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戦国生存記  作者: 現実逃避
157/180

157 その頃の九州

織田家が村上家によって滅ぼされた頃、九州をめぐる大戦の第二ラウンドが始まろうとしていた。


肥前 佐賀城


「機は熟した!此度の戦で大友を葬る!陣触じゃ!!!!!」


肥前の熊の異名を持つ大名、龍造寺隆信は家臣達の前で宣言する。


九州は先の大戦で毛利と大友が和睦した後、龍造寺、島津も互いに矛を納めていた。互いに兵の疲弊と討死が多かった為だ。大友とは何度か激突し国境では死体の山が築かれている。


そして矛を納めたとはいえ、島津とは和睦は一切していない。


そして今回、島津が大友との同盟を破棄し大友家の守護神、戸次道雪が死んだので龍造寺に取ってまたとない機会が到来した。

その為、秋の刈り入れを待たずに出陣を決めたのだ。しかし……。


「殿(隆信)、島津は大友との同盟を破棄したとはいえ、我等は因縁深い相手。この機に乗じて攻めて来るかと。まずは島津と和睦すべきです」


重臣の鍋島直茂は出陣に反対する。島津と戦は止まっているが僅かな小競り合いは今も続いており、和睦もしてはいなかったからだ。


「こんな好機を逃すなどあり得ぬわ!!直茂!お主は城を守っておれ!他の者は行くぞ!!」


「「おおおおおおぉぉぉぉ!!!!」」


「殿!御待ちを!殿~!!」


直茂は必死に止めようとしたが隆信は最早止まることは無かった。そしてこれが隆信と直茂、最後の会話になるとはこの時思いもしなかったのであった。



豊後 丹生島城(臼杵城)


「申し上げます!肥後の阿蘇惟将、日向の国衆、島津に寝返りました!」


「申し上げます!!富来城と周辺をキリシタンが占拠!南蛮人も手を貸しております」


「申し上げます!龍造寺に動きあり!!軍勢を集めております!」


「申し上げます!島津にも動きあり!!軍を集めている模様!」


(何故じゃ。何故こうなった……)


大友宗麟の元へは悲惨な知らせしか入って来ず悲嘆にくれる。全ての原因は京で朝廷が出したキリスト教の禁教令だ。


南蛮人の手を借り毛利水軍を徹底的に潰した後、宣教師との関係は深くなり土地を提供する代わりに安く武器等を手に入れていた。

その為国崩しと呼ばれる大砲を多く揃えられていた。勿論、火薬や弾薬もだ。


だが、禁教令で全てが変わった。

畿内やその周辺にいたキリシタンは迫害され、キリシタン大名として名を馳せていた大友家の元に押し寄せた。だが、この時既に京での禁教令を聞いていた大友家中でも南蛮人の追放を求める声が相次いでいた。


その筆頭が戸次道雪だった。


角隈石宗や大友家の三宿老と言われた臼杵鑑速は既に討死しており、吉弘鑑理も昨年病で亡くなり、大友家臣団最期の希望が道雪だった。


道雪は宗麟に対する家臣団の不満などを何とか抑えつつ、宗麟に直接意見を伝えてなんとか離反を防いでいた。

宗麟も道雪を重用し戦においては全権を委ねられる存在だった。


そして、朝廷の命を無視し続ける宗麟に対し大友家臣団の不満は爆発し道雪にその取り纏めを頼み込んだ為、道雪が反対の筆頭になったのだった。

道雪としては、受けなければ間違いなく反乱が起こると確信したので時間稼ぎも兼ねて受け入れたのだ。


宗麟も今回のことは重く見て、家臣団の意見を受け入れ、南蛮人の追放とキリスト教の禁教を決めた。道雪はこれで無事に大友家が纏まると思っていたがこの騒動の三日後、大友家を揺るがす大事件が起こる。


