155 本能寺、いえ、政秀寺炎上
時は少し逆戻り、森可成達元織田家臣団が小牧山城を攻め続け、秀吉が清洲城に向かっていた頃、光秀は義照の命で政秀寺に入っている信長と一族を捕らえ連れてくるよう命じられていた。
政秀寺は小牧山の南に位置し信長が建てた寺である。
光秀は手勢と監視として付けられた村上輝忠と工藤昌豊の軍勢と共に寺を囲み、政秀寺の和尚、沢彦宗恩に引き渡しを要求した。
監視と言うが正確には昌豊だけだが。義照は初め、馬場信春と輝忠に監視を任せようとした。
義照は輝忠が信長達を逃がすものなら殺せと信春に命じ、その場にいた昌豊は輝忠の傅役の自分がしなければいけないと懇願し監視になったのだ。
そして、昌豊はもしも信長達を逃がせば輝忠を殺して自分も死ぬ気でいた。
寺に送った使者は快川紹喜と言い、恵林寺の僧であり沢彦とは兄弟の契りを結んだ間柄であった。
そして、輝忠達の元に戻った快川和尚の口から伝えられた信長の伝言は本陣を凍りつかせる。
「誠に信長がそう言ったのか?」
「はい。我が首欲しくばかかってこい。ただし、寺の者達は巻き込みたく無い故、先に逃がしたいと」
昌豊の質問に和尚は答える。なんと信長は降伏する気が無かったからだ。
「沢彦殿と言ったな。信長殿の元にはいくらの兵がおる?」
「女子供を含め五百人程でございます」
一緒にやって来た沢彦は輝忠の質問に答えた。一つ嘘を交えて…。
既に寺の者は全員出てきており、村上軍によって保護(監視)されている。信長の側室や子供が混じっていないか確かめる為だ。
「分かった。これより政秀寺を攻める。先鋒は光秀とする。沢彦殿、寺を破壊してしまうが後で必ず再建するので御許し願う」
「畏まりました。恐れながらお願いがございます。戦が終わった後、信長様を弔うことを御許し頂きたく…」
「分かった。父上は私が説得する故許そう」
「ありがとうございます」
輝忠の言葉に沢彦は頭を下げ、快川和尚も続いて頭を下げる。
そして、光秀を先陣に政秀寺へ攻撃を開始した。
誰もが簡単に打ち破れると思っていたが、最後まで信長に付き従った者達が必死の抵抗をしほんの僅かながら時間を稼いだ。
政秀寺 境内
「来たか…」
信長は騒がしい音を聞きながら最後の時を向かえようとしていた。
側には正室帰蝶を始め側室達もいた。しかしその場に信長の子供は一人も居なかった。
「まずは皆こうなってしまったことは済まぬ。だが生きていれば晒し者にされた後、無惨に殺されるだろう」
信長の言葉に女房(側室)は涙を流し中には声を漏らす者もいた。
「殿。もう覚悟は皆出来ております」
「で、あるか……。では先に逝って待っておれ」
帰蝶の言葉に信長はこれ以上何も言うことは無かった。信長は静かに部屋を後にする。少しして側室達は一人また一人と命を絶った。
「大殿!!敵に門を破られました!!先陣は桔梗紋!明智光秀!!」
「ははは……十兵衛(光秀)か…ははは…」
信長は残っていた村井貞成からの報告に笑った。
「ははは…十兵衛、其方がか……ハハハ。義照め。自ら手を下しには来ぬか…ハハハ。………是非も無し。貞成!!予定通り火を放て!敵諸共焼き付くせ!ワシの首は死んでも渡すな!!!」
「ははぁ!!!」
「出来れば奴(義照)を道連れにしたかったな……」
信長がそう言うと貞成は直ぐに火を付けるために向かい、自分は付き従い戦っている者達の元に向かった。
そして今に至る。
「火の手が上がったぞ!!」
既に境内には多くの兵が入り光秀自らも中に入り戦った。なんとしても信長と帰蝶を確保するためにだ。
「信長だ!!信長がいたぞ!!」
「いたぞ!!何としても捕らえろ~!!」
「信長様、帰蝶様……」
光秀は小さく呟くと兵士達の声がした方に急ぎ向かった。
信長は自ら鉄砲、弓、槍を使い一人また一人と討ち取っていく。しかし圧倒的な兵力差の前にはどうすることも出来なかった。
「ここまでか……。菅屋!ここを任せる」
「承知!!大殿!!あの世でもお仕え致します故暫く御別れに御座います!!」
「であるか!!先に行って待っておれ!!」
信長は馬廻りだった菅屋長頼に後を託し中へ戻っていく。
「信長を追え!逃がすな!!」
「一人も通すな!!死守するぞ!!」
おおおおぉぉぉぉぉぉぉ
信長に付き従った者達と明智兵が乱戦を繰り広げる。光秀も辿り着くがそこに信長の姿はもう無かった。
「信長様は!」
「あの奥に入りました!」
光秀は側にいた兵の返答を聞いて前に出る。
「明智光秀!この裏切り者め!!!!」
「殿(光秀)を守れ!そいつらを討ち取れ!」
菅屋達は光秀を見つけ襲いかかるも兵に阻まれ、一人、また一人と散っていく。しかし生き残りは傷付きながらも光秀を討ち取ろうと死ぬ最後まで戦い続け全滅するのだった。
「御待ちしておりました」
信長は先程までいた部屋に戻る。部屋の中では側室達は既に自害しており、血だまりが出来ていたが一人の女がその中で待っていた。
「帰蝶」
「嫁いだ時に申しました、死ぬ時は共に逝くと。先に逝けば約束を違えますので…」
信長は帰蝶の言葉を聞きそんな戯れごともあったなと思い出した。
「ふん。親父殿(道三)に嫁いだ時にワシを殺せと命じられていたのにな。お濃(帰蝶)、あの世があればまた会おうぞ」
「はい…」
信長と帰蝶は火の手が回った部屋の中で共に果てるのだった。
政秀寺は炎上し、信長に付き従った者達は皆死んだ。光秀達が信長を追いかけ奥に向かったその時、信長が仕掛けた最後の仕掛けが発動した。
義照を道連れにし絶対に首を取られない為に仕組んだ物だ。
ドーン、ドーン、ドーン!
