144 父と子
元亀八年(1577年)3月
上田城一室
(私は間違っていない。父上(義照)が信長殿を殺そうとするからいけないんだ。武田のように同盟破りの裏切り者と言われるのが何故分からないんだ…)
信長を逃がし謹慎を受けている輝忠は内心、父義照に対して怒りに満ちていた。
謹慎を命じられ既に半年にもなっているからだ。
「失礼します。殿(輝忠)、父上(昌祐)と叔父上(昌豊)が来られました」
「・・祐久、爺(昌豊)は何のようだと言ってる?」
「大殿からの呼び出しと織田のことだと、申しております」
輝忠は祐久の言葉を聞いて部屋に入って貰うことにした。謹慎中の輝忠の側に入れるのは家臣団の中でも工藤祐久、真田昌幸、斎藤利治の三人だけだった。利治も部屋の中にいた。
「昌祐と爺(昌豊)が二人して何の用だ?父上に私を殺す為に連れてこいと言われたか?」
「若!その様な下知を大殿がされると本当に思っておられるのですか!!」
輝忠の言葉に昌祐はつい大声を上げた。
昌豊も言葉には出さなかったが、兄と同じ思いだった。
「別にしてもおかしくないだろう?平然と同盟相手の織田を裏切り私も廃嫡しようとしたのだからな!」
「祐久!!若に織田のことを伝えておらんのか!利治もだ!!」
昌祐の怒号に利治と祐久は顔を見合せ、輝忠を見た後利治が口を開く。
「昌祐様、今の輝忠様に御伝えしても信じてもらえませんのでまだ伝えておりません」
「御主何を考えておるか!!大殿に全て伝えるよう言われたであろう!!」
「「申し訳御座いません!」」
「祐久、利治、何の話だ?」
四人の会話に取り残された輝忠は家臣の二人に訪ねる。二人は顔を見合せた後下を向いた。そんな二人に代わり昌豊が答えた。
「若が信長を解放した後の話に御座います。先月織田は嫁がれた奈美様を人質に援軍を要求してきました。美濃奪還の為に援軍を送らねば奈美様を殺すと」
「なっ!それはどういうことか!!」
驚愕した輝忠に昌豊はこれまでのことを全て説明し始めた。
輝忠が信長一行を逃がした後、暫くは大人しく何もしてこなかったが、先月急に使者を送ってきて、先程のことを通告してきたこと。現状、北の長尾は家督争い、南の武田は独立騒動、東の北条が朝倉と同盟したと言い同盟破棄と武田の独立騒動の裏で関わっており、今年の春に関東同盟の三家(佐竹、武田、村上)が合同で北条を攻めることが決まったことを説明した。
「何故織田がその様なことをしたのだ!!」
「奈美様が人質としての価値が高いからです。大殿(義照)が身内にすごく甘い御方なのは、先の上洛で兼照様の救出を優先していたことからご存知の筈」
「織田信長が美濃での敗戦の責任を取るとして隠居し、嫡男信忠が後を継ぎました。そして信忠は信長や重臣の反対を押し切り、奈美様を人質に取り、大殿に迫ったのです」
昌豊と昌祐の説明で輝忠は絶句した。そして何故、その様なことになるのかと疑問が生じた。
「隠居したとは言え重臣や信長殿の力は……そうか、ほとんどの家臣が信忠に賛同したのか…」
輝忠は口に出してやっと理解した。美濃を失った信長は家臣からの信頼は殆んど無くなっており、いつ朝倉が攻めてくるか不安になり、なりふり構っていられなくなった信忠の提案が希望に見えたのだと。
「誰が反対し信長殿に従っているのだ?」
「筆頭家老の森可成を筆頭に重臣、明智光秀、木下秀吉、後、信長馬廻りの前田、佐々等くらいです。河尻など他は信忠に付いております。また、反対した者は職を解かれたり隠居させられたそうにございます」
