24、不安定
天文十三年(1544年)十二月
上田城本丸屋敷
「本当..なんだな?」
「はい。...義照様との子が出来ました」
「千!よくやったぞ!!」
俺は大喜びした。妻の千姫が子を身ごもったからだ。
千姫に子が出来たことは領内に広がり領民からも祝いの言葉や品が届けられた。
(まさか、こんなに早く子が出来るとは...)
内心驚いていた。夜は頑張っていたけど一年かからないとは思わなかったからだ。
家臣達からも祝いを言われたりした。特に昔から付いてきてくれていた工藤兄弟の喜びぶりは半端なかった。昌祐なんて泣いていたので少し驚いた。
父上(義清)や義父(近衛稙家と九条稙通)にも連絡した。京担当の佐治三郎が俺の配下なのは二人には伝えておいたので直ぐに連絡はとれるだろう。
上田城がお祝いムードに包まれている頃、武田は野戦で高遠頼継に勝利し高遠城を包囲していた。
「間もなく、この城は落ちます」
勘助はそう言うとその日の夕暮れには内応によって落とされ、高遠頼継は小笠原領へ逃げた。
「此度の戦、大儀であった。これより我らは帰還し、年が明けた春には藤沢頼親を攻め落とす」
「ははぁ...」
「勘助、相木、村上の動きはどうか?」
晴信は村上の動きが気になった。三国同盟は既に無いようなものだが、小笠原を攻めれば同盟破棄となっていた。その為、晴信は小笠原と村上以外を攻めていた。
「はっ、今のところ、高梨との小競り合い程度でこちら側には何の動きもありません」
「御館様、村上を攻めるのであれば急いだ方がよろしいと存じます。村上は上田に新しい城を築きつつあります。松尾城、砥石城、上田城で、小県郡への我らの進攻を阻む用意をしているように御座います。このまま時をかけますと、攻略は難しくなるかと存じます」
晴信は、勘助の意見を聞いて考えていた。佐久郡の上杉憲政の味方を排除し完全に抑えたら村上を攻めた方が良いのではないか、信濃で一番の影響力があるのは既に小笠原ではなく村上ではないかと思ったからだ。
「恐れながら御館様、やはり村上は引き込む方がよろしいと存じます」
「兄上、村上義清は我らと敵対を考えているようですが、姉上(亀)の嫁いだ義利殿は我らと関係を密にしたいように御座います。利用できるかと。ただ、義照がかなり我らを警戒しております。その..」
板垣と信繁は前回の宴の時のことを伝えた。それと、問答の時のことも。ただ、村上家には父親の信虎の件の影響が残っていることは言い辛く、代わりに板垣が説明したのだった。
晴信は義利の件は使えると思い、信繁と板垣に任せることにした。それと、義照の引き抜きは諦め始末することにした。
また、真田の調略に失敗した勘助と相木には小県の国衆の調略を続けさせたのだった。
天文十四年(1545年)二月
待ちに待っていたものが届いた。鉄砲だ。
鉄砲三丁と鉄砲鍛冶師二人が来てくれた。俺は直ぐに量産と作り方の伝授を依頼した。
目標は、信長の三千丁だ。と言ってもまだそんなに兵士はいないのでまずは六百から千丁にした。
ちなみに、火薬の材料は硝石以外は全て揃っているのでそちらは孫六達に始めさせている。
それと、新しく家臣が増えた。
高遠頼継に仕えていた保科正俊だ。槍弾正と言われる槍の名手だ。俺は直ぐに俺の直属の兵を任せた。当面は昌豊と景政に訓練方法を教えるよう指示をした。
天文十四年(1545年)四月
俺は自分の重臣と昌豊を至急集めた。頭が痛くなる情報を手に入れたからだ。
情報をもたらしたのは陽炎衆で兄上(義利)と馬鹿兄(義勝)の護衛を頼んでいた者からだった。
「兄上(義利)が本当にそんなことを....」
「はい。配下の手にいれた情報によりますと、味方を増やし義清様を甲斐に追放する準備を始めているとのことに御座います」
「はぁ、武田と同じ事をするつもりかよ...」
俺は一人思案し始めた。何故なら歴史が大きく変わっているからだ。兄が父を追放しようとすることなどなかった。
(全ては三国同盟からだろうか。それとも、信濃を豊かにしたことだろうか...)
