120 雨降って地固まる
元亀元年(1569年)11月
松代城
「父上は今まで尽くしてくれた須田達、譜代重臣達に謀反を起こさせるつもりですか!!何故、そんな大事なことを今まで知らせなかったのですか!!!」
「いや、確か隠居した時に話した筈だが?」
「何も聞いてません!!聞いたのは俺(義照)名義で勝手に金を借りて城を大きくしたことだけです!いい加減にして下さい!!隠居して阿呆になりましたか!!」
「義照!父に向かって阿呆とはどういうことか!!」
「阿呆に阿呆と言って何が悪い!!!」
「義照貴様!そこになおれ!!父向かってそのような口を聞けぬよう叩き直してくれるわ!!」
「やれるものならやってみろよ!この大阿呆ジジイ!!!」
松代城で、義照と義清の喧嘩が始まった。しかも義清は槍まで持ち出しての大喧嘩だ。
事の発端は、義照がいない間に国清が知った、元譜代重臣達と前当主義清との領地についての約束だ。
国清に付けられた譜代重臣から外れる変わりに、義照が二ヵ国以上治めたら領地を当時の三倍与えると言うとんでもない約束をしていた。
譜代重臣達が持っていた約束を交わした書状に当時の石高と貰える予定の石高が書いてあり、合計すると四万五千石にも届く広さだった。
戻ってきた義照は国清から聞かされ直ぐに松代城に怒鳴り込んだのだ。
「殿(義照)と御隠居(義清)が御乱心だ!!」
「巻き込まれるぞ!!離れろ!」
「誰か!人を集めろ!御二人を止めるぞ!」
「誰か、孫六と上泉か馬場を呼んで参れ!でなければ負傷者が増えるぞ!」
松代城は上を下への大騒動となった。
一緒に来ていた国清達は慌てて、孫六達を呼んでこいと命じた。正直兄(義照)の組手を止められるのは孫六しかいなかったからだ。
それに、父義清は老いたとは言え武芸、特に槍が得意な為、無理に止めれば負傷者が増えると思ったのだ。
そんな中、一人の女性だけは安堵していた。
(良かった。あの子(義照)もちゃんと殿(義清)の子なのね)
安堵していたのは義照の母、照だった。幼い頃から全く手がかからず、何か教えても大抵のことは直ぐに覚え、子供なのにあまり表情を出さず何を考えているのか全く分からなかったからだ。
だが、目の前の親子喧嘩を見て、義清に似ている所があったのでほっとしたのだ。
「がはっ」「ぐへっ!」「う、腕が…」「だ、誰かた、助け…」
それから半刻近く経ったが大喧嘩はまだ続いていた。
周りの者達はなんとか止めようと立ち向かったが頭に血が昇っている二人(義清、義照)に吹き飛ばされて負傷者を増やしていくだけで見ていることしか出来なかった。
「ハハハハ!これは珍しい!面白そうなことになってるな!!!」
やって来たのは常陸に行き、隠居を宣言した自由奔放な次男、仁科義勝だった。
「義勝様!!見てないで止めて下さい!このままでは負傷者が増え死人が出かねません!!」
「勝兄(義勝)!面白がらずに止めて下さい!」
国清と家臣達は笑う暇があるなら止めてくれと懇願した。義勝の武勇に関して知らぬ者は一人も居らず信濃に義勝以上の強者は居ないからだ。
「このまま見ておきたいが……まぁいいか。おい、それ寄越せ」
義勝は近くの兵が持っていた槍を借りた。
そして、前に進み・・・一瞬で二人の喧嘩を止めた。
「グフッ!」
「ぐっ!」
「「「えっ!!!」」」
義勝は石突きで義清に一撃入れ吹き飛ばし、そのまま返す刀で義照の太刀を弾き飛ばした。
ほんの一瞬の出来事に誰もが驚き、太刀を弾かれた義照は驚きながらも体の方は反応して次の一撃を警戒して転がりながらも後ろに距離を取った。
「まぁ、こんなもんか。おい、親父(義清)の手当てしてやれ」
「え。あ!ははぁ!!」
義勝の言葉に唖然としていた家臣達が我に返り急いで運んでいった。義清は完全に気を失っていたからだ。
「馬鹿兄...」
