141 落城
元亀七年(1576年)8月
岐阜城
「殿、二の丸ですがこれ以上は保ちませぬ。どうか、今の内に尾張に落ち延びて下され」
広間には家臣達が集まり、岐阜城で防衛の指揮を執っている丹羽長秀は信長に頭を下げる。
「で、あるか……」
難攻不落と言われた岐阜城は三度目の落城の危機に瀕していた。
一度目は竹中半兵衛が、二度目は龍興を見限った西美濃三人衆が裏切り、内部から門を開け織田軍を招き入れた為落城し、今回は正面から攻められ力攻めで落とされようとしている。
「しかしまさか、大砲を揃えるとは思っても見なかったな」
信長の呟きは集まった全員が思っていたことだ。
なぜ、堅城の岐阜城が落とされかけているかと言うと朝倉軍が持ってきた大砲が原因だった。
その数五門。
龍興は岐阜城の堅牢さを一番知っている。なんせ、自身の居城だったからだ。
その為、織田攻めの前に無理をして大砲を調達したのだ。
義景も龍興の説明を聞き、銭を惜しむことはしなかったから出来たことでもある。
そして岐阜城の総構えの城門に対して一斉射し、守兵ごと門を吹き飛ばし、一気に総構え内に突撃、制圧したのだ。
その時間にして一刻半にも満たなかった。
織田軍は慌てて三の丸に立て籠もり鉄砲などで応戦したが、2日後には三の丸の門も突破されたのだった。
そして三の丸の制圧と同時進行で二の丸の門に攻め掛かり撃ち込んだが、鉄門の為すぐには破ることは出来なかった。
そんな中、三の丸で生き残っていた、塙直政、滝川一益の決死の突撃によって五門のうち三つを破壊されたのだった。
二人と生き残りは全員始末したが、大砲を三つも失ったのは大きかった。
その後も大砲は使えなかったが朝倉勢は攻め続けた。しかし、織田も必死に抵抗し今まで二の丸を攻略できなかった。
だが、何時までも保つ訳はなく、二の丸もついに限界を迎えようとしていた。
「村上は我等を見捨てたのか!」
「だとすれば、信忠様や人質の信孝様の御命は…」
「それもだが、森殿と河尻殿は何をしている!!伊勢は一向衆が味方に付いた故動けるであろう!!」
生き残った家臣達は一斉に文句を言い始めた。
北伊勢で防衛に当たっていた森可成と河尻秀隆は信長の命で長島の一向衆と交渉し尾張に兵を退いていた。
交渉の内容は、織田家の味方をしてもらう代わりに、長島周辺及び織田が手に入れていた北伊勢の領地全てを明け渡すというものだった。
長島願証寺の証意は避難してきた門徒達の為にこれを承諾し、十万近い門徒が北伊勢に侵攻したのだった。
これに一番驚いたのは北畠軍ではなく石山本願寺の顕如だった。
顕如は直ぐに下間頼旦を送り、侵攻を止めるよう指示をしたが、証意からの返答は拒否だった。長島に避難してきた多くの門徒達は土地も狭く貧困に苦しんでいた為領地を得て解消する必要があったからだ。
そして、止める為に向かわされた下間頼旦も長島の状況を直に見て、戦に参戦し一向衆達を指揮した。
圧倒的な戦力差に北畠軍は防戦一方となり、対峙していた森達織田軍は悠々と尾張に引き返し、黒田城で朝倉軍の尾張入りを防いでいた。
だが、包囲された岐阜城の者達はその事を知らなかった。
「又左、内蔵助!」
「「はっ!」」
二人は前に出てくる。又左こと、前田利家と内蔵助こと佐々成政だ。
成政は殿を勤めたが、何とか生きて城に入ることが出来ていた。
代償として片腕を失ったが…。
「御主ら二人は母衣衆を従え女子供を連れ、村上領を通り尾張に向かえ。村上領なれば奴等とて追ってはこまい」
「お断りします!!殿!我ら母衣衆はお側で守る為の者!信長様を残して行けなど聞けませぬ!!」
「又左の言う通りです!又左の赤母衣衆と比べ黒母衣衆は殿で多くの者を失っております。何卒、信長様の元に残る御許しを」
利家と成政は反発し頭を下げる。
「許さぬ。今宵の内に行け。長秀、恒興。もう暫く俺に付き合え。時間を稼ぐ」
二人は必死に懇願するが信長は一切聞く耳を持たなかった。
すると、池田恒興が二人の前に出て信長との間に入る。
「分かりました……。御免!」
ドゴッ!!