「殿、我らは如何いたしますか?恐らく義利様は義清様追放後、武田に臣従するのは間違いないかと...」
「殿、もし話が露見すれば村上家が二つに割れる可能性もあります。義清様と小笠原が手を組み、義利様と武田が手を組むと考えられます」
「既に何人か敵の忍を始末しております。特に、松尾城、砥石城、上田城と葛尾城周辺はかなり多くなっております」
上田城は既に本丸、二の丸が完成し三の丸と小泉曲輪を作り始めた。三の丸を優先させている。
それが完成すれば後は総構えだけだ。総構えは矢出沢川を利用。川に沿って土塁等も作る予定だ。予定は10年だったが、工事の進捗具合から計算し直して早くても後5年はかかる予定になっている。それが完成すれば、秀吉のように何年も包囲しなければ落とされないと思っている。
(俺はどうすればいい..。武田に付くか?いや、領地は没収され、良いように使われるだけだ。そもそも信用できない。では父に付くか?そうすれば孤立は免れない...。独立するか?四千石、いや、今は七千石近くはある。しかし独立は厳しい。最低二万石は欲しい...。そうすれば...いや、無理だ。武田に抗いきれない...小県郡全てなら....。あぁーもう、領地が木曽や伊那だったなら直ぐに隣(美濃、遠江)に逃げたい!!!!)
「孫六、兄上に付いている者達は分かっているのか?」
「申し訳ありません。全員ではありません。主な者については分かっております」
「今はどちらにもつかず様子を見る。後父上のところに行く。幸隆、松尾城の守りを固くしておけ。昌祐、留守の間上田城を頼む。孫六と昌豊は付いてこい。それと孫六、配下に武田の動きを逐一報告させろ。それと、家臣が兄上と父上のどちらに付いているかも調べさせろ」
「「「ははぁ!!」」」
俺は直ぐに葛尾城の父の元へ向かった。
「義照、頼みがあるとはなんじゃ?」
「父上、無理を承知でお願いします。小県郡二万五千石全てを私に下さい!」
いつもならすぐ怒鳴っていた義清だったが今回は内容が内容だけに怒りを通り越して落ち着いて聞いた。
「何の為じゃ?二万五千と言えばワシの支配している三割に近いぞ。そんな土地どこにある?直轄地で五万程と言うのに?」
「分かってます。なので、父上の支配している小県郡の二万五千石分を私に管理させて下さい。その地の地侍達の説得は自分でします」
「だから何の為じゃ?既に四千石も与えてるではないか?噂だと倍近い石高になってるらしいが?」
やはり、父は聞いてきたが、目的も理由もある。
「武田の進攻からの盾となるためです。本当は三万石近く欲しいですがそれは無理なのは分かってますので最低限の二万五千石としました」
義清は驚きつつも目つきが変わり真面目になっていた。
「武田が来るか?」
「既に多くの間者が紛れ込んでいるとのこと。僅かですが調略を受けている者もいるようです」
「誰だそれは?」
「それは...まだ、確認中です。返事は返していないようです」
「それで、盾になっている間にワシにどうしろと?」
聞いてきたので高梨攻めをさっさと終わらせて欲しいと伝えた。高梨を追い詰めた後は和議を結べばいいと。そうすれば長尾から襲われることなく全軍を武田に向けられると伝えた。
ただ、こちらからは手切れにしないよう注意した。そんなことをすれば村上家の信用が無くなるからだ。
父は悩んだが認めてくれた。ただし、目付と言う見張りが付いてだ。
須田満国と須田満親親子だ。須田満国は重臣の一人だ。ちなみに重臣の須田新左衛門の同族だ。
砥石城の馬鹿兄は葛尾城の支城、姫城に移ることになり、砥石城は配下になった矢沢頼綱を城代にした。
俺はそれから数日は地侍の説得に回った。やはり、幸隆が居てくれたぶん楽に終わったのだった。その際武田からの調略が来たことを聞いた。調略を仕掛けていたのは相木市兵衛と山本勘助だと初めて知るのだった。
俺は直ぐに孫六に二人を領地で見つけたら捕らえるよう指示をした。
しかし、捕らえることは出来なかった。




