123 島流し?
元亀二年(1570年)9月
上野 宝勝寺
「上田大神宮(信濃)、諏訪大社(信濃)、鶴岡八幡宮(相模)、熱田神宮(尾張)か...やはり多いですな」
「ですが、これでも限界まで減らした方です。他にも伊勢神宮や氷川神社、榛名神社、鹿島神宮、香取神宮なども候補にありましたので」
寺には村上、北条、織田、浅井、朝廷の代表達が集まっていた。
話の内容は親王様の巡行のルートや護衛など多くのことを話し合うためだ。
最終的に帝の巡行は見送られ親王様のみとなった。
やはり、帝が動くのはどう考えても危険で、朝廷内でも反対意見が多かったからだ。
だが、帝は親王様に世の中を知って貰いたいと願い、公家達も帝の御意志を受けざるをえなかった為、特例として親王様の巡行が認められたのだった。
本来なら、北条、浅井、村上で済んだのだが、信長が莫大な献金をし、従四位下 右兵衛督を貰い、熱田神宮への巡行を捻じ込んだ為だ。
それぞれ代表は
村上家→真田幸隆
北条家→北条幻庵
織田家→丹羽長秀
浅井家→遠藤直経
朝廷→九条兼照、三条西実澄
「では、まずはどの道を進むかだが、京から美濃までは確実としてその後を尾張から行くか、信濃から行くか...」
「信濃からでは道が険しいでしょう?尾張から進まれては如何か?帰りなれば予定を気にせずゆっくりと出来るでしょうし?」
「では、美濃から尾張、三河、遠江、信濃、相模、の順ですかな?」
「それでは織田殿の領地を二度通ることになり、却って面倒では御座らぬか?護衛や領地を通過することについてもじゃ」
「いやいや、真田殿、二度通らねばならぬのは村上家も変わりないではござらぬか」
幸隆の質問に丹羽長秀は胃をキリキリ言わせながら答えていた。本来、織田家の代表は河尻秀隆だったが急な病の為、急遽長秀に回ってきたのだった。
因みに、河尻の病名は仮病である。
「まぁまぁ、確かにどちらを通っても変わらぬこと。真田殿、ここは若い丹羽殿に譲られては如何か?」
真田がわざと言っていることを悟った幻庵が長秀に助け船を出した。幸隆も無理矢理加わってきた織田家の考えを探るために言っただけなのですんなり認めた。
「さて、護衛についてだが遠藤殿、浅井家としてどの様にお考えか?」
「我等の浅井は長政様直々に二千の兵を率いて護衛に付きます。皆様には通行と滞在の許可を頂きたい」
「二千とは些か驚きましたな。我ら織田家としては千人程かと思うておりましたが、何故そこまで多いので?それに、それだけの兵の兵糧や宿泊は如何されるので?野宿とはいきますまい?」
直経が説明すると長秀が尋ねた。他の者も同じ意見だったので、返答を待った。
「朝廷からの話で世話人を含めて凡そ数百人近くにのぼる為これ程の護衛が必要になりました。兵糧と宿に関しては用意して頂きたく..」
「遠藤殿、流石にそれは難しいであろう?ここは1つ提案じゃが、護衛は丹羽殿の申された様に千人とし、他の護衛を各家より出したら如何かな?」
「北条(幻庵)殿の申す通りで御座るな。それに殿(義照)より、我が領地に居る間、兵糧と宿は提供すると仰せだ。我等の領地では安心されるが良かろう」
幻庵と幸隆により遠藤も了承した。護衛は浅井家は千人で帝及び重要人の護衛に付き、他はその領地の家が出すことになった。
その後も巡行に向けて詳しい内容を話し合った。
しかし直ぐには決まることがなかった為、代表者達の打ち合わせは数日にも及ぶのであった。
元亀三年(1571年)2月
摂津
石山本願寺
「私が信濃にですか?」
本願寺顕如が嫡男教如は父顕如と側近の下間頼廉に呼ばれ父に言われた。
「そうだ。信濃の勝善寺の順西の元で一年ほど修行して参れ。それにお主も一度、村上様に顔合わせと挨拶をしておくといいだろう」
「若様(教如)、頼龍と某(頼廉)も参ります。村上家との面談は私が取り付けますので... 」
「いや待ってくれ頼廉!!父上!私は父上の元で修行し、本願寺を継いで行きたいと」
「だからこそ、お主には末寺に向かわせるのだ。自らの見識を広めることも大事なことだぞ。それに、村上家は多くの門徒を受け入れてくれた。門徒達の様子を見るのも良いだろう」
「・・・分かりました」
教如は不満そうにしながら部屋を出ていった。と言うのも、信濃は村上家の領地で栄えていると聞くが教如からしたら辺境の地なので、島流しに近い感じに思っていた。
不満たらたらな教如の表情を見て顕如達は思いっきり溜め息を付いた。
「若様はかなりご不満のようですね..」
「他の寺の者なら喜んで向かうと言いますが...」
