161 どんど焼き(比叡山)
元亀九年(一五七八年)十月
村上軍五万は近江を進み坂本に向かっていた。
総大将は当主村上義照。そして、隠居を宣言していた古参で側近でもある四人も参加していた。だが、輝忠は参加させていない。信濃に残した為だ。
数日後、目的地に到着し直ぐに包囲した。そう、比叡山延暦寺を包囲したのである。
村上軍本陣
「……舐められた物だな」
「全くですな」
「閻魔も触れられぬ聖域とは良く言えた物ですな。一部の僧からは攻撃を中止してくれと嘆願してきております。寺の中でも意見が割れているのでしょう」
延暦寺は義照が近江に入り比叡山に向かっていると知ると直ぐに使者を遣わした。
延暦寺は朝廷より不入の権を認められていること、延暦寺を敵に回せば日ノ本全てを敵に回すと思えと、以前景虎や義景に脅迫した内容をそのまま義照に伝えた。
軍神と言われた長尾景虎でさえ手出しできなかったのだから、村上も同じだと安易に考えてしまった。
だが、義照は笑顔で延暦寺を焼き討ちにするから待っておけと使者を追い返して今に至る。
「失礼致します。大殿、聖衆来迎寺の真雄と申す者が参りました」
「来たか。ここに連れて参れ」
俺が指示をするとやって来た真雄と言う住職を連れてくる。
「お、お呼びとのことにより参りました。真雄に御座います」
かなり高齢の住職は怯えながら頭を下げる。
「何、頼み事をしたくて呼んだのだ。そう怯えなくともよい」
義照はそう言うが、皆殺しにするから待っておけと言われた坊主側からしたら恐怖でしかなかった。しかも、村上家とは全く関わりも無く、何故自分の名前を知っており呼ばれたか全く分からなかった。
「た、頼みとは何でしょうか…?」
「準備が出来次第比叡山延暦寺や周辺も含めて一人残らず殺す。だが、子供や赤子には手を出さぬ。流石に罪は無いからな。そこで、御主の寺に子や赤子の保護を頼みたい。勿論、寺や関係者の安全は保証する」
「か、畏まりました。そのお役目お受け致します。お、恐れならが何故我が寺なのでしょうか?私は村上様との面識どころか関わりもありませんでした」
真雄は何故か理由を訪ねる。そこだけはどうしても分からなかったからだ。
それは本陣にいる家臣団も同じだった。
「御主の寺はこの叡山の麓の寺で真面目に経を読み、天台宗の戒律を守っていた。延暦寺とは違ってな。故に御主の寺に頼むのだ。それと戒律を守っていた他の寺にも既に頼んである」
「左様で御座いますか…。大変失礼致しました」
「しかし、本山(延暦寺)が堕落しておるのによく戒律を守っておるわ。ハハハ、ワシも幼き頃寺に入れられたが直ぐに追い返されたわ!」
義照が笑うと真雄も真意が分かりホッとした。真雄は来る時とは違い安堵して寺に戻るのであった。
義照が焼き討ちの準備を進めている頃、延暦寺では多くの血が流れていた。
「殺せ!信忠と織田の者共の首を差し出せばまだ助かるぞ!」
「糞坊主共、裏切りやがったか!!死にたい奴はかかって来い!」
使者を追い返された延暦寺は信忠や一緒に来ていた者達の首を差し出せば助かると思い、匿っていた信忠達に襲い掛かっていた。
義照は一言も許す等言っていない。
僧兵達は信忠に貸し与えられた屋敷に襲い掛かるが、信忠について来ていた側近(馬廻り)に防がれ犠牲者が無駄に増えていった。
その原因は、主に一人の男のせいである。
「おらおらどうした!!そんなものか~!」
「お、鬼だ~!こいつは人じゃない!」
史実の鬼武蔵こと森長可である。
長可は自慢の槍で幾人もの僧兵を殺し辺りは血の池になっていた。
そんな長可に触発され他の織田兵も奮起し数に劣るが守り切っていた。
一刻後
「遅かったな。長政殿」
村上軍本陣に近江守護浅井長政が到着した。既に焼き討ちの準備が出来ていた。
近江に軍を入れる際人質として、三男の照親を渡している。
「村上殿、比叡山のこと…」
「お市と子供等の命と交換でなら聞こう」
「なんでもありません」
長政が叡山の焼き討ちについて言おうとしたので、先に黙らした。
お市は織田一族だが、長政の正室で三人の娘と末っ子の次男の母親であった。それに浅井が織田を裏切った後、浅井家に残ったので見逃していた。それに長政は市を溺愛しているので敵になる可能性もあった。
まぁ、本音を言えばその方が楽(始末が)だったからだが……。
「さて、始めるか。孫六、全弾撃て」
「はっ!貝を鳴らせ~!」
法螺貝が鳴り響き、配置されていた炮烙火矢が一斉に天に飛び立つ。
そして、轟音と共に比叡山を煙が覆った。煙の下では鈍く明るくなる。
「子供には手を出すな!突撃~!!」
うおおおおおおおおおお~
軍勢は麓から一気に攻め上がる。
麓の町でも残っていた者達への虐殺が始まっており、至る所で悲鳴が上がる。
聖衆来迎寺
「「以無所得故。菩提薩埵。依般若波羅蜜多故。心無罜礙。無罜礙故。無有恐怖。遠離一切顛倒夢想。究竟涅槃…」」
寺では真雄達上の者は経を読み、下の者達は逃げてきた子供や兵に連れて来られた子供を保護する為動き回っていた。
