147 失う者
元亀八年(1577年)8月
村上義照
戦後処理が終わり信濃に帰ってきている。
北条との領地の線引きだが、河越城は落ち滝山城側の多摩川まで制圧をしていたが、東の江戸城、岩槻城は落ちていなかった為、岩槻城までを貰い、それよりは南は北条とした。
ちなみに河越城の城主、大道寺政繁は降伏し首を刎ねられる前に俺からの伝令が間に合ってしまい生きて北条に帰された。
しかし、河越城を失い無様にも生き残ったことで、北条での地位も無くなるだろう。
駿河方面に関しては大宮城まで取り戻したがそれ以上は北条氏規と城に籠もっていた幻庵が出てきたことによって一歩も東に進むことが出来なかったそうだ。流石、早雲の息子と寿桂尼の孫だ。
信春も足止めされたことにかなりショックを受けていた。
大宮城には武田家重臣の高坂昌信を入れたが蒲原城には蒲原氏徳を戻した。義信が臣従した為、臣従した時の領地以外は俺が采配させてもらう。
と言っても手柄を挙げた武田の家臣達の褒美は纏めて義信に渡している。後は義信が采配するだろう。
朝倉との婚姻もだが、やはり勅命には納得は出来なかった。長尾家の件と北条の件を外していれば考えたが……。しかし此度は受け入れるしかなかった。ここでもし拒否していれば長尾家を除く周辺国から一気に攻められる可能性もある。この屈辱は絶対に忘れん。
朝倉義宗へ嫁ぐのは末娘の桜とし、輿入れは来月九月と決まっている。
三女の夕と氏直の婚儀は完全に無くなった。夕はこれまで氏直と手紙でやり取りをしていた為、ショックからか部屋に閉じ籠もってしまった。
今は母親の千に任せるしかない。
長尾家は勅命を受け入れ完全に割れた。
畠山義春は押されていたこともありすんなり受け入れたが善戦していた景勝は受け入れられなかった。それは景虎の側近達もそうだった。最終的に直江景綱が説得し受け入れた。だが、景綱を含む長尾家臣団は朝廷や幕府に対しての憎しみや憎悪は相当な物になった。
一応、景勝に畠山義春を攻めるなら援助はすると書状を送っておいたがどうなるやら…。
「父上(義照)、宜しいでしょうか?」
書類を処理していると輝若がやって来た。既に輝若が義輝の子輝若丸であることは公表して元服も孫の忠政(武丸)と一緒に先日済ませた。
「義尊。如何したか?」
元服し輝若丸を改め、足利義尊と名乗るようになった。名付けたのは義輝である。尊の字は初代足利尊氏から取っているそうだ。そう書状に書いてあった。
「はい。また、叔父上(義昭)から密書が届いて……」
「またか…。慶寿院様は何と?」
公表してから幕府(義昭)がしつこく義尊を呼び出している。他にも、信濃一国を与えるから俺(義照)を隠居させろ等無理難題も言ってくる。
「御婆様(慶寿院)はもう我慢の限界のようで叱りに行くと申されて…」
俺は溜め息を吐き頭が痛くなった。義輝と義昭の母である慶寿院はまだ生きて、城下の館でゆるりと余生を過ごしている。
普段は館でゆっくりしているが、孫になる輝若丸を物凄く可愛がっており、よく城まで遊びに来る元気のある婆様だ。
「慶寿院様にはワシから話そう。十月には上洛だ。その時まで我慢していただこう。……それでどうするか決めたか?」
「はい。今は幕府と朝廷の元に争いが収まっております。ですので私は将軍としてではなく一人の人として生きていきたいと思っております」
義尊は将軍になることを望まなかった。これで、義輝の最後の願いは叶ったと思いたい。
(俺が生きている間は生きたいように生きられるようにしてやろう…………まぁ、剣術だけはどうしようも出来んが…)
義尊は15歳にして上泉秀綱の新陰流免許皆伝、疋田景兼の編み出した新陰疋田流槍術の免許皆伝をしており、独自の剣術まで編みだし始めている。免許皆伝ではないが、塚原卜伝の鹿島新當流も扱える。
ホント親(義輝)の才を遺憾無く受け継いでおり文字通り剣の天才だ。
ちなみ俺は義尊に剣術では手も足も出ない…。
元亀八年(1577年)9月
美濃朝倉、村上国境
(おいおいおい~!義照は戦をしに来たのか!)