「何事か!!」
包囲をしていた輝忠達は寺の中で轟音が響いたことに驚く。
「申し上げます!!境内の建物、悉く吹き飛びました!!」
直ぐに伝令が駆け込み何があったか知り目を丸くする。
「信長は首を取らせない為に火薬を仕込んでいたか…」
「被害状況はどうだ!!」
「現在確認中!ですが信長を追いかけ奥に向かった者達は恐らく!!」
「ッ!直ぐに生きている者を外に出し、負傷者の手当てに当たれ!父上にも知らせろ!急げ!!」
輝忠は直ぐに指示を飛ばし兵を下がらせる。政秀寺は燃え続け、消えるまで誰も近付くことは出来ずただ眺めるのだった。
義照本陣
「そうか…。輝忠に伝えろ。負傷者は手当てし、護衛を残した後、蟹江城を抑えろ。こっちは清洲城に向かうとな 」
「はっ!畏まりました!!」
伝令が出ていくと、俺は溜め息を吐く。
(信長め。最後にやってくれるな…)
「孫六。負傷者達の元へ向かい寺から出てきた者の中に織田一族や側室等がいないか確認に向かってくれ」
「畏まりました」
「ワシらは清洲城に向かう。小牧山城は攻めている元織田家臣団と盛勝(仁科)を残す。盛勝、馬鹿兄(義勝)の代わりに城攻めの指揮を執れ」
「はっ。叔父上(義照)、父上(義勝)はどうしますか? 」
「………好きにさせておけ。どうせ我慢できずに突っ込もうとするだろう。あれでも元織田家武闘派が手こずっているからな」
「分かりました」
馬鹿兄に関してはもう、手に追えないので息子の盛勝に頑張って貰おう。
そして俺達は信忠の籠もる清洲城に向かうのだったが……。
「伝令ー!伝令にございます!!」
道中、伝令が駆けて来て驚きの報告をする。
「木下様、依田様!!清洲城、制圧致しましたー!!」
「………は?清洲城を落とした?」
「はっ!!城内の者は全員捕らえました!しかしながら、織田信忠は城には居らず影武者でした!!」
「なに……?」
伝令の報告を聞いて俺達は清洲城に急いだ。城に着くと織田の兵士達が繋がれていたが人数が少なかった。
「大殿(義照)、御待ちして…おりまし…た…」
「信蕃(依田)、秀吉、これはどういうことか説明しろ」
義照から睨まれ二人は恐怖から震えた。
清洲城を攻めたせいで信忠を逃がしたのではないかと思われたからだ。
「は、はっ。我らは木下殿の提案で抜け道から清洲城に侵入し、誰も逃げられないように城門に火を掛けようとしました。しかし…」
「潜入したまでは良かったのですがあまりにも見廻りが雑で兵士の数も少なく。城門と裏門に同時に火を付け奇襲したら直ぐに兵士達は降伏し、城内にいた重臣林光之と信忠の影武者を捕らえた次第にございます」
二人は怯えながら説明し終わると義照の怒号が響いた。
「林と影武者をここに連れてこい!!今すぐだ!!」
「ははぁ!」
二人は直ぐに捕らえた二人を連れて来て座らせる。
影武者は怯えているが林の方は平然としていた。
「信忠は何処に行った?」
二人に訪ねると影武者の方は全く知らないと命乞いを始めるが林は口を噤んだ。
「信忠は何処に行った?」
義照は太刀を抜き光之の首に当てて再度尋ねる。
「信忠様の行き先と私の首を条件に城に残っていた者達の助命をお願いします」
ザシュッ「ぐっ!」
光之の言葉に義照は首に当てていた太刀を光之の太ももに突き刺した。
「ワシは居場所を聞いているのだ。信忠は何処に行った?」
義照は刺した太刀をこねながら訊ねる。
光之は苦悶するが、決して口を割ろうとはしなかった。
「城に…ぐっ、残された者達はぅぅ…信忠様に見捨てられた者達です。何卒!私の首と信忠様の行き先で助命を…」
光之は痛みに耐えながら言葉を振り絞る。
「何故、そこまでする?行き先を吐けば楽になれると言うのに」
俺は動かすのを止め訊ねる。どうしてそこまでするか分からないからだ。