「「「殿!!」」」
「つ、恒興…」
恒興は突然信長の鳩尾を殴り、信長は腹部を抑えて苦しむ。周りは突然のことで動けなかった。
「申し訳ありません。こうでもしないと城から落ち延びて貰えないので」
「や、やめ…」
トン
ドサッ
恒興は苦しむ信長の首の後ろを叩き、気絶させた。
「恒興!信長様に何を!!」
「又左うるさい。恒興死ぬつもりか?」
騒ぐ利家を成政が抑え尋ねた。
恒興が信長の代わりに残って死ぬ気だと思ったからだ。
「ここで信長様に死なれては困る。又左、信長様を担いで直ぐに行け。内蔵助は御命令通り帰蝶様達を連れ出せ」
「畏まった…」
「丹羽様、申し訳ありませんが、一緒に囮となって貰えますか?」
「夜襲をかけるのだな。分かった。急ぎ準備いたす」
長秀や数名は広間を出ていく。
「では、二人とも信長様のこと頼んだぞ」
恒興はそう言うと信長の鎧を持ってその場を後にするのだった。
それから一刻半後。
利家は目が覚めて暴れた信長を再度気絶させ、縄で動けなくして担ぎ、成政は帰蝶を始め信長の側室や子供達、他人質だった者達等を引き連れて抜け道から抜け出した。
その頃正面では信長の鎧兜を身に付けた池田恒興が丹羽長秀や織田信広等他の織田一門と共に朝倉軍に夜襲を仕掛けた。
朝倉勢はこれまで夜襲等無かったせいで完全に油断しており、襲撃された場所は大混乱に陥った。
「信長が直接攻めてきたぞ!! 」
「大将首だ!!恩賞は思いのままだぞ!!」
「行け行け!討ち取れ~!!」
包囲していた朝倉兵は信長達に群がった。
信長が攻めてきたことは本陣の龍興達にも知らされ、討ち取る好機だと沸いた。
「伝令!!敵を懐深くに誘い込め!必ず信長を逃がすでないぞ!! 」
「ははぁ!!」
景垙は直ぐに伝令を送り指示をする。
その隣で龍興と吉家は何か違和感を感じていた。
「龍興、何か違和感を感じぬか?」
山崎吉家も信長の行動に何か違和感を感じており龍興もそのようだったので尋ねた。
「あぁ、あの信長が破れかぶれに夜襲等しない筈だ。何か、別の意図が…」
「ですが、報告では重臣の丹羽や一門の信広も確認されてますぞ?」
本陣は少し静かになりただの夜襲なのか、それとも他に何か目的があるのか考え出した。
「申し上げます!!!!女子供を連れた部隊に包囲を突破されました!!」
駆け込んで来た伝令が大声で伝えると、龍興と吉家は直ぐに違和感の正体に気が付いた。
「謀られた!!!目の前の信長は囮だ!!急ぎ、逃げた者達を追え!そっちが本物だ!!!」
「目的地は間違いなく、村上領だ!何としても捕らえろ!!」
龍興と吉家は大声を上げる。
夜襲は囮で脱出が目的だと分かったからだ。
直ぐに伝令を走らせたが兵士達の目の前に織田信長(偽)と重臣丹羽長秀がいた為、兵達は困惑し、一部しか追うことが出来なかった。
それでも数千もの兵が逃げた者達を追跡した。
「恒興、これまでじゃ。今なら抜けだせるぞ」
暫く暴れ回っていた偽信長こと池田恒興と丹羽長秀は周囲の様子を確認しここまでだと理解した。
「丹羽様、南に抜けます!全軍ワシに続…」
ドドドン!!
ドサッ……
恒興は全軍に撤退を指示しようとしたが鉄砲に射たれ落馬した。
「恒興!!」
長秀は慌てて恒興に駆け寄ろうとしたが、朝倉勢が殺到した為近付こうにも近付けなかった。
「信長覚悟!!」
グサッ!
