111 本願寺
永禄九年(1566年)6月
九条屋敷(村上軍駐屯地)
俺の前に憎い一族の男が座っていた。
「義信、一体何の用だ?信玄の代わりに殺されにでも来たか?」
武田家当主武田義信だ。護衛として山県昌景と曽根昌世の二人、それと坊主が一人来ていた。正直、義信に関しては信玄とは別と割りきっている。それに、今のも冗談で言った。
「いえ、実は村上様に仲立をして頂きたいのでお願いに参りました」
「そんなの幕府か管領、副将軍にお願いすればよかろう。俺達は数日後には帰国するから構ってる暇はない」
「それが出来ないので、お願いに参ったのです!」
俺が言うと、義信は無理だと言ってきた。
「そんな事俺に持ち込むな。管領(義景)のアホはともかく、幕府や副将軍を敵には回したくない」
俺はそう言って側に置いていた麦茶を飲む。
今度は坊主が前に出て来て頭を下げて口を開く。
「御初に御目にかかります。某、下間頼廉と申します」
ブーーーー!!
俺は驚きのあまり飲んでいた麦茶を吹いてしまった。
「ゴホッ!ゴホ!頼廉だと!本願寺顕如の右腕ではないか!! 」
俺が言うと、護衛に付いていた景持と近習として付いている海野幸照と依田信蕃が刀を構えた。
そりゃそうだ。相手はあの一向衆総本山の重鎮だからだ。
こちらが構えたことで、曽根と山県も構えたが、義信は手を上げて二人を下げさせた。
「某(頼廉)のことをそこまで評価してくださるとは光栄に御座います。まず、三河の一向衆のこと、深くお詫び申し上げます」
頼廉は三河一向衆が信濃を攻めたことを詫びてきた。あれは、三河一向衆の独断だったらしい。
それで今回仲裁をしてほしい相手は朝倉と長尾だった。
と言うのも、越中、加賀の一向衆は崩壊したが絶滅はしておらず、まだ門徒は多く隠れて居るらしい。しかし、朝倉も長尾も門徒を見つけては奴隷にして他国に売ったり、即首を刎ねているそうだ。
そこで顕如達は朝倉と長尾と和睦をして門徒達を救いたいらしい。
だが、幕府に頼もうにも長尾、朝倉が重役なので頼めず、多くの軍勢を連れてきていた北条は一向衆を禁止、追放しており話にならなかったらしい。
そこで、朝廷と繋がりが強く、幕府にも一定の影響力を持つ俺に頼みに来たのだ。ただ、直接の面識も当てもなかったので繋がりのある武田に頼んだようだ。
義信の母と顕如の妻が三条家の姉妹で繋がりがあり、顕如は俺の義弟になるらしい・・・・はぁ??
「ちょっと待て。顕如が俺の義弟とはどう言うことか?」
俺は目が点になった後、慌てて聞いた。なんせ、顕如と俺とは一切関わりも無く、面識も無いからだ。すると、頼廉の方も「え?知らないの?」といった感じで同じく目が点になっていた。
「顕如様は九条稙通様の猶子となり、証如様を師として得度されましたので、義照様の義弟になられます」
猶子とは、実の親子ではない2者が親子関係を結んだことだが、俺は何も聞いていなかった。
なので、確認する為に一旦帰ってもらい翌日頼廉には来て貰うことにした。
そして俺は直ぐに舅(稙通)に確認すると・・・
「あぁー顕如か?確かに猶子を結んだぞ」
ただ、その一言だった。この時代、縁やしがらみが結構大事なこともあるので、俺は頭を悩ませることとなった。
翌日、やって来た頼廉をそのまま本圀寺に連れていき、将軍義昭に面会させた後、問題の二人に会わせた。
まぁ、邂逅早々頼廉は殺され掛けたが、俺が防いだ。全く義景の護衛(兵)は躾がなってないな。
「さて、副将軍様(景虎)と管領様(義景)の時間を取っては申し訳ないので単刀直入に申し上げます。一向衆と和睦して頂きたい」
「断る。我ら朝倉家は此奴等と長年に渡って争ってきた。多くの家臣を失ったのじゃ!」
「義照、何故和睦をせねばならぬのか?一向衆は敵であるぞ...」
二人は速攻で拒否した。特に朝倉は何度も争い、越前にまで攻め込まれたことがあったのでその恨みは深かった。
俺は気にせず、和睦の条件を淡々と説明していった。
和睦の条件は
本願寺(一向衆)と朝倉、長尾との和睦。
本願寺が両家領地にいる一向衆の引き取り。立ち入りの禁止(ただし、棄教した者は別)。
残っていた場合、両家の判断で処罰を認める。
本願寺は両家に対して、多額の損害賠償として銭を支払う。
と言うものだった。
景虎は黙っていたが義景はキャンキャンうるさく喚き、隣にいた山崎はすごく困っていた。
「そもそも何故貴様(義照)が和睦の仲立をするのだ!お主も三河の一向衆に攻められたではないか!!」
「・・・はぁ~管領様(義景)、それは俺も思います。顕如が義弟になってなければこんなことはしてませんよ。全く・・・はぁ~」
「それはどう言うことか?」
義景に言われ、景虎が聞いてきたので、昨日知った悲しい事実を伝えた。全ては舅(九条)のせいだと・・・
「そうか・・・分かった。此度はお主(義照)の顔を立てよう。長尾家は本願寺との和睦を受ける。管領殿(義景)は如何する?」
「景虎殿、忝ない・・・」
「ワシは承知せんぞ!顕如がワシの前に来て頭を下げ、少なくとも二万貫は支払わなければな!」
義景の発言は横暴だと思ったが、意外にも頼廉が口を開いた。
「分かりました。それでよろしければ和睦を受けて頂けるのですね?」
