133 側近そして宿敵の死
元亀五年(1574年)12月末
信濃上田城
「大殿、これで全てです」
義照は近従の信尹に渡された書類を確認して行く。
「ふむ。今年も問題ないな。さて、信尹、御苦労だったな。松尾城に戻るのか?」
「いえ、昌幸兄上のいる砥石城に戻ります。父上達の元へはその後に向かいます」
父の葬儀後、昌幸は真田家から分家し、新たに砥石城の城代として城を任せている。本人の昌幸どころか、幸隆達も城を任されたことに驚愕していた。まぁ、側には真田本家の松尾城、それと、俺のいる上田城があるくらいだ。昔なら任せることはしなかっただろうが、領地が広がり信濃では戦が起こっていない為出来た人選だ。
目的として、今後城主にする前にどんなことをしなければいけないのか理解させることだ。
「そうか、今年も雪は酷い。気を付けて帰れ。幸隆によろしくな」
「ははぁ。・・大殿、諏訪勝頼のことよろしかったのですか?」
信尹は勝頼のことを聞いてきた。と、言うのも勝頼は今駿河にいる。
「輝忠は勝頼を信用しているがあれは武田一族でもある。今回戻したのは武田を探るのと彼奴(勝頼)を見極める為だ。昌幸から聞いておろう?」
「はい。武田との縁を切り村上に残るか、武田の間者として戻ってくる、もしくは武田に残ると…」
勝頼は10月に駿河に向かった。と言うのも武田信玄が倒れたからだ。
使者が言うには信玄が倒れ佐竹に養子に出した佐竹重信(史実の仁科盛信)と勝頼を呼び戻したいため来たと言っていた。
なので、勝頼を呼び出し行くことを許した。条件を付けて...。
条件は武田との縁を完全に切って戻ること、もしくはそのまま武田に残れと命じた。ただし、武田に戻るからには二度と村上の領地には入れない。
「信尹はどちらだと思う? 裏切るか縁を切るか…」
「・・・勝頼はどちらを選んでも暫くは苦しいかと…」
「ほぉ? それは何故か?」
信尹の答えに俺が聞き返すと説明を始めた。
勝頼が諏訪の名籍を名乗るようにした頃、諏訪勢からの不満は大きく、勝頼を諏訪の主とは認めなかった。まぁ、諏訪家最後の血筋とはいえ、諏訪を滅ぼした武田信玄の子だから仕方がないだろう。
恐らく、伊達家への援軍の大将に名乗りを上げたのも皆に認めて欲しかったからも知れない。
それに関しては誰にも文句の付けようが無い戦果をもたらした。
なんと当主の相馬盛胤を自ら討ち取り息子の義胤を捕縛したのだ。流石は史実で強すぎる大将と言われるだけはある。
その為、勝頼の評価は上がっている。正直、武田一族ではなかったら重用していただろう。勝頼配下の諏訪勢も武田の血筋と言うのを無しにしたら最高の当主とまで言っていた。
だが、武田の血筋と言うのがどうしても認められないようだ。まぁ、それだけ武田への怨みが深いと言うことだ。
信尹はその事がある為、村上に残っても暫く苦しいと言う。
次に武田に残った際、暫くは村上家で学んだことを聞き出そうとし監禁されると考えているそうだ。それは俺も同意見だ。
全て聞き終わっても幼少期を村上で過ごしているので間者と警戒され続けるか、始末される可能性が高い。
(まぁ、当主の義信がどう家臣を説得しまとめ上げるかによるな)
「まぁ、決めるのは勝頼だ。仮に武田に残ったり、間者として戻るなら文字通りこれだがな」
(大殿は容赦なく始末されるおつもりか……)
義照が手で打ち首の指示をすると信尹は苦笑いするしかなかった。
義照と信尹が談笑している頃、駿河の駿府城には武田一族が集まっていた。
駿河 駿府城
「全員居るな。義信」
「はい。父上」
信玄は床に伏せたまま遺言を伝え始めた。
周りには武田一族と山県昌景、高坂昌信が座っている。
「当主として武田家を残すことを第一とせよ。義照が死ぬまで決して村上に手を出そうなど考えるな! 必ずだ!」
「はい」
「信繁、信廉、義信の後見として支えてくれ。信龍、本願寺や幕府との交渉を頼む。特に本願寺は、村上と我らの間を取り持つことが出来よう。手切れにするでない」
「分かりました」
「兄上、必ず武田家を守ってみせます」「交渉はお任せ下さい」
信繁はじっと耐え、信廉と信龍の目には涙が溢れていた。
「実信、目の見えぬお主には辛い思いをさせ続けてすまぬ。三条家(義父)の養子となり公家になったが、辛いのは変わらぬであろう」
「父上様.....。確かに目は見えず辛い日々を過ごしましたがそのお陰で知り得ることも多くありました」
「そうか..。重信、勝頼..」
「はい」「ここに...」
「重信、其方を佐竹の養子としたのはもしもの時、武田の血筋を残す為だ。義信が武田を滅ぼしたなら武田の名跡を継げ」
「肝に銘じます」
重信は泣きじゃくりながらもしっかりと答える。その隣の勝頼は慎重な面持ちだった。義照に言われたことで悩んでいたからだ。
「勝頼……。義照に何を言われた?」
信玄のその言葉に勝頼はドキッとした。周りから視線を集め、勝頼は黙って下を向くことしか出来なかった。
「恐らくだが、忍を手引きしてワシや信繁を殺せか? それか村上を追い出されたか?」
「いえ。大殿様(義照)から諏訪を選ぶか武田を選ぶか、父上(信玄)が死ぬまでに決めろと言われました」
