25、天国と地獄
天文十四年(1545年)七月
上田城
俺は教来石景政を呼んだ。昌祐、昌豊、孫六もいる。
「景政、お主が武田の間者なのは知っている。今日はその事について話をする為に呼んだのだ」
景政は驚いていた。いつから知っていたのか、ここで殺されるのかと思っていた。
「正直、本当に家臣として来てくれていたのなら喜べたのにな。お主が間者なのは初めから知っておった。しかし、表向きは武田とは同盟を結び、俺の家臣も少なく、お主の武勇が優れていたのでそのまま好きにさせていたが、最早これ以上好きにさせておくことは出来なくなった」
景政は初めから知られていたことに驚いた。どこで知られたのか、何故分かったのか、分からないことが多かったからだ。
それと同時に、だから内政を一切任せてもらえなかったのかと理解もすることが出来た。
「・・・私はこれまでか...」
景政は力無く呟いた。この後は殺されるか、尋問されて殺されるかのどちらかだからだ。
「前の上洛の際甲斐を通ったであろう。その際晴信殿にお主のことを伝えたらお主は出奔した身だから関係ないと言われた。なので俺は預かると伝えておいた。お主は甲斐に子供も家族も居るのだな。孫六に調べさせた」
(もう、お仕舞いだ。早く殺してくれ...)
景政はもう諦めていた。晴信からは見捨てられ、この状況ではもうどうすることも出来ないからだ。
「景政。間者だったとは言え、来てから数年、俺が与えた仕事はきちんとやり遂げていた。兵士達も鍛え上げていたしな。其処でだ、その功績を持ってお主には三つの道を与えることにした」
「何故殺さないのですか?裏切り者には死あるのみでは?」
景政は力無く聞いてきた。もう生きることを諦めていることが俺達にも分かった。
「さっきも言ったが、きちんとした功績があるからだ。一つ目の道は荷物をまとめこのまま信濃から立ち去ること。ただし次に村上の領地に来たら命は無いと思え。二つ目は家族を呼び、本当に家臣として仕えることだ。ただし、当面家族は人質となってもらう。武田との戦になった時の功績で解放するがな。三つ目はそのまま死ぬことだ。選べ」
この状況が景政には理解できなかった。わざわざ、生きて武田に返すこと、命を取らないことの意味が分からないのだ。
「ど、どうして...どうしてですか?私はこの数年間、間者として情報を集めていたのですぞ!なのに生かして帰すなんてどうかしてるのではないか!」
「やはり、ここで殺すべきだ!殿、ご命令を!直ぐにこやつの首を叩き斬ります!」
昌祐は、刀を抜いて命を待った。義照を侮辱されたと思ったからだ。
「止めい!!...景政、さっきから言っておるがこの数年お主がまともにやって来たからだ。最後だ。どれを選ぶ?沈黙は三つ目と判断するぞ..」
「・・・一つ目で...お願いします...」
景政は怯えながらも答えた。なので、俺も追放と言うことにした。景政は甲斐で産まれ育ち、領地もあり、家族もいるので戻ることを選んだのだった。
国境までは孫六達に監視させた。景政は翌日には出ていくのであった。
反対はされたが、せめてもの情けだと言い俺は聞き入れなかった。本音を言えば手に入れたかったが仕方ないので監視だけは付けておくことにした。
天文十四年(1545年)九月
俺は部屋で行ったり来たりしていた。
「殿、そう慌てても変わりませんぞ」
「しかしだな...。あー本当に大丈夫なのか...」
孫六に言われながらも何かしておかないと気になって仕方なかった。
何があったかと言うと千が産気付いたのだ。
その知らせを聞いて直ぐに城の屋敷に戻ったが、追い出されてしまいおよそ一刻半(三時間)は経ち、現在に至っている。
「殿はどっしりと構えておけば良いのです。御産は女の仕事。邪魔してはなりません」
孫六に言われながらも待っていたら、赤子の鳴き声が聞こえてきた。
俺は直ぐに行こうとしたが、孫六に合気で流されそのまま押さえ込まれた。
「なぁっ!孫六何すんだ!」
「殿、落ち着いてくだされ。呼ばれるまで待たねばなりません」
抜け出そうとしたが抜け出せず完全に押さえ込まれた。
(誰だよ!合気を教えたのは!チクショォォォォォ!!)
そうこうしていると女中が呼びにやって来た。
「殿、おめでとうございます。男の子にございます」
「本当か!千は無事なのか?」
「はい。奥方様も大丈夫にございます。どうぞこちらへ」
俺は孫六に解放され、直ぐに千の元へ向かった。
「千!大事ないか!よくやったぞ!」
俺は扉を明け直ぐに側に行った。
「殿、私達の子です。どうかこの子に名前をつけてください」
俺はそう言われて名前を考えた。正直、考えるのを忘れていたのだった。
「武丸だ。俺の幼名をこの子にやろう」
「武丸...いい名前ですね。武丸、産まれてきてありがとう」
千はそう言うと疲れたのか眠ってしまった。
俺は少しの間武丸を抱えていたがすやすや眠っていたので女中に手渡し、後を頼んだ。
俺に嫡男が生まれたことは直ぐに広まった。
義父達(近衛、九条)にも伝えたら、こっちに来ると返事を送ってきた。本当に行動力のある公家だ。
(と言うか、近衛稙家は息子(後の前久)のことはどうするのだろうか?まさか、連れてくることはないだろうな?)
祝いの書状が早かったのは美濃の道三だった。どこで聞いたか知らないが、一週間も経たない内に祝いの品と書状が届いたのだ。
書状を読んだが純粋に男の子が生まれたことの祝いと、うちに来ないか?という勧誘だった。
その為俺はまた一人でツッコむのだった。
ただ、情報収集能力が高いことに驚き警戒するようにもなるのだった。
天文十四年(1545年)十月
俺は現状を確認した。
まず、領地は二万八千石、直轄地は二万石、後は地侍達だ。
金稼ぎは、神水酒、清酒、椎茸、蝋燭、蜂蜜、石鹸など高額品が多く、他にも手押しポンプや塗り鉢なども多く取り扱っており、銭は多く得ている。
兵力は
常備兵 五千五百名(槍兵三千、騎馬千、弓、千、鉄砲、五百)(ただし、今は、鉄砲の数がないので連弩を与えている)
徴収民兵 二千名(普段は百姓。緊急以外は使わない)
真田幸隆 (松尾城)五百人(常備兵百五十人、民兵三百五十人)
矢沢頼綱(砥石城) 四百人(うち、常備兵五十人)
地侍達の兵 二千人(農民兵、常備兵無し)
陽炎衆(忍) 二百名(各地の商人に扮しておる者は除く)
といった感じで、周辺国の溢れ者まで常備兵として掻き集め雇いきったので、この辺で常備兵を募ってもかなり高額にしなければ集まることはないだろう。
ただ、莫大な金がかかるだけだ。その代わり百姓は戦に出ることは殆どないので、畑仕事に専念できる。その為、今のところ他と比べて豊作が続いている 。
常備兵だが、
工藤昌豊、槍千名、
保科正俊、槍千名、
工藤昌祐、騎馬千名
出浦清種、弓千名
須田満国、須田満親、槍五百名
俺(義照)、槍五百名、鉄砲五百名
としている。
当面は財政的にはギリギリになるが、武田相手では油断なんて出来ない。