「勿論だ!ワシに二言はない!さっき言ったワシの条件を飲めば受けてやる!!」
「畏まりました。今の条件、我等本願寺は全て受け入れます!朝倉様に二万貫、長尾様に二万貫、合わせて四万貫!それでよろしいですね?」
義景は調子に乗って言ったが、頼廉の言葉に呆気に取られた。
いや、この場にいる頼廉以外全員がそうだった。
「いや!待て!その...」
「管領様は二言はないとおっしゃられましたので受けて頂けるのですね?」
頼廉の追求に義景は誤魔化そうとし、景虎や山崎に助けを求めたがどちらにも首を振られた。
管領(義景)が、「二言はない」と言ってしまったのでどうすることも出来なかった。
仮に無かったことにすれば、管領の信用は落ち、幕府に泥を塗ることになってしまう。
結局、義景は調子に乗ったせいで和睦するしかなくなった。
しかし、今回額が額なので、将軍義昭が見届け人となり結ばれることになった。
俺は帰る際に頼廉にそんな額が払えるのか訪ねたら「蔵を開ければなんとかなるかと。それに門徒を救う為なら顕如様は認めて下さる」と言っていた。
流石、十年も織田と戦い続けた本願寺だと思い、その底が知れなかったので恐ろしく感じるのだった。
数日後、浄土真宗本願寺派第11世宗主、本願寺顕如が上洛し本圀寺にやって来た。
広間には上座に将軍足利義昭と幕臣達、右側に本願寺顕如と下間頼廉、それと、もう一人坊主、左側に管領朝倉義景と重臣山崎吉家、副将軍長尾景虎と重臣直江景綱が座っていた。
ちなみに俺は一番下座で義昭の正面に座らされていた。一応この和議を仲立した為だ。
「では、互いに署名されましたのでこれにて和睦と致します。上様、どうぞご確認を・・・」
摂津晴門が署名された和睦の条件を読み上げていき、義昭に確認をした。
義昭は内容を確認し、将軍として署名し和睦がここに成立した。
顕如は義景の前で伏して謝罪し、二万貫の銭に関しては半分の一万貫を先に渡し、門徒達を引き取り終わった後に残りを支払うことでまとまった。
引渡しは幕府から見届け人が派遣されることとなる。
和睦を結んだ後、顕如一行は俺が間借りしている九条屋敷に来た。
「まずは、この度和睦を整えて頂きありがとうございました」
顕如はそう言うと伏して頭を下げた。
この場には、俺と輝忠、兼照、舅(稙通)と昌祐、昌豊兄弟、孫六と護衛で景持と昌胤がいた。
「はぁ・・お主が義弟でなければ受けてないわ。なんせ、三河の一向衆は攻めてくるは憎き武田とは義兄弟であるしな」
俺は不機嫌そうに言うが、顕如からはお詫びと一向衆に対しての恩情の礼を言ってきた。
と言うのも、俺は他の周辺国とは違い一向衆を禁教にはしていない。ただ、百姓を煽動したり政に関与することは禁止し寺領も召し上げた。ただし寺領に見合っただけの銭を毎月支払っていた。
勿論、孤児の保護や炊き出し、読み書きの指導等をしている寺にはそれだけ追加で支払っている。
ただし、拐ってきて孤児としたり、数を誤魔化したりすれば、寺を打ち壊し関係者を罪人として鉱山で強制労働させている。
お陰で大きな寺領を持って横着していた寺は軒並み潰されたが小さくとも、まともにしていた寺は寺領を持っていた時より裕福になっていた。
「さて、後は幕府が行うから問題はないな」
「村上様、申し訳ありませんがお願いしたきことが御座います。どうか、長尾、朝倉両家の領地から追放される門徒の一部を受け入れて頂きたいのです」
顕如の隣に居た頼廉と隣に居た坊主が頭を下げて言ってきた。
話によれば、石山と長島で受け入れる予定だが、人数が多くなれば他に受け入れてくれる所を探さないとならず、俺達にその一つになってくれと言ってきたのだ。
「父上、私は受け入れて良いと思います。特に甲斐は人手不足ですし...」
「私も兄上(輝忠)に賛成です。一向衆は確かに一揆を起こせば面倒ですが、味方になればかなり力になります。それに父上の領地で一揆など起こそうとすれば、他の領民達が黙っていないでしょう 」
息子二人は受け入れに賛成した。工藤兄弟も、本願寺から指導者兼人質を連れて行けば良いのではと、賛成していた。
「数はどれくらいを見ている?それと、他に誰が受け入れてくれるんだ?」
「はい。今打診しているのが安芸の毛利家にございます。あそこは門徒が多いですので恐らく受け入れてくれると思っております。それと、人数に関しては女子供を合わせて少なくて五千、多くて一万未満だと推測しております」
俺が聞くと、頼廉の隣の坊主が答えた。それと、こいつはあの下間頼照らしい。
あの、越前一向衆の総大将で味方に殺された坊主だ。
(毛利か・・・無理?だろうな~。しかし、会ってみたいな~。手紙を送ってみるか...)
俺は毛利元就に会ってみたいと思いつつ、受け入れは無理じゃないかと思った。
「まぁ、一揆を起こそうとすれば禁教にして指導者は皆殺しにすれば良いか・・」
俺は受け入れることにした。それと、本願寺からの指導者兼人質は下間頼照が来ることで決まるのだった。
それから数日後、俺は毛利元就に書状を書いて送り、帝にあるお願いをした後、兼照の護衛以外は全軍を引き連れて帰国するのだった。
本当は連れて帰るつもりだったのだが、婚姻となったので仕方が無かった。




