16、他国巡りと蝮
天文十一年(1542年)六月
帝へ拝謁が終わったので国へ帰ろうと準備を進めていたら、使者が来た。
使者が言うには将軍御所に来いということだった。
俺は面会できる身分ではないから断りを入れたが帝に拝謁したのだから問題無いと押しきられた。
朝廷も無茶苦茶だったが、将軍家も無茶苦茶だ。
翌日
元々土産など準備なんてしてなかったのでこの後渡す予定だった六角、齊藤への手土産から引き抜いた。
将軍足利義晴に拝謁したが、なんとも優柔不断な人物だった。
幕臣や細川晴元は何かと意見を言うのだが、肝心の将軍自身は悩んだままで中々判断を下せずほとんど何も言わなかった。
結局何のために呼ばれたかも良く分からず終わるのだった。
唯一まともな話は何故、京に来たのに将軍家に挨拶をしに来なかったのか問われたことと幕府のために尽くしてくれだけだ。
勿論、「滅ぶ寸前の幕府に下げる頭はない!」って言ってやりたかったけど、そんなこと言える訳がないので、きちんとまともに「守護でも守護代でもなく、一領主のしかも三男が将軍に会うなどおこがましくて出来る訳がない。また、贈り物などしては信濃守護の小笠原様(叔父上)の顔を潰すことになりかねないので出来なかった」
といってやった。
そしたら、「朝廷に顔を出したではないか!」と一部幕臣から言われた。
「朝廷からは勅命が出たから赴いたまで。将軍家は勅命を聞かなくてもよいのか?」
と俺が反論するとその幕臣は黙ったのだった。
朝廷と勅命って言葉はホント脅迫に使えるとこの時思った。
晴元から、今後はそのようなことは気にしなくて良いので今後は将軍家にも手土産をもって挨拶に来るようにと言われたのだった。
将軍御所を出た俺は思いっきり溜め息を吐いた後、帰国の為に近衛と九条に挨拶に向かうのだった。
翌日、帰国の為京を出立しようとしたら近衛と九条がわざわざ見送りに来てくれた。
「近衛様、九条様、それでは我らは国へ戻ります」
俺が頭を下げて言うと二人は残念そうにしていた。
「来年には養女を連れて参るから楽しみにしておるのでおじゃるよ」
「我が娘のこと、よろしく頼みますぞ」
二人からは、縁談の話と支援の話をされたのでわかりましたと言って京を出立し近江へ向かった。
この後、近江、美濃を通って信濃に帰る予定だ。
その途中、近江で忍を召し抱えるつもりだ。
天文十一年(1542年)七月
近江の六角に挨拶をした後、俺は甲賀五十三家筆頭の望月家を訪れたが物凄く警戒された。
それもそのはず。信濃佐久郡の望月家はここの本家に当たるからだ。
「と、言うことで忍の頭領を一人重臣として召し抱え、それに従う忍達にも武士と同じ扱いとさせていただきます。ただ、渡せる領地は殆ど無いので領地を二百石と銭二百貫文とします。後、手柄をあげたらその分、銭か土地を加増します。その条件で受けて貰える家を探してもらいたいのです」
俺は召し抱える条件を伝え、その条件で来てくれる者を探した。
条件を聞いた望月出雲守と周りに居た者達は驚きを隠せなかった。
忍は忌み嫌われ、扱いも最悪だったからだ。
「他の家に伝えるが三日ほど貰いたい。ただ、その条件を守ると言う保証はあるのか?」
「必要なら熊野牛王符の誓詞血判書を書きましょうか?」
俺(義照)が言うと本気だと思ったのか承諾した。ただ、後日誓詞血判書を渡すことにした。
三日後
望月から後、一日待ってくれと言われた。何でも条件が良く、誓詞血判書まであるので揉めているそうだ。
明日には近江を発つのでそれまでに決めて移動も出来るようにしてくれるなら問題無いと伝えておいた。
翌日
出立ギリギリで望月達がやって来た。
揉めに揉めた結果、鵜飼孫六とその一族と配下の忍達に決まったそうだ。
望月出雲守自身も行きたかったようだが佐久郡の本家との確執があったので辞めざるをえなかったそうだ。
「鵜飼孫六と申します。どうかよろしくお願い申し上げます」
孫六と名乗った男が頭を下げると全員が膝をついて頭を下げた。
「あぁ、よろしく頼むぞ!誓詞血判書は持っておけよ」
「ははぁ!」
こうして忍を手に入れ、美濃へ向かった。
天文十一年(1542年)七月末
美濃、稲葉山城
俺(義照)は今、蝮に睨まれながら引き抜きをされかけている。
「では、娘をやろう。ワシの元へ来い」
「来年には近衛様の養女が来ますので御断りします。それに確か、ご息女は六歳では?」
「なんと、ワシの娘の年まで知っておるか!良く調べておるな!ますますお主が欲しいの!では、城をやろう。どうじゃ?」
「既にありますし、新しく居城を作り始めているので御断り致します」
さっきからこう言うやり取りをしている。少し時を遡ると、通過させて貰えるお礼を言うために稲葉山城に来たのだが、そこで斎藤道三と面会し少し話をしたら今みたいに引き抜きが始まったのだった
「では、美濃四万石を与えよう!これ以上は無理だ。どうじゃ!」
「既に、信濃小県郡四千石ありますのでお断り致しま………は?ハァ~!四万~!」
俺は流石に驚きを後ろに倒れてしまった。付いてきていた昌豊も驚きを隠せていなかった。
美濃は全部で五十四万石だったはずでそれから四万と言ったらかなりの領地だ。
「そうじゃ!四万石じゃ!ワシの重臣よりも多いぞ!ハハハハ!」
道三は笑っていたが笑って済む問題ではない。
「お、お待ちくだされ!それでは道三様を亡き者にしようとする者が現れかねませんぞ!」
なぜか、周りにいる重臣より俺が先に道三に対し意見した。
「お主にはそれだけの値打ちがあると言うことよ!ハハハ!」
道三は笑っていたが、目は笑っていなかった。獲物を見るようにじーっくり見ていた。
「四万石………確かにこんな好条件惜しいですが、私に付いてきてくれる家臣領民達がおりますので御断りさせて頂きます」
俺はそう言って頭を下げた。
道三も無理と判断したのか諦めてくれる………ことは無かった………。
「仕方ない!では、もし、そなたが領地から追い出されたらワシの元へ来い!五千石位ならくれてやろう!そなたの才は国を持たぬ所では埋もれてしまうからな!」
「もしそうなって道三様がそれに関与していなかったら考えさせていただきます」
ある意味将来の就職(仕える)先が決まったようなものだった。
その日の夜、宴を催された。道三には城と城下の拡張案と楽市楽座を勧めておいた。
流石元油売りで商人だった道三は楽市楽座の有効性を一瞬で理解し、その場で行うことを発表したのだった。
数日、道三と小姓と護衛と共に城と城下を回り具体的にどういう風に改築と拡張するか話し合った。
道三は俺の案に付け加えや代案を出して兵糧攻めでも落ちぬ難攻不落の城を作図するのだった。
作るのに時間と金はかかるが絶対に落とせないな!と道三は大笑いしていた。
俺はというと、道三の小姓として付いてきていた男の正体を知って内心驚いてた。
なんと、明智光秀だったからだ。道三は才能があるから連れていると言っていた。同い年なのですんなり友達になれた。
その後俺達は美濃を発った。
天文十一年(1542年)九月
信濃小県郡松尾城
領地に帰ってきたが、俺が待ち侘びていた者が来ているのだった。