116 金集め
元亀元年(1569年)六月
景虎が帰国した後、義昭は元号を「元亀」と改元するべく朝廷に奏請した。
朝廷からは正親町天皇の在位が続いているので必要無いのではと疑問視する声が上がったが、義昭は朝廷を説得するために下行費用の名目で、朝廷へ5000疋もの献金を実施して強行したのだ。
更に、本圀寺では義輝のように襲われるかもしれないので大きな城を建てると言い出したのだ。
恐らく義照がいたら間違いなく止めていただろう。だが、残っていたのは摂津晴門と親しい朝倉義景だけだった。
そしてこの二人は大いに賛成していた。
そして、反対していた三淵達は義昭から少し遠ざけられたのだった。
ドン!!
「奴等は公方様を操り、自分達の好き勝手に幕府を動かしたいのか!!」
「惟政、やめよ...。副将軍様が帰国されてこれ程早く動くとは、正直虚を突かれた我等の不手際だ...」
床を殴った和田惟政を三淵は諌めた。三淵達は摂津達が直ぐに事を起こさず周囲の状態を見ると思っていたが、ここまで直ぐに動かれ、しかも、外堀まで埋められてしまっていてはどうすることもできなかった。
「問題はそれだけでない。我等に城を造る為の資材と資金を調達しろと命じられた!摂津は我等に不満を押し付け、あわよくば幕府から追い出すつもりだ!!」
集まっている中で一番若い元政は怒りのあまり怒鳴りあげた。
この場に集まっているのは三淵藤英、和田惟政、細川藤孝、柳沢元政、蜷川親長
だった。
全員義輝に仕え、近江や信濃まで共に付いて回った者達で幕臣の中で摂津晴門に敵対している者達でもあった。
晴門は城を建てる為の資金を諸大名から集めることにし、その説得と徴収の責任者を三淵達に押し付けたのだ。
晴門は失敗すればそれを理由に幕臣から罷免して追放、もしくは権限を剥奪して抵抗出来ないように潰そうとしたのだ。
幕臣達の間でそのような権力争いをしていることを知らない義昭は他国を回っていた三淵達なら任せられるとすんなり認めてしまったのだった。
現状、献金を約束しているのは朝倉義景と和睦を頼んだ織田信長だけだった。ただ、どちらも微々たる物で圧倒的に足らなかった。
三淵達は大名が駄目だった時は商人等からも借りようと考えたが、摂津のことと徳政令を出して帳消しにするのが目に見えていたので出来る訳がなかった。
「まず、副将軍様は無理だろう。余裕があれば京に残って居られただろうからな」
「浅井殿はどうか?」
「いや、朝倉と関係が深いから摂津が根回しているだろう」
「北畠はまず無理だな。今回和睦を結んでくれたが幕府を恨んでおろう」
「安芸の毛利や九州の大友はどうか?亡き上様(義輝)の時は献金してくれたが?」
「どちらも互いに争ってるから難しいだろう。やるなら片方だけだ。毛利は尼子を滅ぼしてから大きな戦は無いと言うがどうだ?」
「関東の北条とかはどうか?戦は無く平穏と聞いたが?後、武田とか?」
「北条は、伊勢兄弟のことがある。上様(義昭)に追放された後、北条と共に関東に向かったではないか。邪魔をされるのではないだろうか?」
集まった者達はそれぞれ案を出して言ったが全員が決して触れない所があった。
「・・・あの方の所は行きたくないな...」
元政が呟くと全員が黙って頷いた。行けば怒鳴られ最悪殺されかねないと思った為だ。
「銭の額なら村上様が一番だろう。今も朝廷には毎年送られている様だし。だけどな~」
五人は前のことを思い出して躊躇していた。松永達と大和を攻めていた義照に戻るよう伝え、宴の銭を要求した使い(幕臣)が殺されると泣き喚きながら戻って来たからだ。
詳しいことを本人(義照)から聞いたが一切脅迫はしていないといい、使いも話したがらないのでどれだけ恐怖に晒したのか分からなかった。
しかも、宴の席で、摂津に注意するよう言われ任せろと言った手前会いに行きづらかった。
てか、摂津に好き勝手にされていると知られれば殺されると思っていた。
そして摂津もそれが分かっており、行きたくないから三淵達を指名したのだった。
「行くしかあるまい...。では誰が何処に行くか決めるぞ」
三淵は向かう大名家の名前を書いたくじを作り、それぞれ引いた。喜んだ者もいれば遺書を書いて行こうと絶望している者もいるのだった。
その頃義照は毛利家の使者が持ってきた書状を読んでいた。
内容を読んで驚いたり考えたり笑みを溢したりし、集まっていた家臣や使者は不思議そうにその様子を見ている。
「確かに、この機会を逃せば会うことは二度と無いだろうが...少し家臣達と話がしたいので席を外してくれ」
「畏まりました。より良いお返事をお待ちしております」
使者は下がると俺は昌祐に書状を渡し、全員に内容を聞かせた。
内容は尼子の遺児についての件の御礼、前当主毛利元就が曲直瀬道三を送ってくれた朝廷に御礼に向かう為に上洛するので、京で面会出来ないかと言う内容だった。
ぶっちゃけ、会ってみたいと言うのが本音だ。だが、京に行くと言うことは幕府にも顔を出さないと行けないので正直悩んでいる。
(しかし、毛利元就が上洛か...しかも、隆元が生きていたなんてな...やはり歴史が変わってるのか...)
