166、隠居と譲位
三国の和睦がなった後、帝に呼ばれ一人御所の一室で待っている。
ここに来るのは今日で最後になるだろう。
「村上様、帝がお待ちです。どうぞこちらへ」
案内がやって来て帝が居られる広間に通される。
珍しく、摂関家の三人だけでなく義父の稙通や他の公家達も揃っていた。
少しして帝が入られた為、平伏する。
「村上様。此度帝が呼ばれたのは、村上様に新たに官位を授ける為であります。村上従三位右近衛大将義照、正二位右大臣に任ずる」
「「ぉぉぉ~」」
飛鳥井雅春が持っていた書状を読み上げ、周りの公家達は知らなかったのかどよめきがあがる。
しかし義照は何も言わず平伏したままだった。
「村上様?」
雅春は声をかけるが反応せず、周りの公家達は義照が驚きのあまり黙っているのではと思う者もでた。
「……恐れながらその儀、御断り致します」
「なんと!」「畏れ多い!」「帝の御厚意を踏みにじるのか!」
義照の言葉で周りの公家達が一斉に非難の声を上げた。武士が正二位どころか右大臣になるなど普通あり得ぬのに、それを断ったからだ。
「此度参りましたは、帝に御別れを申し上げに来た次第に御座います。この度、隠居することに致しました故、私(義照)がこれまで頂いた官位、全て帝に返上致します。ですので御断り申し上げます」
義照の言葉に誰もが口を閉じた。これまで献金して来た義照が急に隠居を宣言したからだ。前以て隠居を知っていた摂関家や一部の公家達を除き殆どの者達の考えは二つに分かれていた。
片方は義照が隠居しても村上家は今後も莫大な献金をしてくれると思っている愚か者達と、今後も村上家は献金をしてくれるのかと不安に思う者達だ。
「村上様、今後について…」「今後については我が子輝忠に一任しておりますので、そちらに御尋ね下され」
「なんと…」 「そんな…」
この時点で献金をちょろまかしていた愚かな公家達も理解した。村上家は朝廷から離れると…。
(ふーん。朝倉に寄生している奴等(公家)は余裕そうにしているな。後で地獄を見るとも知らずに……)
公家達は慌てる者と余裕そうにしている者で分かれていた。公家達は、うち(村上)か朝倉に寄生しているので問題無いと考えているのだろう。奴等(公家)は義景を甘く見過ぎだ。
あれは、動き出したら止まらない。意外だが……。
「…義照。其方が隠居する前に二つ頼みたいことがある」
「……私に出来ることでしたなら……」
「余は、退位し誠仁(親王)に譲ろうと思っておる」
「「「主上!!」」」
公家達から驚きの声が上がる。それは摂関家も同様だった。兼照や前久の顔からしても全く知らなかったようだ。
「退位の儀及び即位の儀の費用で御座いますか?帝の恩為、此方で全て用意致しましょう……」
どうせ金が無いから出してくれと言うことだと思い先に出すと宣言した。そうすることでこれ以上要求されない為だ。
だが、帝は首を横に振る。
「そうではない。余が頼みたいのはその後の事。仙洞御所を御主の本領地(信濃)に造って貰いたい」
帝の言葉に誰もが絶句する。仙洞御所はこれまでも何度か造られたことはあるが京以外と言っても畿内だった。
それなのに帝は村上家の領地に御所を作りたいと前代未聞を仰せになったのだ。
「………もう一つはどのようなことに御座いましょうか?」
話を変える為に尋ねる。この時点でロクでもない事だと思った。
「都を含め山城一国が皇室領となったが今は其方に任せっきりになっておる。徐々に引き継ぎはしておるが其方等が退いた後、やれる者も少なく、荒廃してしまうだろう」
帝のお言葉は的を射ている。実際引き継ぎして問題無く済んでいるのは、息子(兼照)、甥っ子(近衛信尹)の他に二条、飛鳥井、広橋家くらいだ。
広橋家はうちとの関係は殆ど無い。だが、ある大名と関係が深い。
大和一国の大名、松永弾正久秀である。