「閻魔の怒りに触れなければ極楽...私(顕如)も一度行ってみたいものだ...」
顕如の言葉に頼廉は以前起こったことを思い出していた。
村上領について一向衆の僧からは、閻魔の怒りに触れなければ極楽浄土と言われ、派遣された頼照や越中、加賀から逃れた僧達が自分達(本山)より裕福に暮らしていると聞いていた。
どうせホラ話だろうと言いつつ何人も確認に村上領に向かう。そして、誰一人帰って来なかった。
流石におかしいと思った頼廉が頼照の元に行くと、目の前の光景に目を疑った。
「お主ら何をしておる?」
「下間様、今は孤児達に炊き出しと読み書きを教えております」
頼廉は目の前で僧が炊き出しを子供達に振る舞い、更に読み書きを教えている光景に驚いたのだ。
と言うのも、ここに確認にやって来た僧達は御世辞にも真面目とは言えなかった。
日の明るい内から般若湯(酒)を飲み、経を詠むことをサボることがある者達だったからだ。
それが目の前で炊き出しを行い、子供等に読み書きを教え、真面目に経を詠んでいたから驚いたのだ。
「頼廉殿、ここに居られたか!」
「頼照殿..これは一体どういう...」
頼廉の質問に頼照は困った顔をした後答えた。
「閻魔様(義照)の怒りを買ったからです」
頼照は驚く頼廉に説明をした。
遡ること二ヶ月前(昨年12月)
義照がお忍びで領地の様子を見に来た際、石山本願寺からやって来た僧達が昼間から酒を浴びるように飲み、一部は村では寄進しろと脅し強盗までしてしまっていた。
偶然目撃した義照は名前を伏せて強盗していた僧達に近付き、
「真面目に経を詠み僧として当たり前のことをしないのか?この地でこんなことして許されると思っているのか?」と声を掛けた。
だが、僧達から返ってきたのは侮辱と閻魔など怖くない、我等には仏の加護がある。閻魔など退治してやる!などと言い、男の一人が義照に唾をかけた。
酔っぱらって昂っていたことも原因の1つだろう。
もしも、この集団の中に義照の顔を知っている者がいれば直ぐに頭を下げるか、顔を青ざめさせただろう。
そして、義照に唾をかけた男は一瞬の内に両腕を切り落とされ、他の僧達は忍によって首に小太刀を当てられ身動き1つ出来なくなった。
「ぎぁぁぁぁぁ~!!お、俺の腕が~」
腕を切られた男は悲鳴を上げながらも痛みで蹲り、二人の忍が忍刀を向けていた。
「殿(義照)、こいつを拷問にかける許可を..」
「殿を侮辱しあまつさえ唾をかけるとは、こいつら一族郎党皆殺しにしましょう」
俺の目の前にいる二人の忍が言った。男の腕を切ったのもこの二人だ。
「止めとけ。源八、六郎、そいつらは強盗に恐喝だ。奉行所に連れていけ。先に言っておくが法で裁かれるまでは殺すな」
俺が言うと流石の二人も手を止めた。俺が言わなかったら、勝手に苦痛を与え始末しただろう。
源八は鵜飼孫六の息子で二代目孫六、六郎は望月出雲の息子だ。ただ、まだ孫六は隠居はしていないので源八と呼んでいる。
この二人は陽炎衆の次期頭領と副頭領だ。
義照はそのまま下間頼照のいる寺に向かい、そこで酒を飲み泥酔している僧達を目の当たりにした。
一人の小坊主が義照に気付き慌てて頼照を呼んできたが遅かった。
頼照が慌てて来た時には泥酔していた僧達全員が縛られ庭に集められ、水をぶっかけられていた。
雪の降る12月に外で水をかけられたどうなるか誰でも分かるだろう。
水をかけられ僧達は寒さと目の前の閻魔の恐怖でガタガタ震える。
「あぁー頼照。来たか。さて、どういうことか説明してもらおうか?」
義照は顔に笑みを浮かべたまま聞いたが、頼照には死の宣告をされようとしているようにしか見えなかった。
頼照は説明して謝罪をした。義照は強盗と恐喝をした者達以外は見なかったことにし、一度見逃したのだ。だが、二度目は無いと警告した。
その後やって来ていた僧達は村上領から逃げ出すか、真面目に経を唱え炊き出しを行い、読み書きを教えるのだった。
ちなみに、逃げ出した者達のその後を見た者は一人もいない。
「教如様にはいい修行になると思いますが、後は本人次第ですかね。あの性格です。何も起こさねばよいですが..」
頼廉が以前のことを思い返していると頼龍が不意に口を開いた。
頼廉も顕如も確かにと思った。だが、門主になれば嫌でも閻魔(義照)と交流しなければならなくなることがあるので、今の内に慣れて貰おうと考えるのだった。
今回の信濃での修行が良くも悪くも教如の今後に大きく影響をもたらすことを予測できる者は誰一人いないのだった。