美濃攻めの功績で朝倉家の重臣入りをした斎藤龍興は、目の前の光景に困惑し他の者達もまさかの事態に右往左往していた。
それもその筈。輿入れの筈が、目の前には数万の軍勢がいるからだ。
龍興は義景から盛大にするよう言われた為、義照が織田家に娘を輿入れさせた時にどれくらいの人数で引き出物等を持ってきていたか調べ、千人程連れて待っていた。
「龍興殿!村上から誰か出てきます!」
龍興の側で家臣の一人が叫び龍興は出て来た人物を見て目を見開く。
「あぁ…そういうことか。だからこんなにも多いのか…」
龍興はそう言うと配下を二人引き連れて歩みを進める。
「ようこそお越し下さりました。願わくば先触を出して頂きたかったですが…」
龍興はそう言うと、出て来た男に告げる。
「盛大に迎えるよう言われたのだろう?言われた通り盛大にしてやったぞ」
出てきたのは村上家当主村上義照と次期当主の輝忠だった。
義照は間者から龍興への命を聞いていたので手助けしてやったのだ。
龍興は苦笑いをしつつ、姫を受け取ろうとしたが義照に待ったを掛けられる。
「輝忠、朝倉家の迎えと共に兵を率いて先に越前まで行け。龍興、お前は付いてこい」
輝忠達を先に行かせ、龍興を無理やり連れて別の所に向かった。
別の所とは常在寺である。
美濃常在寺
俺(義照)は墓の前で手を合わせている。
義龍の墓だ。
墓は綺麗に手入れされ続けていたのか草木が一本も生えてなかった。隣(道三)の方は……見なかったことにしよう。
「………なぜ父上(義龍)の墓に来られるので?住職が、必ず年一回は御忍びで来ていたと言ってましたが?」
拝んでいる後ろで龍興が尋ねる。この場には俺と龍興しかいない。護衛は外で待たせているからだ。
「………たった一人、命を託せた唯一無二の盟友だからだ」
俺は龍興に昔話を聞かせた。義龍との出会いから最後に会った時まで。
龍興は黙って最後まで聞いていた。龍興自身、義龍のことを思い出していたのかもしれない。
「さてと…龍興。義景から岐阜城の城主を命じられたそうだな?」
「ええ。貴方(義照)が攻めてきた時撃退しろと命じられてるので…」
(はぁ、誤魔化さないか…。無理だな)
龍興は誤魔化さずに言ってくる。俺は少しでも誤魔化そうとするなら寝返りの誘いをしようと思っていたが無理だと感じた。
「そうか。まぁ、どうあれ稲葉山城(岐阜城)の城主に戻ったんだ。なら、お前に渡してもいいだろう。これをお主に返す」
義照はそう言うと持っていた太刀を龍興に差し出す。
「………太刀を返すとは何のことで?」
「これは義龍から預かった太刀だ」
俺が言うと龍興は驚き目を見開く。
そんな龍興を見ながら俺は続ける。
「最後に会った時、尾張で酒を飲もうと約束し、太刀を交換していた。今のお主になら返しても良かろう…」
「父上(義龍)の太刀…」
龍興はそう呟きながら太刀を受け取ると鞘から僅かに抜いて見ていた。
「龍興、尾張(織田)はワシが潰す。手を出すな………。お前もだ。光秀」
龍興は義照が自分の後ろの方に声をかけると直ぐに振り返る。
離れた所に一人の男がひっそりと立っていた。
男の名は明智光秀。元斎藤家家臣で現織田家重臣だ。
側には龍興と俺の護衛が光秀を挟んでいる。
「光秀!!裏切り者が何しにやって来た!!」
龍興はそう言うと義照から貰った太刀を抜く。
「まぁ待て、龍興。敵地まで来たのだ。話くらい聞いてからでも遅くないだろ?それに、向こう(光秀)はかなり深刻なようだしな…」
俺が言うと光秀は頭を下げてからこっちに向かってくる。龍興は怒りを抑え太刀を納めた。
光秀は俺達の側に来ると先に道三と義龍の墓に手を合わせる。拝み終えると俺と龍興の方に向き、地べたに膝を付けて頭を下げる。
「このような形で御会いすること申し訳ありません」
「用件は、信長か帰蝶に俺を殺してこいと言われたか?それともお前も寝返りの話か?」
「………帰蝶様よりこれを。信忠様の助命嘆願にございます」
光秀は懐から書状を出し頭を下げたまま義照に渡す。
「………話にならん。戻って伝えろ。信忠を逃がすのは勝手だが逃げられると思うな。草の根を分けてでも探しだしワシが殺すとな!!」
義照は読まずに光秀の目の前で破り捨てる。
二ヶ月前のことだ。
挑発行為を行う信忠に手切れの使者を送り約定通り娘の奈美を帰すよう迫った。
信忠は拒否し奈美を使者の前に連れて来て、脇差しを奈美の首筋に突き付け脅迫すると言う暴挙にでた。
信忠としては俺(義照)に強く出れていると国内外にパフォーマンスとしてアピールしたいのと、本当に切羽詰まっていたのだろう。
それに奈美は信忠の子を宿していた。本当に殺してしまっては文字通り根絶やしにされるのは分かっていただろうし殺すつもりは微塵も無かった筈だ。
それに流石の織田家臣達も信忠の暴挙を止めようとした。
だが、脇差しを近付けられていた娘の奈美は涙を流しながら使者に最後の言葉を残し死んだ。
自ら信忠の持つ脇差しを奪い目の前で首を斬ったのだ。
最後の言葉は、織田家と村上家を繋ぐことが出来なかったこと、人質として俺や母である福を苦しめていることへの謝罪であった。
奈美が首を斬ったことで広間は大騒動となり医師を呼んだりしてなんとか助けようとしていたそうだ。
使者は騒ぎに乗じて城から逃げ出し、この事を俺達に伝えてくれた。
俺は自らの甘さで娘を死なせてしまったことに涙が止まらず、織田への憎悪は計り知れなかった。
信長一行を逃がした輝忠もまさかこんなことになるとは思っていなかったのだろう。話を聞いて崩れ落ち涙を流しながら後悔していた。
本当なら直ぐにでも尾張を攻めたかったが、戦後処理と婚姻や上洛等各国への調整の為動けなかった。
だが、準備は進めさせ来年には総攻めを行うことを全軍に通達している。
「無礼は分かっております。しかし…」
「しかしもかかしもあるか!!ワシに対して強く出ようとしたことは別として娘を殺されたことを許せとは本気で思ってるのか!!光秀!なんなら今すぐ、お前の娘達を始末しようか?でなければそのようこと言える訳が無いだろう!!」
義照が怒鳴ると光秀はもう何も言えなくなり俯くしかなった。
光秀自身も無理なのは分かってはいた。だが、帰蝶からの懇願を光秀は受けるしかなかったのだった。
その後、義照は項垂れる光秀を捨て置き龍興と共に越前に向かうのであった。