107、戦国オールスター軍団
永禄九年(1566年)4月
相国寺
「「「上様に拝謁致します」」」
俺達は相国寺で将軍(仮)義秋に頭を下げていた。
この場に居るのは、足利義秋と三淵達幕臣、朝倉義景、長尾景虎、村上義照、伊達晴宗、北条氏康、佐竹義重、武田義信、浅井長政の連合当主達、遅れてやってきた織田信長、そして、三好義継と松永久秀だ。
「皆、良く私の為に来てくれた!礼を言う!」
義秋は大いにご機嫌だった。
しかし・・・
「義照、どうしてこの場に反逆者を連れてきている?」
不満と怒りに満ちた毘沙門天がいた。俺が三好義継と松永久秀を連れてきていた為だ。
「景虎殿、この二人は降伏した故連れて来たまで。また、松永殿は上様(義秋)を一時的に保護し、逃がす為に藤孝達に引き渡された。しかも近江に入るまで護衛まで付けたと聞いているのでな」
これは本当の事だ。久秀から書状が来た後、三淵に連絡をした際教えてもらっている。
「松永は分かった、だが!その隣に居る者は別だ!亡き上様を殺した張本人ではないか!! 」
景虎の怒号が響き渡る。
久秀の隣、義継は永禄の変の首謀者だ。そりゃ、景虎が激怒するのも分かる。俺も降伏してきた時、散々怒鳴り上げたからだ。
「舅、九条様(稙通)から助命嘆願があった故に認めました。義弟(前久)と九条様のお陰で将軍宣下の用意が既に万端整っております。もしも、九条様からの嘆願を拒否して宣下が中止となったりでもしたら上様(義秋)の面目も丸潰れですので認めましたが上様の御判断は如何に・・・?」
俺が言うと景虎を始め全員が義秋の方を見た。
皆、義秋のことを上様、上様、言っているが将軍宣下をしてないのでまだ正式な将軍ではない。これを用意したのが義父(九条稙通)と前久(義弟)だった。
ちなみ、摂関家の二条晴良と一条内基は俺が来たと聞いて一目散に三好の本拠地、四国阿波に逃げたそうだ。
まぁ、大名の一条も四国だからだろう。
ちなみに、三好家(義継を除く)は既に朝敵認定を受けた。
「分かった。三好の助命を受け入れよう...」
義秋は少し顔を歪まして認めた。多分、久秀はホっとしだろう。なんせ、久秀の方は一応保護なり護衛を出したりとしているので認められる可能性は高かったが、義継の方は別だ。俺が今回助命に手を貸したのは、義父(九条)に懇願されたのと久秀が息子兼照を三好から取り返し保護してくれたからだった。
久秀は伊賀忍を大量に雇い、飯盛山城に囚われていた兼照を救出し、多聞山城で保護していた。
絶対、俺を利用する為に助けたのだろう。抜け目無いと言うか・・・流石だな。
一番笑いが止まらないのは伊賀忍達だろう。なんせ、俺と久秀どちらからも莫大な金を貰えたからだ。
兼照は既に前久と共に朝廷に行っている。今回は孫六に言って陽炎衆の精鋭を護衛に付けさせた。
「上様の御恩情に感謝致します」
「我らが上様に忠誠を誓う証として名器九十九髭茄子と多聞山城、信貴山城周辺以外の領地全て!!献上致します」
義継と久秀は御礼を言い、久秀が領地と名茶器九十九髭茄子を差し出した。
これは俺が久秀に出した条件だ。久秀はともかく義継は助命される理由が無かったからだ。それに差し出せる物もだ。なので、久秀に肩代わりさせた。
義秋と幕臣達は皆、驚き笑みを溢していた。なんせ、久秀は大和を半国以上押さえており信貴山城、多聞山城を除いたとしてもかなりの領地が手に入ったからだ。
ちなみに、筒井城も落としているので、幕府の物となった。
「さて、逃げた三好についてだがどうなっている?」
「はっ!某が説明させて頂きます。三好は~」
義秋の問いに久秀が答えていった。
