104 、切り捨てられる者
永禄八年(1565年)11月
越後 春日山城
「我等は雪解けと共に亡き上様の弔い戦を行う。朝倉と村上に直ぐに使いを送れ!!」
「「ははぁ!!!」」
「三好松永の首を悉く刎ねるべし!!」
関東同盟の事を聞いた越後、越中守護長尾景虎は家臣達を集め宣言した。
本当なら直ぐにでも逆賊(三好松永)を討ち取りに行きたかった。だが、加賀の制圧を終え統治するのに手間取っており直ぐには行ける状態ではなかった。
そんな中、関東同盟の話を聞き、もしもの時の反乱鎮圧の軍勢を残して出陣できる状態となったので宣言したのだ。
長尾家家臣達は直ぐに戦支度を始める。景虎の宣言は直ぐに広まり朝倉、能登畠山、浅井は直ぐに同調した。
越前一乗谷
「越後の軍神も立ち、信州の閻魔も動く。覚慶様を保護する我等が立たなくて如何する!皆の者、戦の支度をせい!ワシ自ら上洛するぞ!山崎、直ぐに長尾と連絡を取れ!前波は浅井じゃ!」
「「ははぁ!!」」
義景は領内に触を出し準備を始めた。今の朝倉家は史実とは違いまさに絶頂期であった。朝倉宗滴と言う名将は既に居ないが、朝倉家の一番の敵であった加賀一向衆は既に居らず、領地も越前一国、加賀半国、若狭の一部と格段に増えていた。
そして、何より後の将軍である覚慶を既に保護していた。
覚慶は久秀が保護が出来なくなり、細川藤孝や和田惟政と密かに連絡を取り、逃げたと見せかけて丁重に引き渡されていた。
そして、覚慶達は浅井朝倉によって追い詰められている六角ではなく、朝倉家に逃げ込んだのだった。
しかし六角領を通過する時、六角義治から暗殺されかけたのだった。
信濃 上田城
「あい分かった。景虎殿には我等は美濃から向かうと伝えてくれ。近江で合流しようとな。それと、この大雪だ。温泉にでも浸かって気をつけて帰られよ」
「畏まりました。お心遣い忝なくございます」
そう言うと長尾家からの使者は城にある温泉に入った後大雪の中帰って行った。
景虎は上洛を決めたそうだ。他にも朝倉も乗り気らしく同盟国に声をかけているようだ。
(全く、こんな冬に上洛を宣言しなくても…。)
長尾の北に居る蘆名盛氏は伊達の支援を受けた二階堂とやりあっているため景虎は最低限の守りだけを残すと言っていた。
陽炎衆の話では伊達も佐竹とかなり使者の往来が激しいらしい。
さて、俺達だが関東同盟によって遠江を領有することを認められたが、一部では反抗している者がいる。
例えば朝比奈だ。朝比奈は氏真夫婦を北条に託した後、城に籠もってしまった。
なんでも、裏切り者の武田や父を討ち、今川を見捨てた村上に仕える訳にはいかないというのだ。
なので配下になった、蒲原と庵原の元今川重臣二人に説得を頼んでいる。
岡部一族は残念ながら武田に仕えることになった。知らなかったが元信と信玄は知己であったらしい。氏真が北条に保護されると武田に仕えると頭を下げて言い氏真から労いの言葉を掛けられてから去った。
ついでに今川支配下の水軍は武田に取られてしまった。
畜生め・・・。
他にも抵抗しているのは徳川に降伏した者達だ。
降伏してすぐに人質を取られたようで裏切るに裏切れないらしい。
今、出浦を大将に、下条、相木、依田等の信濃勢、それと今回召し抱えた遠江勢を中心に一万程の軍勢を遠江に、大熊を大将、中沢を副将にし七千の軍勢を三河に向かわせる用意をしている。と言ってもこの大雪なので雪解け後に本格的に動くことになる。
正信のことは既に知っているので攻め始めれば容赦はしない。皆殺しだ。
永禄九年(1566年)2月
雪解けが始まった頃、既に集まっていた遠江の出浦達が高天神城から遠江徳川領に侵攻した。
朝比奈だが、最後まで抵抗したが氏真の書状でやっと城を明け渡した。しかし、村上や武田に仕えるなど出来ぬと、氏真の元に行ってしまった。
なんともまぁ~忠義の士だなと思う。
遠江は仮の処置として家臣になった蒲原と庵原を中心に管理させている。
最終的には誰か重臣を送るつもりだ。
何故なら海があり港があるからだ。
(すぐにでも開発したいが....甲斐のせいで金が無い...おのれ雪斎!絶対狙っていたな!)