戸次道雪の暗殺である。


道雪は城内で突然血を吐き倒れた。宗麟は慌てて医師を連れて道雪の元に行くが時既に遅く、帰らぬ人となっていた。

宗麟は周りを憚らず泣き崩れ、道雪の遺体にすがり付く程であった。


同じ頃、城下の数人が道雪と同じ症状で死んでいた。医師は死体を確かめ、状況から毒殺だと宗麟や道雪の家臣団に伝えると大騒ぎになった。


これにより、大友家では誰が毒を盛ったか血まなこになって犯人探しが始まったのだった。


宗麟自身が犯人探しを命じたが、数日前に騒動が有っただけに家臣達からは宗麟が犯人ではと専らの噂になり、家臣達の反乱や一揆が起こり今に至っている。



「義統を呼べ!それと、集まるだけで構わん!兵を集めろ」


宗麟は息子を呼び出させ、それと同時に軍を集め始めるのだった。




薩摩 内城


「歳久が居らぬが予定が早まった。大友領に攻め込み、その後龍造寺を滅ぼす!」


「「おおおぉぉぉぉ!!」」


島津家でも当主義久が家臣を集め宣言する。


「兄者(義弘)の弔い戦じゃ!!龍造寺は一人も生かすでなか!!!」


「「「おおおおおおぉぉぉぉぉ!!!」」」


「家久!!勝手にワシを殺すな!「ゴフッ!」おんしら(家臣達)もだ!」


家久の檄に、隣にいた兄義弘は激怒し拳骨を叩き込む。そう、義弘は死んではいなかった。


「でも、兄者(義弘)!その体じゃもう、戦にゃ出れないではなゴブっ!」


再度義弘の鉄拳が家久の頭に落ちる。


義弘は恐るべき生命力からか命を拾うことはできた。だが、洪庵の見立て通り太股の傷のせいで一人で歩くことは出来なくなっていたのだ。


「ふん!戦に出る方法は考えとるわ!!ワシも出るぞ!」


義弘の宣言に当主義久は頭を抱える。本当は戦に出すつもりは無かったが、どうしても義弘が聞いてくれなかったので認めたのだった。


「肥後の阿蘇も、日向の国衆達もワシらに寝返った。冬までに大友を滅ぼす!皆出陣の用意を致せ!!」


「「「うぉぉぉぉぉ~!!!」」」


家臣達は一斉に広間を飛び出し準備に取りかかった。

残ったのは歳久を除く島津三兄弟、義弘の側に付いている川上忠智と上井秀秋の五人である。


「歳久はそろそろ京に着いた頃かのぉ?」


「家久じゃないから既に着いたであろう。しかし、洪庵が医聖(曲直瀬道三)の弟子じゃったとはな!お陰で命を救われたわ!!」


義弘はそう言うと大笑いする。

義弘は施術を受け後一ヶ月近く眠っていた。その間、洪庵は島津家の医師達に技術を教えたり、島津三兄弟(義久、歳久、家久)から尋問(圧迫面談)を受けたりした。


何処から来たのか、どこでその技術を得たのか、何が目的か等だ。


結果、威圧以外は何もしてこない為根負けした洪庵は話せることは全て話したのだ。

曲直瀬道三の弟子で、技術は甲斐で学び、村上家の重臣に縁があり伝があることを伝える。


三人は驚き、洪庵に詰め寄りより詳しく話を聞くのだった。話終わるまで数日かかりその間洪庵は客人として扱われるのだった。そして、義弘が目を覚ました為洪庵は解放…されること無く島津家のお抱え医師として雇われ続けていた。


だが今回、京でのキリシタン禁教と追放の話を聞き、義久は大義名分を得るために幕府と朝廷に使者として歳久が向かわせ、それと同時に村上家との繋がりを持とうと洪庵に繋ぎを依頼したのだった。


本来なら歳久が戻ってから大友を攻めるつもりだったが戸次道雪が暗殺されたことで急遽予定を早めた。


「まぁ、歳兄が無事に戻ってくるまでに大友を喰ろうっておかにゃな!」


「家久、おんしは龍造寺の見張りじゃ。ワシが大友の方へ行く。義弘、言っておくが前には出るな」



「ええー!義久兄なんでさ!!」


「そうだ!兄者(義久)!ワシは戦えるぞ!!」


(はぁー…全く弟達ときたら…)

義久は猛抗議してくる二人に、内心溜め息を吐きながらも聞いてやるのだった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 島津の動向如何だが、島津が村上の言う通りに動いたとしても、村上が島津に多数の国を任せるというようなことは絶対にないと予想します。 凡そ元から持ってた薩摩大隅は別にしてもこれ以上与えるようなこ…
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