中には寺に逃げ込もうとして門前で殺される大人まで出ている有り様だ。それは他の寺も同じだった。
(どうか、早くこの焼き討ちが終わりますよう…)
住職達はただそれだけを思い念仏を唱え続けるのだった。
延暦寺は最初の一撃で至る所で火の手が上がり寺にいた者達は逃げ惑っている。そんな中、裏切られ僧兵に攻められていた織田の者達は僧兵達を退け一生懸命山から逃げようと動いていた。
「信忠様!ここもダメです」
「信忠様!向こうにも村上の兵が居ます!!」
「クソっ!村上の兵士から鎧を奪って紛れ込むぞ!」
信忠は付いてきた者達に指示をして村上の兵を襲おうとした。
しかし……
「ぐふっ」「がはっ!」
「何だよ此奴ら凄く強いぞ!!」
村上の兵士に襲い掛かった織田兵達だったが、悉く討ち取られていく。
僧兵達を退けた後で体力を失っていると言っても、信忠の馬廻りで武勇に秀でた者が多かった。だが、現実は長可を除き一方的に殺られる。
「えぇぇぇい!!何を押されておるか!押し返せ!!」
「ほぉ、その声はあの時のクソガキか…」
信忠の声が聞こえ兵士達の中から二人の武将が出てくる。
信忠、そして長可はその人物を見て目を見開く。
「お、お前は村上の馬場!!」
出てきたのは馬場信春とその息子昌房であった。
信忠達が襲った相手は村上家で一二を争う強さを持っていた馬場軍だったのだ。
「馬場だって?」
「不死身の鬼美濃だ…」
「もうダメだ」
「俺達は殺されるんだ」
信忠に付き従っていた者達は信春の名を聞いて逃げ出した。
「一人も逃がすな!!父上、こいつは私が…」
「はっ!殺らせるかよ!!」
逃げ出した織田兵を討ち取れと命令して昌房は信忠を斬ろうと前に出た。
しかし、それを阻むように長可が信忠の前に出る。
「貴様のような雑魚に用は無い!邪魔だ」
「うるせぇ!!お前なんか俺の槍で討ち取ってやる」
昌房は方天画戟を振るい長可は必死に槍で捌いていく。
長可が万全の状態なら勝機もあっただろう。だが、今の状態では耐えることで必死だった。しかし…
「終わりだ…」
「がはっ…そん…な…」
長可は昌房によって袈裟切りされ体はゆっくりと分かれていき崩れ落ちる。
「うわああああ!」
「長可が負けた!!逃げろ~!!」
信忠の元に残っていた織田兵も最後の希望であった長可の死で逃げ出した。
だが、それを逃す馬場隊ではなかった。一人また一人と殺される。そして信忠は……。
「後は貴様だけだ…さっさと逝ね…」
信忠は周りを囲まれ逃げることも出来ず信春に追い詰められ、その首を一太刀で刎ねられたのだった。
「昌房、こいつ(信忠)の首を大殿に届けろ。それ(長可の首)もそのまま持っていけ」
「断ります。父上がこの首(長可)と一緒に持って戻って下さい。もう隠居を宣言したのですから後は任せて大殿の居られる本陣に居て下さい」
「大馬鹿もん!大殿が本陣にいる訳無かろうが!」
昌房の言葉に信春は怒鳴り付ける。怒られ昌房は「何故?」となり固まった。
「大殿が出陣前に業は全て背負うと言われたであろう!あれだけの事を言われた大殿が本陣で大人しく待っていると思ってるのか!!大殿のことだ。今頃延暦寺に入っておられるに決まっている!だから合流するのだ!」
信春の言葉に昌房を始め周りの兵士達はまさか~と思いつつ悪寒を覚えるのだった。
そして、義照は信春の予想通り延暦寺で僧兵を相手に山頂を目指していた。
ぐふっ
がはっ
「大殿!前に出られては危険です!」
「大殿!!我等が先陣を行きます!どうか、お下がり下され!」
義照は先陣を進んでいた大熊、日根野隊に追い付きその軍より前で僧兵を薙ぎ倒していた。
「大殿、これ以上は危険ですので…っと言っても無理でしょうな」
「昌祐~、やはり昔の様には動けんな。信春や正俊の様に毎回戦場に出てたら違うのかも知れんな」
片手で僧兵を殺しながら昌祐に答える。
今では殆んど本陣で指揮することが多いが武芸に関して鍛練を怠ってはいなかった。
「昌祐。ワシは延暦寺での虐殺の業はワシが背負うと皆に言った。それなのに他の者にさせてワシだけ本陣で座っておくなど出来るか」
「全く、大殿は昔から背負い過ぎでは御座いませぬか?」
「ははは、どうであろうな。……本当ならこうして当主として居ることは無かったんだがな…」
「大殿……。……何処までもお供仕ります」
「ホント、世話を掛けるな……」
昌祐と会話しながらどんどん山を登っていく。
大将(義照)が先陣にいるのに遅れる訳にはいかないと必死に他の者も前に出ていく。
その後、先代覚恕の後を継いだ延暦寺座主を殺し比叡山延暦寺は数日の間燃え続け、その煙は石山本願寺からも見える程、壮絶な物となるのであった。
燃やし尽くした後、死体を一つ一つ槍で刺して確認し生き残った者、死体に隠れて難を逃れようとした者は一人残らず殺された。
また、原因の高僧共で顔が残って識別出来た者は頭を槍に突き刺し山頂に晒されたのであった。