113 仕置き
永禄九年(1566年)九月末
上田城
九月初旬に出陣した輝忠が今目の前にいる。その隣には大怪我をし、兵士に支えられて連れてこられた本多正信もいた 。
と言うのも、徳川征伐は戦わずして終わった為だった。
家康だが、輝忠が岡崎城に到着して直ぐに門を開いて重臣達と一緒に死装束で出て来て降伏したらしい。
輝忠は降伏を受け入れ全員を打ち首にしようとしたが、一緒にやって来た(運ばれてきた)本多正信に殺してはいけないと止められ、俺に会って説明したいと言った為、輝忠は岡崎城を接収し他の者達に西三河を制圧させたそうだ。
で、徳川御一行(家康と一族、重臣達)を上田城に連れてこさせ牢屋にぶちこみ、説明したいと言った正信を俺の前に連れて来たのだった。
ついでだが、築山殿(瀬名姫)と竹千代(史実の信康)と娘二人は牢屋でなく部屋の一室に幽閉している。
あれでも一応義元の一族になる為だ。
「さて、正信、正直に言う。お主に何があったか知っている。本多忠勝に殺されかけ、長らく意識を失っていたことをだ。殺され掛けたお前が家康を殺すなと言うのはどう言うことか?」
「殿、長らく連絡することかなわず申し訳御座いません。しかし家康様を殺してしまっては三河は永劫治まりません!影で怨みがつもり一揆が乱立するでしょう!」
「正信!貴様血迷うたか!三河は殿の政策のお陰で平穏に治まっていたではないか!」
正信が言うと大熊が怒鳴り声を上げた。そりゃ一部とはいえ、今まで三河を治めていたもんな。その領地では反乱なんか一切無かったから正信の言葉には激怒して当たり前だ。
俺は手を上げ大熊を黙らせた。
「正信、怒鳴り声を上げた大熊が今まで三河をきちんと纏めていたではないか?何故、家康の命一つでそうなる?」
「はっ!徳川家は今まで今川家に従属し乗っ取られ苦しい生活を余儀なくされておりました。しかし、家康様が戻られ再興してくれることを信じて生きておりました。その為三河武士の粘り強さは尋常なものではありません。長篠城や野田城でご存じの筈!もしも家康様を殺しては三河の者達は一揆を起こしかねません!文字通り死に絶えたとしてもです!」
「正信!さっきから家康様、家康様と貴様は家康の家臣か!」
「殿!正信も直ぐに斬りましょう!此奴は既に村上家の家臣では御座いません!」
家臣達から正信を罵ったり、殺すよう言ったりしていた。そんな中正信は黙ったまま俺を見ていた。
「静まらんか~!殿の御前であるぞ!」
信春が大声を上げ全員を黙らせる。
「正信、お主の言い分は分かった。最後に聞く。お主は徳川の家臣か?それとも村上の家臣か?」
「村上家の家臣ですが、徳川家は以前仕えた家、恩義も御座います!」
俺の質問に正信が答えるとまた罵詈雑言が飛び交った。
「やはりこいつは裏切ったのだ!」
「衛兵!こいつを牢屋にぶちこめ」
「こいつは裏切るしか頭がないのだ!」
「静まれ!!・・・正信それがお主の答えだな?」
俺が大声を出し静かにさせ、正信に尋ねた。正信は「はい」と言ったので、一室で謹慎を命じ、皆を解散させた。徳川に付いては明日話すことにした。
(殺され掛けて尚、家康に報いようとするとかどんだけだよ……。家康か~。雪斎様の愛弟子だし従順なら生かしても良かったんだがな~。さて、どうするか…)
そして俺は一人考えた後、牢屋に向かった。
牢屋では家康と重臣達を別の牢に入れていた。だが、隣の牢なので、話をすることは出来ていた。
「正信めは上手くやれるのだろうか?」
「あやつは一度殿を裏切っている。また裏切るかもしれん」
「皆止めよ。正信を信ずる他に道は無いのを分かっておろう...」
家康は騒ぐ重臣を静めた。重臣達は口を閉じ、自らの力の無さを噛み締めた。
そんな中、誰かがやって来る足音が聞こえた。そして、家康の入れられている牢の前で立ち止まる。
「御主が徳川家康か?」
「そうですが、貴方は?」
家康は目の前の男に訪ねた。薄暗い中、蝋燭の火だけでは顔を見ることが出来なかったのだ。
「村上義満だ。一応、村上一族の者だ」
俺(義照)は死んだ一族の名前を名乗った。名前を聞いた家康は村上一族と聞いて僅かに期待をした。
「殿(義照)はお主達全員を打ち首にされるおつもりだ」
家康達はその言葉にダメだったかと力なく項垂れた。
「だが、戻ってきた正信が必死にお主を擁護してな、周りからは裏切り者だと罵られ、殿から謹慎を食らったが殿は判断に悩まれだして明日決めると言われた。殺され掛けた正信がどうしてそこまでするのか気になってな、それでお主と話してみたいと思って来てみた」
家康達は、悩んでいるなら僅かに可能性があると期待した。そして、目の前の人物を引き込めれば更に可能性は上がると思った。
「それで、話とは何でしょうか?」
「では単刀直入に何故、今川家を裏切った?あの状況で裏切っても勝てる見込みは無かったのではないのか? 」