畿内にいる三好勢は三万。京を放棄して飯盛山城に入っており、どうも四国に撤退も考えているのか大量の船を準備しているそうだ。
三好は総勢四万は居るのだが、一万は既に阿波に戻ったらしい。
三好に海に出られたらこちらに追う手段は無かった。
「ここは直ぐに追うべきだ!」
「今追っても向こうが逃げれば間に合わぬ!三人衆を逃しては意味が無い!ここは周囲の制圧をすべきではないのか?」
「村上殿の所は騎兵が多いではないか?騎兵を集めて追撃しては?」
「騎兵だけでは追い付けても数が足りぬ!どうやっても勝てぬぞ!」
評定は紛糾?した。
どうやって三好三人衆を討ち取るか、周囲の制圧を優先すべきではと分かれた。
景虎は勿論三好三人衆討伐で、義景は周辺の制圧だ。浅井や佐竹、武田、伊達等も周辺の制圧を優先すべきとし、俺と氏康と信長は黙っていた。正直どっちでも良かったからだ。
「村上殿、北条殿、お二人はどのようなお考えか?」
幕臣の藤英が聞いてきたので氏康は周辺の制圧と立て直しを優先すべしといい、俺は、三好三人衆が昔いた香西や三好のように勝てると思ったら一戦交えるような馬鹿なら囮を出して戦をすべしとし、そうでないなら周囲の立て直しをすべきとした。
そして、三好三人衆は・・・香西等と同じ馬鹿と言うことが久秀によって語られた。
久秀曰く、このまま戦いもせず四国に戻れば三人とも肩身は狭くなり発言力が落ちるので形はどうであれ勝ったという結果を心底欲していると思われるので、敵の半分の兵(約一万五千)で攻めるなら余裕で釣れるらしい。
お陰で誰かが囮として行くことになったが景虎が名乗りを上げ、景綱と本庄が悲鳴を上げ、猛反対した。
二人からしたら何故、自分達(越後勢)だけが犠牲を出さないといけないのか納得出来ないからだ。二人の気持ちはよく分かる。
景虎は義を説くが二人は長尾家単独に反対し続けた。宇佐美が生きていれば何とかなったかも?知れないな・・・残念ながら冬に病死したらしい。
お陰で景綱の胃が良く悲鳴を上げているそうだ。
(・・・・夏目(毘沙門屋)からうちの胃薬をよく買ってくれると報告があったし)
流石に可愛そうになったので一つ提案をすることにした。
「景綱殿、一つ提案があるが乗る気はないか?」
「なに?村上様、それはどう言うものか?」
景綱が聞き皆俺の方を見たので提案した。
「景虎殿を大将として、それぞれの家から精鋭を千人から千五百人程預けては如何か?他家の者であろうと軍神なれば指揮に問題は無いだろう」
皆考えだし義景は難色を示していたが、他の者達からは賛同を得られた。と言うのも、この後の論功行賞で優位になりたいのもあり、千人くらいなら許容範囲のようだった。
「では牧野、お主が千を率いて軍神(景虎)に付いていけ」
「ははぁ!」
「員昌、お主が行ってくれ」
「畏まりました!」
伊達晴宗や浅井長政が指示していくと皆それぞれ家臣を指名していった。
長尾勢
長尾景虎(軍神)、柿崎景家、鬼小島弥太郎等
三千
伊達家
牧野久仲
千名
浅井家
磯野員昌等
二千名
武田家
山県昌景
五百名
佐竹家
真壁久幹(鬼真壁)
千名
朝倉家
真柄直隆(太郎太刀の真柄)等
二千
織田家
柴田勝家(鬼柴田)
千
北条家
多目元忠(北条五色備)
二千
村上家
仁科義勝(今張...飛)
二千五百
計一万五千
(・・・・三好終わったな~)
俺は参加する全員の名前を聞いて、ただそう思った。
率いるのは軍神長尾景虎、兵は各大名の精鋭達に猛将達だ。
この混成軍に勝てる軍は・・・多分存在しないな・・・・。
ちなみに、村上代表が馬鹿兄なのは名乗りを上げ絶対に行くと譲らなかったからだ。まぁ、突っ込むだけなら馬鹿兄以上に適任はいないだろう。いや、磯野(浅井家臣)が居たな。後は軍神(景虎)の手腕次第だ。