多分、久秀が根回ししていたのだろう。あの御仁は本当に怖い…。
「其方は民達にも勉学を学ばせてとると聞く。それを我等にもして貰いたい。誠仁にもだ」
帝は領地経営を問題無く進める為にわざわざ頼んできたのだろう。基本、公家達が学びたければ教えるよう伝えてはいるが来たという報告はあまり聞かない。面子がとかもあるのだろう。
甥っ子(近衛信尹)が武術を学びに来たと聞いた時は驚いたが…。
それに、親王様にも教えろとは…………。
「そちらに関しましては何時でも用意は出来ておりますが、殆んど来られる方はおりません」
「関白、皆(公家達)に学ぶよう余が申していたと伝え、学ばせよ」
「仰せのままに……」
陛下の指示で兼照が頭を下げ、他の公家が続いて頭を下げる。
これで一つは済んだ。だが問題はもう一つの方だ。
仙洞御所を信濃にと言うのは前代未聞過ぎる。流石に受ける訳にはいかなかった。
「……一つ目、御所に関しましては余りにも前代未聞に御座います。それに、我が本領に御所を建て帝をお迎えすれば毛利、朝倉だけでなく、日ノ本の殆どの大名が我等が帝を欺き囲ったと捉えかねません。何卒御再考の程……」
義照は伏して頭を下げる。他の公家達は帝の御言葉をじっと静かに待ち、広間は静寂を迎える。
「左様か………。ならば、一度御主の本領を見に行っても良いか?越前にも向えば朝倉も納得しよう………」
(これは断れないな………)
「主上の御心のままに………。ですが、我が本領信濃は雪が積もれば思うようには進めませぬ。ですので冬は避けるべきかと………」
諦めて受け入れた。もしかしたら、初めからこれが狙いだったのかもしれない。一度断ればワシが断れなくなると………。
「分かった。義照よ。我が父(後奈良天皇)の代から今まで世話になった。礼を申す」
帝は礼を言うと頭を下げる。その後、後の調整を関白達に任せ広間から出ていき、残った公家達は暫くざわめいていた。
(まぁ、急に譲位なんて言われたらそうなるな……)
「皆静まれ!此度の御譲位は我等も知らぬこと。この件は今一度帝の御考えを御尋ねしてから皆と話すことにする。此度の件は決して他言無用ぞ!」
前久が騒ぐ公家達に一喝しその場は解散となった。
そして俺は……。
「では、誰も聞いていなかったのか……」
「聞いておれば根回しをしておったわ」
「左様。まさか、急に仰せになるとは……」
「私も聞いてたら御爺様(稙通)や父上(義照)に相談してました」
「三条西様まで聞いておられなかったとなると知っていた者は一人も居らなかったでおじゃろう…」
別室で摂関家と三条西実澄、そして俺と相談会をしている。
「どちらにせよ、朝倉を説得せねば無理であろう。ワシも輝忠に任せよう」
「兄上には父上から説得して下さい。私は嫌です」
「まだ、喧嘩しておるのか?ええ加減にせぬか」
「まぁまぁ落ち着かれよ。それでは九条殿には二条殿と共に朝倉家へ、前久と稙通殿に輝忠殿への説得をして頂くと言うのでどうじゃ?」
兼照と義照の言い合いになる前に実澄が決めてしまった。
二条も前久も了承したからだ。
「分かった。ワシは和泉の義尊の所に寄った後信濃に戻る。………実澄卿。恐らく会うのも最後になりましょう。長きに渡り御世話になり申した」
義照が三条西実澄に伏して頭を下げる。その光景に息子兼照や二条兼孝は言葉を失い、義父の稙通と前久は黙り、実澄は暫く目を瞑った後口を開く。
「稙通卿や亡き稙家公に声を掛けられ帝の為と根回し等の手伝いを頼まれたが、こうも続くとは思わなんだ。ワシの方からも礼を言いたい。苦しんでおられた先代帝を支えくれたこと深く感謝いたす……」
そう言うと実澄は頭を下げる。その後御開きとなりそれぞれ御所を後にした。
二ヶ月後、三条西実澄は夏が終わる頃家族に看取られながら、その生涯を終えるのだった。