14、上洛へ
天文十年(1541年)九月
小県郡松尾城
収穫の時期だが戦の影響で最悪だった。
本当は年貢を無くしたかったがそうもいかなかったので今年だけ二公八民とした。
ただし、ほとんど収穫できなかった者は一公九民とした。普段は四公五民一備にしている。
一備とは非常用の備蓄だ。蔵に入れて三年間何もなければ古い物を百姓達に分け与えている。
収穫が終わり次第農地改革をしていく。これをやるだけでも結構収量が変わるから大事だ。
教来石は真面目に訓練などをしているようだ。表だって間者活動はしていない。ただし密かにこっそりやっているようだ。報告が入っていたが本人は知られていないと思っているようだ。
(まぁ、直ぐに動いては間者だとばらすようなものだしな。バレてるけど………)
俺はそう思いながら農地改革の計画を書いていく。
(まさか、いきなり侍大将とはな………)
景政は本当にいきなり侍大将にされたことに驚きつつも間者としてのこともしていかなければと思っていた。
(しかし、常備兵か………。金は掛かるが毎日訓練をすることで精鋭部隊が出来るか)
訓練は昌豊と一緒にやっている。訓練のやり方などを教わるためだ。
ここに来てまだ、一ヶ月程度だが多くのことに驚かされていた。
常備兵、三間半の長槍、合成弓等、軍備に関わる所だけでも多くのことがあったのだ。ただ、合成弓に関しては作り方は教えてもらえなかった。
他にも本当は内政に関しても携わって情報を得たがったが、義照に「まずは兵士達をきちんと育ててみろ」と言われてしまったのでそうするしかなかった。
しかし、獲た情報は密かに繋ぎの忍を通して武田に流していた。
本人は徹底的に痕跡を消して行っており、義照に知られているとは思いもしなかった。
繋ぎの忍は捕まり義照によって買収され、全て報告されていたのだった。武田にも偽の情報を混ぜて報告していたのだ。
「教来石殿、今日も手合わせをお願いしたい」
昌豊は景政に手合わせを頼んだ。よく相手をして貰っているがいつも五分五分で勝ち負けを繰り返している。相手をして貰うことで自らの武術を磨くことと共に監視をするためだった。
「昌豊殿、こちらこそお願い致す」
景政はそう言って相手をする。兵士達の前でやるので兵士達のやる気を上げるのにも一役買っていた。ただ、一部では密かに賭けをしている者もいたのだった。
二人は訓練とはいえ毎回真剣勝負だった。
試合が始まると場の雰囲気が変わった。試合は教来石の怒濤の攻めから始まると昌豊は受け流しつつも反撃に転じていた。
結局今回の試合は昌豊の勝ちだった。
「いやいや、昌豊殿はどんどん強くなられますな」
「いや、教来石殿の怒濤の攻めの中、何とか反撃できたからです」
「次は負けませんからな!」
二人は話をして訓練を続けるのだった。
天文十年(1541年)十二月
朝廷より使者が来た。来年神水酒を献上する(持ってくる)際、俺(義照)も来るよう勅が下った。
なんでも、作った人物を見てみたいと言われたのだ。
「面倒だ~!!」
俺は部屋で叫んだ。隣で昌豊が耳を塞いでいた。
「殿、仕方ありません。朝廷からの勅ですので………」
「しかしなぁ、一番忙しいときに来いとか無理だろ~」
「領地のことは残る者に任せましょう。新しい城の件も進めないと行けませんし。道中色んな国を通ると思いますので御気を付けて下さい」
「あんまりだ~!」
昌豊は、仕方ないと言い、俺の嘆きは悲しくも城内に響くのだった。
天文十一年(1542年)三月
「えーでは、京行きと居残り組を発表する………。はぁ………」
通る国には前もって朝廷より知らせが送られているが、俺も一応通過する国には書状を送っておいた。
佐久郡の諏訪頼重、甲斐の武田晴信、駿河の今川義元、伊勢の北畠晴具、山城周辺の細川晴元、近江の六角定頼、美濃の斎藤道三、信濃の叔父上(小笠原長棟)と御偉い様ばかりだ。
何故こんなに多いかと言うと行きは朝廷が絡んでいるため敵対している諏訪の佐久郡を通れるが、帰りは別の為、美濃から帰らなければいけないからだ。
それで振り分けだが、
京行き
俺(村上義照)、工藤昌豊、教来石景政、春原惣左衛門(元真田幸隆の重臣)
居残り組
工藤昌祐、出浦清種、以下元真田家臣団
なぜ、教来石を連れていくかというと居ない間に調略でもされたら堪まったもんじゃないからだ。本人も残りたかったようだが認めなかった。
軍は手勢六百人を連れていく。俺が居ない間は昌祐に全権を与えている。問題は無いだろう。
もし、諏訪が攻めてきた場合は徴兵(六百名)して集めるように指示しておいた。
天文十一年(1542年)四月
佐久郡を、さっさと抜けて甲斐に入った。
その際、躑躅ヶ崎館で晴信に会うことになってしまった。
