に戻る最中...
「殿を御守りしろ!!」
昌祐の大声で付いてきていた護衛が俺の周囲を守ろうと囲んでいた。
帰り道に正体不明の敵に奇襲されたのだ。
「ぐふっ!!」
「がはっ!!」
「傷を負うな!敵は毒を使うぞ!!」
「殿、御逃げください!!」
護衛は必死に俺を守ろうとするが、一人また一人と倒れていった。
「くそ!なんでこんなに居るんだ!!」
俺は正直、油断していた。まさか、本拠地葛尾城の近くにこれ程の刺客が送り込まれているとは思っても見なかったからだ。
こちらは十人に対して、倍以上は居るようだった。
厄介なのは忍が混じっているらしく、毒などを使っていることだ。と言うのも、斬られた護衛が急に倒れて動かなくなったからだ。
それからは物凄く時間が長く感じた。必死に敵を殺しながらも傷を受けぬよう気を張っていたからだろう。
どれくらい経ったかわからないが、孫六達が陽炎衆を率いて助けにやって来たおかげで、なんとか生き延びることが出来た。
襲ってきた者達は全員死んだ。捕らえたのだが、自殺されたのだ。孫六は俺を危険に晒したことを深く謝罪してきたが、俺はそれよりも、斬られた護衛の方が気になっていた。
護衛だが、斬られずに生きているのは昌祐を除いて二人、後は二人は重傷、残りは全員死んだ。
俺は孫六に黒幕と刺客を手引きした者を絶対に見つけろと命令し、孫六も命に掛けて、と配下の忍に指示をしていた。
上田城に戻った俺は各城の城主、重臣、家臣(地侍等も)全員を集めた。
二日後には全員が集まった。
「知っている者もいるかもしれないが、武田と手切れになった!!」
俺が言うと皆動揺した。今まで武田と同盟があったので一番平和な所だったのが最前線になるからだ。
「しかも武田は、ここ小県郡を寄越せと言ってきた!!佐久郡、諏訪郡のことは知っておろう。こことは違い、かなりの高額な年貢をかけている。それに反抗した者には容赦もせず皆殺し、もしくは奴隷にしている。その様な蛮行を許してなるものか!!この地をその様な者達に奪われてなるものか!我らが守らなくて如何する!信濃を武田に好きにさせてどうする!!」
動揺していたが俺が言うと皆頷き、覚悟を決めたようだった。やはり、武田の蛮行は知れ渡っているようだ。
「信濃は武田の物ではない!我ら信濃に住む者達の物だ!!我らが立ち上がり、武田の手から信濃を!この土地を!我らの大事な民達を守ろうではないか!!」
「「「おおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ!!!」」」
「大戦の始まりじゃ!!!」
「「「うおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」」」
全員が一斉に雄叫びをあげた。全員が対武田でまとまったのだった。中には今の暮らしを守りたいと言う者もいるかもしれないが、それでも守りたいと言うのには変わりなかった。
「幸隆!望月殿!」
「「はっ!」」
「武田に制圧されている南小県郡と佐久郡の者達を中心に調略を行え!今こそ信濃に住む者達が立ち上がる時だとな!」
「ははぁ!!既に何人か内応すると言う者達もおりますので戦になれば直ぐに動きます」
幸隆はその人脈を使い独自で動いていたようだ。
「佐久郡志賀城城主の笠原清繁殿と面識がありますので連絡はお任せください!」
望月殿も佐久郡唯一の反武田勢力の笠原との連携に動くようだ。望月殿とは佐久郡望月城から逃れた望月親子のことだ 。
「孫六、武田の動きを随時報告しろ!いつ来るか分からぬからな!それと、武田への間者を増やしておけ!また、刺客を送り込んでくるかも知れん!!」
「御意!!」
「皆!今年はもう冬なので動くことはないだろう。しかし、年が明け雪が溶ければ武田は間違いなく動くだろう!来年は武田と長き戦になると思え!!」
「「ははぁっ!!!」」
解散後、俺は兵糧や武器の確認、仮に籠城になった際の準備を始めさせた。噂を聞き付けて武田領から逃げてきた者や武田に敗れた者達が集まり始めた。
反武田の流れで来た者は上田城、砥石城、松尾城に入るよう命じた。後は城主の真田幸隆と矢沢頼綱の二人に任せることにした。
勿論、間者も多くやって来たが、全員磔にしてやった。孫六達、陽炎衆が狩ったからだ。
二度と同じ轍は踏まないと陽炎衆全員が心に決めた為か、恐ろしい程、間者への対応が苛烈になっていた。
天文十六年(1547年)一月
甲斐では、信濃の情勢が伝えられ評定が行われていた。
「村上は高梨と戦いつつも我らと戦を交えるようにございます」
「また、信濃各地に反乱を起こし我らから信濃を取り返そうと言って回っております。言い回っている者を捕まえようとしておりますが中々逃げ足が早く...捕まえられておりません」
「佐久郡の笠原清繁も村上と連絡を取り合っております。また、関東管領ともやり取りをしております」
どんどんもたらされる悪い情報に場の雰囲気は悪くなっていった。特に義照へ刺客を送り込んだが暗殺に失敗した事を知っている、晴信、勘助等一部の者は内心、苦渋に満ちていた。
「信濃の領地の状況はどうか?」
晴信は聞くと、それぞれ任せられている家臣が報告した。諏訪郡以外では百姓や地侍の逃げ出した者や怪しい動きが報告され、晴信は激怒した。
その後、何としても一揆や謀反を防げと厳命された。
それと共に、反対されたが志賀城攻めを決めた。
この戦を見せしめにするといい、今川から援軍を貰うことにしたのだった。
それと村上が援軍を出せないように、信繁と板垣に任せていた計画を実行させるのだった。