「我が林家は織田家の重臣として尾張に根付いて来ました。城にいた者達は兵とはいえ尾張に住む民に御座います。彼等を守らずして何が武士でしょうか!何卒、我が首と信忠様の行き先で城に残っていた者達の助命を…お願い致します…」
光之はそう言うと刺されたまま頭を下げてくる。
「……興が冷めたわ」
「ぐっ…うぅぅ……」
俺は太刀を抜き血を払ってから鞘に納める。
これ以上何をやっても吐かないだろうし時間の無駄だと思ったからだ。
「いいだろう。清洲城に残っていた者達は織田一族以外は全員助命しよう。それで、奴は何処に行った?」
「あ、ありがとう…ございます。信忠様は供回りを連れて、比叡山に向かいました」
「叡山だと?何故だ?」
「分かりません。交渉は河尻様と信忠様が行われておりました。私の知っていることはこれで全てです。どうぞ御斬り下さい」
義照の質問に光之は答え、痛みに耐えながら首を差し出そうとする。
「昌相!!直ぐに浅井の元へ行き、叡山に向かった信忠を確保したら差し出すよう伝えて参れ!!」
「ははぁ!!」
「依田!!こいつ(林光之)を手当てしてやれ」
「は、ははぁ…!」
命じると直ぐに二人は動き出す。光之は何故直ぐに殺さず、治療するのか不思議だった。
「林。貴様の首一つで城内全員の代わりになると思ったか?貴様の首など要らぬ」
「なっ!!約束が違うでは、ぐぅふっ!」
光之は義照に騙されたと立ち上がろうとするが、刺された太もものせいでバランスが取れず倒れてしまう。それでも立ち上がろうとするが依田信蕃に抑えられてしまう。
「貴様(林)は出家し再び武士に戻ることを禁ずる。出家後は寺で子供らに読み書きでも教えればいいだろう。依田、捕らえた者は確認後解放しろ。行け」
「ははぁ!おい、運べ!」
依田信蕃は側にいた兵士に光之と影武者を運ばせ自身も付いていく。
そんな中、一人残された秀吉はだらだらと汗を流していた。
「さて、秀吉。とりあえず、城を二つ落としたな」
「は、ははぁ…」
秀吉は許されるか分からず返事の後の言葉が出てこなかった。そしてもし、認められなかったらどうしようと必死に考え始める。
「確認だが、那古野城の丹羽一族と木下秀長はお主の部下か?それとも織田家の家臣か?」
「お、織田家の家臣に御座います。よ、義照様!ど、どうか那古野城の者達の助命お願い致します!!何卒!!何卒!!」
秀吉はこれまでのことから弟(秀長)を含む全員を殺されると思った。助命に関しても勝手に自分が話しただけで、義照の許可を取っていなかったからだ。
「ワシは織田を攻めるにあたって、降伏を認めず全員始末しろと最初に申したのを忘れてはおるまいな?」
「お、御許しを!城攻めの方法は問わずと言われこのような方法を取りました。何卒御許しを~!!」
秀吉はそう言うとまた額を地面に擦り付けて頭を下げる。
秀吉に対し方法は問わないとは確かに言ってしまっていた。
「……確かに言ったな。秀吉、城二つ確かに落としたから養子(於次丸)の助命認めよう。だが、那古野城の者達は別だ。ワシは何一つ約束などしておらぬ」
「ど、どうか那古野城の者達の命も御許しを!」
秀吉は養子の助命が認められたことには安堵したが、代わりにたった一人の弟(秀長)を失うことに耐えきれず必死に懇願し続ける。周りから例え罵られ様が唾を吐かれようが辞めなかった。
「なら、一つ条件がある。信忠を逃がす為に手引きした者が必ずいる。一日以内に見つけ出し必ず生かして連れてこい。出来なければ、那古野城にいた者達と御主等全員打ち首だ。行け」
「は、ははぁ!!」
秀吉は直ぐに立ち上がり探しに向かった。弟達を救える最後のチャンスだったからだ。
それから秀吉達は手引きした者達を何とか見つけ出し連れてくる。寄りにもよって自分(秀吉)によくしてくれていた生駒家の者達だった。
生駒家は信忠の母方の実家でもある。
信忠の協力者達は女子供問わず激しい拷問の末、一族全員晒され見せしめになるのだった。