22 問答
天文十二年(1543年)十月
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
今、部屋には俺を含めて八人の男が顔を会わせていたが誰一人口を開く者が居なかった。
時は遡ること二日前。
婚儀が終わった二日後、兄に呼ばれた。
「...兄上、それは俺に殺されるか人質になれと言うのですか?」
「いや、そうではない。ただ、武田の治める甲斐を見てきて欲しいだけだ」
「嫌です。今行けば殺されるか人質として閉じ込められるのが目に見えてるし」
「同盟を結んでるから大丈夫だ。信繁だってここに来たではないか?」
兄義利から甲斐に行けと言われるとは夢にも思わなかった。多分、板垣か信繁がそそのかしたのかもしれない。
「では、今ここに来ている信繁殿と板垣殿、後義姉上をこちらで確保し預かります。甲斐に連れていかれた後、私が殺されたり、少しでもここに戻ってくるのが遅れたら三人の首を刎ねて晒します。それで良いですね?」
「良い訳ないだろ!!なぜ、妻に同盟相手を人質に取るんだ!」
「今の武田が信用ならないからです!!先代(信虎)がやったことを忘れたのですか!!」
俺と兄は言い争いを始め、遂には周りまで巻き込んでしまった。
結局、俺は昌祐と昌豊に、兄は清野と石川によって無理やり離された。
結論から言うと甲斐行きは無くなったが、信繁と板垣から話を聞くことになったのだった。
俺は兄と別れて屋敷に戻ったが、いない間に来客があり、言付けだけ残してあった。
内容は雪斎が話をしたいと言うものだったのだ。
(雪斎か~。正直会って話しはしたいけどな~。...まぁ、短い間くらいならいいか)
俺は承諾する旨を雪斎に伝えることにした。
翌日
「急な申し出ながら受けていただきありがとうございます」
「いえいえ、こちらとしても黒衣の宰相と言われる雪斎様から色々と御教授して頂きたいと思っておりましたので受けさせて頂きました。願わくはこのまま留まって頂き、軍師と相談役となって頂きたいですが....それは叶わないことでしょう」
俺は雪斎と二人っきりで話を始めた。
部屋の外ではもしもに備えて護衛が付いているが何の問題も無いだろう。
「私なんぞ、ただの僧に御座います。御館様(義元)を立派な高僧にしようとしたら何の因果か今川家の当主になってしまわれた。私はただ連れて回られているだけに御座います」
俺は嘘つきめと思いつつも雪斎と話をした。内容は昔話から義元のこと等だ。俺は逆に国についてや政について聞かれた。まぁ、殆ど誤魔化しながら話した。
暫くすると、慌てた昌祐が部屋に飛び込んできた。
「殿!」
「昌祐、慌ててどうした?」
「義利様と清野様、後武田の三人が来ました!」
昌祐の話では兄は傅役の清野と武田の使者として来ていた信繁と板垣、後、山本勘助を連れて急にやって来たそうだ。
喧嘩してから一切口を聞いていないので来る予定など無かった。
追い返せと命じたが、兄達は俺達がいる部屋まで勝手にやって来たのだった。
「ここに居たか。前に言った通り、連れてきたから…そっちの僧は誰だ?」
兄は雪斎を知らないようで、何者か聞いてきた。宴にも居たが気にしなかったのだろう。まぁ、後ろからやって来た武田の三人は目が飛び出るほど驚いていた。
特に信繁がそうだった。
「これは雪斎殿!この様なところで会うとは驚きました!」
「これは信繁様、先日はどうも...」
兄は信繁と雪斎との会話を聞いて驚いて何故ここに雪斎がいるのか俺に聞いてきた。俺は単純に話をしたかったから呼んだとだけ言った。正直兄と話すつもりが無かったからだ。
「では、某はお邪魔なようなので失礼いたそうか...」
「いや、雪斎様にも同伴して頂きたい。今川と我ら村上は今は盟を結んで居りませんが、今後のことを考えれば結びたいと思いますので...。信繁殿もそれでよろしいですね?」
雪斎が退室しようとしたので俺は止めて一緒に居て貰うことにした。正直、武田よりは今川の方が信用できるからだ。
「ああ、雪斎殿のいる今川家とは同盟を結んでおる。問題ない」
兄は反発しそうだったが信繁が認めたので雪斎も、参加することになった。
参加するのは、
信繁、信方、勘助の、武田側三人
義利、清野、俺(義照)、昌祐の村上家四人
そして今川家、太原雪斎の八人だ。
で、現在に戻る。
「さて、このまま黙っていても時間の無駄ですね。雪斎様、花倉の一件があったとは言え、今川家はどこまで武田を信用されてますか?」
「さて何処までとは?武田と今川の同盟は御館様(義元)との婚儀を持って固く結ばれて居るが?」
「今はでしょう?武田が我らとの同盟を破棄し信濃を制圧した後何処を目指すか...。雪斎様なら見当が付いておいてででは?」
「義照!!同盟相手の武田家を前にして何を言うか!!」
俺が雪斎に尋ねると兄が怒鳴り声を上げた。武田が同盟を破棄すると俺が言ったからだろう。
「兄上は黙っていて下さい...。信繁殿、板垣殿、私(義照)を引き抜くだの、甲斐に連れてこれたら始末出来るだの、村上をどう攻略するだの、よくもまぁ~私の領地でそんな話が出来ましたね?」
俺が言うと、兄は黙り、二人(信繁、板垣)は聞かれていたとはと内心の驚きを顔に出すまいと必死な様子だった。
「はて何の事か?甲斐に来て貰おうという話はしたがそのような...」
「へぇー、では、勘助が真田を調略すれば信濃は落ちたも同然と言われていたのは?幸隆に確認してみましょうか?そこに居る山本殿が調略に来たかどうか?呼べば直ぐに分かることですが?」
俺が言うと板垣は口を閉ざしてしまった。信繁は全て聞かれていたので誤魔化せないと諦めた様子を見せ、板垣は万が一を考えていつでも動けるようにしていた。それは昌祐も同じで、更には孫六の配下の忍達もいつでも動けるように陰に潜んでいる。
そんな中、勘助は問題無いとばかりに余裕の表情だった。その様子に俺は苛立ちを覚えた。
「この状況でよくもまぁー平然と出来るとは...。だいぶ舐められたものですね...」
「ハハハハ...。確かに某は真田様を調略しましたが、残念ながら断られました...」
「なっ!!!」
「勘助!!」
勘助の発言に部屋にいた全員が驚いた。特に板垣と信繁の驚き様は半端なかった。
「では、武田は我ら村上家を裏切ると認めると言うことだな?」
ドン!!