勝頼は信玄の質問に正直に答える。周りからは警戒され、昌景と昌信は何時でも脇差しを抜けるようにした。
「そうか。ならば、諏訪に残れ。お主の母由布もそれを望んでおろう」
「母上がですか?」
「あぁ、由布は最後までお主のことを案じていた。勘助もだ。それに、奥州での活躍は耳にしておる。そのまま諏訪を継ぐがよい」
「父上・・・」
勝頼は下を向いて何も言えなくなった。自身の中では複雑な感情を抱いていたからだ。
「源四郎(昌景)、源五郎(昌信)」
「これに」「御隠居様」
「源四郎、隠居した飯冨に代わり兵達を鍛え上げよ。村上と互角に渡り合える程にはな」
「畏…まりました....」
昌景は耐えることが出来ずに涙を流す。
「源五郎、其方は義信の軍師となれ。ワシに勘助がいたようにな」
「ははぁ...必ず、必ず村上から武田家を守りきってみせます」
昌信はじっと涙を堪えるもその声は震えていた。
それから二日後、長年村上と戦を繰り広げ敗北し国を失いながらも最後は駿河一国を奪い取った武田信玄は妻や子供らに看取られながら静かに息を引き取った。
元亀六年(1575年)3月
上田城
「なん..だと...」
義照は幸綱の言葉によろめきながら立ち上がり幸綱達に近付く。
来ていたのは真田幸綱、昌幸、海野幸照の真田兄弟達だ。
「馬鹿を言うな幸綱。冗談も程々にせんか?あいつ(幸隆)は新年には意気揚々と隠居を楽しんでいたではないか?」
何があったかと言うと、隠居していた幸隆が急死した。
「父は、縁側で我が子らと遊んでおりましたが、少し疲れたと柱にもたれ掛かって休んだそうに御座います。我が子らは父上が寝ていると思い、母上を呼んで休ませようとしましたがその時には既に息を引き取っておりました」
幸綱は父幸隆の最後を話し頭を下げる。
「そんな....幸隆め!!隠居は許したが誰が死んで良いと言った!!この大馬鹿者め!!……大...馬鹿者..」
義照は大声で怒鳴ると周りを憚らず泣き崩れた。
「幸綱、大殿がこれでは話しにならん。一旦下がれ」
「あ、……はっ!」
三人は目の前で泣き続ける義照にどうしたらいいか悩んだが一緒にいた昌祐に言われ三人とも部屋から出ていくのだった。
義照の様子と昌祐の目にも涙が浮かび上がっていたのを三人は見てしまい、父(幸隆)の存在がどれだけ大きかったか思い知らされたのだった。
残った昌祐は周りの近従に、この後全ての予定の取り止めと、人払いさせるのだった。
「殿(義照)……」
「すまん。分かっている。だが...なぜ急に死んだんだ。幸隆……」
工藤兄弟に続き古株で右腕とも言える軍師でもあった真田幸隆の死の衝撃は大きく、義照はショックのあまり数日、表に出ることはなかった。
幸隆の葬儀には重臣を始め、隠居していた者達も多く参列した。村上家からは義照がショックで動けなかった為輝忠が代理として参加した。
墓は幸隆が招いた伝為晃運が開山の長谷寺に建てられるのであった。
葬儀から数日後
長谷寺
「……」
一人の男が墓の前で手を合わせている。
何も言わずただじっと黙って…。
「安らかに逝った幸隆殿は幸せだったのではないでしょうか?」
かなり年老いた老人が杖を付きながら墓の前にいる男の方にやって来て声を掛ける。
「……幸隆は六道銭を持っていたのであろうな?」
「はい。きちんと納めております。手短にですが経を詠みましょう」
男の質問に老人はそう答えると手を合わせて念仏を唱える。
唱え終えた後、老人に離れの小さな庵に案内される。
「村上様、噂を聞きました。幸隆の死を聞いて狼狽え、泣き崩れたと。あの阿呆(幸隆)は幸せ者ですな。主にそこまで思って貰えていたのですから」
男の名前は村上義照、そして老人の名前は長谷寺の開山であり先代住職の伝為晃運だ。既に引退し余生を過ごしている。
「その口の軽さは今以て健在か……晃運。幸隆の死に顔はどうであった?」
「まさに満ち足りた顔をしておりました。本当に幸せそうに……」
晃運はそう言うと、茶を差し出す。
「そうか…満足そうに逝ったか……」
義照はその茶を飲みながら幸隆とのこれまでのことを思い出していた。
「俺にとって工藤兄弟、真田、鵜飼、馬場の五人は僅かな領地しかない時から仕えてくれた。中でも、昌祐、昌豊、幸隆の三人は何ものにも代え難い存在だ。三人がいたからここまでやって来れた。死んだと聞いてなんと言うか……信じたくなかった」
「そうでしたか。死は誰にでも訪れるもの。なれば、この世に生きた証を残されては如何でしょうか?例えば...村上様のこれまでのことをまとめた書物とかどうですか?」
「……成る程な。書くことによって誰がどのような生き方をしたか後世に残せると言うものか……。織田と武田にそう言う奴がいたな……」
晃運の案を聞いて、太田牛一と高坂昌信を思い出した。信長公記と甲陽軍鑑の作者だ。
「俺も歳を取ったな……。晃運、茶は俺が点てるより旨かった。礼を言う」
「いえいえ、私のは趣味の域。村上様には遠く及びません……。気は晴れましたか?」
「あぁ。何となくだがな」
義照はそう言うと長谷寺を後にする。
城に戻ってから滞っていた政務を進め、合間を見てはこれまでのことを記して行くのだった。
その後、伝為晃運は二月後に静かにこの世を去るのであった。