「毛利が上洛とは...やはり十ヶ国守護も狙っているのか?」
「それよりも殿に会いたいとは何故か?それに、9月とは急だな..」
「確か毛利元就は齢72ぞ?本当に上洛するのか?」
(そうなんだよな~。もう、いつ死んでもおかしくない歳なんだよな..)
家臣達が色々な意見を言い、俺もどうするか考えた。
現状、目立った問題も無く、北条、佐竹、長尾、織田、朝倉と国境での小競り合い等も一切無かった。
問題は武田の甲斐の領地からうちに逃れてくる民くらいだ。
と言うのも、信玄の頃よりは圧倒的に税も低く暮らしやすくなってはいるが、周り(村上、北条)は更に低い税で、百姓達も暮らしやすいので逃れる者が多かったのだ。
「殿はどのようなお考えなのでしょうか?」
「俺としても同じように小さな国人領主から大大名にまでなった毛利元就には会って話をしてみたい。輝忠の婚儀も済んだことだし…仕方ない、上洛するか。ただし今回は二千しか連れていかん。無駄に金を掛けるのも馬鹿らしいしな」
「「ははぁ...」」
俺が上洛を決めたことで、至急準備を始めた。連れていくのは俺の直属で、主な者は原昌胤、甘粕景持、海野幸照、島左近、栗田寛安、中沢清季等だ。それと、重臣の孫六と陽炎衆を連れていくことにした。念のためだ。
元亀元年(1569年)7月末
上田城
俺の目の前に二人の男が座っていた。
一人は松永久秀、もう一人はくじ引きで絶望を引いた和田惟政だ。
そして、惟政は久秀を連れてきたことを心底後悔していた。
惟政はなんとか説得するために義照の茶の湯の師であり懇意にしている久秀に助力を頼み、久秀も恩を売れると承諾した。
しかし、二人が京を出る前日に問題が起きた。
久秀が長年敵対していた筒井順慶を幕臣にし、九条家の娘多加姫を義昭の養女として嫁がせたのだ。
義昭としては自身も暮らした長く戦乱が続く大和を静める為との想いで進めたのだが、久秀達には寝耳に水で、信濃に向かう直前に知らされたのだ。
本当は前から話を進めていたのだが、摂津晴門がわざと伝えず決定したところで伝えたのだ。
勿論、この話を進めたのは晴門で、筒井も九条の娘を取れば幕府、それに村上も後ろ楯になると思い受けたのだった。
その為、久秀は大激怒。
しかし、そのまま説得の為に同行し上田城まで行くとここまで来たが、そこで九条の娘が筒井に嫁ぐとはどう言うことか!と義照に怒鳴り付けたのだ。
そして、今に至っている。
「へぇーじゃぁ、惟政も筒井と舅(九条)の娘の婚儀は知らなかったんかー?へぇー」
惟政はダラダラ冷や汗を掻いていた。目の前の義照は顔には笑みを浮かべているが、その後ろには恐ろしい形相の閻魔がいるような錯覚がしていたからだ。
「上様が...大和の静謐を望まれ、それに漬け込んだ摂津が... 」「摂津が?なんだ?」
「摂津に好き勝手され、申し訳ありませんー!!」
惟政はこれ以上何か言ったら殺されると思い伏して頭を下げた。
「・・・はぁぁぁぁぁ~。三淵め、あれ程気を付けろと言ったのに。師匠(久秀)、筒井と九条の姫のこと、俺は何も知りません。なので、筒井の後ろ楯になんかなりません。それよりも・・・」
俺は久秀に言った後、惟政を見た。
惟政はガクガク震えながら伏したままだった。
「なぁ惟政殿、この指定した献金額はだ~れが決めたのかな?」
「せ、摂津です」
「へぇー。うちに一万貫も献金しろか...じゃぁ長尾殿はともかく、管領様は幾ら出すのかなー?管領ならさぞ多くの銭を出すんだよなー?」
義照が笑みを浮かべながら聞くと惟政は震えて何も言えなくなっていた。朝倉が幾ら献金するか知っているが、言ってしまったら最後だと思ったのだ。
そんな惟政の気も知らない久秀が暴露した。
「朝倉は千貫、織田は五百貫だ。あのクソ(摂津)が申していた」
「・・・・はぁ、少し灸を据えなければいかんか...」
俺は呟いた後、献金は管領より低く五百貫にした。管領が出さない以上出すつもりは無かった。それと、惟政に上洛することを伝えた。顔が青ざめていたが何かあるのだろうか?
惟政は急ぎ戻ると言い、その日の内に帰ってしまった。
久秀は公方の顔を見たくないと、数日滞在した。ついでなので、滞在している間、輝忠達に茶の湯を学ばせることにするのだった。勿論、師は久秀だ。