「久しいな。兄の無理を聞いてもらって来てもらい忝い」
俺を案内しながら晴信の弟の信繁が謝ってきた。
「いえいえ。同盟しているとは言え、通過させて貰う上に、諏訪に対して圧力を掛けて下さったのですから挨拶して当たり前ですよ」
佐久郡に入る時、武田が軍を率いて迎えに来たのだった。敵対している諏訪と、もしものことがあったらいけないからだと言っていた。
実際諏訪も二千の兵を率いて来ていたのでもしものことがあったのではと思った。
何だかんだで広間に通された。既に武田重臣が勢揃いしていた。そんな中、一人の隻眼の男に目が行った。
「此度はわざわざ護衛を送っていただきありがとうございました」
俺は伏してお礼を述べた。
「なに、朝廷より勅を受けた其方を無事に通さねばワシらの面目も立たなくなるからのぉ。さて、村上は諏訪を攻めぬのか?」
「攻めぬのではなく攻められぬのです。一つは北の高梨との小競り合いが戦に発展した為と、諏訪の後ろにここ武田家がついているからにございます」
晴信の問いに正直に答えてやった。すると何故か驚いた顔をされた。演技だろう。
「ワシらは禰禰が嫁いでいるから同盟を続けておるだけだ。もし、村上と諏訪が戦をすれば村上に付こう」
「矛盾しておりますね。前回我らへの返答では禰禰殿が諏訪にいるので手切れも手出しも出来ぬと言われました。………なるほど。諏訪と我ら(村上)が戦をするのが御望みなのですか。負けた方を取り込め、勝った方へ侵攻できる。正に漁夫の利でございますな!」
「貴様、無礼であるぞ!!」
俺が言うと重臣の一人がどなり上げた。
「甘利。義照殿、何故そう思う?」
晴信が聞いてきたので正直に思っていることを伝えた。
「武田は諏訪と村上どちらとも同盟を結ばれております。諏訪と村上が戦をし不利となった家に加担すればその家を臣従させることが出来ますし、勝っていたもう一つの家の領地を奪えます。正に漁夫の利を得ることになります。まぁ、その前に佐久郡を諏訪と上杉に取られ信濃への足掛かりを失う状況になってますので、私のところのように間者を入れ内部分裂を起こさせようとされているのかもしれませんがね。確か諏訪と高遠は仲が悪いと聞きますし………」
俺が言うと晴信も重臣達も驚いていた。恐らく考えを言い当てたのだろう。
「武田の間者が来ておるとな?はて何のことか?」
聞いてこなければこれ以上いうことはしなかったのになと思いつつ答えた。
「わざわざ、教来石景政を送り込んで来たではありませんか?あの者は武勇に秀でておりましたので人手不足の私としては助かっております。あ、父上達には伝えておりません。同盟を結んでおりますのでこの事を伝えては互いに不利益を被るだけにございますし、特に今は互いに面倒事は避けたい所でしょうし。後、景政は兵百人を与え侍大将として働いてもらってます。今回も連れてきておりますので良ければ話されるといいでしょう」
晴信は既に見破られていることに驚きつつも、間者と分かってても利用することに恐れを感じた。しかし、その事を顔には出さないように必死に隠したのだった。
「ハハハ、教来石は既に武田家臣ではない。ワシが父上を追放した後武田を出奔したのだ。村上家に間者など送ってはおらぬので安心されよ」
晴信は嘘をついて難を乗り越えようとした。義照はじっと晴信を見ていたが溜め息をついた。
「そうですか………。では教来石はお預りします。明日には出立しますのでここまでとさせて頂きたい」
「そうか、わざわざすまんかったな。源五郎、屋敷まで案内して差し上げろ」
そう言って晴信は近従に案内させ俺は広間を離れた。
晴信は義照が出たのを確認して溜め息を吐いた。
「勘助、どうやらそちの策は見破られているようだぞ。間者に関しても知られているしの」
隻眼の男、山本勘助は何か考えているようだった。勘助は幸隆と別れた後武田晴信に仕官した。
「何も問題ありません。予定通り、高遠勢をけしかけ諏訪に対して我らの有利に和睦します」
「しかし勘助、村上から横槍があるかもしれんぞ!」
「それに、間者のことが知られておるではないか!何のための間者か!」
「何も問題ございません。あの者は京に上りますので我らの邪魔は出来ません。それに間者のことは切り捨てれば問題ないことにございます」
勘助は批判が多い中、淡々と答えていく。晴信は黙って聞いていた。
「勘助、諏訪の件直ぐに動け。あの者が戻ってくるまでにな」
「ははぁ………」
晴信は直ぐに諏訪の調略を終わらせ高遠をけしかけるよう指示をするのだった。
そして勘助は内心、驚きと喜びの両方で満たされていた。
驚きは策が看破されたこと、喜びは自身の知略、謀略をぶつけてみたい相手が現れたことに対してだった。