「それは~」
俺の質問に家康は答えていった。
まず独立しても、今川は北条、村上と同盟していたので徳川単体で勝てる見込みは無かったのは分かっていた。その為、三河を取りまとめ、織田に備えようとした。
そんな時、一向衆の僧が一向衆を保護するなら独立に手を貸すと言ってきて、一度目は断ったが二度目は密かに噂が流れていたこと、前金として物凄い額の銭を持って来て、今川派に見られていたことで退くに退けなくなったそうだ。
元々、独立したい意思はあり頼もしい三河武士達が居たので覚悟を決めた。
結果は今川に大勝し三河を取り戻し、正月を大喜びで過ごし、約束通り一向衆を保護しようとしたら、一向衆が突如手の平を返して一揆を起こした。
そんな中、武田が主体の今川軍も三河に攻め寄せ、瞬く間に奪われた。情報を集めていたが、武田と一向衆が直接手を結ぶ事は無く、今川家臣が一向衆と手を結んでいたことを後で知った。
そして、長年苦労させた老臣達や影武者を失いながらも尾張に逃れ、再起を図るため好機を待った。好機は直ぐに来て、再度三河を取り戻しにいったそうだ。
「成る程な。では、もう一つ聞きたい。山本勘助や武田信繁、寿桂尼殿の暗殺は御主が指示したのか? 」
「そんなことはない!!特に寿桂尼様を暗殺など決してしない!!私は義元様、雪斎様、寿桂尼様のお三方には恩がある!特に雪斎様は私に多くの事を教えて下さった!!例え今川を裏切ろうとも、お三方への大恩を忘れることは無いわ!!!」
家康は怒鳴り声に近いくらいの声で叫んだ。恩のある今川を裏切ったとしても暗殺はしないと。
大声のせいで、見張りの兵士達が駆け込んで来た。
「殿!ご無事でしょうか!如何されました!」
見張りの一人が俺の事を殿と呼んだことで俺の正体が家康達にバレた。
家康より、家康の重臣達の方が反応が早かった。と言うか、家康は「えっ?」と言った感じでさっきまでとは違い、呆気に取られ目が点になっていた。
「と、殿ってことは、村上家当主、村上義照様...?」
重臣達の中で、誰かが呟き一瞬で我に返り並んで伏して頭を下げた。家康も我に返り遅れて頭を下げた。
「はぁ~..知られたのなら仕方がない。義満とは亡くなった一族の者の名前だ。俺が村上家当主村上義照だ」
「ははぁ..恐れながら何故偽名を使われて話を聞きにこられたのですか?」
「単純に俺が本名を名乗っていたら、必死に助命を求めて口で誤魔化すだろう?実際今も俺を味方に入れて助命を勝ち取ろうとしたではないか。御主(家康)はあの雪斎様の愛弟子だから警戒して当たり前だろ?」
家康は義照が雪斎に好意を持ち師事したいと言っていたことを知らなかった。
ただ、雪斎の事を尊敬し、雪斎も義照を高く評価していることしか知らなかったのだ。
「しかしまぁ・・・期待外れだな。雪斎様の愛弟子と聞いていたから期待していたのだがな...」
義照はそう言うと牢屋を出ていく。
家康と重臣達は何とか止めようとしたが、義照が止まることはなかった。
家康は雪斎の愛弟子であり、師(雪斎)からも期待されていたが、義照に冷たく言われたことにショックを受け挫折するのだった。
翌日、牢屋にいた全員が庭に連れ出され座らされた。
村上家臣団と謹慎を命じられた正信もその場にいた。
「処分を言い渡す。徳川家康、其方に切腹を命ずる。嫡男竹千代と二人の娘、正室の瀬名に関しては助命する」
義照の宣告に、家康は反応することなく、俯いていた。家康の重臣達と正信が家康の助命を求めたが聞くことはしなかった。
家康の重臣達の方は筆頭家老になっていた酒井忠次と次席の石川数正も責任をとると言うことで切腹、他の重臣達は三河から追放と言うことを条件に助命した。
家康の息子、竹千代(信康)については瀬名姫(築山殿)の子と言うことで助命し寺に居れることにした。娘二人はまだ幼いので監視下で養育させる。
まぁ、将来的には三河に御家再興も考えてやってもいいだろう。
平清盛のようにはなりたくないので、竹千代が逃げ出そうとしたり、謀反を企てれば即始末するよう監視に命じている。
処分を伝えた後、速やかに執行された。家康達三人の首は丁重に葬られた。
しかし追放処分とした他の徳川重臣達や一部家臣達だが、数名殉死した。その中には原因の元になった本多正信と本多忠勝の二人も居た。
戦国最強(本多忠勝)と徳川一の名参謀(本多正信)を失なったのはちょっとだけ後悔した。しかし、ここで家康を生かすと俺の死んだ後が怖いので仕方がないと割りきった。
また残された正信の子、千穂(後の正純)は流石に不憫に思ったので俺が養育することにした。何せ、正信の妻は病で倒れているからだ。馬鹿兄(仁科義勝)の元にいる弟の本多正重には了承は得ている。
三河に付いてだが、元今川家臣の庵原と重臣の孫六に任すことにした。
大熊は庵原の代わりに出浦と共に遠江を任せるのだった。