他の者達はそれぞれ周囲の三好方の制圧と京の護衛に回ることになるのだった。
朝倉は若狭方面、俺達(村上)は大和方面となり、北条、浅井、伊達、武田、佐竹、織田は摂津方面となるのだった。北条達は景虎の後詰めにもなっているので数が多かった。
河内 飯盛山城
義照達が京に入ってから数日後、三好三人衆は飯盛山城にいた。
「雑賀衆は拒否しよったか!糞!金の亡者共め!!」
「クソッ!!六角がこうも当てにならんとは思わんかったぞ!」
「岩成、そう言うな。敵は十万にも匹敵するではないか。防ぎきれまい」
「それよりも、釣竿斎!!お主が九条を逃した方が問題じゃ!!何の為に見張りを多く付けていたと思っとる!!人質としてどれだけの価値があったか分かっとるのか!!」
三人衆筆頭の長逸は同族の宗渭(釣竿斎)に激怒した。九条兼照を捕え飯盛山城に幽閉し監視をしていたにも関わらず、久秀にまんまと奪い返されてしまったからだ。
「仕方あるまい!!あの蝙蝠男(久秀)があれ程大量の伊賀忍を雇うなど考え付く訳が無かろう!!」
釣竿斎の言うことにも二人は理解はしていた。だが、大事な人質にむざむざと逃げられたことが許せなかった。あれ程、人質としての価値がある人物はいないからだ。
そして久秀が雇った忍の数は千人を超えていた。
久秀はお気に入りの茶器数点を高値で売ってまで雇い入れ兼照の奪還(強奪)を強行したからだ。全ては三好家(義継)と自身の安全の確保の為に。
そして、それは成功し久秀と義継は見事に許しを勝ち取った。
「申し上げます!!京に入った連合軍は分散し各地の制圧に向かいました!また、ここには長尾勢を含むおよそ一万五千の兵が向かっております!」
三人が怒鳴り合いをしていると京に残した間者が戻ってきて報告を始めた。
「はぁ?長尾勢だけだと?」
「はい!他の軍勢は大和方面に村上が、摂津方面に北条等が向かいました!長尾勢の数は一万五千の軍勢です!」
間者は大袈裟に伝える。少しでも気を引かせ餌(長尾連合)に食い付かせようとした。何故ならこの間者、既に三好三人衆を裏切っている。
三好三人衆は撤退する際、間者を京に多く残したが連合軍が入ると義照と久秀によってその殆どを捕縛もしくは始末された。
そして捕まえられた間者達は二人(久秀、義照)によって目の前で同じ間者の簑踊りを見せつけられた。そして、間者達に一族も同じようにすると脅迫したのだ。
間者達は、義照の渾名を思い出し容赦無くやると恐怖した。中には必死に許しを乞う者も少なくなかった。
そんな中、久秀がこちらの指示通り動けば助けてやると助け船を出し、殆どの間者はそれに乗っかった。
中には三好家に殉ずる者も居たがそのまま簑踊りに加わることになった。
三人衆は戻ってきた間者が続々と報告をしていい気になっていた。
何故なら敵は自分達の半分の数で攻めてきているからだ。
「篠原達を呼び戻せばこちらは三万!余裕で勝てるぞ!!」
「相手は軍神だがこの兵力差なら問題あるまい!!」
「打ち破れば、そのまま京に乗りこめる!朝廷を押さえればまだ我等に先がある!」
三人は最早後戻りが出来ない為、手段を選ぶようなことはしなかった。
長尾勢を打ち破り、京に攻め込み朝廷、帝を人質にしようと考えた。
そして、三人は先に兵を率いて撤退していた篠原に伝令を送ったが、返事は拒否だった。最早三好三人衆に付いていけず、泥舟には乗りたくないからだ。
三人衆は激怒したがそれでも二万五千はいるのでそのまま長尾軍を迎え討つことにし飯盛山城を出陣する。
出陣した兵士達の大半が城に帰ることはないとはこの時誰一人思う者は居ないのだった。