そして、大熊達三河の軍勢は田峰城に集まりいつでも出陣出来るようにしている。徳川が遠江に援軍を送ればすぐに三河を制圧するためだ。
家康の領地は三河二十万石あればいい方だろう。残りは俺達が制圧している。
兵の数もどんなに多くて一万にもいかないと考えている。
その為三河、遠江の制圧は一万七千もいれば余裕だった。
合流後は大熊を大将、出浦を副将にしている。今まで三河は大熊に任せていたのと、本人も希望し、出浦が認めたからだ。その為、物凄く張り切っていた。
張り切り過ぎて焦らないといいけど……。
それから十数日後
永禄九年(1566年)3月初旬
上田城
「はぁーもう、遠江は制圧したのか...。よくこんなに早く浜松城を落とせたな」
「はっ!徳川は長篠城にまで兵を進めましたが大熊様がいるためかそれ以上は進みませんでした。また、攻略に時間がかかると思われた浜松城は城内で裏切りがあったらしく、簡単に攻め落とせました!現在は出浦様の命で庵原様が守将として入られ、出浦様は井伊谷城を通過して大熊様と合流される予定です!」
徳川についた遠江の者達は家康が援軍に来ないと知ると人質を見捨てて寝返ったようだ。そして、浜松城は家康の家臣(三河の)が入っていたが裏切りが起きて落とせたようだ。正直、浜松城は時間がかかると思っていただけに予想外だった。
(しかし、井伊谷か....直親め、裏切らなかったとは言え結局死ぬとはな...。全ては三浦のせいだが...。あれ?今って直虎が当主なのかな?)
「井伊谷は誰が支配している?こちらに付いたのか?」
「はっ!井伊谷から小野但馬守と名乗る者が名代として出浦様の元にやって来ました。井伊家は次郎法師と名乗る女地頭が指揮しているようです」
(直虎だな。・・・なら、虎松もいるか?)
「直親に子供はいなかったのか?」
「いえ、戻ってから一人いるそうですがまだ童だそうです。たしか、虎松だったかと」
報告に来た者から虎松の名前が出たので内心ヨッシャーと喜びガッツポーズをしていた。
「あいつの子なら直接会ってみたい。出浦に井伊家を指揮している女地頭と直親の子を上田城に来させろと伝えてくれ」
「畏まりました」
俺が指示をすると家臣は戻っていった。しかし、直虎と虎松、一体どんな者か、会うという楽しみが出来た。
まぁ、全て終わった後だけど…。
その頃、長篠城の家康は冷や汗を流して一人部屋に籠もっていた。
何故なら当初の予定では浜松城で村上を足止めして、何とかその間に、村上と交渉の場を設けるのと近衛前久に接触することを目指していたがあまりにも早く遠江が制圧され、頼みの綱の浜松城も数日で落とされた為、時間を稼ぐ暇が無かったのだ。
そして、織田に援軍を求めたが、無情にも返ってきたのは援軍拒否と竹千代(信康)と徳姫を離縁させると言うものだった。要するに婚姻同盟が破棄されたのだ。
織田は再度西美濃三人衆が裏切り、稲葉山城の攻略が大詰めを迎えた為と、援軍を送る余裕もつもりも無かったのだ。
文字通り、家康は捨て石にされた。
信長は関東同盟の話を聞いた時点で家康を捨て石にすることを決めていたのだった。
唯一の救いは織田に人質となっていた嫡男竹千代と妻の瀬名が無事に徳川家に返されたことだろう。
「殿....。織田から最後の通知が来ました。国境の関所は全て閉じると。..裏切り者の水野信元からも同じ内容の使者が参りました。それと、於大の方様が岡崎城に入られました。こちらが書状に御座います」
やって来た鳥居元忠は難しい顔をして書状を渡した。
受け取った家康は既に精神的に参っていた。今川の支配を離れ独立し三河を取り返したかと思えば、一向衆と武田に今まで忠義を尽くしてきてくれた家臣達を殺され三河を奪われた。
そして、再度今川から三河を取り戻せたと思ったら今度は村上によって滅ぼされかけている。
「...母上は私に最後まで付いてきてくれるのか...」
書状には於大の方は水野と縁を切り、子である家康に付き添うとあった。
於大としては我が子である家康を見捨てることが出来なかったのだ。
「元忠、私はどこで道を間違えたのだろうか?雪斎様が良く申されていた。村上は味方には仏だが敵には容赦せず、滅ぼすと決めたら徹底的にやるそうだ。武田は雪斎様がいたから国を失ったが滅ぼされずに済んだ。信長殿は斎藤道三のお陰で村上と繋がりが持てた。だが、私には最早何も手立てがない 」
「殿.....」
家康の言葉に元忠は返す言葉が見つからなかった。
少し静寂が流れたが誰かが走ってくる音が響いた。
「失礼します!!殿、酒井様より正信が目を覚ましたとのことです!」
榊原康政が駆け込んできて報告した。
正信はいつ死んでもおかしくないと言われ意識を失っていたが奇跡的に意識を取り戻したのだ。
「殿、正信は殿に会いたいと申しております!」
「そうか...だが、時既に遅しだ...村上は我らを滅ぼすつもりだ」
家康は項垂れながら答えた。戦が始まる前ならまだしも既に遠江が制圧された後だからだ。
「..殿、ここは某(元忠)にお任せください。某が時間を稼ぎますので正信を説得して村上に降伏して下さい。悔しいですがあいつ(正信)の口添えがあれば族滅は免れると思います」
「元忠.....分かった。すまぬ...」
家康は涙を流し、兵を率いて岡崎城に戻った。
それから数日後、長篠城は大熊朝秀大将の村上軍の猛攻に曝されたが、元忠の指揮のもと三河武士の意地と粘り強さを死ぬその時まで見せつけるのだった。