「新しく重臣になった者は皆信忠に従っており、信忠は自身の側近を奈美様の監視に当てております。側に付けて居た者は全員離され誰一人近付けません」
輝忠の質問に工藤兄弟は答えていき、輝忠は現状の不味さを理解する。
「それで、父上はどうするつもりだ? 」
「それについて話すから連れてこいと仰せです」
輝忠は信長一行を逃がしたことが本当に良かったのか不味かったのか分からなくなった。
重臣の工藤兄弟に部屋ではなく庭に連れてこられた。
そこには、義照と側室で奈美の母である福と二人だけで居る。
「大殿…」
昌祐が声を掛けると、義照は手で下がれと合図をし工藤兄弟は輝忠を残して下がっていく。
「父上…」
「何か言うことはあるか?」
「信長殿一行を逃がし、奈美を危険にさせたことは申し訳ありません。ですが!信長殿を殺すのはどうしても理解できません!同盟相手を裏切る等父上の嫌う武田と同じことです!」
輝忠は謝ると同時に反論もした。義照の側に居た福は涙を流し、義照に部屋に戻るように言われ女中に支えられその場を後にした。福は義照の子を身籠っており、安静第一だったが娘(奈美)の事があり義照の元に来ていたのだ。
「そうか。信忠は信孝を見捨てた。殺しても構わないだそうだ。それと、奈美に関してだが見捨てることにした。最早どうすることも出来ん。御主のせいでだ。織田に組みした者は一族まとめて撫で斬りにする」
義照はそう言うと三通の書状を輝忠に投げた。
輝忠は驚き反論しようとしたが先に書状を受けとる。一通は織田信忠から、もう二通は朝倉と朝廷からとあった。
織田からの書状は義照が言った通り人質について、そして問題なのは朝倉と朝廷からの書状だった。
「ち、父上、これはどう言うことですか?」
輝忠は書状を読み進めて行く程手が震えて行く。読んでいるのは朝廷からの書状だった。
「これとはなんのことだ?」
「父上が亡き上様(義輝)の御子を保護していると言うことです!しかも輝若がなんて!これはどう言うことですか!本当なんですか!」
輝忠は義照に大声で訊ねる。何故、自分には伝えられてないのか、どうしてそんな大事なことを黙っていたのかと。
「書いてあることは全て本当のことだ。全く前久め。勝手に公表しよって」
朝廷からの書状には幕府と朝倉が朝廷の仲裁の下和睦を結ぶ為、条件として義昭に将軍職を辞職しその子、千歳丸(史実の義尋)を将軍とすること、朝倉家の領地と管領職の安泰を条件とした。
勿論、隠居した義昭が幕政に関わることは禁止されるが身の安全は保証される。
そして耐えていたとはいえ、幕府はかなり苦境に立たされていたこともあり承諾したのだが、朝廷が千歳丸の将軍就任に関しては待ったをかけた。
千歳丸はまだ五歳と幼く義昭が将軍職を辞するなら本来継ぐべきだった正統な後継者に継がせるべしと義輝の子、輝若丸が存命のことを両陣営に伝えたのだ。
このことに両陣営は驚き、直ぐにどこに居るのか、本当に生きているのか、別人ではないのかと、帝の避難している九条館に詰めかける事態となる。
前久が輝若丸が信濃で匿われ、母親である藤と祖母である慶寿院に養育されていることをバラしたのだ。
輝若丸のことが表に出たせいで朝倉と幕府の調停は御破算になりかけている。
朝倉の書状には何故黙っていたのか、偽物ではないのかと書いてある。
「輝若のことは保護した時に帝にも御報告している。朝廷でも輝若のことを知っておるのは摂関家と帝だけだ」
「しかし父上!何故黙っていたのですか!特に亡くなった長尾殿が聞かれたら間違いなく激怒されましたよ!」
(だから、景虎には黙ってたんだがな。元服した際に全て話すつもりだったんだがまさか死んでしまうとは…)
