17、待ちわびた男
天文十一年(1542年)九月
松尾城
「長く留守にしていて申し訳ない。来ていただけたということは、そう考えてよろしいですか?」
俺が聞くと男は伏して頭を下げた。
「真田弾正幸隆、義照様にお仕えします」
俺が待ちに待った者とは真田幸隆のことだ。幸隆がこちらにいれば武田は信濃の者を調略をするのは難しいだろう。
「幸隆殿………。いや、真田幸隆、約束通り重臣として迎え、小県郡真田郷千石を与える。ただ、松尾城は来年まで待ってくれ。今上田に新しい城を築かせていて、そこに仮の屋敷が来年には出来るはずだからその時、松尾城も返そう 」
幸隆は呆気に取られていた。本当に真田郷千石を貰い、その上で城も与えると言ったからだ。
「ほ、本当に返して貰えるのですか?それに城も?」
「約束したからな。それに………」
「バン!」
俺は昌祐と昌豊に合図し隣の部屋を開けさせた。そこには多くの家臣がいた。
「お前たち...」
幸隆はその光景に言葉を失くした。そこに居たのは全員元真田家臣達だからだ。
「皆、俺の元では扱き使われるのは嫌だそうだ。お主の元が一番いいだとさ」
俺が言うと集まった者を代表して、春原惣左衛門が前に出てきた。
「殿、お帰りなさいませ!」
「「お帰りなさいませ!!」」
惣左衛門が言うと後ろの真田家臣団も頭を下げて言った。俺や工藤兄弟は苦笑いしかできなかった。
(一応まだ、主は俺なんだけど………)
「どうか、また家来にして下さい!」
「殿!約束を果たしましょうぞ! 」
「知行はまた殿から頂きますので御安心を。残りも必ず取り返しましょうぞ!」
「「殿!殿!」」
俺が居るのも忘れて皆幸隆を殿と呼んでいた。
幸隆は夢を見ているようだと呟いた後、集まった家臣団に六連銭を見せて新しく旗を決めていた。
俺と昌祐、昌豊は完全に忘れ去られていた。
「んっうん!まだ、俺達がいるんだがな………」
俺が言うと、本当に忘れていたらしく、全員が伏して頭を下げて謝ってきた。
「さて、松尾城を渡した後だが、改修を行え。少数で城を守れるようにするためだ。俺の領地管理については春原兄弟が詳しいから聞けばいいし、何かあれば俺に言ってくれ。当分はいいかもしれないが、武田が敵になることと思っておけ」
「ははぁ!!」
こうして俺は真田幸隆を家臣にすることができた。幸隆は一旦上州に残している家族を迎えに行くと言うので、長野業正に書状を届けてもらうことにした。もし武田と戦をする時に協力して貰うためだ。
俺はその後、居なかった間のことを昌祐と清種に聞いた。
まず、武田は史実通り諏訪を乗っ取った。一部反乱した者がいたそうだが討ち取られ、生き残りは佐久郡の方へ逃げたそうだ。
その後、武田の諏訪乗っ取りに加担した高遠頼継が挙兵し武田と対峙しているそうだがもうじき終わるだろう。勿論武田の勝利でだ。
次に、うち(村上家)だが、相変わらず高梨政頼と小競り合いを多くしており、武田に関しては諏訪頼重を殺したことには何も無かったが諏訪郡と諏訪が持っていた佐久郡の半分を我が物にしたことに怒り同盟破棄までしようとしたが、義利兄上に子が産まれたことで一旦収まっているそうだ。
ちなみに男の子なので跡継ぎは決まった。
俺としては時間が稼げるなら同盟は継続でいいと思っているが、信用ならない武田なので切れるなら切っておきたいとも思った。
後南小県をどさくさに紛れて一部奪ったそうだ。
それと、松尾城と築城中の上田城の間にある砥石城に馬鹿兄(義勝)が入ったそうだ。
やはり、俺が四千石も貰い城主となったことが原因らしい。馬鹿兄も城を寄越せと父上に言って無理やり入ったらしい。ちなみに、領地は五百石のままで砥石城とその周囲らしい。
俺が貰った領地の中にポツンと小さくあることになる。砥石城の城代だった矢沢頼綱は馬鹿兄の下に付くことになったようだ。可哀想に..。
一応、幸隆がこちらにおるので来ないか誘っておいた。幸隆のもう一人の弟、常田隆長は父の配下として塩田城にいる。
馬鹿兄の領地管理についてはやはり、傅役の屋代正重がやるようでうちのやり方を学びに来ていた。なんでも、領民が皆俺の領地に逃げようとしているからだそうだ。正重には申し訳ないと凄く思っている。だが、頑張って貰いたい。
次に築城中の上田城は本丸はほぼ完成し屋敷と兵糧庫の建設をしているそうだ。天守を構えるつもりはないので本丸に兵糧庫を作っている。それと同時に二ノ丸と周囲を囲む水堀などを作り始めていると報告を受けた。
勿論賦役には飯と僅かな銭も与え領民をやる気にさせていた。銭が渡されればそれを使う者もおり、前回の町作りの経験から商人が我先にと集まってきたのは言うまでもない。
俺も、鳥と野菜の串焼きと立ち食いそばの店を出しておいた。安く食えるので結構評判らしい。
次に領地だが、米は今年は豊作だった。皆頑張って田畑を直し植え方や肥料に関しても改善した結果だった。
他にも椎茸栽培が完璧に成功し、石鹸もやっと量産出来るようになった。他にも養蜂も失敗が多かったが少しだけ成功したので大事に管理するよう厳命した。
報告を一通り聞いた後それぞれ指示を出した。
まず鵜飼孫六には連れてきた忍を教来石景政の監視、武田家の情報集め、京、堺、美濃、越後に拠点を作り、商人として領地の物の販売をしてもらうのと情報集めをしてもらうことにした。それと、孫六が信用できる者にある重要な物の製作を頼んだ。
販売するものはうちで作った、和蝋、椎茸、石鹸、神水酒(清酒)、神水酒とは別の清酒と道具等だ。他にもうちでやっている料理を出すことも認めた。蕎麦や焼き鳥等だ。
神水酒と清酒、石鹸にはかなりの食いつきがあると思っている。ただ、神水酒はかなり高額にしてある。朝廷御用品の為だ。
その為、同盟国を除けば殆ど手に入れることは難しいだろう。
しかし、神水酒ではなく少し味を落とした清酒はまぁまぁの金持ちなら買える値段にしておいた。こちらの方が本命になるだろう。
孫六は連れてきた忍では足りないので、来れなかった他の甲賀五十三家に協力を求めていいか聞いてきた。
現状召し抱えることは無理なので、雇われで報酬が銭でいいなら許すことにした。領地が増えれば召し抱えることもあるからと伝えた。
孫六は渡された銭の額に驚いていた。
普段の十倍近くなので裏切ることはないだろうと言っていた。
ちなみに、俺は甲賀から忍を引き抜いたが父(義清)には一応忍の集団はいるらしい。戸隠と言うそうだが、俺は正直見たことがなかった。
次に昌祐、昌豊、清種に常備兵の増強を指示した。現在、槍隊六百、騎馬隊三百、弓隊百、計千人を槍隊八百、騎馬隊五百、弓隊四百、計千七百まで増やすことにした。
何故かと言うと、父が動かなくても独自で志賀城攻めに介入するためだ。志賀城の末路は酷すぎるので少しでも助けたいと思ったからだ。