「おめぇーが親父と大喧嘩なんて珍しいな!そんなに喧嘩がしたければ俺が相手してやるよ!」
義勝はそう言うと槍を構えた。
俺は丸腰で、馬鹿兄がどうくるか警戒したが、そんな二人の間に一人割って入った。
「勝兄(義勝)!止めて下さい!照兄(義照)もこれ以上滅茶苦茶にしないで下さい!負傷者がこんなにもいるのですよ!!」
国清は真ん中に入り俺達を止めた。そこで俺(義照)は周りを見渡し城内が滅茶苦茶になっていることに気が付いた。そして負傷者達も…。
正直、父(義清)とやりあっている間は全く気にも止まらなかったが、落ち着いて見ればかなりヤバイと思った。
「・・はぁ...頭に血が昇り過ぎだな。もう歳かな~」
俺はそう呟いて構えを解いて弾かれた太刀を取りに行き、鞘に納めた。
「なんだ?折角相手してやるのにやらないのか?」
「やるわけない。...槍を持った馬鹿兄(義勝)に勝てる訳ないし..。それに....いつの間に戻ったんですか?隠居を宣言して勝手に師匠(卜伝)の元に残って、今まで文の1つも送らなかったというのに...」
俺が言うと「悪い悪い」と笑いながら謝ってきた。ホント緊張感も何もない。
「まあまあ、折角兄弟が集まったのだから皆で食事にしませんか?勿論、これを片付けた後でですけどね」
そんな緊張感も無い所に母上が国千代と一緒に戻って来た。何故か嬉しそうな顔をして。俺は再度周りを見た後、たまには母上の言う通り母上や兄弟達と食事も良いかと思った。
「……そうですね。では、久しぶりに鍋でも作りましょう。国清、片付けは任せる。兄上(義勝)とやっといてくれ。母上、炊事場借りますよ。信尹(真田)、信蕃(依田)、負傷者の手当てを頼む」
「えっ!ちょっと照兄!!」
「・・・それじゃ~俺(義勝)も親父(義清)の様子を見に行くか。少し強くやり過ぎたしな」
「えっ!勝兄!!」
そう言うと義照も義勝もその場からさっさと居なくなった。二人共、あまりにも荒れ果てた周りを見て片付けるのが面倒なので逃げたのだ。こういう時だけは兄弟の息が合っている。そして残されたのは国清や家臣達だった。
「く、国清様...」
家臣の一人がわなわなと振るえている国清に声を掛けた。
「兄上達の馬鹿野郎~!!」
国清の嘆きは城中に響き渡った。これにはその場にいた家臣は勿論、後で話を聞いた他の家臣や領民達も国清に同情するのだった。
それから一刻半後、国清達のお陰で後片付けは済み、片付けに参加した者や負傷者達には猪鍋(牡丹鍋)を振る舞い、意識を取り戻した父や母、俺、馬鹿兄、国清等は牛鍋も食べた。
全て俺(義照)が指示したり直接作ったものだ。
兄二人に片付けを押し付けられた国清はブツブツ文句を言いながらも旨そうに牛鍋を頬張っていた。末っ子の国千代も兄(国清)に負けずと肉ばかり食べていた。まぁ、育ち盛りだから良いだろう。ただし、野菜もバランス良く食わせなければ...。
馬鹿兄や父は猪鍋の方が合うそうだ。
結局、一晩城に泊まり、翌日城を後にした。
また、元譜代重臣達の領地については、父の隠居の城とした松代城を没収し、国清を領地変えさせ国清に松代城を与え葛尾城を含む元国清領を元譜代重臣達に与えた。
勿論、城を取られる父が猛反発したが誰のせいでこんなことになったのか、国清と散々怒鳴り挙げ黙らせた。
ただ、母上の方は意外と喜んでいた。
と言うのも、松代城から追い出した後は俺のいる上田城にある元九条館に入るからだ。いつでも孫や曾孫に会えると言っていた。
それと、京から連れて帰った山中幸盛については馬鹿兄に引き渡した。
煮るなり焼くなり好きにして良いと言ったら喜んで持って帰ってくれた。
俺が滅多にそんな事を言わないから容赦なくシバ..鍛え上げるだろう。・・・多分、死ぬことは無いだろう...。
後日、馬鹿兄からかなり満足したような内容の書状が届いたので、義照は知らなかったことにし、そっと書状を閉じたのだった。