俺は畳を拳で叩くと一斉に護衛の忍と外にいた兵士が踏み込んで来た。
その状況に板垣は信繁を守ろうとし、兄と清野は驚いたまま動けず、雪斎と勘助は一切動くことはなかった。
「いやいや、義照様は何やら誤解をされているようですな?」
「誤解とは何をだ?」
この状況でさえ勘助は余裕を見せている。
「兵は詭道なり! この戦国乱世、同盟相手の家臣とは言え調略は行うのが世の習い。もしかしたら裏切られる、なればこそ先に手を打つものに御座います。現に義照様に置かれましても武田に対抗する為に城を作られておいでではありませんか?」
「勘助の言う通り。この上田城は武田に対抗する為に造っている。先代当主が我らにしたことを思えば当然ではないか?お主が仕える前のことだから知らないだろうがな」
俺が言うと板垣と信繁が顔を歪めた。先代当主の信虎の残した悪影響がまだあるのかと思ったからだ。
「確かに某は知りませんな。しかし、その行為は武田家にとっては裏切りに等しい物で御座いませんか?」
勘助は同盟相手であろうと調略は当たり前だと言いきり、それどころか俺が城を造っていることを裏切りと言ってきたのだった。
「では、場合によっては今川家臣を調略し義元殿を暗殺すると言うことか?」
「それは御座いません。今川家は武田家にとって大事な同盟相手に御座います」
「では、村上家はそうではないと?」
「義照!!いい加減に!」
「兄上は黙っていて下さい!まだ分からないのですか!!」
兄が怒鳴ったが言い返した。兄には妻を愛しているとはいえ現実を知って欲しかった。俺が言うと勘助はこちらを見たまま黙っていた。板垣や信繁は囲まれている状況では何も出来ず、勘助が最後の綱だった。
「荘子曰く、利を以って合する者は、窮禍患害に迫られて相棄...」
「...利害関係で結ばれた者は、苦境や困難に直面すると、たちまち相手を見棄ててしまう...でしたかな?」
俺と勘助の問答の沈黙を破ったのは雪斎だった。
「はい。村上家と武田家の同盟関係がどの様なものか存じませぬが、私から見たらまさにこれでしょうな」
「フフフ..」
雪斎が言うと、部屋に不気味な笑い声が響いた。
「フフフフ.....確かに雪斎様のおっしゃる通りに御座いますな」
笑っていたのは勘助だった。これには部屋にいた誰もが唖然とした。
「さて、義照殿。此度の一件ですが、互いに水に流されては如何か?」
「..雪斎様、それは何故に御座いますか?」
「過ぎたるは尚及ばざるが如しと言います。今回は互いにやり過ぎました。特に武田はですが...。然れど此度は互いに流すべきかと...」
「・・・・分かりました。雪斎様に免じて今回のことは聞かなかったことにしましょう...」
俺は手を振り、踏み込んで来た兵士と護衛を下げた。ここで三人(信方、信繁、勘助)を始末した場合武田が攻めてくるのは別に問題ないが、今川まで出てきかねないと思い、今は聞かなかったことにした。
「さてと、これ以上話しても、同盟関係が悪化するだけですね。兄上、信繁殿、もういいですか?」
俺が聞くと二人は黙ったままだった。兄は武田がそんなことをと思い、信繁は早く脱出することが先決と考えていたからだ。
「板垣殿、晴信様にお伝え下さい。小利を顧りみるは則わち大利の残なり。貪愎にして利を喜ぶは則ち滅国殺身の本なり、と」
「ほお、韓非子ですか。義照殿は良く学ばれておいでですな...」
俺が言うと雪斎が誰の言葉か当てた。
「なれば、義照様に某から一つ。曰く、先ずその愛する所を奪わば、即ち聴かん」
勘助が言った言葉が誰のものか忘れていたが、雪斎が孫子だと教えてくれた。流石、孫子大好き武田家だと思った。
そして、誰の言葉か瞬時に当て、解釈の説明までしてくれる雪斎が恐ろしく、そして義元が羨ましく思えた。
この後、集まりは解散し、兄は武田組と一緒に出ていった。
俺は今回のことで義姉上に誑かされている兄上に現実を分かって貰いたかった。
勘助は義照が信濃攻略の最大の壁であり自身の宿敵になると感じ、全力で相手をしたいと内心歓喜していた。
一方雪斎も、義照の知識の豊富さ、自身や武田を前にしても堂々と振る舞う様子を直に見て、武田に渡れば危険と判断した。それと同時に、武田を嫌い、少なからず今川家と自分に興味を持っていると言うことが分かったので、引き抜きの方向で進めて行こうと策を練ることにするのだった。