「はぁはぁ……全軍!生きて尾張に向かえ~!!」
恒興は討ち取りに来た兵を殺し最後の力を振り絞り立ち上がり叫んだ。
声は戦場に響き、織田兵は我先にと逃げだした。
グサッ…
「ゴホッ…信長…様」
恒興は叫んだ後、朝倉兵達に槍で突かれその最期を迎えたのだった。
織田軍は総崩れとなり織田信広を含め囮部隊の多くの武将が討ち取られた。
そんな中、丹羽長秀は身体中傷付きながらも僅かな手勢と岐阜城に戻り、城を使えなくするために火を放つ。
「信長様、おさらばです!!」
そして、燃え盛る岐阜城の中で最期を遂げた。
少し時を遡り、恒興達囮が獅子奮迅の戦をしている頃、抜け道より逃げ出した母衣衆と女子供、人質達は必死に逃げていた。
「追え!!信長を逃がすな!!」
「何としても時間を稼ぎ逃がすのだ!!」
包囲を突破したものの朝倉は直ぐに追っ手を差し向けた為、追撃を受けていた。
母衣衆達は主君や家族を逃がすために必死に抵抗しその数を減らしていた。
「又左!!縄を解きワシを下ろせ!!」
「信長様!文句は後で聞きます、今は聞けませぬ!!」
目を覚ました信長は自身の状態と今の状況を直ぐに理解した。
それ故に今の自分が許せなかった。
「利家!もう少しで村上との国境の関所だ!このまま駆け抜けろ!」
母衣衆の一人が先頭の利家に声を掛ける。
「わかった!良之は!!」
「安勝や又兵衛と共に後方で時間を稼いでいる。それ以上聞くな!!」
利家の質問に答えたのは成政だった。
そして、利家は成政の言葉で察するのだった。又兵衛とは利家の家臣である、村井長頼、前田安勝とは利家と佐脇良之の兄である。
「っ!!クソォォォォ!~」
利家の叫び声は空しく響くのだった。
関所では岐阜城を監視していた陽炎衆から知らせを受け、守りを固めていた。
(信長はこのままここに来る筈。追い返すか、迎え入れるか…。さて、如何しようか……)
大将の保科正俊は信長を追い返すか迎え入れるか悩んでいた。
織田とは同盟を結んではいるが、美濃が落とされるものなら義照は最早無いと考えていた。だが、嫡男輝忠は同盟を遵守すべしとしていた。
(大殿(義照)は使者に来た光秀にあのように言っておった。信長が来ても始末されるだろう……。ならば…)
「全軍に通達。信長が国境を越えれば全員捕らえろ」
「ははぁ!!」
正俊は信長がここに来れば全員捕らえ義照の判断に任せるとこにした。
そして、織田軍がやって来たと知らせを聞き予定通りにしようとしたが、続きの知らせを聞き耳を疑った。
「何!織田は女子供を連れてきて、朝倉は手を出しているだと!」
「はっ!!織田軍は多くの女子供を守りながら向かっております!信長らしき人物は縄で縛られ家臣に運ばれておりました!」
まさかの出来事に驚き立ち上がった。
「朝倉勢を迎撃する!!鉄砲隊を準備させい!ワシも出る!!!大殿に使いを送れ!急げ!!」
正俊の命で軍勢が一斉に動きだし、国境を越え朝倉勢を迎撃した。
朝倉勢は村上が出てくると即座に反転したが、命令が間に合わず一部がそのまま突撃し全滅されるのだった。
正俊は朝倉軍が退くのを確認すると負傷者の救護を行い、信長に関しては捕らえて近くの野口城(史実の野口館)の一室に監禁した。
他にも信長の子供や正室帰蝶、側室達も信長とは別の部屋で監禁するのだった。
また、織田家臣の家族や信長が取っていた人質等で負傷者は手当てをした後、関城まで運び療養させ、そうでない者は尾張犬山城に送るのだった。
しかし、それでも多くの者が亡くなった。
それから数日後岐阜城より西側は完全に朝倉軍の手に落ちるのだった。