「…付いて来い。見せたいものがある」
義照はそう言うと輝忠を自身の部屋に連れていき、足利家の家紋である足利二つ引きの家紋が描かれている箱を開け油紙に包まれていた書状を輝忠に渡した。
「馬鹿弟子(義輝)からの最後の書状だ」
輝忠は渡された書状をゆっくりと開き読んでいく。
暫くすると読み終わり書状を先程のように納める。
「父上、この事は輝若は知っているので? 」
「昨日話をしたら前久の阿呆が伝えていたから自分がワシ(義照)の子ではなく義輝の子であることは知っていた。それに、書状の至るところが濡れてただろう。昨日見せたからな」
知っている者には元服するまで黙っておけと言ったのだが、藤と前久が話している所で偶然輝若が通り知ってしまったそうだ。
だが、前久と藤に口止めされていた為黙っていたそうだ。
「・・・誰が輝若のことを知っているのですか?」
「妻三人に、慶寿院殿と藤殿、輝若を連れてきた秀綱と景兼、後昌祐と昌豊、幸隆、清種、孫六、それと昌幸だ」
「えっ?昌幸も?なんで私には教えて貰えず昌幸は知っているのですか!?」
輝忠はまさか昌幸も知っていたことに驚いた。それと同時に昌幸が知ってて自分が知らされなかったことに怒りを覚える。
「当時、俺の小姓だったからその場にいた。お前には絶対に伝えるなと釘を指したからな」
「・・それで、輝若をどうされるのですか?将軍として連れて行くのですか?」
「いや、今行けば利用されるか殺される。それに、帝には申し訳ないが、輝若自身に決めさせる。 それが、死んだあやつ(義輝)の最後の願いだからな」
「そう、ですか……」
義照がそう言うと輝忠はうつむき何かを考え出した。
「さて、呼び出した理由とは大分違う話をしてしまったな。本題だ。輝忠、お前は武田についてどう思っている?」
「武田ですか?長く争った同盟相手としか思ってません。爺(昌豊)達から耳が痛くなるくらい聞かされましたが、先代(信玄)先先代(信虎)はともかく、当代の義信は誠実な様ですので」
「裏切りを続けてきた一族(武田)が信じるに値すると?」
「一族ではなく、義信がです。父上、武田がどうかしましたか?」
輝忠の答えに溜め息が出る。輝忠は義照の反応にむっと顔を曇らせる。
「義信が臣従を申し出てきた」
「それは良かったではないですか。駿河一国に甲斐を完全に手に入れたではないですか」
「お主は人を信じ過ぎる。良いところでもあるが……。武田のことだ。孫六に調べさせているが何か企てておろう」
「父上達は考えすぎではないですか? 義信が当主となってから謀をしたことは無いではありませんか」
輝忠の返答に再度溜め息を付く。
(まぁ、輝忠の言葉にも一理あるか。俺達は武田に騙され裏切られ続けたので警戒しすぎなのかもしれないな。まぁ、孫六の報告を待つか)
「来月関東に出陣する。左近が陣立てをし昌胤が兵站の用意を済ませている。お前も用意をしておけ。……と言っても、祐久や昌幸、利治等が用意を進めてるようだがな」
「分かりました」
「それと、また美濃での様なことをすれば御主は廃嫡し、その首を刎ねる。肝に銘じておけ」
「はい……。申し訳ありませんでした」
義照は輝忠の謹慎を解き戦の用意をさせた。そして、数日後。孫六の報告で一切の謀が無く、本当に臣従すると言うのが分かったので、人質として嫡男太郎(義信の子)を預かり受け入れるのだった。
お知らせ
9月はストックがある為、週2回(月、木)で投稿します。
10月からは農繁期の為週1回(月曜日)に投稿します。
迷走していることが多いでしょうが最後までよろしくお願い致します